第42話 『契約』
「こんなに質素でいいの? 女の子はこういうことにこだわると思ってたんだけど」
白い簡素な、ドレスと呼ぶには飾りの少ないそれを着たティアはこちらを見て笑う。
装飾品は、左耳のピアスだけ。豊かな金髪は美しく結われ、小さなティアラと薄いベールが載せられている。
そのベールのせいで、今彼女がどんな顔をして笑っているのかは、定かではない。
人気の少ない教会に、二人の声が大きく響いていることを気にもかけず、会話を続けた。
「アレクは、二人っきりが嫌?
わたしは、いいと思うんだけど。あまり歓迎はされないだろうから、それなら二人っきりのほうがいいでしょう? 気を使わなくてもいいし」
ベールの下の、いつもより少しだけ紅い唇が動く。
シンプルながら手の込んだドレスを着た彼女をよく見ていたので、小さな違和感を感じた。それでも、もう彼女は王族ではないと自分に言い聞かせる。
ドレスは簡素だが、それでもやはり美しいと思う。
「嫌と言うか、それなりの式くらいできる給料はもらってるから」
「え? 別にいいよ。立派にしたからって、幸せになれるわけではなんでしょう?」
わたしが幸せだからいいの、と笑った。
スズランのブーケが手の中で揺れる。二人で話しながら、ステンドグラスに向かってのびる道を歩いた。白い石造りの道は長く、細く、祭壇までの道のりは遠いように思える。
二人はそれをゆっくり、時間をかけて歩いた。まるで、今までの二人のように。
祭壇のそばに来て止まり、向き合う。
ステンドグラスから差し込む光に照らされ、うっすらとティアの顔が確認できた。
全てを白でそろえた彼女は眼を伏せ、その蒼い瞳を隠していた。その瞳がこちらを向く。強い視線に射抜かれる。
王族を辞めても、その光るような存在感は消えない。
偽りを許さない、まっすぐな瞳は変わらないのだ。だから、自分はこれほどまで彼女を愛しているんだ。
「汝、リシティア・オーティス・ルラ・リッシスクを生涯の妻とし、共に生きることを誓うか?」
彼女が口を開き、高々と声を上げる。よく聞く、使い古された言葉だと、笑ったのはもう何年も前。
ここ数年間は、笑い飛ばすだけの度胸もなかった。ただ、『結婚』という言葉が現実味を帯びて苛んでいた。彼女も、自分も愛する人とは違う人間と結ばれるのだろうかと。
「誓います」
声は震えていない。むしろ不思議と穏やかな気分だ。そして、続ける。彼女が言ったのと、同じセリフを。
「汝、アレク・ボールウィンを生涯の夫とし、共に生きることを誓うか?」
ここ数年、この場面をずっと夢見ていたと言ったら、どこの乙女だとティアに笑われてしまうだろうか。それでも、嘘ではないのだから仕方がない。
「誓います」
ティアの声も震えてはおらず、わずかに口角さえ上がっていた。ベールの上からでもはっきりと分かる。ちらりと白薔薇が見えた。しかしもうそれも気にしないことにする。
王族であろうとなかろうと、自分にはやはり関係ないのだろう。ティアがティアらしくあるのなら、自分は彼女を愛し続けるに違いないんだ。
「どんなに辛くても、苦しくても、アレクと生きることを後悔しない。王族にも戻らず、一生アレクと一緒に生きる。
それで、アレクはいい? わたしと、ずっと一緒にいて、もう嫌だ、って思わない?」
するりと指先で指輪をはめてやる。
長く国王の証をつけていた中指のすぐ隣の指へ。彼女の髪と同じ明るい金色の指輪は自分が、自分の持つ剣と同じ銀白色の指輪は彼女が、それぞれ持つと決めた。
飾りの何もついていないリングは、互いを繋ぐ証だ。
抵抗もなく互いの指に嵌ったそれを見て、ティアがうつむいた。泣き出しそうになっているのが気配で分かってしまう。
「泣いたらっ。化粧が落ちて、ベールが取れなくなるね」
ぐっとティアが手を握ってきた。その手が小刻みに震えている。
「どうしよう。幸せだからかな……泣きそう」
『泣きそう』と言われたのは初めてだった。
いつだって我慢して、極限までためて、そして時々一人で泣く。そんなティアしか知らなかったから。『泣きそう』と言ったのは、少しだけ甘えてくれるつもりがあるからだろうか。
「泣いていいよ」
ベールを持ち上げれば、ティアが顔を上げた。美しく化粧の施された顔がこちらを向く。涙が目の端にたまっているのを見て、笑いかける。
あぁ、美しいなあ、と何のてらいもなく思う。指でそっと掬うと、ティアが笑った。
『ありがとう』と口が動く。
「これからはたくさん泣いて。その代わり、たくさん笑って」
それが望むこと。
そう言ってから、肩に手を置く。首をわずかに傾ければ、ティアはそっと瞳を閉じた。
顔をそっと近づけつつ、ドキドキと鳴る心臓を押さえつけるようにして息をつく。
これが何度目、と数えられるほどしかキスをしているわけではないにもかかわらず、と自らを笑うがどうしようもなかった。(残念ながら、ティアが女王でいられる最後の一年まで理性が続かなかった)
女王としていられる最後の年は、恋人同士のような期間だった。
……ただし夜の間だけ。キスで緊張するなんて今更のはずだろう、と自らに言い聞かせる。
それなのに、胸の高鳴りは止まることなく、さらに早くなるだけだ。
「愛してる」
気恥ずかしく、なかなか口に出せない言葉を口の中で転がした。思ったより軽いそれを実感し、眉を下げる。
やはり思っていることをそのまま相手に伝えるのは難しい。目を閉じるのが惜しくて、口付けるその瞬間まで目を開いていた。