第26話 『惹力(インリョク)』
「あなたは、誰が悪いと思う?」
ティアが聞くと、少年は困った顔をして首をかしげた。自分が聞かれるとは思っていなかったのか、うーっと唸りながら、母親の肩を握り、頬を寄せながら目を瞑る。
しばらくそうしてから、少年はティアへ向き直った。
「あのね」
「ええ」
ゆっくりと、少年が言葉を紡ぐ。自分の思っていることを精一杯口にしようとしているのが分かり、顔がほころんだ。
こんなに幼い彼でさえ、国の動きに一生懸命になっているのだ。
「ケンカは、両方悪いってお父さんが言ってた。だから、皆悪いんだと思う。
お父さんも、ミリのお父さんも、兵士の人も。みんな。だから……みんな死んじゃったのかなって、思う。女王さまは、どう思う?」
ティアが苦い顔をして、こちらも小さく笑って首をかしげる。
そして少年の母へ目を向けてから、瞳を一度閉じる。年の頭を撫でながら、ティアは苦い顔のまま口を開いた。言いにくいことを言うように、そっと。
「ケンカは、そうね……確かに両方悪いわ」
ポンポン、と彼の背中をたたきつつ、柔らかくやっと笑い、小さく言う。
「でもね。あなたのお父様が悪いわけではないわ。もちろん、お父様だけでなく、ここに名前が刻まれた人全て、悪くないのよ。
怪我をした人も、無事でいた人も皆。皆悪くない。悪い人なんていないのよ」
「そうなの?」
少年に頷き返して、ティアはこちらを見た。
同じように、あなたも悪くないのよ、と言うように優しく笑いかける。自分も、彼女を守るために身につけていた剣を引き抜き、彼女の愛する民を確かに傷つけたのだ。
「誰も悪くないの? 一人も?」
「うーん、ちょっと違うけれど」
そういってからティアは少年の耳に頬を寄せて、二言三言何か話す。少年は真剣な顔でそれを聞き、それから首を横に振った。そして母親に向き直る。
ティアが小さく頭を下げると、少年の母親は慌てて目を伏せた。
それからまたこちらを向いて、それから自分にしか分からないくらいわずかな悲しみを混ぜた顔で笑った。
ザァーと先ほどは降っていなかった雨が降る。ティアは窓辺でそれを眺めていた。
有名な貴族の屋敷内の一室は、有力貴族の名に恥じないものだった。落ち着いた内装に数は少ないが高価な家具。座り心地のよいイス。
もちろん、実家に帰ればこれと同等、もしくはそれ以上の部屋があるのだが、それでもしばらく帰っていない家と比べても大差ないような家だった。
「……何を言った? ティア」
「話し方、戻ってるわよ。アレク」
ティアが窓の外を向いたまま言った。
外はもう暗く、雨が降っているというのも音でしか分からない。窓を叩く雨音にじっとティアは耳を傾けるように、窓へ顔をつけてほぅと息を吐いた。
「悲しい?」
「……悲しくないとは言わない」
言わないけど、とティアは窓に向けていた視線をこちらへ向けた。
どきり、と心拍が上がる。こういうとき、いつも思う。自分は初恋を知りたての少女か何かか、と。彼女の濃くて、わずかに翠が混ざった瞳がこちらへ向くたびに、心は揺れる。
しっかりと前を見つめ、不敵に笑う姿も、幼くいじける姿も。ときどき、何かを思い出すように、睫毛を震わせる姿も。
目を惹き付けてやまない。捕らわれてるな、と思う。逃げたくないと願う。
「誰が悪いって」
そんなのわたしに決まってる。あの子が首を横に振ろうと、その事実が変わるわけじゃない。
あぁ、また。彼女はそうやって自分を責めるのか。自分のどうしようもないことで、彼女でもどうしようもないことで。
「泣きたい?」
「馬鹿言わないで」
一刀両断されると知っていたが、口に出さずに入られなかった。
泣けばいいのに、と思う。少しでも軽くなるのに、と思う。
少しでも逃げ出したいと、思わないのだろうか。泣けば、少しでもその重荷は軽くなって、自分を責める問題から逃げられるのだろうに。
でも彼女がそれをひどく嫌っていると、それもよく知っている。
「じゃぁ、さ」
手を差し出す。ティアは不思議そうにこちらを見た。甘えて、と懇願めいて囁いても、彼女はきっと笑うだけで済ませるだろう。『馬鹿ね』と眉を下げつつ、気丈に笑って見せるだろう。
「外に出ない?」
「雨、降ってるのに?」
小さく変わった口調に笑顔を一つ。
そっちのほうがずっといい。そう言いかけて止めた。また怒らせてしまうだろうから。自分は彼女を喜ばせる術を多くは持っていないのだと、改めて思い出す。
「雨降ってるのに、外へ出るの?」
もう一度、ティアが聞きなおしてきた。それに自分は、笑顔で頷く。
これくらいしか、自分は君を救う方法を知らない。いや、『救う』なんて言えるほど、いいものじゃない。『救う』なんて善意に満ちたものじゃない。
所詮は自己満足からの行動なのだから。ただ君に辛い思いをさせたくないという、エゴでしかないのだから。君を泣かしたいという、勝手な思いなのだから。