第24話 『青玉(サファイア)』
「姫様」
侍女であるイリサがティアに呼びかける。
ティアは自室へ入り、小さく息を吐きながら、イリサのほうを振り返った。美しい横顔が今は翳りを映しているのを見て、イリサは痛ましげに目を伏せた。
女王になってから、それまで以上に王族らしく振舞おうとしていたティアは確かに威厳にあふれ、美しかった。
どこの国の王族にも負けぬものがある、と誇らしく思う。しかしその一方、近くにいる者にしてみれば、それは無理の連続以外の何物でもない。
寒国との外交、弟と王位、そして私腹を肥やす貴族たちへの牽制、彼女が気にすることは山ほどあるのだ。
様々な問題を見事な手腕で解決させる一方で、全く彼女が休んでいないことを近い者は皆知っていた。
しかしそれを助言したところで、自分の意志を曲げることはない女王にこの数年、皆手を焼いた。
一度はアレクが睡眠薬を盛ったこともあるほどだ。(このときは一週間口を利いてもらえなかった) いい考えだと思ったが、それ以後夜になると何も飲まなくなってしまったので、もはやこの手も使えない。
「お休みなさいませ。このままでは本当にお体を壊してしまいます」
しかし彼女は相当体が強いらしく、この四年、ほとんど体調を崩したことがないのだ。それともただ単に、気を張っているので風邪の症状が表に出ないだけだろうか。
「体のことは考えているつもりよ。体を壊したら、元も子もないから」
そう言いつつ、手を額に当ててもう一度息を吐く。はぁ、と細く長い尾を引くため息に、イリサは眉を寄せた。年頃の少女がするため息ではないことがはっきりと分かる。
「とりあえず、一人にしてちょうだい」
「ですがっ……。分かりました。御用がございましたら、すぐお呼びくださいませ」
何か言いかけたイリサだったが、ティアの顔を見て思いとどまった。
疲れたような顔に混じる悲しみの色を見て、自分ではどうしようもないことだと悟った。ティアは決して泣こうとしない。泣きたいという顔もしない。
その彼女がこれほどはっきりと分かるような顔をするのは、十数年ぶりでイリサは驚いた。
「ありがとう、イリサ」
イリサが出て行く寸前、ティアの声が聞こえた。少しだけ笑っているような、それでも寂しそうな声だ。何故か初めて会ったときの、彼女が『寂しい』と言ったときのことを思い出した。
あれからもう、十五年以上たってしまったのだ。自分より五つも年下の、妹のような存在の彼女。女王に向かって妹というのは気が引けるけれど、心の中ではいつもそう思っていた。
カタン、と自室の机の引き出しを開く。
四年前弟がくれた小物入れをとりだし、その表面をさらりと撫でた。慎重な手つきで掛け金をはずし、蓋を開くとたった一つ、片方しかないピアスが現れる。
サファイアのきらめきは、ティアの瞳とぶつかる。
ティアの瞳とはわずかに違う色のそれを手のひらに載せ、ティアは眉を下げた。石のカットだけで、あとは何の飾りもついていないそれの片方は、今も彼が身につけているはずだ。
もともとは彼の持ち物なのだから。
「もう、はずしているかもしれないけど」
青く輝くその石を見つめつつ、ティアは呟く。
コロコロと一度しか身につけたことのないピアスがティアの手のひらで踊った。
青い石が右へ左へと転がりながら、夜の暗闇の中で光る。ティアは指先でピアスを掴んで、月明かりに照らした。
「今だけ、身につけようかな」
金具を緩めて耳へつける。さらりと滑らかな金髪が揺れて、その中で青い石が目立つ。アレクは右耳につけていたのを思い出して、左耳に付け直す。鏡の中の自分を見たティアは、一粒涙を流した。
「アレ、ク」
どうして、わたしたちこうなるの?
いつもいつも、大切なことは伝えられなくて、いつもいつも、あとになってそれを悔いて、そしてまた同じことを繰り返して涙を流す。
バカらしいほど、同じことを繰り返して自分たちは泣くのだ。
「アレク」
四年前も、その前も、ずっと。
「ごめっ、ん。好き……」
言えなくて、ごめん。
伝えられなくて、ごめん。
想っているだけで、何もできなくて、ごめん。それでも、この気持ちを持ち続けてて。想い、続けてて。
「ごめんなさい」
もうこのピアスはつけない。つけるたびに、アレクの顔を思い出し、涙を流すこともしない。ピアスをはずして箱へ入れる。ティアは光るその石を愛しげに撫でてから、そっと蓋を閉めた。
閉じ込めてしまえば、見えなくなるだろうか。
「なくなるわけないけど」
せめて見えなくなったらいいのに。