お蔵入り 『オヒメサマの夢』 ~歯車の作る溝~
長め。久々の本編カップリング。この時点で二人の溝が深い。それで伏線引いたつもりが、がっつりネタバレ……なんてことも普通にあります。
結末に少しずつ近づいている気がする、とそろそろ言いたい。
「ティア」
「分かってるわよ。大臣達が今頃何を言ってるか、なんて。……案外、あなたのことまで言ってるかもしれないわよ」
はぁ、と心底憂鬱そうなため息を吐く。それから腕の傷を隠すように纏っていたショールをイスにかけ、肌の色に近い包帯をするすると解いていった。真っ白な包帯が下から現れ、一瞬ティアはその包帯にも手を伸ばそうとする。
「ティア、下のは外しちゃ駄目だから」
「知ってるわよ。でも、謝らなくちゃいけないわね。わたしのせいで、またあなたの評判を落としてしまったわ」
ぽんぽん、と自らの腕を叩いて、もう平気なことを示す。そんなティアとは対照的に、アレクは難しい顔をしたまま放り出された淡い色の包帯を拾った。それからその包帯を器用に巻きながら、苦く笑う。
「今更だよ、評判が悪いのなんて。騎士になろうと決めたときから、あんなものだ」
「そんなことないわ。褒めてる人だってたくさんいるし、優秀だって評価されてるんだもの」
「貴族の地位を捨てるなんて、あの人たちには考えられないから。色々言われるのは仕方ない。覚悟してることだから、大丈夫だよ。ティアのせいでも何でもない。俺の行動のせい」
ほら、腕出してと催促されて、ティアは大人しくて手を差し出した。アレクは巻き終わった包帯を机の上におき、ティアの腕に巻かれた白い包帯を解きにかかる。
くるくると上手い具合に解かれていく包帯を見ながら、ティアがいちいち換えなくてもいいのに、と不満そうな声を上げた。
「ティアに任せたら、乱暴に解くからね」
「自分の体よ? 加減くらい心得ているはずだわ」
いくつかの薬を持ってきたアレクは、それもまた机の上におく。包帯の外されたティアの腕は、真っ白なガーゼで覆われていた。それを痛々しげに見やって、アレクは大きなため息を吐いた。
「自分でやれるわよ。それかイリサを呼ぶか」
「いいから、黙って。ガーゼ取るから、大人しくしててよ」
ゆっくりと、ガーゼを外される。ティアの言葉どおり、大した傷ではないのかティアは眉一つ動かさない。ガーゼが取られて、そこに見えるのは長い一本の亀裂で、アレクは眉をひそめて息を詰めた。
「浅いけど、随分大げさにやったもんだね」
「血が出たほうが効果があるでしょう? 深いと仕事に差し障るし」
何でもない言い方をする。まるで、必要があるなら深く切ってもよかったと言っているようだった。
ただ必要でないから、浅い傷を作っただけだと、それくらいの意味しか込められていないようにアレクは感じてしまう。
「ティア。頼む。傷つけるなら、俺にして。傷つくだけなら、俺でもよかった。牽制なら、俺でもいいはずだ」
「意味が分からないわ、アレク。これは、『わたし』の仕事よ。あなたが肩代わりできるわけないでしょう」
「分かってる。俺の傷が、ティアの傷と同等の価値なんてありはしないって、分かってる。だけど……その分深く傷つけていいから。数を多くしていいから。
だから、お願いだからもう二度と自分を傷つけようなんて思わないでくれ」
傷薬を握る手に力が入っているようだ。アレクの手が真っ白に染まる。ぐっと握り締められたその手に、ティアは何を考えているのか分からないような表情を浮かべた。
「アレク。駄目よ。傷を負うのはわたしの仕事。あなたの仕事じゃないんだから。価値じゃなくって、役割の問題なの。あなたの仕事は、自分もわたしも傷つかないようにすること。そうでしょう?」
「もし、兄とグレイスさんが幸せになるなら、ティアはまた傷つくつもりだ」
アレクの声は、懇願じみては聞こえない。ただ言っても無駄なことをひたすら言っているように見える。無駄だと知りつつ、それでも言わずにはいられないという声だった。
「そう、ね。もし、わたしが傷つくだけで問題が解決するなら、それこそ喜んで」
だけど、あの二人を中心にした問題は、もはやそんなことをしても無駄なくらい大きくて深いものになっている。
「そろそろ、決断しなくちゃいけない時期ね。二人を試すか、わたしが決断するか。結末は、わたしと彼女達で何か変わるのかしら?
彼女達を試せば、彼女達に選ばせれば……ハッピーエンドは訪れるのかしら」
苦く笑うその顔に、『そんなことありえない』とはっきり書いてある。それでも、願わずにはいられないのかもしれない。
自分がそうならないと、分かっているからか。それとも、自分の姿を重ねたからか。
「……グレイスを、試しましょう。彼女に、委ねるわ。どんな選択をしても、結末は変わらないなんて、考えたくもないから」
グレイスに選ばせれば、何か変わるなんて欠片も思ってないのかもしれない。
そうアレクは思う。それでも選ばせるのは、グレイスなりに『納得』させるためだろう。自分が選んだとはっきりすれば、どんな結末であろうと耐えられる。
そんなこと、ティア自身でさえあるはずないのに。
「兄を、どうするつもりですか?」
「別に。どうもしないわ。グレイスの選択に従うだけ。セシルがグレイスの判断に影響を与えない限り、こちらからは接触も図らない。それがアレクの言うところの、騎士道精神でしょう?」
自分の責任を投げ出したように、ティア自身も感じていた。しかし謎が多すぎる今、安易な判断はそのまま自分の行く末を左右しかねない。
自分が倒れてしまえば、弟はどうなる? 国は? 民は??
「わたしは、今表舞台から消えるわけにはいかないの」
あと数年、弟が成人するまでもってくれればいい。それさえ成し遂げられれば、後はどうなったって構わない。
そんな風にティアは呟いた。心の底から、そう思っているように。
「わたしに、騎士道精神は似合わないわね。精々、策略をめぐらせることにするわ」
ひらり、とティアが手を翻す。薬も塗ってない、包帯も巻いていない、剥き出しの傷は痛々しいというより不気味に映る。
アレクはその手を力任せに引き寄せて、ただ無言で薬の入っている容器の蓋を開けた。
「ティアには、一番よく似合うよ」
「策略が?」
「違う。真面目に言ってるんだけど、俺。だから、騎士道とか、そういうもの」
俺よりずっと、似合ってる。
消えかかった言葉がティアの耳につき、大人しく薬を塗られていた手を引き抜いた。驚いたように顔を上げるアレクに、ティアは怒ったような顔を作る。
それからアレクの顔を掴んで、しっかりと視線を合わせた。
「策略とか、卑怯な手とか。そんなの、大切なものを守るためだったら、わたしは何でもする。その結果、どんなに罵られたっていい。
自分が必要だと思うことを、守りたいと思うものを、守れるんなら」
だけど、とティアが続けた。
「アレクにだけは、染まってほしくない。どんなにわたしの近くにいて、どんなにわたしの行いを見てても、絶対に、染まってほしくない!
アレクが誰よりも騎士道を重んじてるって知ってるから!」
「無茶だよ」
「無茶でもいいの! 染まらなければいいんだから」
染まっちゃうのは、わたしだけでいいのよ。あんなのに、染まるのは。
ティアが苦く笑いつつ、アレクの顔から手を離した。アレクの瞳が一瞬だけ寂しそうな色を映し、ティアの指先を追っていく。
名残惜しげにその残像を追い、それからアレクは腕の処置を再開した。痛くないように、そっと薬を乗せていく。
「ティア」
「何?」
「兄達は、幸せになることを許されないんだろうか」
相手が好きで、自分も好かれてて。それだけじゃ駄目だということは今までで嫌と言うほど知ってるけど。
だけど、その『好き』がなかったら、やっぱり駄目なんじゃないだろうか。一番大事なのは、やっぱりその感情じゃないんだろうか。
そんな恥ずかしいことを言って、それからアレクが取り繕うように言葉を重ねた。
「だから! 何て言うか、どうにかならないのかってことで」
慌てたような口調に、ティアはくすりと笑を零す。その間もアレクの手は一向に休む気配を見せず、実に器用に包帯を巻き始めていた。
慣れすぎている、と言えなくもない。一体、どんな騎士見習い時代だったんだろう、とティアは疑問に思った。
「そう言えばアレク、あなた本当に手馴れてるわね。怪我の手当て」
「誤魔化そうとしない。話は終わってないよ」
「別に、誤魔化そうとしているんじゃなくって。……怒ってるから包帯をしっかり巻いてるの??」
ぐっと力をいれて巻きつけると、ティアが不満げな声を上げた。『まさか』とアレクが返すと、疑わしそうな視線を向ける。
「ねぇ、ティア。もし、グレイスさんが選んだ道が、幸せに繋がったら」
「繋がりはしないわ。この物語に、完全な『幸せ(ハッピーエンド)』なんて存在しない。どれだけ不幸が止められるか、それだけでしょ?? 不幸の量がこの物語の結末を決める」
アレクの言いかけた言葉を遮り、ティアが笑った。一切の表情を落としたその瞳に、何とも言えない不安感だけが募る。
幸せになる道は、本当にありえないのかとアレクは縋るような思いで聞いてみたくなった。
二人が幸せになれば、もしかしたら何か変化があるのかもしれない、と思ったのかもしれない。ずっと続いてきた、例外を許されない古くからの慣習。
そんなものがなくなれば、何かが変わるのではないだろうかと。
そんな馬鹿らしくも純粋な思いを、アレクは抱いていた。
「でももし二人が、お互い以外は何もいらないと言うなら。お互いさえいれば、それが幸せというなら」
その願いだけは、わたしの力で何とかなるかもしれないわね。
「どちらにしろ、わたしはわたしにできることを成すだけよ」
綺麗に巻き上げられた包帯に視線をやり、それから満足したように目を細めた。そしてアレクがそっと添えていた手を無理やりにでも振りきり、美しく笑ってみせる。
「わたしは、『リシティア・オーティス・ルラ・リッシスク』よ? できないことなんてあるわけないでしょう」
精一杯の強がりは、所詮『虚勢』でしかない。しかし、彼女が口に出せば、それがどんなものであっても、現実になるのではないかと思わせる。
それだけの力を、彼女の言葉は伴っていた。聞く人間が、信用せざるを得ないほどの力を。
「訂正するわ。アレク。わたし、少し変なことを言っていたみたいだから。傷のせいね、きっと。わたしらしくもない言葉を言ってた」
先ほど、傷の手当てをされていたときに零した『弱さ』を笑い飛ばす。弱音を、泣き言を、悩みを。本来、リシティアに存在するはずもないものを。必要ないものを。
「グレイスに選ばせるわけでも、セシルに何かを強いるわけでもない。わたしが望むのは唯一つ」
責任逃れをするわけじゃない、とティアが言った。
はっきりとした蒼い目が、その強さを顕わにする。瞳に宿る光はどこまでも真っ直ぐで、とても策を練る卑怯者には見えない。それこそが、彼女の本性なのだから。
「民が安らかに過ごせること。そのために、国が健やかであること。……王族の威厳を、保つこと」
あぁ、とアレクはため息を吐いた。結局、君は二人を心配しつつ、最後まで彼女達の完全なる味方になることはないのかと。
たとえ彼女らに軽蔑されようと、悪意を持って見られようと、笑っているのかと。
残酷なまでに美しく、強い王女様。
「グレイスさんは、君が思うほど弱くないよ」
「アレクが思うほど、セシルが信用するほど、あの子は『ただの女の子』じゃないわ」
ティアが立ち上がる。もう彼女の中で『結末』は決まっているらしかった。それが最善か、最悪かアレクにも分からないけれど。
「選択肢を与えるのは、あくまで選んだのはグレイスだということを知らしめるため。セシルに納得させるため」
「だけど、君の与える選択肢の結末は、同じところへと繋がる。そういうこと? ティア」
ティアが腕を隠すショールを投げ出した。そして扉に向かって、音を立てて開いた。
さぁっと空気が通り抜け、ティアの金糸を靡かせる。苦しさも悔しさも、何もかもを飲み込んだその表情はすっきりとしていた。
「結末なんてどうでもいい。わたしは、わたしの守るべきものを守るためだけに動く」
あとのことなんて、知らない。
「結末が王族に関わらない限り、わたしにはどうでもいいことだもの」
それは本心なのか。それともただの強がりなのか。そんなことさえ、彼女にとってはどうでもいいこと、なのかもしれないけれど。
「ティア。大丈夫?」
「何が?」
ティアが振り向いた。その笑顔はどこから見ても完璧なる王女様で、それ以外の顔などないように見えた。非の打ち所もない、大臣達も国民達も望んでいる、強い次期王。
誰よりも優秀で、いつでも立派に振舞ってみせる冷淡な白薔薇姫。
「ティアが、辛い選択をしてないか、気になってるんだ」
「辛い選択? わたしにとって辛いのは、父が『間違っている』と分かること。それが元で、王族の信用を落とすこと。あとは、そうね。グレイスが死ぬという選択も避けたい。だって、血が」
血が。
「血なんて関係ないはずだ」
「いいえ。一番、大切なことよ。アレク。わたしたちは、必要なくなるその日まで、この土地を守り続けなくてはならない。そのために血を、続けなければいけない。まるで、歯車みたいに途切れることなく」
長い長いこの国の歴史で、一人の王族が成せることは酷く小さい。小さく、しかしその一つがなくなるだけで全てが崩れ去ってしまう歴史。
だから、彼女ら王族は無駄なのかもしれないと思いつつ、血を引き継ぎ続ける。
国と民を守るためだけに。自らはたった一つの歯車に過ぎないと自覚しつつ。その歯車であることを享受し、誇りにするのだ。
たとえ、遠い後世で馬鹿らしいと思われたとしても。たとえずっと先の未来で、その血がまるでごみのように扱われるとしても。
「アレクには分からないでしょうね」
それが、彼と彼女の絶対的な溝だと二人自身分かっていた。
アレクのことが可愛すぎてときどき辛くなる。彼は多分、たとえティアが誰かと結婚しても、ずっと愛し続けることが出来る人だと思います。
だけど、それと同じくらいに、その気持ちをひた隠しにして生きていける人だとも思う。
この辺のティアちゃんは、本当に国と民第一な感じがして、ときどき痛々しくなる。自分の身さえ、いえ自分の身だからこそ、ぞんざいに扱う彼女があんなになるのかーと思うと、自分の子ながら人の変化ってすごいなと思います。