第38話 『背負うモノ』
一人で何十人もの大臣を相手にする孤独感は、予想以上だった。
アレク以外は全員敵だということを、否が応でもつきつけられる。その顔には、わたしを何としてでも止めたいと書かれている。
厳しい瞳がいくつもこちらへ向いていた。
こちらを品定めるかのような、五、六年前に感じた視線を思い出す。
王代行になったときも、女王になったときも、失敗を許さない視線がいくつもこちらへ向いていた。
ぐっと握った手に力を込める。
他国の王たちと会ったときより、ずっと易しいはずだ。彼らは、あくまでこの国に仕える臣なのだから。そう言い聞かせるも、胸に宿る孤立感は拭えなかった。
「王族を辞める人間に、何の用ですか?」
そう嘯くが、大臣たちの瞳は変わらなかった。いつもどおり絶対の信頼をこちらへ寄せ、忠誠を誓うように膝をつき、わたしの方へ向かって口を開く。
「姫、どうかお考え直しください」
一人の大臣が言った。そのあとに続き、大勢の声が復唱する。
まるで逃がさないと言っているようにも聞こえ、目の前が翳った気がする。逃げられないかもしれない、と嫌な予感が胸をよぎった。
今まで感じたことのない不安が、胸を支配する。
ダメかもしれない、わたしはずっと王族なのかもしれない。
アレクから引き離されるかもしれない。
そうなれば自分はどうするべきなのか。アレクを失って、何かをなせる気がしない。
王族を辞めたからといって、自分のしたことへの責任を忘れようなどと思ったことはない。
王女や女王のときに背負ったものを、下ろそうとはしない。してはいけないのだ。
自分の国のことだけを考えて差し向けた兵に殺された命も、反対にその兵の命も、背負わなくてはいけないものだ。残酷な現実から、血なまぐさい戦から、目を逸らしてはいけない。
それは自らが決めたことだから。自分の下した決断一つがたくさんの命を奪うから。一度でも人の上に立った者は、その責任から逃れることはできない。
最後まで、その結果を見届けて、受け止めかければいけない。
自分は守られる側だから、それが当然なのだ。殺すのも、殺されるのも、愛する民である。または、誰かが愛している民である。
命は下すが、手を下さないわたしにできる唯一のことだ。
逆に言えば、わたしにしかできないことでもある。責任を取ることが後悔することなら、誰にでもできるだろう。
しかし、責任を取るということは、その命を無駄にせず、忘れもせず、国を治め続けること。
あるいは、国を然るべき次代の王に任せるということだ。それなら……王族でなくても、できるのではないか。
「シエラ様は未だお若い。導く方が必要なのです」
「では聞きます。わたしが始めて政を任されたのが何歳か、覚えていますか?」
十五歳のとき、今のシエラとそう変わらないときだ。
しかしそのとき、この人たちは誰もわたしが『幼い』とは言わなかった。王の代行として接し、指示を仰ぎ、時として反対もした。
「わたしに接したときのように接すればいいでしょう。わたしのとき、導く人はあなたたちでした」
ぐっと大臣たちが黙る。わたしの態度が頑なで、考えを変えるつもりがないことを分かったからだろう。
「本当に必要なら、助言を惜しむことはありません。ただ立場が姉としてではなく、臣下としてに変わるだけ」
話がこれだけなら帰ります、と言うと一人の男が立ち上がった。
シルドが柔らかい笑顔を向ける。正直、怖かった。何を言われるのか、聞かれるのか。自分がその言葉に揺らがない自信はない。
「あなたが選ぶものは、国と民より大切ですか? それらを裏切ってまで、捨ててまで選ぶものですか?」
この人にはわかっているのだ。一人の男がそれほどのものなのかと、真正面から聞かれた気分になる。
「……違いますね。あなたはそういう人ではない。だから、王族とは完璧に縁を切れない。それは、一生です。
一生、あなたは王族であり続ける。あなたの意志にかかわらず、血がそうさせる」
アレクが一番。
だけど、国と民を捨てる勇気は私にはない。そのことを、この人はよくよく知っているのだ。
わたしの中を流れる血が、幼い頃から身に沁みこんでいる感覚が、国と民を裏切るなんて許すはずがない。
呼吸するように、それはとても自然なことなのだ。
「いいでしょう。『一時的王族特権の返還』という名目で認めましょう。『臣籍降下』は残念ながら、認められませんので。これでご了承くださいますか?」
この国にはそもそも王族が少ない。わたしは本来、嫁に行くのではなく、婿をとるべき人間なのだ。だから、王族から完全に縁の切れる『臣籍降下』にはできない。そう言いたいのだろう。
「あなた方に、任せます」
彼らなりの、最大の譲歩だと分かった。
これ以上を望めば、『望むもの』は何なのだと問い詰められかねない。それだけは避けたかった。
王族の権利を返還したあとならば、ばれても仕方がないが、今ばれては非難がアレクのほうへ行ってしまう。
それだけは、イヤだった。
「白薔薇姫に、選ばれた“モノ”は幸せですね」
自分はもう、『姫』と呼ばれる人間ではない、と心の中で訂正した。
「本当に、そうでしょうか……」
相手に届くはずもない、小さな声が口から零れ落ちた。
本当に、そうだろうかと思ってしまう。アレクがどんなことを言っても、まだふっと浮き上がる不安が拭えなかった。