第15話 『謝罪』
「ごめん、アレク」
抱きついたままのティアが、どこか泣き出しそうな顔で再び言ったとあと、ゆっくりとその拘束を解いた。
それを少しだけ物足りなく思ってしまう。先ほどまであった熱が離れていく感覚は、いつも不快にさせられる。
そしてまた左手をつなぐ。ティアは繋いでいない方の手を額に乗せた。顔の上半分だけが白い右腕で隠されると、口元からしか表情を見出せない。
罪深いのだろうと思う。互いに。
手放せないし、手放す気がないのだ。
彼女も、自分も、お互いを手放す気なんて始めからありはしない。互いに相手へ依存しすぎている。四年前から、もしかしたら――もうずっと前から。
「ティア」
「どうしてかな、アレクにそう呼ばれると」
ティアであるわたしは泣きたくなるよ。リシティアであるわたしは、逃げ出したくなる。甘く、柔らかく、その声が響くと、どうしても。
そう言う声は、わずかに苦かった。
「寒国の、申し入れを突っぱねたくなるよ」
幼い口調に何も返せなかった。それはティアの気持ちで、リシティアの判断ではない。あとで後悔するのはティア自身だと、よく分かっているはずだ。自分も、彼女も。
彼女は自分自身を許せなくなってしまう。自分を責め続けることになる。
「アレクっ……」
ごめん。分かってる。だけど。
「アレクを、放せない」
「離さないで」
出た言葉は本音。
だけど多分、正しくない答え。それでも、たとえあとで罰を受けることになっても、今はここへいたかった。この手を離したくなかった。離して欲しくなかった。
「……弱くて、ダメだ」
ティアがぽつりと呟いてから、ゆっくり手を離した。その手を掴もうと動いた手を下ろす。離した手を今掴まなければ、次はいつつかめるとも分からないのに。
掴めるかどうかさえ、分からないのに。
もう一生掴めなくなる瞬間を、自分は確かに知っているはずなのに。あの頃、その瞬間に出遭い、体全体が冷たくなっていったことを、今でもはっきりと思い出せるのに。
それなのに、そのとき、自分は離してしまった。
「強く、なりたい」
「ティアは、強いよ」
言うこともなく、上手く言えなかった。本当に言いたいことではなかった。
「強くなりたいって、思わないほど強くなりたい」
未だに隠されたままの顔からは、何も窺えない。それでも悔しい思いをしているんだと思った。
「夜が――――」
ティアがそういって小さく笑う。
右腕を外すと、少しだけ赤くなった瞳が見えた。そしてこちらを見て気丈にも笑って見せた。いつもどおりの、美しい笑顔でもなく、不敵な笑顔でもなく。
「何でもない。心配させてごめんね、アレク」
言いたいこと、分かるよ。ティア。同じように思ってしまったから。
“夜が明けなければ、このままでいられるのに”
“夜が明けなければ、あの王子と会うこともないのに”
夜が明けなければ、ティアを自分のものにしてしまうのに。
民のものでも、国のものでも、ましてあの王子のものでもないと、叫んでしまいそうになった。そして自分のものでもないことに自嘲するのだ。
「おやすみ。ティア。いい夢を」
「ありがとう、アレク」
そっと離れてからティアを振り返る。薄暗い中では表情も見えない。
再び近づいて、瞳を閉じたティアを見つめた。眠っているようには見えない。だけど本人はもう眠っているつもりなのだろう。
近づいても目を開けることはなかった。
『ごめん』と何度目かになる謝罪を口の中で転がした。彼女が欲する言葉ではないが。そう思いつつ、目を瞑ったままのティアの額に唇をつけた。
眠っているティアに、せめてこれくらいは許されるだろう。彼女は多分、気づいているのだろうけれど。パタンと小さな音を立てて扉を閉めた後、廊下の照明が目に痛くて目を瞑る。
強くなりたいと、ティアは言っていた。
「それは俺だよ」
誰にともなく呟いて、その場へ座り込む。
どうか、彼女が悲しまないだけの力をください。彼女が涙を流さないだけの、力をください。名の知らない神へ願った。
強くなりたい、力が欲しい。彼女を守れるだけの。彼女の隣に立っても許されるだけの。彼女が頼ってもいいと思えるだけの。それくらいの力を。
「守りたいんだ」
せめて守ってくれた分だけ。今度は自分が守りたいと思った。