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盲目のナルキッソス

作者: 虹色 七音

 俺には彼女がいる。

 何と言うか、告白したのは俺からだけど……、そんなに好きって訳じゃない。

 容姿が、タイプだったんだ。

 学校一可愛いのは間違いないし、テレビに出てたって遜色ない……いや、むしろそこにだけ目が行ってしまうような美しさ。


 それに俺は、それなりにもてた。

 だから、女は選べるくらいの余裕はあった。そのぶん、容姿の方ばかり見るようになっていた。

 少ないものにこそ価値がある、といったのは誰だろうか。

 確かにそうかもなって思ったのは、俺だった。


 目も良かったし、見る目もあったと思う。


 だから、こんな事になるなんて思いもしなかった。

 本当に、俺がこうなるなんて想定していなかったんだ。もしかしたら、(ばち)があたったのだろうか。


 俺は、ある日。何でもない日常の中で、ちょっとした事故にあって、


 視力を失ってしまった。





     ☆





「調子はどう?」


 声が聞こえる。

 よく分からないけど、そっちの方にいるんだろうと思うほうに顔を向ける。


 ここは、病室。

 そして俺は、三島(みしま)(じゅん)。つい先日視力を完全に失って、今は入院している。

 そして今来たのは、


美紅(みく)……で、あってる?」

「うん、あってる。可愛い彼女さんがお見舞いに来ましたよー。っと」


 こんなこと言ってはいるが、彼女は自分の可愛さをちゃんと理解していない。本人の認識は“多少美形”といった程度のものだが、本当は……

 本当は、もっと美しいのに。

 見えない。


 俺はベッドに座ったまま、たぶん彼女がいると思う方に向かって話をする。


「別に毎日来なくても良いんだよ。お前だって忙しいだろ?」

「そんな忙しくないから大丈夫だよ」

「おいおい、受験生。勉強は良いのか?」

「残念ながら、天才ですし」

「そんなこと言ってたら落ちるぞ」


 と、美紅と同じくらいの成績の俺が余裕をこくたびに塾の先生に言われていたセリフを言ってみる。

 塾、かぁ。

 もう行けないな。とりあえず今は点字の学習で手いっぱいだし。


 それに、美紅はどうせ帰った後に勉強しているんだろう。

 そういう奴だ、こいつは。

 なんだかんだいって、裏で努力してるような人間。立派な人間だよ。


「もう少しで退院だっけ? よかったね」

「まあ、元々入院する意味自体もほとんどなかったようなもんだったしな」


 しばらく、沈黙が流れる。

 寝ようとすると、不意に言葉がかかった。


「ねえ、純くん」

「……なに?」

「リンゴ食べる?」

「ん~、なしが良い」

「……てやッ」


 もうちょっとお話したいな、という風に美紅が話しかけてきた。

 冗談を言ったらデコピンをされた。

 なぜか、五感の内の視覚を失った今ではそういった感覚ですら、愛おしい。

 そんな気持ち自体もまた、何やら心地よかった。


 ちょっとすると、シャリシャリとリンゴの皮を向く音が聞こえ始める。

 音が聞こえるってのもまた、快感だ。

 音楽でもない、ただの日常の雑音に癒される日が暮れるとは夢にも思わなかったけどな。


「なぁ、ちょっと良いか?」

「別にいいけど、なに?」

「前から言おう言おうと思って言えなかったんだけどさ。言っていい?」

「……いいよ」


 表情の見えない今ではよく分からないけど……、言おうとする内容を察した様に美紅が返す。

 見えたら、もっと分かるのになぁ。

 なんて、そんなふうに思えた。見えている頃はもっと分かりたいだなんて思ってみる事すら出来なかったのに。

 しなかったのに。

 今更になって、そう思えた。


「いつまで俺達付き合ってる?」

「…………」


 美紅は何も答えてくれなかった。

 そうしていると誰もいないような気がしてきて、怖くなる。


「美紅?」

「……」

「み、美紅?」


 何も聞こえなくて、少しおびえたように声を出す。

 すると、あはは。って笑いながら、答えてくれた。


「大丈夫だよ、ここにいる」

「ん、そっか。……リンゴまだ?」

「ああ、忘れてた。むけてるよ」


 それから、あ~ん。って、そういいながら食べさせてくれた。

 別に一人でも食べられない事はないんだけど……、美紅がそうしたいと言ったのでそうし始めたらすっかり美紅が食べさせてくれるのが当たり前になってしまった。

 嬉しくないと言ったら嘘になるかもしれないけど……、恥ずかしいんだよなぁ。


「うん。美味しい」

「そっか、そりゃよかった」

「お前に言ったんじゃないの。農家さんに言ったの」

「なにそれ」


 ちょっと、笑ってくれた。

 そういうふうに、思えた。ああ、目がなきゃやっぱり不便だなぁ。

 ああ、見たいなぁ。


「…………」

「…………」

「……で、私達のこれからだっけ?」

「……あ」


 その事について話すつもりがあったのかと、少し驚いた。

 俺は首を縦に振って、肯定を示す。


「まあ、仕方ないかぁ。純くん、私に最初っから興味無かったもんね」

「え」


 ばれてたのか、と。

 さすがに口に出しはしないけど……、素直に驚いた。

 ばれないって、思ってたから。


「ばれないって思ってたでしょ? なめちゃだめだよ、女」

「……」


 少し気まずくて、気持ち顔を背ける。

 そもそも顔をちゃんと合わせられているかも、分からないのに。


「元々好きだったのは私の方だったから別に良いんだけどね」

「え」

「意外だった? それとも、本心が読めてるのに何で好きになったのかなんて思った?」


 ……本当に、全てお見通しだな。

 こっちは目が見えなくなったのに、美紅は目に見えないものすら見えるようになってしまったのかと思うと、なんだか悲しかった。

 いや、違うか。

 本当は最初から見えていたんだ。ただ、それに俺が気付いてあげられなかっただけで。


「最初はね、変な人だなぁ。って思って見てたの」

「変な人?」

「うん。だって、見えてるものが全てだと思ってるような感じで……、見えてないところでどうなっているのかなんてほとんど気にしていなかったから」

「どういう……」


 と、訊くと、美紅は少し黙る。

 黙られてしまうと、何の感情も読み取れない。

 分からないことが恐怖だとは、最近知った。


「純くん。裏じゃ結構ひどいこと言われてるんだよ」

「っえ……」

「やっぱり、気付いてなかった。女をなめちゃだめだって言ったでしょ? 自分が冷めた目で批評されてる事くらい分かるものなんだよ」

「…………」


 返す言葉もない。

 全くもって、本当に女を……というか、人をなめていたんだな。と、認識させられる。

 同時に、それが美紅のおかげだという事になんだか気恥かしさを感じた。


「そんな純くんを見てたらさ、こっちを向かせてやりたいなぁ。って思えてきて……、気付いたら好きになっちゃてた」

「……そう、だったんだ」


 それから、でも……。と、美紅は続ける。


「でも……。純くんは彼女になったって(こっち)を見てくれはしなかった」

「それは……、そうかも」

「ね。だから、こっちを見て欲しかったのに……、純くんは目を失くしちゃった」


 そう言って、美紅はそっと……、俺の目のあたりに触れてくる。

 そして、手を握った。恋人つなぎじゃなかったけど……、とっても心地よかった。


 それから、しばらく考えて否定を口にしてみた。


「違うと思う」

「え?」

「確かに俺はついさっきまで美紅の姿を見たいと思ってた。その顔を見たくて、たまらなかった。今だって、今だって見たいと思ってる」

「だったら、なにが違うの?」

「きっと、目が見えなくなるまでならこんなに見たいと思えなかったし……、知りたいだなんて思えてなかった。ほら、お前が言った通り俺は見たものばかり信じる様な奴だったから、目が見えてるとそれで考えが制限されちゃって。……だからきっと、大事なのは見たいと思える事なんだと思う」


 その言葉に、美紅はまた黙ってしまった。

 それでも、さっきまでの沈黙とは確かに違う。だって、握った手が温かかった。

 心地の良い温もりが、少し強くなったような気がして……、握る力もちょっとだけ強くなった。


「……その、さ。俺、少しでも美紅のこと見れるように頑張るよ。知れるように、頑張る」

「…………」

「…………」

「…………」

「……美紅?」

「え、あ。ああ。ちょっと、ね。嬉しくて」


 本当に嬉しそうに、そう言った。

 その声を聞けることが、嬉しかった。


「ちょっと、プロポーズしていい?」


 そして不意に、美紅がそう言う。

 って、え?


「は?」

「いや、さ。それだって立派な私達の未来に関する話じゃん」

「い、いや。それはそうだけど……」

「いいから、ちょっと話聞いてくれる?」

「わ、分かった」


 正直納得はいっていないが、分かったと言っておく。

 というか、これからの話……直訳してしまえば『別れ話』。これは、さっきの段階でする気がほとんどなくなってしまっていたのだが。

 それにしても、プロポーズって。

 今日は女の神秘に今までの人生で一番近づいているような気がする。こんなにも女というのが及びしれない存在だとは知らなかったよ。


「純くんがもし一人になったとしてさ、これからどうするの?」


 俺が沈黙で話すように促すと……、美紅はそんなふうに話し始めた。


「目が見えないって、生きて行く上で大変だよね。人生に障害物が多くて、人より大分生きて行くのが大変な人たちのことを“障害者”って言うくらいなんだから。

 そんな障害だらけの人生でさ、純くんはちゃんと生きて行ける?

 目が見えなくなったのだって、たぶん他の目の見えない人より遅いと思うから大変なことだってその分多いだろうし。

 そんな中で、ほんとにちゃんと生きて行ける?」


 そこで美紅は、一度切った。

 『ちゃんと生きて行ける?』か。正直、あんまり自信はないな。

 人生どうにかなるなんて思っていた自分が懐かしいくらいの、未来への不安。そんなものが、今は沢山ある。

 こんな時期なのだから、それくらいが当たり前なのかもしれないけれども。

 だからこそ、ちょっと強がりを言ってみた。

 好きな子の前では胸を張るような、そんな心理だったのかもしれない。もし、もしもそうであるならば俺はいま美紅が好きだと言う事になるのだろう。

 それは、嬉しいな。

 なんて、思いながら口を開く。


「大丈夫、生きて行けるよ。なんせ、天才だからね」


 少し前に俺が茶化した美紅のセリフをそのまま使う。それは、実は意図していたことでは無かった。言ってから、気付いた。

 気付いて。ああ、やっぱり嘘だってばれるな。と、そう思った。


「嘘吐き」


 嬉しそうに、心底うれしそうに美紅はそう言った。

 きっと笑顔なんだろうと思えた。

 思う事が、出来た。


「純くんさ、ひもになってみる勇気ってある?」

「ん?」


 なんか、話がおかしな方向にいきなり向かい始めてない?


「ああ、別に頼りきりにさせるつもりはないよ? ただ、人生の障害物を一緒に飛ぶ手伝いをしてあげたり、足りない分の身長を補ってあげたりする役割の人がいた方がいんじゃないかなぁ、って」

「それに、なるって言うの?」

「うん。そのためには一生一緒にいなきゃ」

「だから、プロポーズ?」

「うん」


 その言葉、本当にうれしかった。

 心底嬉しくて嬉しくて、たまらないほど嬉しかった。

 嬉しかったん、だけど。違和感があった。

 だから、言葉を返してみた。


「嘘吐き」

「……ッえ」


 美紅が驚いた様な声を上げる。握っている手が、少し堅くなった。


「ちょっと、嘘吐いてるでしょ?」

「失礼だなぁ。嘘なんてついてないよ」

「ううん。嘘吐いてる。本当は、怖いんでしょ」

「…………それは、……」


 図星だったようだ。

 それは、怖いに決まっている。俺を養うというのならば、人生の選択肢は一気に狭まる。

 やりたい事だって、出来なくなってしまうかもしれない。それにこのプロポーズは肝心なものが抜け落ちている。

 それは、覚悟。

 一生つき添ってやるという、覚悟。それが、欠如している。

 勢いでそんなに大事なことを決めてしまっては、いけないのに。


「純くんには、隠せないね。それとも、見つけるのが上手くなったかな?」

「目が見えなくなった代わりに、知りたいと思えるようになったかな」

「そっか。うん、たぶん純くんが考えている通り。本当は怖い。でも、それでも一生付き添っていきたいという思いは本当」


 そう、言った。

 それもまた、嘘は含まれていないのだろう。だから、こう言った。


「大丈夫」

「? どうして」

「想いが本当だって言ってくれるなら、大丈夫。それだけでも俺は嬉しいし、覚悟を決めたいって言うならいくらでも待つ」


 そう、言ってみた。

 覚悟を決めるには時間が必要だというのは、当然のことだと思ったから。


 だから、言ってやった。


「俺はいくらでも待つからさ、言いたい時に良いなよ。俺はちゃんと美紅のことを……見てるから(・・・・・)


 そう、言ってやった。

 美紅はとても嬉しそうな顔をした。

 そんなふうに、思えたんだ。

 思う事が出来たんだ。


 それが何より、嬉しく思えた。





     ☆





 それから、幾年かたったある日のことだった。

 俺は美紅に手を引いてもらいながら、公園を散歩していた。

 不意に、美紅が声をかけてくる。


「目が見えないのに散歩って、何か楽しいの?」

「そう、だね。何と言うか、目が無くても見えてるんだよ。例えば今は、茶色い道路に曇天の空、その色合いがすっごく綺麗だ」

「……遊歩道は青色だけどね」

「あ」


 なんか、ちょっと恥をかいた気分だ。


「そっか、だったらそういう風に頭の中を描き換えよう。そうやって、現実を知っていけばいいんだから」

「……それもそうね」


 いい訳に聞こえなくもないけど。そう付け加えた美紅の言葉は聞かなかった事にする。まあ、実際いい訳だけど。

 それでも、今の言葉は事実だと思う。


 そうやって、ここまでやってきたんだ。

 手探りでも、知ろうと思えたなら、知っていけるんだって事は分かったから。ここまでの時間で、それは学んだ。

 そうやって得た結果が、今右手に伝わる美紅のはめた指輪の感触だ。


 その感触を味わいながら、幸せをかみしめる。

 かみしめながら、口を開いた。


「ねえ、美紅」

「ん? どうかした?」





「愛してる」

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