和風
「九尾の妖狐とはその時に出会ったの?」
是非も可能性さえも言わず、彼女は圭に尋ねた。圭は小さく頭を振った。
「他国の土が見たくて、お世話になっている人たちに話してみたら、お願いをしてみたらって。目の前に油揚げを食べている九尾の妖狐がいて。お願いしてみたら、一人で行けるのならいいぞって言われて」
「土を見たかったの。どうして?」
優しくゆったりと問われれば、不思議と情景が広がる。
「土はすごいなって、小さい頃から思っていたんです。私たちの国の土は、球体で弾力のある小さくて灰色の土一種類しかないのに、草も花も食べ物も芽吹かせて、咲かせて、実らせる。しかも多種多様に。不思議ですごいなって。何度か土を食べてみた事があるんです。匂いもなくて、ちょっと苦いだけ。あんなに命を作るからもっといろんな味がすると思ったのに、一種類の味しかしなかった。場所も朝も昼も夜も四季も関係なく。植物はその時期で違う種類の命が芽吹くのに。不思議でしょうがなくて。毎日毎日飽きる事なく、土を見ていました。父母は海に興味を示してほしいのにって、結構な頻度で言ってきました。半ば本気で、半ばお茶らけて。父母は船乗りで、よく海に行ってたんです。いつか私も一緒に行こうって誘われてました。土に興味があるなら外国では色々な土があるって言われて。外の国が違うのなら、隣国はどうなのかなって興味を持ちました。烏天狗国と妖精国はどんな土でどんな命を芽吹かせるのか、どうしても気になってしまって」
「だから九尾の妖狐にお願いしたの?」
「はい」
「戦争があった事は知っていた?」
「物心ついた時に結界と戦争の事を教えられました」
「怖くなかったの?」
「私は……私は、悲しかった。父母もお世話になっている人たちもあの人も同じ目に遭ったらどうしようって悲しくて、怖くなった。でも、戦争自体に現実味は持てなかったんです。悲しいけれど、感情移入はできるけど、物語みたいに私には降りかからない事だと思っていました。烏天狗国も妖精国も怖い存在なのかもしれない。でも大丈夫かもしれないって。実感的な恐怖があったとすれば、一人で見知らぬ土地に行く事でした。でもその恐怖心よりも、土への好奇心が勝っていました」
「今は?」
「今は、」
圭は口を閉じて、休みを取って、言葉を紡いだ。
「今は、麻痺していて、あの時とは違う意味で、現実味に欠けています。でも、多分。身体に戻ったら、一気に襲いかかってくる。すべての生物が恐怖の対象になると思います。とても怖いです」
「圭」
ふんわりと、彼女はとても優しく圭を抱きしめた。天女の羽衣はこんな感触なのかなと、場違いな事を思った圭は、その心地好さに身を委ねて目を瞑った。
「圭。もうじき戻らなければ、あなたの魂が危ない。私の魂は九尾の妖狐に守られているけど、あなたは違う。真名を持っていたとしてもただそれだけ」
「はい」
「…私は九尾の妖狐に感謝している。でも、今は怒っている。恨めしく思う。あなたになんて残酷な事をさせるのかと、とても憤っています」
「……私は、自業自得です。動く前に誰かに相談すれば、状況はまた変わったのかもしれない」
彼女は目を伏せた。是も非も言えなかった。答えを贈れなかった。
また、
「圭。私はここから出てマンドレイクが妖精国に戻れば、この世から消えてしまいます。あなたを見守る事も、言葉を贈る事もできない。だから、今だけは。私が守りますから、眠りなさい。私の優しい夢の中で。あの人も。夫も優しい人だったのだと知ってほしい」
あれから百五十年ほどの月日が経ってしまったが、色褪せる事なく思い出は胸の内に。
温まる思い出もあれば、傷ついた思い出もある。だがいい思い出だったと言えたはずだった。
戦争さえ起こさなければ、
当事者で、加害者で、被害者だった。
殺さなければ殺されると、訴える本能に従って、殺して、殺された。
人間、妖怪、妖精。種族など関係なく。
戦争は終わった。
誰もが思ったに違いない。
過去のもの。
遺恨を心中に沈めたままに生き続けていた。
来世のものには明るい未来を届けたかったから。
「恐怖を抱かせてごめんね。傷つけてごめんね」
「ひいおばあ様」
とめどなく流れる涙の色はどうしてか、血の色をしていた。
けれど涙が生まれる源泉は綺麗な水色。
こぽこぽと可愛らしい音を立てて、水は上がる。
願いが湧き上がる。
届けたい。この言葉をあの人に。彼女が本当に伝えたいあの人に。
彼女をあの人の下に連れて行きたい。
「私も術が使えればよかった」
刹那に過ったその願いを口にして、圭は眠りに就いた。誘われるままに、優しく心温まる夢の中へと向かったのだ。
「使えなくてもあなたはあなたのできる事をしている。精一杯。そうでしょう。九尾の妖狐」
圭を胸に抱いたまま、彼女は振り返った。すれば、精悍な顔立ちで身体つきも逞しく、雄々しい九つの黄金の尾を背景に負う、元の姿に戻っている九尾の妖狐がそこにいた。
(2019.7.3)




