第14話 『隔て』
「あなたの望みが分かりました」
ティアがジークから離れ、微笑を浮かべたまま言った。
余裕のある表情に一瞬だけジークは眉を寄せる。思ったとおりの反応が表れず、少々残念がる様子を見せたが、それもすぐになくなった。
「しかし、私の一存では何もお返事できません。一国王ですので、臣下と話してからその話はおいおい」
艶のあるブロンドが、ティアの動きに従った。アレクの黒い髪と制服が、ティアのブロンドを引き立てる。その様子をジークは見ていた。
「その会議に同席しても?」
「ご勝手に」
最後の言葉だけが、冷たい響きを孕んで揺れた。あなたが出ようと出まいと結果は大して変わらない、と言外に言われた気がしたジークは不満そうに頭を振る。
ティアの心を映さない瞳は、ジークを観察するように鋭かった。
薄暗い部屋にただ一人。それが妙に寒々しく、ティアが起き上がった。
ベッドから抜け出して、肩にショールをかける。そして寝室の扉を開けた。柔らかい部屋履きは音を立てることなく、絨毯を踏みしめる。
ティアがあえてそっと歩いているせいもあるが、空気も動かない。執務室を通り抜け、ティアは部屋から出る扉に耳をつける。目を閉じて集中すれば、よく知る気配があった。
時折変わるが、順番的に言えば、今日はアレクがそこへ立つ日だ。
ほぅと扉に耳をつけたまま息を吐いた。冷たい扉に耳と頬をぴったりとつければ、次々と体温が奪われていく。それでいいと思った。これで少し冷静になれる。
知らず安心している自分がいる。その気配を感じるだけで、寒々しさも恐ろしさも感じなくなる。不安な決して消えないが、とりあえず息は吐ける。ティアはそう思いつつ、体全体を扉につけた。
「眠れませんか?」
扉越しの声に、うんと返した。
「ねぇ」
「何でしょう」
その言葉遣いに、拳を握り締めている。
困らせないと決めてはいるのに、どうしても『アレク自身』の言葉が欲しいときがある。つらいときや寂しいときにはいつだって、言って欲しい言葉がある。
「夜だけ」
甘えたい。
「わたしが、守るべき民が眠っている夜だけ、ティアでいていい?」
これは甘えだと知っている。
女王である人間が言ってはいけないということを知っている。女王はいつだって“女王”で、身も心も全て民に捧げなければいけない。全ては国と民のためでなければいけない。
だけど、どうしても。
「女王として、眠りたくない」
がちゃりと扉が開いた。
バランスを崩したティアをアレクは軽々と持ち上げる。まるで荷物か何かを持つように、軽く抱き上げた。ふわりと部屋着の裾が浮き、空気を孕んでティアの足元を再び隠した。
がちゃと耳元で扉が閉まる。廊下の照明が見えたのはほんの一瞬で、すぐに部屋はまた暗くなった。だから今アレクがどんな顔をしているのか、ティアは知らない。
「ティア。大丈夫だから。何も怖くない」
寒いだろ、と苦笑いでマントにくるまれる。そしてそっと抱き上げられたまま、アレクは移動した。“アレク?”と問いかけると、“少しの間だけ”と笑われる。
こつこつと長靴が音を立てて、自分の寝室の前で止まる。ティアはアレクを見上げた。
「寝室って、入っていいのか、俺」
「いいよ」
温かい体温に安心したのか、ティアが小さく笑って見せた。アレクはティアの髪に小さくキスを落とし、ベッドへ乗せる。そして一度、二度、そのブロンドを梳いてから、ベッドの縁へ腰をかけた。
「夜が明けるまで、あの頃の俺たちでいよう」
それが許されないことだと、お互い分かっているのに、ティアは握っている手が離せなかった。もう少し、もう少しだけこのまま、と願わずに入られなかった。
「ごめん。アレク」
ぎゅっと、ティアがベッドの中からアレクの制服を握った。
「謝られるようなこと、したかな」
アレクはわざととぼけてみせる。それが唯一の救いだった。ティアはアレクの制服と手を離し、アレクの胴へ抱きついた。力を込めて、抱きしめる。
「痛いよ。ティア」
「ごめん。アレク」
再び謝るティアの髪に、アレクは手を押し当てて痛そうに眉を寄せた。『ごめん』が力の入れすぎへの謝罪ではないと知っているからだ。
「そんなに、痛くないよ」
それでも、『謝らなくていい』とは口に出せず、違う言葉で代用した。これでは伝わるものも伝わらないという自覚はあったが、それ以外に言いようがなかった。