第37話 『解放』
ティアを抱いたまま帰ると、部屋の前には大臣たちだけではない家臣が大勢いた。
どの顔も、一様に驚きと失望がない交ぜになっている。一瞬回れ右をして帰りそうになった。この人たちの言うことなんて分かっている。分かりすぎている。
もう何年も前からずっと、そういう環境でそういう人たちに囲まれて育ってきたのだ。
彼らの考え方、やり方、求めているものなど、知っているつもりだった。父と祖父も、そういう人たちの一部だ。少しだけ、それからそれているだけ。
「帰ってこられたぞっ」
「リシティア様が!」
「アレク殿もいる」
「お静かに。目を覚ましてしまいますから」
声を上げた大臣たちに声をかけると、たちまちその顔が怒りに染まった。
それを無視するようにティアの部屋へ入り、手身近なソファにその体を横たえる。ここで寝室に入ったら、また何か言われるのは分かっているからだ。
本当はゆっくりベッドに寝かせてやりたいが、今煩くなるのはティアのためにはならない。この部屋のソファは柔らかいから、体の負担になることもあまりないだろう。
「貴様。リシティア様がなさることを知っていたのか」
「ええ。まぁ」
自分でも可愛げがないと思うが、ティアが王族でなくなると決意し、それを宣言したのなら、もう何も気にする必要はない。
今までおとなしかったのは、ティアの護衛である自分が不出来だと、ティアが悪く言われると思っていたからだ。
その理由がなくなったのなら、従順なふりをしているつもりはもとよりなくなった。好きにこの人たちへ歯向かうことができる。
「それでも護衛かっ?! 主をよく導いてこその護衛だろう。ボールウィン家の次男なら、そのくらいきちんと分かっているはずだ。お父上に申し訳ないとは思わないのか。
主の体に触れ、挙句抱き上げるとは何たる不敬。貴殿の命をもってしても、償える罪ではないっ」
うるさいが、言わせておけばいい。こういう人間だって政治には必要だと、自分もティアも分かっている。
少なくとも、王への忠義心はあるのだから、これも忠義の現れの一種だと見ることも出来るだろう。
「全く、セシル殿より優秀だったと聞いていたのに、残念だよ。アレク殿。まぁ、庶民同然の育ちをした娘を妻にした彼よ……」
彼よりマシか、と言いかけた彼を止めたのは、その『セシル殿』、つまりは兄だった。その大臣の腕を掴み、彼は口を開いた。
「妻への愚弄は止めていただけますか? 私に意見があるのなら、私に言っていただきたい。グレイスは関係ありません。
それに、グレイスはわれらが王女の友人でもある。妻を友人に持つリシティア様まで、愚弄されるおつもりか?」
いつもは穏やかな兄の眼が鋭くなる。自分の事に関してはほとんど怒ったことのない兄が、初めて人前で怒りを露にした。しかしそれも突然なくなる。
こういう人間相手に怒っても効果がないと思い出したように、白けた目をしてこちらへ向き直った。
「どうして、リシティア様が王族を辞めると言ったとき止めなかった? アレクなら、止められたはずだよ」
止められただろう。ティアが自分自身で決めたと思えるくらいには。そういう考え方に行き着くような、他愛もないアドバイスをやることもできただろう。
たいした労力も使わず、時間もかけず、平気な顔をして。もしそれが、ティアのためになるのなら。
「アレク。お前は、分かっているはずだ。シエラ様は未だ幼い。リシティア様の助言がなければ、心無い家臣に踊らされても気がつかないだろう。
最低一年は傍にいてもらわなければ、シエラ様も心細いだろう」
「……一体、何年そうやってティアに無理をさせたか、あなた方は分かっているのですか?」
ずっと、だ。もう王になって四年。王代行になってから六年。
「あなた方の素晴らしい『リシティア姫』は役目を十分に果たしたはずです。違いますか? 彼女はあなた方のご希望通り、民を、国を愛し、尽くしました。
その身を捨てる覚悟で、この国を守ってきたはずです」
彼らの幻想である『リシティア姫』は立派に政を取り仕切り、外交に力をいれ、法改正をももたらした。
彼らより、十も二十も若い一人の少女が、たった一人で、国と民のために強くあろうとした。
泣かないようにと唇を噛み締め、背筋をしっかりと伸ばし、肩に一杯一杯の力を入れて。
「十五の彼女に私を含め家臣は何を与えました? 途方もない問題の数々と、不安と、その背に大きすぎる期待。そして役にも立たない助言と助力しかなかったではありませんか。
まさか、お忘れではありませんね? 私たちのせいで、シエラ様の母君であるヴィーラ様がご実家に帰られたことを。
なのにこの期に及んで、あなたたちは未だ彼女に何か背負えと? 義理の母を半ば追い出すようにしたという事実以上の責め苦を、彼女に与えようと?」
シエラ様は確かに若い。しかしティアだって普通の国王の目で見ると若いのだ。侮られなかったのは、ひとえに彼女の気高い態度と、政に関する素晴らしい手腕のおかげでしかない。
「王族だから、とそれを理由にしてはいけなかったのです。私たちは。
――王女である前に、彼女は年端も行かない少女だということを、気にしなければいけなかった。王族以前に、彼女も立派なこの国の国民です」
今まで背負ったものを、彼女は下ろそうとしないだろう。女王でなくなったとしても、王族でなくなったとしても、彼女にとって、国も民もやはり守るべきものなのだろうから。
気高くも厄介な、王族の血がなせる業だろう。
「彼女は決して、国と民を裏切ったわけではありません。私が言えるのはここまでです。あとはティア自身の口から聞いてください。
私が説明するより、ずっといいでしょう。ご了承くださるなら、お帰りください。
ここは『まだ』姫君の自室です。あなた方が普段、入ることは許されていないはず。私を不敬だと罵る前に、ご自分たちの身から省みてはどうですか?
少なくとも、私はここにいることが許されている人間です」
理解してもらえるなんて、始めから思ってもいない。
自分も、ティアもそんな覚悟でこんな話しない。
認められないことも、罵られることも、予想していた。覚悟していた。だけど全てを受け入れる必要はない。
もちろん、その全てを自分が受けることは不可能だけど。
守れてる? とは聞けない。だから、代わりに彼女の頬をそっと撫でた。せめて今だけ平和であればいいと思った。