第11話 『円舞(ワルツ)』
「リシティア様、手を」
アレクがそう言うので手を伸ばす。
すっと手袋をした手は捕らえられた。手袋が邪魔だ、と思いながら、しかし相手が違えばそれが救いにもなるのだと言い聞かせる。
寒国の王子を迎える宴では、肘まで隠れる手袋にしようとそっと思った。少しでも触れる面積が小さければ、その不快感も小さく出来るような気がした。
「一曲、お相手願えますか?」
弱くなる自分が分かる、あんな奴と踊りたくない、と思ってしまう。できれば……、アレクと踊りたかったと願ってしまう。アレクにはそれが分かったのだろうか。
“強い王になろう”と、あの日思っていたのに。
父の葬儀の日、棺に眠る父と約束した。
泣いても、叫んでも、たとえ血を流しても、どんな犠牲を払っても、この国を守ると。この地に住む民が決して苦しまぬようにと。
自分が王位に就く十七から二十一の四年間は全て国と民のために使うと。
たった四年ではあるけれど、やれることをやりきると。
「十数年ぶりね」
“ありがとう”とは言わない。
自分の弱さの吐露になるから。戴冠式の前日、何も言わず一晩中抱きしめてくれていた彼を裏切ることになるから。だから代わりに、不敵な笑みを口元へ載せる。
大丈夫だよと、一晩中耳元でささやき続けてくれた彼に、自分の中で一番の虚勢を張る。
「懐かしすぎて、足を踏むかも」
「リードに気をつけましょう」
そっと腰に手を回され、二人でゆっくりステップを踏み始める。幼い子らが練習するようにそっと、ゆっくり丸く円を描くように。一定のリズムが体を動かす。
「随分、ゆっくりね」
「苦手だったろう? ティアは」
元に戻った口調に唇が緩む。
「まだ下手だって言いたいの?」
「相手によっては」
こうやって踊るんだよ、と手を取られたのはもう遠の昔。記憶が定かでない頃の話だ。あのときも音がない中二人で練習していた。アレクの拍子をとる声にあわせて、足を踏み出す。
『大丈夫。上手だよ。ゆっくりでいいから、なるべく足元を気にしないで。そう……、上手いよ。ティア』
『でも、アレクの足踏んじゃう、から。足元、見ちゃダメ?』
『駄目』
ほんの少し、厳しくて、でもずっと優しくて。
『ダメ。見なきゃ、本当に踏んじゃう』
『でもティアの顔が見れないのは、僕が嫌だから』
こっちを向いて。僕にティアの顔を見せて。
あの頃は、自分が“王女”だということを深く考えてはいなかった。将来この国を背負うんだなどということも、考えていなかった。
ただ三つしか違わない遊び相手が好きで堪らず、無邪気にその手を離すこともなかった。
「別の相手と踊るまで、自分が相当下手だということを知らなかったのよ。アレクは褒めてばかりだし、それなりに形になってて楽しかったから。
なのにパートナーが代わった途端、足を踏んで、引っかかって転んで、相手を泣かせるし」
「あのときの両陛下の顔は今でも思い出せるよ」
「すごく……。笑われたわ」
父と母の苦笑いをはっきりと覚えている。
『ティアの夫は大変じゃな。いや、その前にきちんと踊れぬとその夫さえ見つからぬぞ、ティア』
――あのとき、何と答えたろう。
『あら、母様。ティアにはちゃんといます』
『誰じゃ? そなたの父上はわらわのものじゃぞ』
今思えば、母も母で大人気なかった。
『父上ではありません。アレクです』
『なんじゃ、ボールウィン家の次男坊か』
くすくすと母は楽しそうに笑い、父はそっと寂しそうに笑った。“この年で娘の結婚相手を知るのは嫌なものだ”と母に呟く。
幸せそうな二人を見て、いつしか自分もああなるのだと楽しみだった。
『アレクなら、ちゃんとリードしてくれます。だから踊っても大丈夫』
『そうじゃな。アレクもティアが大好きだからな。いい夫婦になれるぞ』
『本当にそう思います? 母様』
『ああ、思う。わらわが言うのだから、間違いはない』
「今日、初めて踊る相手がアレクでよかった。あれじゃなくて」
過去の思い出と、この優しい手とはしばらく別れなければいけない時刻だ。
これからは“大陸最年少の女王”として、優雅に振舞わなければいけない。カチリ、と感情の巡る回路を外した。