第一話
序章 よくある御伽噺
それは、遠い遠い昔、遠い遠い国のお話。
その国は賢い王様と王妃様が治め、人々は平和で豊かな暮らし送っていました。
王様と王妃様の間には、一人のお子様がいました。それはそれは、絵に描いたような、美しく可愛らしいお姫様。お姫様は齢十四まで健やかにお育ちになり、心優しく、臣下や民衆、皆に愛される少女となりました。
しかし、神様は王様と王妃様、臣下と民衆、そしてなによりもお姫様に対して、大きな試練をお与えになりました。
恐ろしい魔女の呪いにより、お姫様のお姿が誰にも見えなくなってしまったのです。その鈴振るような美しい声も、誰の耳にも届かなくなってしまいました。
臣下、民衆はなんの前触れもなくお姫様の姿が消えたことにうろたえ、嘆き悲しみました。王様、王妃様のお心は推して知るべきです。
お姫様は、「自分はここにいるわ、何で誰も気づかないの、何で誰も私の声が聞こえないの!」と泣き叫びました。
けれども、お姫様の声は誰にも届かない・・・。
お姫様は、たった一人きり。
皆に囲まれていても、誰にも気づかれません。
やがて、お姫様のことを一人、また一人と忘れていきました。
そして、なんと言うことでしょう。ついには王様と王妃様までもが、お姫様のことを忘れてしまったのです。
これも、魔女の呪いによる物なのでしょうか・・・。
お姫様は声が嗄れるまで、いえ・・・声が嗄れても、叫び続けました。
けれども、やはりお姫様の声は誰にも届きません。
こうして、お姫様はとうとう本当にいなくなってしまったのです。
序章その2 リネットの話 彼女は物語のヒロインたり得るか
リネットは、その物語の最後のページを読み終えると、ため息をついてぱたりと本を閉じた。
それはリネットの年齢にはそぐわない幼い子供向けの物語だったが、寝付けない夜の供として、記憶の縁からこぼれ落ちかけている本を気まぐれに書棚から抜き出したのだった。
リネット・チェルシー、ちょうど本日で十四になった。誕生日を家族――両親と弟の三人――に祝われ、その嬉しさによる興奮で眠れない夜を過ごしている。今リネットの心を支配しているのは、大人に一歩近づいたという大きな嬉しさ、そしてもうすぐ子供の時間が終わってしまうというほんの少しの不安と寂しさであった。
(今はお父さんとお母さんが無理をして、なんとか学校に通わせてもらっているけど、来年、学校を出たら・・・)
チェルシー家は決して裕福ではない。その上、育ち盛りの子供が二人もいる。自分も弟も学校以外の時間は働きに出ているが、それでも生活はかつかつだった・・・。今学校に通っているのは少しでも良い職に就くためであり、上の学校へ進むためでも、学を身につけるためでもない・・・。
リネットはそのことをよくわかっていた。だから、自分が子供でいられるのは残り一年。そう思っていた。
(わたし、学校を出たらどんな職に就くのかな・・・。今働いているお店は、気のいい人達ばかりだけど、お給金は良くないし・・・申し訳ないけど、学校を出た人が働く場所でもないよね。だとすると・・・)
不安が、少しずつ大きくなってくる。やがて、嬉しい気持ちが影を潜めていき・・・リネットのベッドから、やがて頼りなげな寝息が聞こえてきた・・・。
この季節、ちょうど目覚めの時間に陽光がリネットの部屋に差す。冬の、淡い曙光である。この頃は、リネットは毎日その光で目を覚ましている。その朝も、いつも通りに日の光で目を覚まし、いつも通りにベッドを出て、顔を洗うために家の中の唯一の水場である台所へと、目覚めた直後のおぼつかない足取りで向かった。寝ぼけた頭を冷たい水瓶の水で覚醒させ、手鏡を見て髪を整える。よし、いつもの朝だ。この時間にはお母さんも起きているはずだし、朝食の準備を手伝って弟を起こし、いつものように学校へ――。頭で考えるでもない、いつものルーチンワーク。しっかりと目を覚まし、しゃっきりとした足取りで、食堂へ歩いていく。じきに母親が朝の市場から今日一日分の買い物を終えて帰ってくるはずだ。その前に、やるべきことを頭でシミュレートしながら・・・食堂に入ると、父親が書類仕事をしていた。
リネットの父は、町で一番の大通りに店を構える飲食店に雇われていた。子供時代に食器洗いや掃除の仕事で雇われた後、給仕や仕入れ、ツケの回収なども経験した。そして、今では店の勘定係になっている。ろくに学校には行っていないが、算盤は得意であったため、異例の抜擢をされたのだ。ただ、給金は良くない。生まれと育ちの悪さ故、みくびられているのだ。肝も太い方ではないため、リネットの父親は不平を漏らさず、今の給金に甘んじている。リネットはそんな父親を尊敬と軽侮の入り交じった複雑な感情で見ていた。
「お父さん、おはよう。今日は早いんだね。お母さんはまだ帰ってきてない?」
ああ、それでもリネットは父親のことを好きなのだ。父が自分に抱く溢れんばかりの愛情を感じてもいる。自分は果たして、この父にほんの少しだけでも恩を返すことができるのだろうか・・・そして、自分の抱いている父への愛を伝えることができるのだろうか・・・。
「・・・」
父は何も答えない。
「お父さん?」
リネットは小首をかしげ、父の横に立つ。
手のひらを父親の目の前にかざし、ひらひらと振ってみる。
「あれ?」
「・・・」
父親はなんの反応も示さない。
それどころか、書類仕事の手を休めることすらしない。
リネットの声など聞こえず、手のひらなど見えていないかのように、黙々と仕事を続けている。
「ちょっと、どうしちゃったのよ、お父さん!」
リネットは困惑し、同時に混乱に陥った。と、そこへ、
「お母さん!お父さんがひどいんだよ!私のことまるで無視して・・・」
母親が市場から帰宅し、食堂へ入ってきたのを見て、リネットは父の態度への不満をぶつけた。大きな声になったのは、怒りのためというより、不安のせいだった。
「あなた、ただいま」
「ああ、お帰り。今朝は、どうだった?やはりまだ物価は上がり続けているのか?」
「ええ、やはり秋津とヴィシーの戦争が影響しているんでしょうねぇ」
「!」
リネットは大きく目を見開き、口を手で押さえた。驚愕のあまり声も出ない。
「ちょっと、ふたりともどうしたの!?何で私のことを無視するの!」
リネットはもうほとんど叫ぶように声を上げた。
そして、母親の手をつかもうとし・・・。
「!?」
・・・手が、すり抜けた。
リネットは唖然としたが、すぐに今度は父親の肩に手をかけようとした。
「・・・」
予想はしていた。それでもやはり、父の体を自分の手がすり抜けたことはショックだった。
『こうして、お姫様はとうとう本当にいなくなってしまったのです』
昨日読んだ物語の一節が頭をよぎった。
「どうして・・・どうして!私、お姫様じゃないのに!!」
リネットは、大きな声で叫んだが、その声は誰にも届かなかった・・・。
序章その3 セオドアの話 果たして彼に主人公の資格はあるか?
セオドアは渇望していた。
何を?
金、栄養、仕事、・・・足りない物はいろいろある。
しかし、セオドアはそんなことは意に介していなかった。
欲しい物は栄誉、そして名声。
彼は世に出る機会を渇望していたのである。
むろん、身の丈に合わない欲求なのではないか、と自分で思わないでもなかった。
言葉実に過ぎ、肝量才に劣る。
誰の言葉だったか、そんな文句が頭をよぎることもある。そのたびに、自分のことをいわれているように感じてしまう。
小さな頃から正義感だけは強かった。
体の大きな者、自分よりも強い者にも、内心びくびくとしながらも、態度だけは堂々として意見し、たこ殴りにされる日々を過ごしてきた。あくまでも、小さな頃は、である。
長じて(というほど歳はとっていないが)、彼は臆病になった。不良っぽい人間のそばを通るだけで怖いと感じ、彼らの不正も見逃すようになっていた。実際に殴り合いにならなくても、筋の悪そうな人間と話をするだけでも怖いのである。正義感だけは変わらず持ち続けていたので、現実の自分と理想の自分との、あまりにかけ離れた姿に絶望を感じてもいた。
だが、と彼は思う。
自分の力を試したい。自分は何処まで駆け上がれるか、上を目指してみたい。
今は難民上がりの下働きだが、いずれは自分もこの国で、あるいは今は帰れない祖国で。
彼は静かに野望を燃やしていたのだ。
それでも、彼は予想していなかった。
こんなにも早く、彼の運命を動かす事件に遭遇しようとは。
しかもそれは、実に静かに、そして誰の目にも特別なこととは写らない形でやってきたのである。
序章その4 彼女の話 物語を紡ぐもう一本の糸
彼女は、眠り続けていた。
そこは、森の中に建っている・・・いや、「建っていた」小屋の跡、つまりは廃墟の中だった。
床の上には埃がつもり、天井には蜘蛛の巣がはっているが、彼女が眠るベッドだけは新しく、清潔だった。
・・・いや、待てよ。
床に積もった埃には足跡らしき物はない。
ベッドはどうやって運び込まれたのか?彼女はどうやって部屋の中に入ったのだろうか?
謎に包まれて、彼女はそれでも眠り続けた。
彼女がいつ目覚めるのか、それは誰にも分からない。
第一章 ボーイ・ミーツ・ガール
セオドアは、数日前から彼女に気付いていた。
彼女はいつも、セオドアが働く店の前の向かいにある店の前に座り込んでいる。
彼女はふわりと軽くウェーブのかかった栗色の髪をし、少し頬がぷっくりとした丸顔、鼻はあまり高くなく、少し太めの眉毛、そして髪と同じ栗色の瞳をしていた。
不思議なのは、彼女はセオドアが店を開けるときにはすでにそこに座っており、店を閉める時間まで座り続けていることだった。
着ている服は多少薄汚れた感じはするものの、浮浪者という印象は受けない。
一日中、地面にぺたんと座り込んでおり、道行く人を眺めていた。その様子は誰かを捜しているようにも、誰かに声をかけてもらうのを待っているようにも見えた。
だが、毎日仕事に追われてなかなか時間が作れず、セオドアは彼女に話しかけることができなかった。さらに、彼女はセオドアの目には、これまで出会ったどの女の子より可愛く、魅力的に映っており、仮に時間がとれても、奥手のセオドアにはとても声をかけることなど出来なかっただろう。
セオドアが住む町は、この地方の中核都市からやや離れたところにある、取り立てて特徴のない中規模の町だった。まだ汽車は通っていないものの、線路を敷設する計画はあるらしい。汽車がない分、駅馬車は頻繁に周辺の町との間を行き来しており、実際の人の行き来はもちろん、この町から中核都市へと出稼ぎに行っている労働者と、その家族の間での金、物、手紙のやりとりを担っている。もっとも最近では、隣国同士の戦争により発生した難民がこの国に大量に流入してきており、それに伴って治安も悪化しているため、各地で駅馬車が襲われることも良くあるということだった。従って、駅馬車を警護する傭兵の需要も高まっている。
「親方、板金のストックが切れそうです」
ちらりと店の窓から例の女の子の方に視線を投げた後、セオドアは店主兼マエストロに声をかけた。
セオドアが住み込みで働いているのは町の時計工房。手先が器用で神経質なところがある(つまりは細かいところが気になる)のと、一応の学問を修めているため、この町に流れ着いたときに弟子入りをした。いっぱしの時計職人になれば、それなりの収入が見込めるところも魅力的だった。だが、わずか半年勤めただけではまだ時計の作り方など教えてもらえるはずもなく、下働き扱いのままである。それにこの工房のマエストロは気難しいところがあり、弟子をとっても、その弟子がすぐに辞めていくらしく、先輩の職人はいない。今のところ、マエストロとセオドアの二人だけで店を切り盛りしている。
「それが分かってるんだったらさっさと仕入れて来んかい!」
予想通りの怒声が飛んできた。そろそろ慣れ始めてきてはいるが、やはり気が滅入るというか、かちんと来るというか、心穏やかではいられない。
「はい、それでは行って参ります」
ため息を押し殺し、板金を作っている工場(というより鍛冶屋という方が相応しい、こぢんまりとした所だが)へと出かけることにした。資材を搬入するのは裏口からであるが、出かけるときまで裏から出る必要はない。表の扉を開け、店の前の通りに出る。最近、この扉から外に出る際には無意識に例の女の子の方に視線を向けていた。このときも、全くの無意識で視線を向けたのだが・・・。
「危ない!」
とっさに声をあげ、体が前に出ていた。
道を通っていた荷車が轍をはずれ、ぐらりと傾いたその先に女の子が座っていたのだ。
しかし、女の子は気怠げに荷車を一瞥しただけで、特に避けようとはしなかった。
セオドアは運動が不得手であったが、このときは驚くほど俊敏に体が動き、あっという間に通りを横切ると(元々それほど広い道ではなかったが)、女の子を抱きかかえ、そのまま荷車が転倒する場所から転げて逃れた。
「バカ野郎、わざわざ自分から突っ込んでくる奴があるか!」
セオドアにしてみればやや心外な罵声を浴びせられ・・・おや?周りの人々の中にも、驚きの表情に混じって、怪訝な表情を浮かべている人がいる。
「き、君、大丈夫だったかい?」
ただでさえ口下手な上、女の子と話すことに慣れていないセオドアは、彼女の無事を確認しようとたどたどしく話しかけた。と、・・・彼女は、信じられないものを見る目でセオドアを見ていた。
「え?え?・・・あなた、私が見えるの?」
今度はセオドアが怪訝な表情を浮かべる番だった。
「何を言っているのだい?そんなの聞くまでもないことだろう?」
「え、うそ・・・なんで、なんであなたは私が見えるの!?なんで私にさわれるの!!」
セオドアは首をかしげた。この子は何を言っているんだろう?
「・・・さっきから何を言っているのだい、君は。幽霊じゃあるまいし、見えるのは当然だし、さわれるのも当たり前だろう?」
「え、だって、だって・・・」
女の子はまだ混乱の極みにあるようだ。
「君、とりあえず落ち着いた方がいいよ」
その言葉はセオドアにも言えることだった。
慣れない運動、もう少しで荷車の下敷きになるところだったこと、助けるためのとっさの動作とはいえ女の子を抱きしめてしまったこと、久々に女の子と口を利いたこと、すべてがセオドアの心拍数をこれ以上無い位に押し上げていた。
「わたし、わたし・・・」
今や女の子は、いっぱいの涙を目にためていた。
セオドアは激しく動揺しながら、
「きみ、どうしたのだい?」
震える声で問いかけた。
「だって、だって・・・」
女の子も震える声で、必死に言葉を継いだ。
「私、消えちゃってるのに!誰にも見えないし、誰にもさわれないのに!この一年、誰にも、誰からも気付かれなかったのに!なのに、なんで、なんであなたは私が見えるの!?なんで私にさわれるの!なんで、私と話ができるの・・・?」
セオドアには、彼女が何を言っているのかさっぱり理解できなかった。理解できるのは、荷車を引いていた人夫が後片付けをしながら自分をにらんでいるのと、周囲の人々が訝しげな視線を向けていることだけだった。
「とにかく、怪我をしていないなら場所を移そうじゃないか。ちょっと落ち着ける場所で話をしたほうが良さそうだ」
数刻後、二人は近くの公園にあるベンチに腰掛けていた。
少女の名前はリネット・チェルシーというらしい。
彼女の語った、彼女が消えた日の話は、セオドアにとって信じがたく、首をひねりたくなる内容だった。
「それでね、お父さんもお母さんも、そして弟も私のことが見えなくなっちゃってて・・・話しかけても、声も聞こえないみたいで・・・触ろうとしても、触れないの」
「君のいうことが本当だとして、君がいなくなったことに家族は気付かなかったのかい?」
リネットは力無くうなずいた。
「それが、しばらくは家にいたんだけど・・・誰も、だあれも、私がいなくなったことに気付かないの。まるで、最初から私なんていなかったみたいに。それに、『触ろう』と思うと物には触れるんだけど、物を動かしても何でだか誰も気にも留めないの。人や動物には『触ろう』と思っても触れないし・・・。紙にメッセージを書いたこともあるけど、誰も文字が書いてあることを気にも留めなくて・・・」
そんなことがあり得るのだろうか。
セオドアは論理的にあり得ないと考えた。論理的にあり得ないことは、いかなる可能世界でも起こりえない。しかし、もし彼女のいうことが本当だとすると、自分の論理の始点が間違っているのかも知れないし、論理を超越した事象が起こっているのかも知れない。
(この娘は、嘘を吐くような娘には見えない)
セオドアは、自分の人を見る目のなさを忘れてそう考えていた。それに、言っていることが嘘か本当かはすぐに確かめることができる。
「じゃあさ、今座っているこのベンチ、その気になればすり抜けることができるの?」
「・・・うん」
リネットは少し寂しげな顔をして、一旦ベンチから立ち上がり、そしてベンチに向かって一歩を踏み出した。
「!」
当然のように、彼女はベンチをすり抜け、その裏側まで歩いて見せた。
(本当のことだったんだ!)
リネットは身の上話を続けた。
「私ね、それ以来一年くらいの間、誰からも気付かれず、誰にもいなくなったことを気にされず過ごしてきたの。最初、それでも一ヶ月くらいは自分の家で、何とか家族に気付いてもらおうとしてたんだけど・・・」
彼女はそこで少し間を置き、つらそうな顔をした。
「家族に気付いてもらえないことが、私がいないことが当然のように家族に振る舞われることが、耐えられなくて・・・家を出たの。それから、いろんな所を転々としてきたの。その途中で、いろんな人に話しかけたり、物を動かしたり、字を書いてメッセージを伝えようとしたり・・・でも、全部、全部無駄だった」
「だれにも気付かれなかったって・・・、その間、食事はどうしていたの?寝泊まりは?」
彼女は目を伏せて小さな声で答えた。
「悪いことだって分かってたけど・・・その、ね。食料品の店で売ってる食べ物を少しもらっていたの。私が触れた物は誰にも気にされないから・・・。寝泊まりは、宿や民家で空いている部屋を見つけて寝かせてもらってた。春夏秋は野宿の時もあったけど、冬の野宿はつらかったから・・・」
まあ、それは仕方がないな、とセオドアは思った。悪いことには違いないが、お金を稼ぐ手段のない彼女が生き抜いていくためには必要なことだったのだろう。
と、セオドアが考えていると、
「ねえ、だから不思議なの!何であなたには私が見えるの!?何で話ができるの!」
いつの間にかまたベンチの隣に座っていた少女がぐいっと顔を近づけて聞いてきた。
セオドアは内心どきっとしながらも、
「さ、さあ?それは分からないけれど・・・、でも、そうだな・・・今までにも、君のことが見えていた人はいたのかも知れない。たまたま、話をする機会がなかっただけで」
「そうなのかな・・・でも、人通りの多い道の真ん中を歩いてみても、誰にもぶつからなかったし、誰からも見られなかった。私のことに気付ける人が他にいるとしても、相当珍しいと思う」
「ねえ、どうしてこうなったかについて、本当に何も心当たりはないのかい?」
「うん・・・御伽噺みたいに、魔法使いに呪いをかけられるようなことがあるわけないし・・・さっきも話した通り、ある日、突然こうなったの」
「ふうむ・・・」
セオドアは数瞬考えた後、言葉を継いだ。
「たしか、例の御伽噺はアンドラ地方の伝承が元になっていたはずだ。全く何も手がかりがないなら、アンドラ地方に行ってみるのもいいかも知れない」
「アンドラ地方?って、あのヴィシーや秋津との国境近くの?あの辺りって、今二つの国からの難民が越境して来てるって聞いたけど・・・」
「確かに、普通なら危険だけどね・・・、君、普通ではないことに他人からは見えないし、もし、ヴィシー人や秋津人と気脈が通じるような人がガイドに付いていれば、大丈夫なんじゃないかな」
「ガイドって・・・、私、誰にも見えないし、誰からも気付かれないから、ガイドなんて雇えないわよ?」
「ふむ・・・確かに。危険地帯に入るには、君が誰にも見えないということが一番のアドバンテージだが、現地で何かを調べるにあたっては一番のネックになるな」
セオドアは少し考え込んだ。
「・・・ねえ」
リネットが、意識してか無意識にか、少し上目遣いでセオドアを見ながら言った。
「難民の人たちと気脈が通じるか、っていう点はともかく、私が見えて、話ができる人は今のところ・・・」
「いや、ちょっと待った。君が何を言わんとしているかは分かる。でも、僕にも仕事があって・・・」
「・・・そうよね。自分の都合であなたにわがままを言うわけにも行かないよね」
リネットはとても悲しそうな顔になった。
その顔を見た瞬間、セオドアは電撃が走ったように感じた。天啓を受けた、気がした。
自分はこの娘の力になりたい。いや、ならなければならない。なぜなら・・・。自分の左手首より少し上の二の腕に巻かれた布を右手で押さえながら、セオドアは言葉を紡いだ。
「いや、待て。待ってくれ」
セオドアは手で額を抑えながら、少し考えてこう言った。
「仕事は、すぐには無理かも知れないが、辞めることはできる。君と一緒に、アンドラへ行ってもいい。幸いなことに、僕はヴィシーや秋津と縁がない訳じゃないしね」
リネットはびっくりしてセオドアを見た。
「え、いいの?だって、あなたとは今日初めてあったばかりだし、そんなことまでしてもらうのは、さすがに悪いって言うか・・・」
実は、セオドアの方も、自分がこんなに大胆な決断をし、それを口に出していることに内心びっくりしていた。
「いや、悪いが、仕事を辞めると言っても、すぐではない。しばらく待ってもらうことになると思うし、その間にお互いのことについてもう少し理解を深めればいいと思う。一緒に旅するに足る、信頼できる相手なのかもその間に見極めればいいだろう」
それでも、リネットは申し訳なさそうな顔をしたままだった。
「ホントに・・・いいの?私、お金も持ってないし、何もお礼なんかできないよ?」
「うん、よいのだ。もう腹は決めた。君のため、というより僕が行きたいのだ。君の身に起きたことの謎を解く、そして僕自身の問題に決着をつける」
「あなたの問題・・・って、なに?・・・あっ、これ、聞いていいのかな」
「ああ、うん・・・今は、ちょっと・・・追々、話すこともあると思うけど」
と、ここでようやく、リネットに、ほんの微かにではあるが、安堵から来る笑みが浮かんだ。
「ごめんね・・・っていうのも変かな。ありがとう、って言うべきよね。一緒に行ってくれるって言ってくれて、とっても嬉しかったわ」
「気にしないでくれ給えよ。さっきも言ったけれども、これは僕の問題を解決するためでもあるんだ。だから、今後『ごめん』とか『ありがとう』とか言うセリフは禁止でお願いするよ」
リネットは吹き出して、今度こそ本当の笑みを浮かべた。
「笑っちゃってごめんなさい。だけど、さっきから思ってたんだけど、あなたって変わったしゃべり方をするのね。妙に芝居がかってるって言うか、まるで物語の登場人物がしゃべってるみたい」
「ああ・・・ああ、よく言われる。悪い癖だとは思うのだけれども、なかなか直せなくてね」
「いいわ、いいわ、別に直さなくても」
くすくす笑いながらリネットは答えた。
セオドアは苦笑を浮かべながら、
「じゃあ、明日の昼、またここで会おう。とりあえず、今晩食べるものを何か、公園に出ている露店で買っておこう。代金は僕持ちで」
「えっ、いいの!?」
「だって、君はお金を持ってないのだろう?また、その・・・店主に無断で拝借する、というわけにもいかないだろうからね」
「うん、・・・うん、ごめん、ありがとう」
「だから、“ごめん”も“ありがとう”も要らないよ。これから長い付き合いになるかも知れない仲なのだから」
リネットはくすっと笑い、
「そうね、気をつけるわ。・・・これからよろしく、ええと・・・そういえば、まだ名前も聞いてなかったわね。あなたの名前はなんて言うの?」
この娘、笑うと可愛いな・・・とセオドアは思ったが、そんなことはもちろん口に出さなかった。態度や表情に出ていないという自信まではなかったが。
「ああ、名乗り忘れていたね。僕は、セオドア。セオドア・ギルバートだ」
「よろしく、セオドア」
「ああ、こちらこそ、リネット」
その日の小さな、しかし確実に物語の始まりとなる出会いは、こうして実現した。
・・・その後、板金を取りに行くという用事をすっかり忘れていたセオドアが親方にこっぴどく叱られるというおまけ付きで。
***
「ごめん、待ったかい?」
「もう、遅ーい、とっくにお昼は過ぎちゃってるよ」
最初の出会いから数日、まだ少しぎこちなさは残っているものの、大分うち解けてきた二人は、待ち合わせの場所で落ち合った。少しばかり時間はずれてしまったようだが。
「ごめんごめん、なかなか仕事を抜けられなくてさ」
セオドアの言葉に嘘はない。
時計工見習いといえば聞こえはいいが、入門して半年では工具にすら触らせてもらっていない。主な仕事は工房兼住居の掃除、洗濯、二人分の炊事や資材の注文と搬入、帳簿の管理等で、朝から晩まで休む間もないのが実情だ。それでも、工房への立ち入りは許可されているので、マエストロの仕事ぶりはつぶさに観察できる。習ってはいないが、一通り工具の扱い方や、基本的な時計の構造くらいは分かるようになっていた。
セオドアは、こうした日々の仕事(というより雑用)に追われる中で、こうしてリネットと会うために何かと口実を作って工房を抜け出したり、仕事を頑張って時間を捻出したりしているのだった。
「ところでさ、いつも露店の食べ物じゃ少し飽きちゃうだろう?今日はちょっと贅沢して、どこかの店で昼食を摂らないかい?」
「えっ、お店に入るの?でも・・・」
リネットは不安そうな表情を浮かべた。
「大丈夫だって。君は幸い・・・じゃないな、本来不幸なことなのだけれど、僕以外の人間には誰にも見えないし、触れることもできない。そして、君が触れたものは他の誰も気に留めることはない。小さなテーブルについて、二人分の食事を注文して食事をしても、そう大して不審がられることはないはずだよ」
「うん・・・そうね。じゃあ、行ってみようかな」
「よし、そうと決まれば善は急げ、だ」
二人はベンチから立ち上がると、町の飲食店が並ぶ通りに歩いていった。
(さて、と。大見得を切ったはいいものの、実は懐具合は寂しいんだよな。旅立ちを決めた以上、蓄えは必要だし)
と、手頃な店を探して、二人して通りをきょろきょろ見回しながら歩いていると、夜はバーとして営業する、少し小さめの(遠慮無く言えば、さほど繁盛していなさそうな、小汚い)飯屋が目に入った。
「うーん・・・適当な店も見つからないし、ちょっと博打を打ってあの店に入ってみるかい?」
女の子の好みなどまったく知らない、そして考えもしないセオドアは、思いついたことをそのまま口に出した。
「えっ、あの店?そうね・・・あなたがそう言うなら、あそこでもいいかな・・・」
リネットは当然乗り気ではない。が、おごってもらう立場でもあり、また出会って数日の男の子に、あけすけに不満を伝えるのもどうかと思い、渋々ながら同意した。
「いらっしゃいませー」
店内に入ると、三十代半ばくらいの女性店主が二人を出迎えた。客は一人だけ。四十代くらいと思われる、少し近寄りがたい雰囲気の男だった。カウンター席で、昼間だというのに酒を飲んでいるようだ。
外観にそぐわず、店内は手入れが行き届いており、小綺麗な印象さえ受ける。これなら外観にも気を遣えばいいのに・・・とは思っても口には出さない。
「あいにくと、昼の時間帯はメニューが一種類しかないの。それでもいい?」
女性店主の問いかけに、
「ええ、それで結構です。そのメニューを二人分お願いします。それと、テーブル席に座っても構いませんか?」
「それは構わないけど、二人分も食べきれるの?」
「ええ、見かけによらず大食いなので・・・」
セオドアは苦笑を浮かべて答えた。
「そう。じゃあちょっと待っててね、すぐに作るから。ちなみにお代は・・・」
懐具合の寂しいセオドアにも、十分に払える額だった。
「ちなみに、今日のメニューは何ですか?」
「それは出来てからのお楽しみっていうことで、ね?」
女店主の言いように、そこはかとない不安を抱きながら、二人は料理の完成を待った。さすがにすぐそばに人がいる状況で言葉を交わすことはリスクがおおきいので、小声で、もしくは筆談で会話をすることになる。
[ちょっとちょっと、ホントにこの店大丈夫なの?]
[まあ、ぼったくりでもないし、店内は外観ほどひどくないし、大丈夫なんじゃないかな]
[でも、味の保証は何一つ無いよ?]
[うん、でもまあ他にお客さんもいることだし・・・]
[でもあの人、お酒飲んでるだけじゃない]
[きっと、酒のアテが美味いのだよ]
[そうかなあ・・・私にはそうとは思えないんだけど・・・]
などとやっているうちに、
「どうも、お待っとさん!」
料理が運ばれてきた。見たところ、何の変哲もない魚料理だ。
[見た目は普通ね・・・]
[大丈夫だって、きっと味も普通だよ]
二人して、料理に手をつける。そのまま無言で、料理を食べ続けた。
[ほら、大丈夫だったろう?というか、むしろ美味いじゃないか!]
[・・・うん、見た目と雰囲気だけで判断してた。ちょっと罪悪感]
「おかみ、お勘定」
「はいはい、2ペンスね。あんたも昼間っから酒なんか飲んでんじゃないよ。しかも一杯だけって・・・」
「よお、兄ちゃん」
セオドアはいきなり話しかけられてどきりとした。
「はい?何でしょう」
「今度来るときは夜に来な。見たところ、カードが強そうじゃないか」
「ちょっとちょっと、若いのを博打に誘うんじゃないよ!そっちの兄ちゃんもその気になるんじゃないよ?有り金全部むしり取られるのがオチだから。その年で悪い遊びを憶えちゃだめだよ!」
「へっ、それじゃあな、兄ちゃん。あんたとはまた会う気がしてしょうがないぜ」
男はそれ以上絡んでくることはなく、そのまま店を出て行った。
「すまないね、悪い男じゃ・・・いや、悪い男だけど、堅気に手を出す男じゃないから、気にしないでやっておくれ」
「ああ、大丈夫ですよ。気にしていませんし」
「・・・?」
セオドアが答える横で、リネットがぽかんとしている。
「どうしたの?」
小声でセオドアが聞いた。
「あの人・・・一瞬だけど、私と目が合った・・・ううん、合わせてきたの・・・」
「なんだって!?」
呆然として答えたリネットに対し、つい大声で応じてしまった。
「ん?」
「あ、すみません、何でもないですから」
「そう、ならいいんだけど」
[それは本当かい?]
[間違いないよ・・・目が、合った]
「・・・」
リネットの言葉にも驚いたが、セオドアにはもっと気になることがあった。
男の目、あれはかつてセオドアが何度も見てきた目。
人を、殺した人間の目だ。
幕間 男と男と女の話 彼らは、物語を紡ぐ糸を交わらせることができるか
男は、ゆっくりと短銃をおろした。男の目の前には、胸から血を流し、倒れている男がいた。倒れている男はすでに事切れている。
やがて、倒れている男の体が燐光を放ち始め、同時に光の粒が立ち上り初めた。その粒は次第に量を増していき、やがて霧散した。男の死体も消えている。男が倒れていた場所には、一振りの短剣。そして、透明な薄紫色の、正二十面体の結晶が残されていた。
男はおもむろに短剣と結晶を拾い上げ、上着の内ポケットに収めた。
「・・・よお」
近づいてきた別の男に気付き、男は声をかけた。
「ハンス、お前また・・・『影の一族』を殺したのか」
「奴らは災厄と共にやってくる。殺して何が悪い」
「災厄と共にやってくる、といっても彼らが災厄を連れてくるわけじゃない。どちらかといえば、災厄が訪れた土地に彼らがやって来るんだろう・・・って、そんなこたお前も知ってるよな」
「ふん、どっちでも似たようなもんだ」
「何度も聞いたことだが」
後から来た男が、ハンスと呼ばれた男に問いかけた。
「おまえ、『影の一族』について、何か俺たちの知らないことを知ってるんだろ。まあ、この質問にお前が答えないことも知ってる。だが、あくまで俺たちの仕事は奴らを追い払うことであって、殺すことじゃない」
「追い払っても、殺しても、奴らがいなくなることには違いない。どちらでも構わんと俺は思うがね、ジュリアン」
ジュリアンと呼ばれた男は小さくため息を吐き、
「まあ、いいさ。いつものように短剣と結晶を拾ったら、集合場所に戻ってこい」
「それならもう拾ったさ」
ハンスは上着の内ポケットがついているあたりを上から叩いた。
「そうか、なら一緒に戻ろう」
ハンスとジュリアンはお互い口を開かず、仕事を終えた後に仲間と落ち合う場所に向かって歩き始めた。
「ところで、ハンス」
突然ジュリアンが口を開いた。
「今晩、付き合って欲しい場所があるんだが」
ジュリアンは厳つい顔に似合わず、少し頬を染めていた。
ハンスは顔をしかめ、
「やめてくれ、俺にそっちの趣味はない」
「何バカなことを言ってる。近くの町に酒場があってな、そこの女将がいい女なんだ。何とか口説きたいと思ってるんだが、決め手がない。おまえ、妻帯者だろう?女の口説き方についてアドバイスが欲しいと思ってな」
「なぜ俺が妻帯者だと思う?」
「左手の薬指に指輪がはまってるからな」
ハンスは渋い顔をした。
「女房はとっくの昔に夜空の星になっちまったよ。女の口説き方を聞きたいなら、他に適任者がいるだろう。例えば・・・」
「いや、他の奴じゃ、すぐに仲間内に話が広まっちまう。その点、お前とまともに口を利くのは俺くらいだからな」
「はっ、お前だって俺ほどじゃないにしろ、口を利く相手は少ない方だろう」
「悪かったよ、そう拗ねるな。まあ、いいから付き合えよ」
それから数刻後、仲間同士の報告会を済ませ、リーダーが『組織』への報告のために場を離れた後、グループの面子は三々五々、その日の塒へと帰っていった。
ハンスは結局、ジュリアンに付き合って酒場へ行くことになったのだが・・・。
「なんでい、酒場ってのはここのことか」
ジュリアンは驚いて聞いた。
「知ってるのか?」
そのとき、酒場の入り口から女が出てきた。
年の頃は三十代半ばくらい、よく見れば確かにいい女である。
「ああ、ジュリアンじゃないか。今日も来てくれたんだね。って、一緒にいるのはハンスかい?あんたら、知り合いだったのか!」
「ハンス、こりゃどういうことだ?」
「なに、ここのところ、仕事前の景気づけにこの店で一杯引っかけてから出掛けてるんでね。それで顔見知りになったって訳だ」
「なるほどね・・・俺はほとんど毎晩通ってるのに、そしてお前も常連の一人らしいのに、一度も店で顔を合わせなかったのはそういう訳か」
「ちょっとちょっと、二人はどういう知り合いなんだい?」
興味深そうに女将が聞いてきた。
「ああ、アンナ、ハンスとは仕事仲間なんだ」
「残念ながら、ね」
ハンスが小さな声で言ったが、耳ざとく聞きつけたジュリアンがじろりと睨んだ。
「まあいいわ。中ではいつもの通りカード博打で盛り上がってるから、あんたらも一勝負していきなよ」
ハンスはこれ見よがしに大きなため息をついて見せたが、ジュリアンは上機嫌でハンスの背中を叩き、二人で店の中へと入っていった。
第二章 旅立ち
セオドアが仕事を辞めるまで、結局半年もの時間がかかった。
旅立ちに必要な金品を蓄えるのに時間がかかったこともあるし、またマエストロの許しがなかなか下りなかったこともある。
「お前さんは他の奴らと違って、見込みがあると思ってたんだがな。買いかぶり過ぎだったようだ」
「返す言葉もありません。ですが、これは私の人生の一大事で、他の何を犠牲にしてでも、やり通さなければならないことなのです」
「ふむ・・・ならば、好きにするがいい。そして、二度とここには顔を見せるな」
「・・・はい。今まで、お世話になりました。それから・・・」
セオドアは机の上に何かを置いた。
「これ・・・親方の仕事を見て、見様見真似で作ってみた時計です。これを作るのに、親方の工具には触れていません。自分で揃えた工具を使いました」
最後に深々と頭を下げ――それは秋津国の作法に則った挨拶だった――セオドアは工房を出て行った。
「ふん・・・」
マエストロはセオドアが置いていった時計をゴミ箱に放ろうとしたが、思い直して作業机の引き出しにしまった。わずか、一年。下働きをしながら、自分の技を見ていただけで――不格好で不完全とはいえ――時計らしきものを組み上げられたセオドアの才能を惜しむように。
「ごめん、随分待っただろう?」
「ううん、そんなには待ってないよ」
「いや、そうではなくて。出発までに半年もかかってしまって、申し訳ない」
「それはしょうがないよ。いきなり旅に出るのが無理なのは最初から分かってたし」
「うん、そう言ってもらえると気が楽になるよ。それじゃあ、行こうか。最初の目的地は、レボーの町だ。確か昔、あそこからアンドラ地方への鉄道が走っていて、今でも線路沿いに細い街道があったはずだ」
「レボー・・・聞いたことのない町だけど」
「まあ、小さな町だからね。鉄道沿線にあるとはいえ、特に産業は発達していなくて、わずかな農業収入があるだけの町だったはずだし」
「・・・前から思ってたけど、あなたって変な知識をたくさん持ってるよね」
「いや、それほどでもないさ」
セオドアが照れ笑いを浮かべる。
「褒めてないけどね」
そんなリネットのセリフをさらりと流し、
「さあ、日のあるうちに次の宿場まで行こう。そのためには、もうそろそろ出発しなくてはいけない。ところで、僕は自慢じゃないが、自分の方向音痴ぶりには自信がある。地図は君に渡しておくから、ナビゲートをよろしく頼むよ」
「はいはい、分かってるわよ。でも、姿が見えなくなっても、幽霊みたく宙に浮かんだり飛んでったり出来ないのが不便よね・・・結局歩かなくちゃいけないなんて」
「駅馬車に乗留ことが出来るお金があれば良かったのだけどね。先々のことを考えると、少しでもお金は節約しておきたいし、歩きでも我慢してくれ給え」
「まあ、しょうがないわよね」
「じゃあ、行くとしますか」
こうして、出会いから半年の時間を経た後、漸くにして少女の姿を取り戻すための旅が始まったのだった。
「ねえ、今晩の宿って、どんなところ?」
「まあ、僕も実際見たことはないが、道沿いに木賃宿が並んでいる場所があるらしい。とりあえず今晩はそのどこかに泊まる予定だよ」
「ふうん。私、木賃宿って初めてなんだけど、どんな宿なの?」
「本当は若い女の子が泊まるような場所じゃないけれど・・・風呂を沸かすための薪代を払えば泊めてくれる、という所から『木賃宿』と言うらしい。だから、かなり粗末な宿のはずだよ」
「そうなんだ。でも、私別に粗末だとかそう言うの、気にしないから。私が生まれ育った家もそんなに立派じゃなかったし」
そんな会話を交わしながら街道を歩いていくうち、ふと気が付いたように、リネットが呟いた。
「端から見ると、あなた一人が旅しているように見える訳よね。・・・この辺りではあまり物騒な噂は聞かないけど、追い剥ぎなんかに襲われたりしないかしら」
「怖いこと言わないでくれ。一応、備えはしているけれども」
そう言って、セオドアは短剣を抜いて見せた。
「ただ、僕は武器を満足には扱えないし、実際襲われたとして、下手に短剣なんて見せたら、相手を刺激するだけだろうね。そして・・・」
「そして?」
「僕は、けんかが弱い。とても弱い。その上腰抜けと言ってもいいほどのビビリだ。もし本当に襲われることがあったら、二人して全速力で逃げるか、おとなしく全財産を差し出すしかないね」
「なっさけないわねー、こういうときは嘘でもいいから『僕が君を守るよ』くらい言えないわけ?」
「そんなこと言って、“本番”ですたこら逃げ出したら、幻滅されることこの上ないだろう?だったら、最初から事実を言っておくべきだと思うがね」
「あはは、それはそうかもね」
笑うリネットの方を、セオドアも笑みを浮かべながら見た。が・・・
「?」
セオドアは自分の目をこすり、もう一度リネットの方を見た。見間違いではない。
「おい、リネット・・・」
「ん?なに?」
「き、君の体が透けて見える!道の向こう側がうっすらと見えている!」
「ええっ!?」
リネットはあわてて自分の体を見て、あちこち触って、どこかに異常がないか確認した。
「ちょっ、どこにも異常はないわよ?」
「いや、これは・・・ひょっとすると、・・・ぼ、僕にも、君が見えなくなり始めているのかも知れない・・・」
「そ、そんな・・・そんなことって・・・」
「そうだ、ちょっと僕のことを触ってみてくれるか?もし触れなくなっていたら・・・」
リネットはあわててセオドアの手を取った。
「あ・・・ちゃんと触れる!」
「でも、まだ体が透けて・・・あ」
「なに、どうしたの!?」
「元に、戻った・・・。ちゃんと体が見える」
セオドアはほっと息をついた。
リネットはセオドア以上にほっとしたが、
「まさかと思うけど・・・嘘吐いてたんじゃないわよね?下手な冗談だったら、許さないから」
そういって、セオドアに対し少しだけ疑いを含んだ目を向けている。
「う、嘘じゃないよ!本当に透けて見えていたのだ!」
「うん、あなたがそんな嘘や冗談を言うとは思わないけど、でも・・・」
「・・・この旅、目的を果たすために急いだ方がいいのかも知れない。僕にまで君が見えなくなったら、本当に君がこの世から消えてしまうことになる」
セオドアとリネットは、大きな不安を抱いて、その後宿場町に着くまで、一言も会話を交わさずに黙って歩いたのだった。
***
「あー、と・・・」
「えと、その・・・」
二人は今、とても困っていた。正直、セオドアもリネットも、こういう事態はまったく想定していなかった。いや、普通に考えれば当然こういうことが起こるのだが、旅立ちの昂揚で頭からすっぽりと抜け落ちていたのだ。
「あのさ、やっぱり僕は外で寝るよ」
「え、でも、セオドアが宿代払うんだし、それは悪いよ」
「でも、君に野宿させるわけにはいかないし・・・」
「・・・」
二人とも、顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
今の二人は、この木賃宿の、そう大して広くもない――いや、はっきり言って狭い部屋の中で、年頃の男女が二人で寝なければならない、と言う問題に直面していた。部屋には、ベッドも一つだけ。セオドアが一人で二部屋取ろうとしたが、宿屋に不審がられ(野盗の先兵ではないかと疑われたらしい)、結局一部屋しか取れなかった。そのため、現在こういう困った事態となっているわけである。
沈黙が部屋を覆ってからしばらくして・・・。
「や、やっぱり僕が野宿するよ!それじゃ、お休み!」
セオドアは有無を言わせぬ速度で部屋を飛び出し、宿の裏で寝袋を広げて横になった。
(季節が夏で良かった・・・)
野宿することも想定して、寝袋を持ってきたのは正解だった。
しかし、セオドアは、そしてリネットも、その晩は心臓がどきどきしてなかなか寝付けなかったのだった。
第三章 再び、ボーイ・ミーツ・ガール
それから一週間の間は、リネットの体が透けて見えることはなかった。が、二人とも不安を心から取り除くことは出来ず、沈黙して街道を往く時間が増えていた。
「ねえ、具体的にはアンドラ地方のどこを目指すの?」
「今更な質問の気もするけど・・・、とりあえずはタツオカ城を目指そうと思う」
「タツオカ城?」
「例の御伽噺だけど、元になっている王女の失踪事件が、何百年だか前に実際に起こっているのさ。その舞台が、当時独立国だったアンドラの首都、タツオカにあるタツオカ城。御伽噺を書いた作者も、タツオカ出身なのだよ。だから、何らかの手掛かりがあるとしたら、その可能性が一番高いのはタツオカ城だと思うのだ」
「あなた、本当に物知りなのね・・・私と同世代だとは思えないわ」
「まあ、ほとんどの知識は生活していく上で役に立たないものだけどもね」
「うん、それは気付いてた」
「・・・」
セオドアは渋い顔をした。
「とりあえず、最初の目的地であるレボーまではあと三日もあれば辿り着ける。でも、そこからタツオカまではまだかなりの旅程があるから・・・、途中の町でも何か手掛かりがないか、探しながら進しかないよ」
「うん、でも・・・」
「分かっている、時間をあまり掛けられないことは。でも、焦って大事な手がかりを見落としてしまったら、それこそ取り返しの付かないことになってしまう」
「そうね・・・、焦っちゃだめよね。うん、分かったわ」
「あっ、あれ・・・」
「ん?どうしたの?」
「この街道の先なのだけど、何か塞がっていないかい?」
「え?何も見えないよ?」
「ずっと遠く、かなり先だから、まだ君には見えないのかも・・・」
「あなたって、視力も良いのね・・・」
そんなことを話しながら進んでいくと、やがてセオドアの言っていたことが本当であるということが分かった。
「あちゃー、崖崩れだね」
「見事に道が塞がっているな・・・」
両側を崖に挟まれた道で、崖崩れが起きて、大小いくつもの岩が道を完全に塞いでいた。
「この道を通れないとなると、一旦引き返して前の宿場から迂回路を通るしかないか・・・」
「待って、セオドア。地図によると、この森を抜けたところに、崖上を通ってこの道の先に出る迂回路があるわ」
「森を抜けて・・・?危険じゃないかい?」
「確かにちょっと危ないけど、この道を通れば予定通り次の宿場に今日中に辿りつけるわよ」
「ううむ・・・」
セオドアはしばらく逡巡した後、
「分かった。森を抜けよう」
と、リネットの提案を受け入れた。
「うん、それがいいわ。じゃあ早速森に入りましょう」
こうして、二人は森の中に入ったのだが・・・。
「おかしいわねぇ・・・」
「おい、道に迷ったのだろう?なあ、おいって!」
「ちょっと静かにして、今地図を確認してるんだから」
「幸い、今まで通ってきた道で、適当な木に目印の傷を付けながらここまで歩いてきたから、街道まで引き返すことは出来る。日が沈まないうちに、早く引き返した方がいいと思うがね」
「だから、ちょっと静かに・・・」
リネットが不意に言葉を切った。
「ん?どうしたの?」
「ねえ、今人の声が聞こえなかった?」
「いや?君の声しか聞こえないが」
「あれは絶対人の声だったって。・・・ほら、また!」
「あ・・・!」
今度は、セオドアの耳にも、微かに人の声らしきものが届いた。
しかも・・・
「ねぇ、今のって悲鳴じゃない!?」
「ああ、確かにそうだ、悲鳴だ!」
「どっちの方角から聞こえた?」
「ええと・・・」
二人してきょろきょろとあちらこちらの方向に耳を向けて、悲鳴がどちらから聞こえたか突き止めようとした。
「あっ、あっちから聞こえる!」
「おう、間違いない!」
しゃべりながらも、すでに二人は走り始めていた。とはいえ、ここは森の中。木の根や下草に足を取られ、なかなか思うように前に進めない。しかし、まだ悲鳴とも叫びともつかない声は断続的に聞こえてきており、その悲鳴の主がいる場所へと、徐々に近づいてきていることは分かった。
***
「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
「どうした、お嬢さん。もう鬼ごっこは終わりか?」
森の終わり、切り立った崖の下となっているその場所で、一人の女の子が崖を背にし、息を切らしている。
そして、一人の男がその女の子と対峙していた。
「な、なんで・・・何で追いかけてくるの?一体あたしに何をしようっていうの!?」
「ふん・・・何をするかって?それはもちろん、あんたに・・・」
男は懐からおもむろに短銃を取り出し、目の前の女の子に銃口を向けた。
「この世から消えてもらうのさ」
「!!」
女の子は目に涙をため、恐怖で足が震えていた。その足を生暖かい液体が流れ落ちていき・・・とうとう両足は体を支えきれなくなって、その場にへたり込んでしまった。
と、そこへ・・・。
「こっちの方で声がしたのだが」
「・・・」
「いや、人の動く気配もこっちでしたぞ?」
何事か一人で話しながら、誰かがこちらに近づいてくる気配がした。
「ちっ・・・」
男は短銃を懐にしまい、
「命拾いしたな、お嬢ちゃん」
一言を残し、その場を立ち去った。
「こっちの方で声がしたのだが」
「確かに話し声はしたけれど、さっきから人が走り回ってるような気配がしてたじゃない。まだこっちにいるのかしら?」
「いや、人の動く気配もこっちでしたぞ?」
「あっ」「あっ」
二人同時に声を上げた。背の高い草むらの向こうで、男が女の子に短銃を向けているのが見えたからだ。
とっさにリネットは飛び出そうとしたが、セオドアは一瞬のためらいにとらわれた。人との交渉においては勇怯定かならぬ、掴み所のない男であるが、こと荒事に関しては明らかに『怯』、要するにビビリである。しかし、このときばかりは女の子――それが例え、他の人間には見えない存在ではあっても――が先に飛び出してしまったので、後から慌てて飛び出した。しかし、それより早く男は短銃をしまい、この場を立ち去ってしまった。
「ちょ、ちょっと、君、大丈夫かい!?」
「セオドア、この子怪我してる!右腕と、左足!」
「あ、うん・・・」
女の子は今し方出来たばかりの水たまりの上にへたり込んでいたが、それは二人とも見なかったことにした。
「ふぇ、ふぇ、・・・ふぇええええん!」
相当怖い目にあったらしく(まあ、短銃を突きつけられれば誰でも怖いだろうが)、女の子は激しく泣きじゃくっていた。
「もう大丈夫・・・だと思うから、泣かないで、ね?」
「リネット、君が話しかけても聞こえないのでは・・・」
「あ、そうか・・・」
「ねえ、君、立てるかい?ここにいるとまだ危険かも知れないから、ひとまず安全なところまで移動しよう?ここに来る途中で小川を見つけたから、そこで傷口を洗うといい。さ、手を貸すから」
「うん・・・うん・・・」
女の子はしゃくり上げながら、何度かうなずいたが、まだ体が震えており、しばらくは動けそうになかった。
「うーん・・・こんな時、リネットが直接話しかけられれば、女の子同士落ち着けられるのかも知れないけれど・・・」
「それは無理ね」
リネットは少し悲しそうな顔になって呟いた。
「ごめん・・・。って、あれ?」
「??」
見れば、まだ泣きやんではいないものの、女の子が不思議そうにセオドアを見ていた。
「ひっく、ひっく、・・・あ、あんた、誰と話してるの?」
「あ、いや・・・」
つい無防備にセオドアとリネットは会話を交わしてしまったが、『見えない』人から見れば、相当奇妙に思える行為だ。そして、その奇異の目は当然セオドアにのみ向けられる。
「ねえ、そこに誰かもう一人いるの?」
女の子はセオドアが出てきた藪の方を見ながら言った。
「ああ、いや・・・、ここにいるのは僕だけだ。独り言を言う癖があってね。しかも、会話形式で」
かなり苦しい言い訳をしてみた。
「そうは見えないけど」
言下に否定された。
「ま、まあそれは追々説明するよ。とにかく今は、小川のところに行こう?君、立てるかい?」
「・・・なんか、変なしゃべり方ね。でも、ありがと・・・うん、一人で立てるわ」
とはいえ、まだふるえが完全に治まっていないらしく、立ち上がるときにふらついた。
「あっ、危ない!」
とっさにセオドアが体を支えた。
「あ・・・」
女の子が頬を染めて、セオドアの手を振り払った。相当うぶな娘らしい。対するセオドアの方も、リネット相手になら普通に話せるようにはなったが、女の子に慣れているというわけではない。とっさの行為とはいえ、女の子の体(と、いっても肩を支えただけだが)に触ってしまったことにちょっと戸惑っていた。
「ごめん・・・」
「こっちこそ、ごめんなさい・・・」
二人して照れていても仕方がないので、セオドアは気まずさを紛らわすように、
「行こう、小川はこっちだよ」
と、先導して歩き始めた。
「なーんか、忘れられてる感じがするぅ」
「何を拗ねてるんだい?」
「べっつにぃ、拗ねてなんかいませんよーだ」
(そうは見えんが、突っつくと面倒そうだ)
セオドアはとりあえず無視しようとしたが、
「ねぇ、やっぱり誰かいるの?どこにいるの?あたしにはもう一人の声は聞こえないけど、独り言にしてはやけにはっきりとした会話調になってない?」
「ああ、うん・・・」
セオドアはリネットの方をちらっと窺った。
リネットもどうしていいか分からないようだった。
「うん、よし、こうしよう。君が何者で、何で襲われていたか、襲っていたあいつは誰なのか、教えてくれたら、僕も秘密を話すよ」
襲われていたときのことを思い出したのか、女の子は目を伏せ、また泣き出しそうな顔になった。セオドアは無神経なことを言ってしまったことに気付き、気まずげに視線を宙に漂わせた。
「ねぇ、セオドア、ちょっと・・・」
不意にリネットが声をかけてきた。
「なに?リネット」
「さっき、この娘を襲っていた奴、見覚えがあるんだけど・・・」
「えっ、どこで?」
「確か、セオドアと出会った町で、食堂に入ったとき、店にいた男じゃない?」
「・・・いつの話?」
「憶えてないの?」
「食堂に入ったとき・・・?」
「出会ってからすぐ、食堂に入ったことがあったでしょ?あのときよ」
「ずいぶん前の話だね・・・よく憶えてないよ。というより、何でそんなこと憶えているの?」
「それはその、二人の記念日っていうか・・・」
リネットは小さな声で呟いた。
「え、何だって?よく聞こえないよ」
「つ、つまりね?私、誰からも相手にされなかった頃、ぼーっと道を歩いてる人ばかり観察してたから・・・人の顔を覚えるのが得意になっちゃってるの。だから、一度会っただけの人の顔でも、大体憶えちゃってるんだ」
「そうなのか・・・、だとしても、それがどんな奴か、素性までは分からないのだろう?」
「うん、・・・カード賭博に誘ってきた、柄の悪そうな男だったことしか憶えてない」
「カード賭博・・・、ああ、少し思い出したかも」
こんな会話を交わしている間も、謎の男に襲われていた女の子は、セオドアの後に付いていきながら、不思議そうにセオドアとセオドアが視線を向けている空間をせわしげに見比べていた。
***
「さあ、ここがさっき言っていた小川だよ」
「・・・」
女の子は不安げにセオドアを見上げていた。女の子はせいぜい140cm程度の身長しかなく、セオドアの顔を見るときはどうしても見上げる形になる。
「ちょっとセオドア、ちょっと!」
「なに、リネット?」
「あなたがここにいたら、この娘体を洗えないでしょ!」
「あ」
セオドアは顔を赤くして、あわてて河原の脇にある藪の中に入りながら、
「ごめん、気が付かなくて。体を洗い終わったら声をかけて!」
「・・・うん」
藪の中からセオドアは小声でリネットに話しかけた。
「リネット、リネット!大丈夫だとは思うけど、またあの男に襲われたり、川の流れに捕まったりしないように、あの娘のこと見張っておいて!」
「そうね、OK、分かったわ」
リネットはセオドアのそばを離れ、河原の方に歩いて行った。
しばらくして・・・。
「セオドア、もうこっちに来ても大丈夫よ!」
「・・・あの、体洗い終わりました」
二人の声が聞こえ、セオドアは河原へと移動した。女の子の格好を改めてよく見ると、白いワンピースに革製のサンダルを履いている。とてもじゃないが、こんな山中の森を歩くのに適した格好だとは思えない。実際、ワンピースは森の灌木や木の枝に引っかかったらしく、数カ所かぎ裂きになっているし、サンダルと、サンダルから露出している足も泥だらけの傷だらけだった。
ただ、その格好はともかく、透き通るような美しい金髪をツインテールに結び、色白で、赤い瞳の、どこかに幼さを残している顔立ちは、とても可愛らしいものだとセオドアは思った。
「うん、傷口はよく洗ったね?手持ちの道具では応急手当しかできないけれど、一応、出来る限りの手当てはしておこう」
女の子は少し怯えの混じった、不安そうな表情を向けてきていた。
「あの・・・何でそんなに親切にしてくれるの?っていうか、あんたは誰なの?」
「一つ目の質問の答え。森の中で誰とも知れない怪しい奴に襲われて、怪我までしている女の子がいれば、たいていの人間は親切になると思うがね」
「・・・あたしの方が悪いのかも、って考えないの?」
「咄嗟のことだったし、そこまで考えは回らなかった。それに、もし仮に君が悪いとしても、誰もいない森の中で、短銃を突きつけるのはどう考えてもやりすぎさ」
と言って、セオドアは肩をすくめて見せた。
「二つ目の質問の答え。僕はセオドアって名前の、見た通り何の変哲もない少年だよ」
「何の変哲もない・・・?かなり変わってると思うけど」
リネットが混ぜっ返すように言った。セオドアはその言葉に内心ちょっとむっとしながらも、無視することにした。
「わけあってアンドラ地方のタツオカを目指している途中、街道が落石で通れなくなっていたのだ。それで、森の中の迂回路を行こうとして、その結果道に迷っていたところさ」
「・・・変なしゃべり方」
女の子はまだ、やや不安そうな顔をしたまま小声でそう言った。
「よく言われる。それで、君は?何でそんな格好で森の中に?」
「あたしは・・・、あたしの名前はリズリット。歳は十四。それだけ」
「それだけって?」
女の子は首を横に振りながら続けた。
「それだけしか憶えてないの。今日の朝、森の中の朽ちかけた小屋の中で目を覚まして・・・他には何も思い出せない・・・」
リズリットはまた泣きそうな顔になった。
「じゃあ、その、・・・さっきの男は?」
「目が覚めた後、何も憶えていないことに気が付いて、とりあえず小屋の外に出てみたら・・・突然、さっきの奴が現れて」
「それで?」
「『まだ一匹いやがったか』。そう言ってナイフを取り出して、それをこちらに向けたから・・・怖くなって、逃げ出したの。そうしたら、追いつこうと思えばすぐに追いつけるはずなのに、じわじわと追いつめるように追いかけてきて・・・」
リズリットは涙目、そして涙声になってしまった。
「怖くて、逃げる途中で何度も助けを呼んだけど、森の中だったし、誰も来てくれなくて・・・」
「じゃあ、僕らが聞いたのはそのときの叫び声だったのか。かなり危ないところだったんだな」
「『僕ら』?」
「ああ、いや・・・」
「さっき、秘密を話してくれるっていったよね・・・」
「うん・・・」
リネットの方を窺うと、しょうがないわよ、という表情を浮かべてこちらを見ていた。
「実は・・・信じられないかも知れないが、ここに・・・」
リネットがいるあたりを示しながら、
「ここに、もう一人いるのだ。リネットっていう、僕と同い年の女の子が」
「え!?」
リズリットは驚きの表情を浮かべたが、すぐにちょっと怒りを表しながら、
「悪い冗談はやめてよ!あたしを怖がらせようと思って、幽霊の話するなんて!」
「いや、それが冗談じゃないのだ。そして幽霊の話でもない。よく見ていてご覧。リネット、このハンカチを持ってくれ」
「え、なんで?」
「いや、これは他の人にリネットの存在を示すいい方法なのだ」
セオドアはリネットにハンカチを手渡した。
「え・・・えぇっ!?ハンカチが、消えた・・・?」
「じゃあ、リネット、そのハンカチをこちらへ」
「あっ、ああ・・・ハンカチが・・・出てきた」
「実際には、ハンカチは消えたり現れたりしている訳じゃない。リネットが手にしたものは、他の人には『気にならなく』なる。消えたように見えるだけなのだ」
「セオドア、あんた・・・頭いいわね!そんな方法があるなんて、気が付かなかったわ!でも、それなら・・・」
「うん?」
「町にいるとき、他の人に私の存在を知らせることが出来たんじゃない?」
「いや、それはどうだろう。十分に注意を引いてから見せないと、多分誰にも気付かれない。それに、手品の類だと思われる可能性の方が高い。そして、一人でもこれは手品だ、と言い始めれば、リネットの存在を信じかけていた他の人達も手品だと思うようになるだろう。集団心理とはそういうものだ。そういう状況になったら、例え一人ずつ、丁寧に手品ではないことを説明していっても、リネットの存在を証明することは難しかっただろうね・・・それに、実はこれ、町を出た後に考えついた方法だしね」
リネットの方に向かってしゃべっていると、
「手品?手品なの、ねぇ!」
やはりリズリットも手品の類だと思ったらしい。
「ほら、ね・・・」
「ああ、うん・・・納得したわ」
セオドアは(ほとんど無意識に)リズリットの肩をつかんでこう言った。
「残念ながら、これは手品じゃないのだよ。君の悲鳴に最初に気付いたのもリネットだ。リネットがいなければ、君は今頃死んでいたかも知れない。頼む、リズリット。リネットがここにいるということを信じてくれ。いや、信じてやってくれ!!」
リズリットはセオドアの迫力に気圧されたように体を仰け反らせたが、やがて・・・
「うん・・・分かった。信じるよ。ありがとね、リネット。あたしの声に気付いてくれて」
セオドアは、リズリットが本当にリネットの存在を信じたのか、それとも話を合わせてくれただけなのか、いまいち計りかねていたが、
「ありがとう、リズリット。リネットの存在を信じてくれて。あいつが今、確かにここにいる、ってことを認めてくれて」
とりあえずはリズリットの言葉を額面通りに受け取ることにした。
「ところで、リズリット。君はこれからどうする?いや、どうしたい?」
「え?」
「何も憶えていないとなると、君のことを知っている人を探さないといけない。かといって、一人になるとまたさっきの男に襲われるかも知れない。ひとまずは、最寄りの村か町まで行くしかないと思うが・・・」
セオドアはちょっと申し訳なさそうにリネットの方を見て、
「僕らの目的地、タツオカに行くには遠回りになるが、一旦僕らが付き添って近くの集落をまわった方がいいと思うんだ。君はそれでいいかい?」
「・・・まあ、しょうがないわよね。っていうか、この娘を見捨ててまで先を急ぐのは人としてどうかと思うし」
「ありがとう、リネット。で、リズリットは?君はどうしたい?」
「どうしたい、っていっても・・・選択肢があるように見えて、実は一択だよね、その質問。エスコート、お願いするわ」
リズリットはやや不満そうに口を尖らせながらそう言った。
そのちょっと拗ねたような様子がやたら可愛く見えたので、セオドアとリネットは思わず吹き出してしまった。
「あによぅ・・・」
「いや、ごめん。じゃあ、そうと決まれば、一旦街道まで戻るとするか・・・リネット、ここから一番近い集落は?地図に載っているかい?」
「ええと、・・・テロル。テロルだって。街道を少し戻って、分かれ道を行けば、半日くらいで着くわ」
「なら、今から出発すれば夜までには辿り着けるな。うん、早速出発しよう」
こうして、二人連れは一旦三人連れとなった。思えば、ここから三人の長い付き合いは始まったのだ。
第四章 災厄は静かに訪れる
「その坂を越えたら集落が見えるはずよ」
「うーん、ぎりぎり日が落ちる前につけそうだな。この集落に、リズリットのことを知っている人がいればいいが・・・」
「やっぱり、不思議。二人の会話は、セオドアの一人芝居にしか見えないし。でも、一人芝居にしてもやっぱり変だし。会話の相手のリネットはあたしには見えないし」
「まあ、直に慣れるさ。それに、リネット声を聞いたり、リネットの書いた文字を読んだり出来なくても、僕がリネットの話を聞いて、君に伝えれば間接的に話は出来るだろう。リネットの姿を取り戻すまで、そうやってコミュニケーションを取るしかないね」
「むぅ・・・、リネットがいることは信じるけど、あんたごしの会話しかできないのは不便・・・」
「なあ、さっきから気になっていたのだが」
セオドアが、曖昧な微笑みを浮かべながら言った。
「その、『あんた』って呼び方、どうにかならないのかい?」
「『あんた』って呼び方がが気に入らないの?・・・じゃあ、『テッド』。うん、テッドって呼ぶ」
「『テッド』・・・、まあ、それでいいや。じゃあ、僕も君のことは『リズ』って呼ぶよ」
「うん、わかった」
どこか納得いかないような表情を浮かべながら、それでもちょっと嬉しげな声色でセオドアが『テッド』という呼び方を了承し、リズリットも『リズ』という呼び方に納得した。
すると、すかさずむすっとした調子でリネットが口を挟んだ。
「『テッド』さんに『リズ』ちゃん、お二方ともずいぶんご機嫌じゃない」
「どうしたのだい、リネット?」
少し鼻白みながらセオドアが聞いた。
「私なんて、半年以上も『リネット』なのに、リズリットのことは半日で『リズ』になるんだ。ふーん、ずいぶんと仲良しさんで結構ですわねぇー」
「何だ、そんなことで拗ねているのかい?」
「拗ねてなんかいませんわよーだ。ただ、仲良しさんの二人組の誕生を祝ってるだけですー」
「・・・わかったよ、『リーネ』。これでいい?」
「今更だわね、『テッド』?」
リネットはまだ少し拗ねているようだったが、声色には満更でもない感情が表れていたので、セオドアは内心ほっとした。
「よし、もうすぐ坂の天辺に・・・、何だ、ありゃ?」
テロルとおぼしき集落では、集落中のあちこちの家から、炎と煙が上がっていた。それだけではない、すでに焼け落ちたと思われる家々もあり、今炎の上がっている言えと合わせれば、集落のおよそ三分の一の家屋が火災に遭っていた。
「ちょっと、どういうこと?」
「僕に聞かないでくれ。とにかく、集落まで言ってみよう」
三人は、半ば駆け足になりながら集落へと向かった。
***
「ちょっと済みません、一体何が起こっているのですか?」
集落の入り口から少し離れたところに立っていた、五十がらみと思われる男性にセオドアは声をかけた。
「何だね、あんた方は」
「旅の途中でこの集落に立ち寄った者です。それより、この集落で何が起こっているのです?見たところ、まるで大火事が起こっているように見えますが」
「あんたら旅のモンかい。悪いことは言わん、さっさと立ち去りな。この村は流行病に襲われてな。病人の出た家を焼き払ってるのさ。病死した連中も、片っ端から一カ所にまとめて火葬している最中だ。わしは、この集落に近づこうとする人間を追い払う役目を担っている」
「え、何ですって!?」
「何ですっても何も、今言った通りさ。すでに近隣の集落には使いを出して、ここに近づかないように触れ回ってる。あんたらみたいに偶然通りかかる人間も、集落の入り口にわしみたいな追い払う役目の者を置いて監視している」
「そうなのですか・・・」
三人は絶句したが、立ち去る前にどうしても聞かなければならないことがあった。
「あの、つかぬ事をお伺いしますが」
「何だね?」
「この・・・金髪の女の子に見覚えはありませんか?名前はリズリットというのですが、この集落に住んでいたかも知れないのです」
「あんたらにどんな事情があるのかは知らないが」
男は疲れた顔でこういった。
「わしは生まれも育ちもこのテロルだが、リズリットなんていう名前の女の子は、この村にはおらん。うわさ話でもそんな名前は聞いたことがない。おそらく、この村には縁のない者だろう」
「そうですか・・・、では、引き返すことにします。あと、流行病のこと、お悔やみ申し上げます」
「ああ、早々に立ち去るのがいい。それと、お悔やみはまだ不要だよ。まだまだこれからも、この村では死者が出る・・・」
***
三人とも無言で街道までの道を引き返していた。
「・・・今夜は野宿になるわね」
沈黙を破って、リーネが呟いた。
「ビバーク用の装備は、二人分しかない。仕方がないから、僕が毛布にくるまって寝るよ」
「あたし・・・一体、誰なんだろ」
「気を落とさないで。テロルの集落がだめなら、近隣の集落を片っ端からあたればいい」
「え、でも、テッドとリーネは先を急いでるんでしょ?」
「ああ、でも・・・、引き返したり、極端な回り道をしたりは出来なくても、アンドラのタツオカまで、街道沿いにある集落で君の身元を探ることは出来る。それに、リーネの姿を取り戻すっていう目的が果たせれば、そしてそのとき、まだリズの身元が分かっていなければ、今度はリズの身元を探る旅をすればいい。君が、このまま僕らに同行してくれて、その上でリーネの姿を取り戻す旅の方を優先することを了承してくれれば、だけど」
リズは少し考えた後、
「すぐに身元が分かるかどうかは、分からないし・・・テッドとリーネについてく。途中でお役所や警察に届けとけば、そっちで身元を確認してくれるかも知んないし」
「そうか・・・、ありがとう」
「でも・・・あ、これは単なる御伽噺の話だから、気を悪くしないで欲しいんだけど」
「なんだい?リーネ」
「災厄のそばで記憶のない人が現れる、って・・・『影の一族と光の一族』の御伽噺みたいだな、って」
「ああ、あの御伽噺か・・・」
『影の一族と光の一族』。
それは、いつの頃からか語り継がれてきた有名な御伽噺。『災厄と共に現れ、災厄と共に去る』。それが影の一族。彼らは決して災厄を連れてくるわけではない。災厄の訪れた地に、突然姿を現す。彼らは決まって、記憶を持たない。自分が何者なのか知らない。
そして、その地の災厄が収まる頃、忽然と姿を消してしまう。彼らがなぜ災厄と共に現れ、災厄と共に去るのかは誰も知らない。彼らがどこから現れ、何をなし、どこへ行くのかは誰も知らない。ただ、彼らを災厄の地から追い払い、災厄の早期収束を図る一族がいる。人呼んで『光の一族』。彼らもまた、どこからやって来るのか誰も知らない。ただ、災厄が訪れた地に、『影の一族』の後に現れ、彼らを追い払う。そして、いずこへともなく立ち去ってしまう。
「確かに状況はその御伽噺みたいだけど・・・そんなの現実にはあり得な・・・って、そういえばリーネも御伽噺みたいな状況になっているんだったよな。でも、まさかだろう。仮にリズが影の一族なら、あの怪しい男が光の一族だっていうのかい?」
「確かにあれは、どう見ても悪人だわよね・・・御伽噺に出てくる『光の一族』のイメージにはほど遠かったわ」
「だろう?それに、もしリズが御伽噺に出てくる『影の一族』だったとしても」
「だったとしても?」
「君っていう御伽噺の主人公とすでに密接に関わっているのだ。いまさら、御伽噺の登場人物が一人増えたくらいでは驚かないよ」
「その御伽話では、『影の一族』はどこに消えるの?追い払われるって、どこへ?」
「さあ、そこまでは知らない。というより、この御伽噺のバリエーションはいくつかあるけれど、その部分を語ったバージョンは聞いたことがない」
「じゃあ、あたし、消えちゃうんだ・・・。さっきの人も、あたしを追い払うために、あたしを殺そうとしたんだ」
「だから、これは単なる御伽噺だって。実際に姿を失ったリーネと違って、リズの場合、記憶を失っているというだけで御伽噺と結びつけるのはあまりに突飛な話だろう」
「・・・」
リズリットは黙って、何か考えているようだった。
「ま、一緒に先に進もうっていうことは決まったんだし、早いとこ街道に出ましょ。野営するにしても、こんな細い道より街道沿いの方が安心でしょ」
リネットの言葉で、この話は打ち切られた。
第五章 レボーの町で
「ようやく着いたわね」
リズリットと出会ってから、三人は街道沿いの集落を巡り、リズリットを知っている人を探し続けていた。その結果、三日で着くはずのレボーに至るまで、一週間の時を要した。
この間、リネットの体が透けて見えたことが二度、声が聞き取りづらくなったことが一度あった。このままでは、リネットを見失ってしまうのではないか?不安が、はっきりとした焦りに変わっていることを、セオドアは自覚していた。
「ごめん、あたしのせいだよね」
「べ、別に嫌みじゃないから気にしないで。私たちの方こそ、あなたの身元を探し当てられなくてごめんなさい、って思ってるし」
そんな会話をしながら、レボーの集落に入ったのだが・・・。
「ねえ、なんか村っていうより町って感じのところじゃない?思ってたより人が多いし。テッド、前に産業は農業だけの小さな町って言ってなかった?」
「五年前に聞いた話ではそのはずだったんだが・・・何かあったのかねぇ・・・」
「ん。とりあえず、宿探そ。そこで話聞けばいいじゃん。あたし、おなか空いちゃったし」
「そうだな、リズ。とりあえずは宿探しだな」
三人で町中を歩いてみたが、確かに町には人が多く、活気に満ちていた。大きな市場には商品があふれ、かなり大きな繁華街もあるようだ。飲食店や宿が固まった区画もすぐに見つかった。
「部屋を二つ頼めますか」
ちなみに、リズリットが合流してからは、不自然に思われることなく宿で二部屋頼むことが出来るようになった。リネットは、内心ではほっとしていたが、少し残念に思うところがあることに、自分で驚いてもいた。セオドアの方は、下心がなきにしもあらずだったので、ほっとすると同時に残念がる自分がいることにさして驚きはしなかったが。
「部屋は空いてますが、逗留はいつまでのご予定で?」
「特に決まっていませんが、おそらく三日ほどです」
「なるほど、分かりました。ではこちらにご記帳を」
セオドアは宿帳に名前を書きながら、
「ところで、この町は以前農業が主要産業だったはずですが、ずいぶんと様変わりしたようですね?」
「ああ、四年ほど前に山で新しい鉱物が発見されましてね?それが、軽くて加工しやすい金属の元になるとかで、鉱山開発の絡みで土地成金があふれるわ、大資本が参入してくるわ、鉱夫が押し寄せてくるわ、で町が急におおきくなったんですよ」
「新しい金属・・・、まさか、ボーキサイト?」
「ああ、確かそんな名前だったと思いますよ」
「そうか・・・ボーキサイトはこの町で発見されたのか・・・」
「ねえ、ボーキサイトって何なの?」
「ね、ボーキサイトって何?」
二人に同時に聞かれたが、
「今この人が言った通り、新しい金属だよ。成型加工性の高さと軽さで、重工業の発展に寄与するのではないかと注目されてるんだ。」
「ふーん・・・?」
詳しく説明するのが面倒だったため、二人の疑問をセオドアは軽くいなした。
「ただ、つい二日ほど前、一番大きな坑道で落盤事故がありましてね?死者も大勢でましたが、まだ坑道に閉じこめられてる人がいるらしいんですよ。おまけに、他の坑道でも亀裂が見つかって・・・、大騒ぎになってるんです」
「えっ、閉じこめられた人って・・・どうやって助けるんですか」
「なんでも、すぐ横の坑道から穴を掘って助けようとしているらしいですよ。でも、その穴も崩落するかも知れないんで、救助はなかなか難航しているようです」
「それは、心配ですね・・・」
宿の主人は話し好きらしく、いろいろと話してくれた。
「ああ、そう言えば」
「?」
「つい昨日のことなんですが、町に突如記憶喪失の男が現れましてね。一騒ぎあったんですが、すぐにその人の知り合いだっていう方が現れて、その知り合いの方が家族の元に送り届けるそうですよ」
「えっ、そうなのですか」
セオドアはリズリットの方をちらりと見やり、
「実はこの娘も記憶をなくしているんです。それで、旅の道連れになって、身元を探しているんですよ」
「へぇ、その娘もね・・・。もうお役所や警察には届けたんで?」
「もちろんです。でも、今届けの出ている行方不明者の中には、該当者がいないっていうことでした。もちろん、継続して探してはくれるようですがね」
「御家族、見つかるといいですね」
「ん。ありがと」
リズリットは人見知りする性分らしく、多少おどおどしながら答えた。
「では、お部屋に御案内しますね」
***
ハンスは仏頂面で市場を歩いていた。
隣を歩くジュリアンはそんなハンスを慰めるべく、話し続けていた。
「ハンス、お前さんが『奴ら』をころ・・・いや、狩りたがっている理由は知らん。だが、何度も言うように俺たちの仕事は『狩り』じゃない。『奴ら』を災厄の場から遠ざけることだ」
「・・・」
「このまま狩り続ければ、やがて一線から外されるかも知れん。不満はあるかも知れんが、やり方を変えろ」
「・・・俺は、元々一人でやってきた。一線から外すというなら、また一人に戻るだけだ」
「だが、俺らと一緒になったからこそ、『奴ら』の場所を的確に突き止められるようになったんだろう。一人になったら、効率が悪くなるぞ?」
「・・・ちっ」
ハンスは目に見えて不機嫌になった。もちろん彼は、そんなことは百も承知している。
一人になれば自由に『奴ら』こと『影の一族』を手にかけることが出来る。しかし、彼らが現れる場所、すなわち災厄が起こる場所を予測することが出来ず、災厄のあった地に駆けつけたときには、すでに『光の一族』によって場所を移された後だった、ということがかつてはよくあった。『光の一族』の一員となれば、彼らの操る『魔術』によって災厄を予測でき、『影の一族』を効率よく発見できる。しかし、今度は自由に『奴ら』を狩ることが出来なくなってしまった。実際、このレボーの町に出現した『影の一族』はジュリアンがハンスに先駆けて確保し、組織に引き渡したのだ。ハンスはどうにもならないジレンマといらだちを抱えている。
「・・・?」
そこでハンスは、自分たちの歩く少し先に見知った顔を見つけた。その途端に彼は酷薄な笑みを浮かべると、
「ジュリアン、少し用事が出来た。お前は先に宿へ帰ってくれ」
と言い置き、早足で雑踏の中へ消えていった。
「おい、ハンス!」
後ろから掛けられるジュリアンの叫び声を無視して。
***
リズリットは焦っていた。三人で宿を出て、今後の旅に備えた買い出しを行うために商店と市場を回っていたのだが、市場の人混みの中、二人とはぐれてしまったのだ。周囲に視線を配り、人とぶつかっては謝りながら、それでも早足で市場を歩いていく。と、そんなとき、不意に後ろから肩をつかまれた。
「セオドア?」
ぱっと笑顔を浮かべ、後ろを振り返り――そして、表情が凍り付いた。そして、がたがたとふるえ始め・・・みるみるうちに目には涙がたまり、表情は『恐怖』へと変わっていく。震える足を温かい液体が伝って、地面に水たまりを作ったが、リズリットにとってそんなことはどうでもよいことだった。
「よう、お嬢ちゃん、久しぶり。ちょっと邪魔の入らないところで、二人きりでお話ししようじゃないか」
「あ、あ・・・」
リズリットはほとんど、引きずられるようにして路地裏に連れて行かれた。
そして、先が行き止まりとなっている路地裏で、
「さて、と・・・早速で悪いが、この間の続きと行こうじゃないか」
「!!」
リズリットとハンスは向かい合っていた。そして、ハンスはおもむろに懐から短剣を抜き、リズリットに突きつけた。
「あいにくと、こんな場所で短銃を使えば人が集まって来ちまうからな。ちょっと痛くて苦しいかも知れんが、短剣でしとめさせてもらうぜ」
「ハンス!おいハンス、やめろ!」
間一髪のところで、ハンスの後ろから声が掛けられた。
「ちっ、ジュリアンか」
「短剣を下ろすんだ、ハンス。その娘は違うだろ!」
「ジュリアン、お前の目は節穴か?こいつも・・・」
「分かってるよ、『闇の一族』なんだろ?」
「それが分かってるのに、俺を止める理由が分からんね」
「その娘はこの町の災厄には関係ない!仮に関係あったとしても、この町から出て行ってもらえば済む話だ。さあ、その短剣を下ろすんだ」
「・・・分かったよ、ジュリアン。ならお前の好きなようにしろ」
ハンスは、短剣を懐にしまうと、ふて腐れてその場を立ち去った。
「お嬢ちゃん、大丈夫かい?ああ、あんまり大丈夫じゃないみたいだな・・・」
ジュリアンはがたがたと震え、ガン泣きしているリズリットを見て、ため息を吐いた。
「嬢ちゃん、名前は?」
「うっく、ひっく・・・リ、リズリット・・・」
泣きながらも、リズリットは何とか答えた。
「ちょっと、落ち着ける場所に行こうか・・・いや、俺には嬢ちゃんを傷つける意志はないよ。信じられないかも知れないが・・・」
しゃくり上げながら、リズリットはコクコクとうなずいた。
「ん。信じる。ひっく・・・おじさん、助けてくれたもん・・・」
ジュリアンはほっと息をつくと、
「じゃあ、ほら、こっちに・・・表に出よう」
と、リズリットを伴って表通りに出て行った。
「リズ!」
「やっと見つけたぁ!」
と、そこへリズリットを探していたセオドアとリネットが現れ、
「ん?あなたはどちら様ですか?」
「うわー、見るからに怪しい人ね・・・」
リネットが失礼なことを言っていた。
「俺の名前はジュリアンという。君はこの娘――リズリットの連れかい?」
「ええ、そうです」
「では、一緒に来てくれ。ちょっと話がある。君にも関係のある話だ」
***
三人(+一人)は、軽食の摂れる喫茶店に席を取った。
ジュリアンがコーヒーをすすりながら話を始める。
「さて、君たちはこの娘についてどこまで知っている?」
「どこまで、とおっしゃいますと?」
「この娘について知っていることを話してくれ」
「・・・申し訳ありませんが、初対面の方に詳しい事情をお話しするのは、ちょと」
「ふむ、もっともだ。君の言うことはもっともだが、実は、俺はこの娘と――というより、この娘の一族とは昔なじみでね」
「えっ、リズリットのことを御存じなのですか?」
「いや、その娘のことを直接知っているわけではない。その娘の一族を知っているだけだ」
「一族?」
「ああ、一族だ。御伽噺で聞いたことがあるだろう、『影の一族』という名を」
「えっ・・・でも、あれはただの御伽噺でしょう?そんな冗談を言うために、わざわざ・・・」
「いや、冗談を言うつもりはない。あれは御伽噺ではなく、伝承だ。御伽噺として知られているが、真実を伝えているんだ」
「そんな話、俄には信じられませんよ。御伽噺が真実を伝える伝承だ、なんて話は」
「ふむ・・・」
ジュリアンはおもむろにマッチを取り出すと、リズリットに向かって言った。
「嬢ちゃん、このマッチの頭に意識を集中してご覧。マッチに火がつくところをイメージするんだ」
「え。・・・ん、分かった」
リズリットが言われた通り、マッチの頭に意識を集中する。と・・・
「「えっ!」」
セオドアとリネットが同時に驚きの声を挙げた。
なんとなれば、リズリットが意識を集中させるとすぐ、マッチに火がついたのである。これには、意識を集中させていたリズリットも驚いた。ただ一人、ジュリアンだけはさも当然のようにマッチの火を吹き消し、燃え殻を目の前の灰皿に投げ入れていた。
「見ただろう、これが『影の一族』の力だ。少しは俺の話を信じる気になったか?」
「・・・これが、手品でないという保証は?」
「お前さん方の持っているマッチで同じことを試してみるといい。俺のいないところで同じことが起きれば、信じざるを得ないだろう」
「・・・分かりました。ひとまず信じましょう。それで、リズリットが『影の一族』ということは、同じ御伽噺に出てきた『光の一族』も存在するのですか?」
「ああ、存在する。俺が、いや俺たちが『光の一族』だ」
「うっそだー、こんな悪人面の人がぁ?」
相変わらずリネットは失礼な感想を漏らすが、セオドアはそれを無視して、
「では、『影の一族』を追い払うと?追い払うというのは、具体的にはどうやってですか」
ジュリアンは肩をすくめて、
「なに、難しい話じゃない。彼らは必ず記憶を失って現れる。だから、小さな嘘を吐くのさ。あんたの家族が他の土地で待ってるってな」
「それで連れ出して、人知れず始末すると・・・」
ジュリアンはかぶりを振った。
「いや、違う。俺たちは『影の一族』を殺したりはしない。家族の一員を失った家庭に、彼らを送り込むのさ。記憶を失ってはいるが、お前はこの家庭の一員だと『影の一族』に吹き込んでな。その家庭全員の記憶もいじる。失った家族が、連れてこられた『影の一族』だと思い込ませるんだ。『影の一族』は縁故者を見つけて暮らすことが出来、その家庭では失った家族が帰ってきた、と喜ばれる。もちろん、以前からその家庭のことを知っている他人が見ても、不自然に思われないような細工も施す」
「記憶をいじる?不自然に思わせない?そんなこと、不可能に思えるのですが」
「可能だ。俺たち『光の一族』は『魔術』を使える」
「『魔術』?」
セオドアは、これまで散々不思議な、信じられない現象に遭遇しているにもかかわらず、少しバカにしたような調子で聞き返した。ジュリアンはそんなことは意に介さず、
「ああ、『魔術』だ。『魔術』を使えば、例えばこんなものも作れる」
ジュリアンはまた懐から何かを取り出した。それは三次元的に針を動かせる羅針盤のように見えた。
「・・・羅針盤?」
「そうだ。だが、この羅針盤が指すのは北と南の方角じゃない。一番近くにいる『影の一族』だ」
・・・確かに、羅針盤の針はリズリットの方を指していた。
「あなたは、先程から簡単には信じられない話ばかりしますね。いっぱいかつごうとしているように思えます」
「まあ、仕方がない。『影の一族』も『光の一族』も、そして『魔術』も、今じゃ御伽噺か迷信の類だからな」
「まあ、あなたは今、リズが『影の一族』であることを・・・少なくとも、リズが何か不思議な力を使えることを一応証明して見せた。・・・いいでしょう、話を続けるために、『魔術』の存在を仮に肯定しましょう。しかし、その羅針盤だけで『影の一族』を探し当てるのは無理ではありませんか?」
「ふん・・・」
ジュリアンは鼻を鳴らし、
「『光の一族』は『魔術』で、『影の一族』が現れる場所、つまりこれから災厄の起きる土地を予見することが出来る。その場所に行き、羅針盤を使えば大体の見当がつけられるのさ。それに、『影の一族』には見た目の特徴もある。必ず、透き通るような白い肌とブロンドの髪、そして赤い瞳をしている。その嬢ちゃんのようにな」
「ん・・・」
リズリットは少し居心地が悪そうに、居住まいを正した。
「ふう・・・」
セオドアは一息吐くと、
「先程あなたは『光の一族』は『影の一族』を殺害しないとおっしゃいましたね。では、リズを二度にわたって殺そうとしたあの男は、『光の一族』ではないと?リズの話では、あなたと知り合いのようでしたが?」
「・・・いや、あいつも『光の一族』の一員だ。しかし、あいつは・・・ハンスは、なぜだか『影の一族を』狩ってしまう。殺してしまうんだ」
「今の口ぶりだと、あなたも彼の行動の理由を知らないのですか?」
「ああ。『影の一族』は死ぬときに、薄紫色の透明な結晶と“武具”を遺す。まさか、それをコレクションしているわけでもないだろうが・・・」
「あなたのおっしゃることは、一応信じます。しかし、わざわざここに我々を連れてきた理由は何ですか?まさか、今の話を聞かせるために?」
「いや、違う。前置きが随分と長くなっちまったが、俺の言いたいことは二つだ。まず、一つ目は、早いところこの町を出て行って欲しいと言うことだ。嬢ちゃんがこの町の災厄に応じて出てきた訳じゃないことは分かってる。しかし、災厄の起きた町に『影の一族』が留まることは『光の一族』としては看過できない。『影の一族』を追い払うことで災厄が早く収まると言われているんだ。だから、俺たち『光の一族』が動いて『影の一族』を移動させている。二つ目は、俺の仲間、ハンスが迷惑を・・・、そこの嬢ちゃんに怖い思いをさせてしまって、済まなかった。それを謝りたかったんだ」
「お話は分かりました。私の方からも聞きたいことが一つ・・・いや、二つ。まず、『影の一族』はどこからやってくるのですか?そして、『光の一族』とは一体何者の集団なんです?『影の一族』と同じように超常の存在なのですか?」
「『影の一族』がどこから来るのかは俺たちも知らん。“上”は知っているのかも知れんが・・・。そして、俺たち『光の一族』は普通の人間だよ。俺やハンスみたいに社会からあぶれちまったものを集めて実行部隊にしてるんだ。組織の上の方は代々『魔術』を継承している一族で構成されているらしいが、詳しいことは知らん。というより、知らされてないんだ。まあ、それでも、“上”を含めて、『光の一族』の構成員がただの人間であることは間違いない」
「そうですか・・・、済みません、もう一つだけ」
「ん?」
「なぜ、リズを他の『影の一族』のように、どこかの家庭に入れようとしないのですか?」
「・・・この嬢ちゃんは、イレギュラーなんだよ。なぜだか分からないが、この娘が現れた土地には災厄は起きていない。しかし、『影の一族』は現れた。嬢ちゃんを含めて二人もな。災厄の起きた地に現れる『影の一族』は通常一人だ。これまで、一度の例外もなかった。少なくとも、俺が『光の一族』に加わってからはな。“上”から下りてきた情報も指示も、もう一人の『影の一族』についてのものだけだったよ。この町へ移動する途中、ハンスが嬢ちゃんのことを偶然見つけちまったんだ。」
ハンスは一息吐き、
「なんなら、俺が一時預かって上層部への報告と事後処理をやってもいいが・・・」
そう言ってセオドアの方を窺った。
「なるほど。確かに私がそんなこと了承しませんね」
セオドアはまだジュリアンのことを疑っていた。ここまで饒舌に事情を話すのには、何らかの裏があるのではないか――詐欺、ペテンの類なのではないか、と。語られた話の内容も、セオドアにはすぐには了解しがたいものだった。
「とりあえず、お話は分かりました。予定を切り上げて、明日にはこの町を出て行きます」
セオドアはそう言って、この場をお開きにした。
「ああ、そうしてくれ」
ジュリアンは席を立ち、セオドア達もこれに倣った。
***
「ねぇ、さっきの話、信じてる?」
「正直、どこまで本当か疑わしいね。今のところ、話の裏付けも取れない。今の時点で唯一検証できるのが、リズの不思議な力だ」
そう言って、セオドアは野営用のオイルライターを取り出した。
「リズ、このライターに火をつけてみてくれ」
「ん、わかった」
即座に、ライターに火がついた。セオドアとリネットは、驚きを隠せなかった。
「手品じゃなかったんだ・・・」
「・・・他のことも出来るんだろうか。火をつけられる、ということは温度操作?水を凍らせられる、とか・・・?」
セオドアはぶつぶつと呟いた。
「なんかね、さっきより楽につけられた気がする。も一回、やってみたい」
セオドアは無言でライターをリズリットの方に差し出した。すると、またもやライターに火がついた。
「・・・リズが不思議な力を使えるのはホントみたいね」
「ああ。だが、魔術のくだりは、何の確証もない。『羅針盤』といっていたあの器具も、何か仕掛けがあったのかも知れない。『光の一族』の話も、信じるに足る客観的な証拠が何もない」
「で、どうするの?そんな信用ならない人との約束通り、明日この町を出て行くの?」
「別にあの人との約束がどうとかいうことではなく、今日中に町を出ようと思う」
「えっ?どういうこと?」
「この町には、リズを襲ったハンスという男がいる。なるべく早く立ち去った方がいい。ジュリアンという男から情報が流れた場合も考えて、約束した出発の日時から、さらに出発を早める。再び襲ってくるチャンスを与えず、一刻も早くこの町から出て行く」
「わかったわ、それがいいわね」
「ごめんね、あたしのせいで・・・」
「『ごめん』は無しだよ、リズ。こう言うときには『ありがとう』だ」
「ん・・・ありがと、あたしのために」
セオドアはニヤリと笑った。いや、本人はニコリとしたつもりなのだが・・・
「テッド、あなたも結構な悪人顔ね」
リネットが素直な感想を漏らした。
第六章 タツオカへの道中
「ねぇ、タツオカまではどの位かかるの?」
「馬車なら一日ほどだが、徒歩ではゆっくり歩いて三、四日、急いで一日半というところだな」
「まあ、ここまで来たらそんなに急ぐ必要もないか・・・。ね、今はちゃんと私のこと見えてる?声聞こえてる?」
「うん、この三日ほどは安定しているみたいだ。姿を見失ったり、声が聞こえなくなったりはしていない」
「何の話してるの?」
「たまに、リーネの姿を見失うことがある、っていう話は前にしたよね?僕が完全にリーネの姿を見ることが出来なくなる前に、リーネを元に戻す方法を見つけなければいけないのだよ。だから、タツオカに急いで行くべきか、今までのペースで無理せず歩くべきかを話していたんだ」
「ふーん。でも、リーネと直接おしゃべりできないのは不便だよね。あたしもリーネと話してみたいのに・・・」
「それは私も思ってたわ。こっちはリズの声が聞こえるのに、こちらから話しかけることが出来ないのはさみしい、って」
「それなのだけどね、ちょっと思いついたことがあるんだ」
セオドアは紙で出来たコップを二つ取り出した。コップは糸で底をつないである。
「・・・糸電話?」
「ああ、糸電話だ。前に筆談を試したときは、リーネの書いた文字をリズが認識できなくてだめだった。リーネの言葉を僕が紙に書き留めたり、声でリズに伝えたり、という方法は非常にまどろっこしい上に、リーネの言いたいことがちょっと違ったニュアンスで伝わるおそれがある。で、考えたんだが、音は空気の振動で伝わるだろう?リーネがしゃべった声、つまりリーネののどが震えた音、その振動をリズは感じ取れない。なら、一旦リーネの声で糸をふるわせて、その糸が伝えた振動を再び空気の振動にしたらどうかと」
「うーん、どうだろう。とりあえず、試してみるしかないんじゃない?」
「ん、分かった。ちょっと試してみる」
「ふむ、二人とも同意してくれたし、実験を始めよう」
セオドアは二人に紙コップを渡した。
「あれ?あれれ?」
「どうした、リズ」
「もう一つの紙コップが消えた・・・でも、糸をたどってみると、ちらちら見えたり、見えなくなったり・・・」
「・・・ひょっとして、紙コップを持っているリーネの手が見えたりしないか?」
「ううん、それは見えない。私にも、リーネのことが見えたらいいのに・・・」
「・・・まあ、その方法はまた考えよう。少し考えている方法もあるしね」
「じゃあ、とりあえず試してみるわね。・・・あー、あー、聞こえますか?本日は晴天なり、本日は晴天なり」
「んー、ん・・・。あっ!ほんの少し、聞こえるかも!」
「ほんと!?」
「リーネ、声を出し続けて!」
セオドアが言うと、リーネは『本日は晴天なり』を繰り返した。
「じ・・・は・・・な・・・、やっぱりはっきりと聞こえない・・・、周りの雑音より音が小さいし、静かなときも微かにしか聞き取れない・・・」
「やっぱ、出来ないのかな、リズと直接お話しすることは・・・」
「いや、ほんの少しでも聞こえたというのは大きな収穫だよ!本物の電話を通したり、あるいは電信を試してみたりすれば、コミュニケーションが取れるかも・・・」
「そうね、あきらめるにはまだ早いわね。もっと他の方法も試してみましょ」
「でも、電話や電信は使えるの?そんなの使うのって、高いお金がかからない?」
前向きなリネットと、少し後ろ向きなリズリットと、反応が分かれた。そんな二人にセオドアは言った。
「多分大丈夫だと思うよ?電話も電信も、原理は知っている。適当な材料があれば、自分で作れるかも知れない」
「セオドア、前から思ってたけど、あんた一体何者なの?変なこといっぱい知ってるわよね?」
「・・・僕が何者かは、今は置いておこう。今は、リーネとリズが直接話せる方法を考えることが大事だよ」
「もしかして、あたしの力使えたりしないかな。あの、不思議な力・・・」
「試してみたいが、リズの力はまだよく分かってない。今のところ、マッチやライターに火をつける力がある、ってことしか分からない。リズがリーネのいる方向に意識を集中した途端、リーネに火がついたりしたら、大変だからね。今は、試さない方がいいだろう」
「ん・・・」
「私も、焼死したくはないわね・・・」
「じゃあ、改めてタツオカへの道を急ごうか。多分今夜は野営になると思うけど、二人は大丈夫?」
「近くに水場があれば、平気よ。・・・体洗ってるところ覗いたら、殺すけど」
リネットは半眼でセオドアを睨んだ。
「おっかないなぁ・・・」
「ん、あたしはだいじょぶ。水場があるところなら。水浴中、覗かないでね?」
リズリットの方は、ちょっと不安げに上目遣いで見てきた。
「そこまで二人からの信用がないとは、ちょっとショックだ」
がっくりと肩を落とすセオドアを見て、リネットとリズリットは吹き出した。
「あはは、冗談よ。そんなに落ち込むこと無いじゃない」
「ん、ほんとは信用してるから。だいじょぶ」
そんなこんなで、タツオカへの旅は始まったのである。
***
「この村も、ダメか・・・」
「リズ、落ち込まないでね。あの人・・・ジュリアンって言ったっけ?あの人の言うことが本当だと決まった訳じゃないから。リズの家族が見つかる可能性はあるんだし」
セオドアが書き留めたリネットの言葉を読んで、リズが答えた。
「ん、だいじょぶ。きっとあたしのこと知ってる人がどこかにいるって、信じてるから」
結局、ジュリアンの言葉を完全に信用できなかった三人は、タツオカへの道中でも、沿道の集落でリズリットの身元探しをしていた。旅程への影響は避けられないが、今やリズリットの身元探しも旅の重要な目的の一つになっているのだ。
と、そこへ・・・
「・・・ウチダ?おまえ、ウチダか?」
浅黒い肌の少年が近づいてきた。年の頃は、三人とそう大して違わない、十代半ばだと思われる。それほど良い身なりとは言えないが、それよりもやせ細った体躯の方に目がいく。
「久しぶりじゃないか、ウチダ!ヴィシー大学の予科生だった頃以来か?懐かしいなぁ!」
「・・・人違いではありませんか?」
「そんな訳無い、よく見ろよ、ジャンだ、ジャン・ウーだよ!何か、人捜ししている旅人がいるってんで様子を見に来たんだが、こんなところで会えるとはなあ・・・」
ジャンと名乗った男は、セオドアの手を取ってぶんぶん振り回した。
「あ、その左手の布・・・や、悪い。昔からの悪い癖だよな、これ」
「もし私があなたの言うウチダだったとしても、残念ながら旧交を温める時間的な余裕がありません。なるべく早く、この村を発たなければならないのですから」
「タツオカへ!?」
ジャンは驚いた顔をした。
「だってお前、あの辺りは秋津皇国とヴィシー共和国から流れてきた難民で溢れてるんだぜ?難民同士のいがみ合い、内ゲバ、元々の住民との諍いで大変だって言うじゃないか!それに、もしお前をよく思ってない連中と鉢合わせしたら・・・」
「いや、心配はありがたいですがね。もし私がウチダだとしたら、過去への決別を果たすためにも、なおさら一度難民の溢れる町へ行くべきだと考えるわけさ。・・・なあ、ジャノ、この話題はもうよさないか?」
ちらりとリズリット、そしてリネットの方へ視線を向けてからセオドアはジャンと名乗った男に向かって言った。
「ああ、ああ・・・そうか、君にもいろいろ事情があるんだな。俺も、この町にやってくるまで・・・いや、やってきた後も、いろいろあったんだ。これ以上はとやかく言わないよ。まあいずれにせよ、体にだけは気をつけて、頑張れよ」
「ありがとう、ジャノ。いずれ・・・」
「ん?」
「“ウチダ”という男が訪ねてくるかも知れない。その男は、身元を偽ったりしないはずだ。そのときは、大いに旧交を温めてくれ。頼む」
「うん・・・うん、分かった。そのときまで、またな。お互い、生き抜こうな・・・」
「・・・ああ。またな、ジャノ」
***
ジャンと別れ、集落から街道まで戻る道中、三人は無言だった。ようやく集落からの道が街道に合流しようというところで、重い沈黙を破ってリネットが口を開いた。
「テッド、あなたってヴィシーの人だったの?」
「いや、違う・・・こともないが、さっきの話は忘れてくれないか?いずれ、話すこともあるだろう・・・」
「いずれって、いつ?多分デリケートな話題だと思うから、踏み込んで良いのか迷うけど・・・、でも、お互いの出自を話せるくらいには、話してもらえる位には、関わっちゃったと思うんだよね。このまま、この話題がタブーになったまま、この先一緒に旅を続けるのは難しいと思うんだよね・・・。“いずれ”って言うのは、今が最良のタイミングじゃないの?」
セオドアは、リネットのセリフに鼻白んだが、やがてふっと一息吐くと、静かに話し始めた。
「そうだな、リーネ。その通りかも知れない。今話さなければ、話すタイミングを永遠に失ってしまうかも知れない。だから、今話すよ。長い上にさして面白くもない話だけど、聞いてくれるかい?もちろん、リズも」
「ん、聞く。今のテッドの話で、リーネとテッドが何話してたのか大体分かった。あたしも、聞いて良いのか考えてた。でも、勝手かも知んないけど、聞きたい」
「分かった。じゃあ、話すよ」
第七章 セオドアの過去 ボーイ・ミーツ・ガール三度
セオドアの話は、概ね次のようなものだった。
セオドアは元々、ヴィシー共和国に住む秋津人だった。父が秋津人、母がホルシュタイン人であったため、外見はホルシュタイン人の特徴を備えていたが、国籍の上でも、そして自分の意識の中でも、自分は秋津人であると考えていた。兄弟は、上に兄が一人、下に弟が一人いる五人家族で、家庭は決して裕福ではなかった。しかし、セオドアは勉強の才能に恵まれていたため、奨学生としてヴィシー大学の予科生となることが出来た。そのときに師事した先生のおかげで勉学は著しく進み、予科生で、しかも十二才という幼さでありながら、本科生や院生にも引けを取らないくらいの知識を身につけることが出来たのだった。
しかし、そのころ、関係が悪化していたヴィシー共和国と秋津皇国の間で戦争が起こった。秋津皇国からの移民により、ヴィシー共和国内の労働人口が供給過剰になったために、ヴィシー共和国の失業率が上がり、貧困層が増加したこと、そしてそのことによりヴィシー人が秋津人に反感を持つようになったことが遠因にある。しかし、直接的な原因は他にあった。発端は、両国間で領有権を主張しあっていた地方で大規模な暴動が発生したことだった。この暴動を鎮圧するという名目で、ヴィシー共和国軍が同地域に侵攻を開始、もともとこの地方に常駐していて治安の維持・回復に努めていた秋津皇国軍を駆逐したのだ。これが、戦争の引き金を引いてしまった。
最初は同地域を奪還するために派遣された秋津皇国軍とヴィシー共和国軍の小競り合いだったのが、やがて、なし崩し的に、宣戦布告もなく全面的な戦争へと移行したのだ。
たちまちのうちに、ヴィシー国内に住む秋津人の立場は悪化していった。とくに、セオドアはヴィシー大学の構内で“ヴィシーに大義無し”の演説をぶったために、学校内での立場がなくなっていった。ほんのわずかな友人、例えば先程会ったジャンなどを除いて、周り全てが敵になったのだ。
やがて、建前上は対立を緩和し、秋津人を保護するという名目で――本音は敵国人を野放しに出来ないとの理由で、秋津人の隔離政策が始まった。秋津人はヴィシー国内に設けられた収容所に次々と移送され、左腕に収容所名と管理番号が入れ墨されていった。
収容が一段落したところで、ヴィシーへの忠誠を示すための義勇軍が秋津人で編成されることになった。義勇軍に志願すれば、収容所に遺された家族に優遇措置が取られるという好餌につられ、セオドアの父は義勇軍への参加を決めた。以後、父からの連絡はない。消息がぷっつりと途絶えてしまった。
やがて、戦争は両国が押しつ押されつ、アコーディオンのように敵国内に攻め入っては押し返されて自国内が戦場になり、そしてまた敵国内に・・・という状況に陥った。
セオドアとその家族が収容されていた施設は、秋津軍がヴィシー国内に攻め入ったときに開放され、収容されていた秋津人は全員秋津皇国内に移送された。しかし・・・、秋津国内は、ヴィシーに長年住んでいた人間は、例え同胞でも信用ならない、という風潮に支配されていた。その空気の中、ヴィシーから救出した秋津人を一時的に収容する、という建前の施設に、セオドアの家族は軟禁されていた。セオドアの兄は、秋津への忠誠を示すための義勇軍に徴兵され、戦場へと送られた。父はヴィシー共和国軍、その長兄は秋津皇国軍に別れて、戦場で対峙することになってしまったのである。
そして、またヴィシー軍が秋津領内に攻め込んできたときに、セオドアのいた一時収容施設のあった町も戦場になった。そのどさくさに紛れて母と子供二人は逃げだし、ここホルシュタイン公国に難民として入国したのである。
難民キャンプでの生活は、もちろん辛酸をなめるものであった。母と幼い弟を塗炭の苦しみから救うため、セオドアは一人難民キャンプを脱走した。そして名を“セオドア”と変え、外見がホルシュタイン人とほとんど変わらないことを利用して、この国の中で割の良い仕事を探していたのだ。
そして・・・リネットと出会った。セオドアがあのとき受けた“天啓”とは、即ち――小さくは、旅の終着点として難民キャンプに戻り、今度は母と弟を連れてキャンプを抜け出すこと。そして消息不明の父と兄を捜すこと。大きくは、キャンプ内の諍いを鎮め、ヴィシー人の難民キャンプとも和解し、戦後の両国民の和解と、祖国――秋津皇国の復興を助ける礎石を作ること――それが自分に課せられた使命であると、そういう内容のものであった。
「全てを白状すればね、」
セオドアは言葉を続けた。
「リーネの身の上に起こった不思議なことも、リズの不思議な力も、自分の目的のために役立つのじゃないかと思ったのさ。もしこの話を聞いて、僕を軽蔑し、信用ならない奴だと思って僕と袂を分かつのなら、それは仕方がないことだと思う」
話を聞き終えたリネットとリズリットは呆然とし、言葉を失っていた。
やがて、リズがおずおずと訪ねた。
「・・・テッド、秋津人なの?」
「ああ」
セオドアが簡潔に答える。
「・・・私も、テッドに謝らなきゃ」
リーネも口を開いた。
「私と出会った後、テッド、簡単に仕事を辞めちゃうし、はっきり言ってビビリだし、もっといい加減な人だと思ってた。でも、私が育った環境とは比べものにならない、壮絶な人生を送ってきていたのね・・・」
「やめてくれ、僕は謝られるような人間じゃない。むしろ君たちを利用しようとして・・・」
「私だって一緒。私の都合で、私の問題を解決するためにテッドに一緒に来てもらってるんだもん」
「あたしは」
リズも話し始めた。
「特に理由もないのに、テッドに・・・ううん、テッドとリーネに良くしてもらってた。一緒に家族まで探してくれたし。テッドのことは信用してる」
「リーネ・・・、リズ・・・」
セオドアは鼻をすすった。続いて、目尻に溜まった涙を悟られまいと顔を背けたが、それは無駄な行動だった。
「一つだけ聞かせて」
リーネが努めて明るい口調で言った。
「テッド、本当の名前はなんて言うの?」
「シノオ。ウチダ・シノオ。それが僕の本名だ」
「これからは、シノオって呼んだ方が良い?」
リズが聞いた。
「いや、君たちと出会ったとき、僕は“セオドア”だった。これからも、呼び方はテッドで良いよ」
「分かったわ、テッド」
「ん、これからもテッドって呼ぶ」
「ありがとう、リーネ、リズ」
こうして、一人の少年と二人の少女は、今正しく出会ったのである。
第八章 タツオカ
「うっわ、思った以上に秋津人とヴィシー人が多いのね」
「まあ、難民キャンプが近いからね。脱走者が結構いるのさ。とっつかまえて送り返そうにも、キャンプ自体が人で溢れかえっている。もう収容できる容量を超えてしまっているんだ。だから、みんな見て見ぬ振りを決め込んでいる」
「テッド、これからどうするの?リーネのこと、どこで調べるの?」
「順当に考えるなら、どこかの図書館で郷土史を調べるところだが・・・、それだと時間がかかりすぎる。この町で地方の伝承に詳しい人を探しつつ、空いた時間で図書館の郷土史を調べるという方針で行こう」
「タツオカ城には行かないの?」
「あそこは今、観光用に解放されている区画と、立ち入り禁止の区画に分かれている。実際行ってみるのは良い考えだけど、得るものがあるかどうかは分からない。調査の合間に行ってみることにしよう。あと・・・たしか、今のタツオカ城は二百年くらい前に建てかえられたものだったはずだ。御伽噺の成立年代は十一世紀以降だから、元のタツオカ城跡を調べた方が良いかも知れない」
「そっか、了解」
「うん、それが良いわね」
リズリットとリネットが相次いでセオドアの調査方針に賛意を表した。
「で、具体的にはどうやって郷土史に詳しい人を見つけるの?」
「そうだな、どこかの酒場で飲んでいる歳のいった人に聞く、というのも手だが、年齢的に酒場には入れんし、運良く目的の伝承に詳しい人に出くわす可能性も低い。ここは一つ、役場に行って、郷土の歴史について展示している施設があるかどうかを聞こう。この規模の町なら、そう言う研究や教育に使われる施設があってもおかしくはない。そこで働いている人ならある程度伝承には詳しいだろうし、あるいは他に、郷土史に詳しい人を紹介してくれるかも知れない」
「なんか、ふつーね・・・」
「奇を衒って変なことをしても仕方ない。何でも、正攻法が一番有効な手段だよ」
「ま、それもそうね。それじゃ、役場に行きましょうか」
***
「はあ、御伽噺の元となった歴史、ですか」
「はい、この御伽噺には元となった伝承があったはずですが・・・、御伽噺か、伝承か、そのどちらかに明るい方を御存知ありませんか?」
「それでしたら、詳しい方をご紹介できます。あと、図書館にも参考資料があったはずですので、御希望でしたらその目録をお渡しできますが?」
「是非お願いします」
「それでは、こちらでお手続きをお願いできますか?」
タツオカの役場で聞いたところ、アンドラ地方の中心都市だけあって、博物館や美術館など、資料の収集・保存・研究・教育を行う施設はかなり充実しているとのことだった。その一つに、郷土史料館という場所があり、まさしくセオドアたちが求めるタツオカの歴史についての史料を収集・保存し、可能な限り展示を行う施設であるとのことだった。そこの学芸員に聞けば、おそらく求めている話が聞けるだろう、と役場の係員は親切にも付け加えてくれた。
そして、その言葉通りに求める情報があっさりと手に入った。学芸員から直接話が聞けず、紹介という形になったのは少々面倒ではあったが、ひとまずの目的は達成できた。タツオカはかなりの規模の都市で、郷土史料館から図書館まではさして距離がないものの、語り部の住む住宅街まで歩いて行くとなると、それなりの時間がかかってしまう。そのため、郷土史料館で図書館と語り部の住居、その両方の簡単な地図を書いてもらい、一晩宿で過ごしてから改めて調査を開始することになった。
そして、一晩が明け・・・
「さてと、それじゃあ行きましょうか」
「まず、紹介してもらった語り部のところに行くということでいいかい?」
「ん、あたしはそれでいい」
「私もそれでいいわ」
郷土史料館では伝承の語り部を紹介してもらえた。その語り部は、単に伝承や御伽噺に詳しいだけでなく、この地方の歴史にも通じているらしい。学芸員の話では、例の“見えなくなったお姫様”の御伽噺について聞くならこの人が最適だ、とのことだった。
「語り部の人から、何か有益な情報を得られると良いがな」
「きっと、だいじょぶ。そんな気がする」
「気がするって・・・、まあ、リズには、まだ僕達にはよく分かってない力があるし、その勘を信じさせてもらうよ」
そんなことを話しながら、三人は語り部が住むという住宅街へ到着した。
「なんか、武器を持った人たちあちこちにが屯してない?」
「ああ、自警団だよ。中心街の治安が悪化したせいで、警察はそちらの警備に全力を注がなくてはならなくなった。だから、住宅街の警備に人員を割けない。しかたがないから、住民に権限の一部を渡して自警団を結成させているんだ」
「そうなんだ・・・」
もちろん、難民といっても、元は普通の市民であり、犯罪者集団では決してない。しかし、異国の人間が大量に流入してきたために、住民との諍いが自然と起こった。また、難民も職にありつくことを希望していたが、彼らに割り振る仕事が急に増えるわけもない。結果として、仕事にあぶれた難民、もしくは難民の安い労働力により仕事を失った住民が少なからず発生することになった。こうして彼らが生活に行き詰まり、犯罪に手を染める例が多く見受けられるようになったのだ。特に経済活動が活発に行われる中心街での諍いと犯罪は見過ごせない程増加し、警察は中心街の取り締まりに注力せざるを得なくなった。しかし、住宅街でも空き巣や強盗の発生件数は増えている。警官の数を急には増やせない以上、警察に代わる治安維持機能、つまりは自警団を設置せざるを得なくなるのだ。
「こんなところにも、秋津とヴィシーの戦争が影を落としてるのね・・・」
「うん・・・、だけど」
セオドアは力のこもった目をして、こういった。
「僕はこの状況を何とかするために帰ってきたのだ。戦争が終わっても、すぐに難民が帰還できる訳じゃない。帰還するための環境整備を祖国に戻って行う者、難民キャンプに残って難民の生活を支援する者、ホルシュタイン領内に散らばった難民について統制を取る者、等々、いろいろな役割を持つ者が必要になる。僕は仲間を見つけて、そういう体制を作ろうと思う。大仕事になるが、やり遂げなければならない」
「・・・」
「・・・」
リネットとリズリットは何も言えなかった。何を言えばよいのかも分からなかった。無責任に励ますことも出来ず、軽々しく相槌を打つことも出来なかったのだ。
やがて、語り部の住む集合住宅へと辿り着く。語り部は三階の部屋に住んでいるとのことだった。
「こう言っちゃ何なんだけど・・・、割と簡素なおうちなのね」
「ああ、学芸員さんの話では、元大学教授という話だったんだが。やはり、教員はさほど儲からないのかね・・・」
「実入りは少なそうよね」
「ん、でも、儲からなくても、立派な仕事。大変だし、偉いと思う」
「リズの言うことはもっともだ。本人が矜持を持って当たらなければ務まらない仕事だろう。でも、僕の歳でこういう現実は見たくなかったという気持ちも少なからずあるよ・・・」
「ちょっとテッド、あなたがこれからやろうとすることは、その現実と向き合わなきゃ出来ない仕事でしょ!何言っちゃってるのよ!」
「・・・返す言葉もない。こんなことを言ってしまった自分が少し恥ずかしい」
そして、語り部の住む部屋の前。不作法とは思いつつ、呼び鈴がないのでドアを遠慮がちにノックする。
「はいよ、少々お待ち頂けるかね」
中から、声が聞こえた。そして、
「すまんが、どちら様だい?」
ドア越しに、年配の女性の声がする。
「すみません、私はセオドア、連れはリズリットと申します。我々は郷土資料館から紹介を受けて訪ねてきました。“消えてしまったお姫様”の伝承と、その元になった歴史について御教授賜りたく訪ねて参りました」
「ああ、あんたらのことは史料館から電報で報せてきたよ。安全のために合い言葉も書いてあった。“私がこの本で好きな場面は”」
「“二百九十六ページに書いてあります”」
「どうやら間違いないようだね。お入り、今ドアを開けるから」
ドアが開けられ、ぞんざいな言葉遣いからは想像できなかった、上品な老婦人が顔を出した。
「すみませんね。最近物騒なものですから、ドア越しでは身元が分からないように、口調を変えて対応しておりますの。あなた方の聞きたいことについては、少しばかり詳しいものですから、御期待に添えるかは分かりませんが、私の知る限りのことについてはお話し致しますわ」
「本日は突然の訪問にもかかわらず、御丁寧な対応痛み入ります。御教授頂けますこと、御礼申し上げます」
語り部の女性はくすくす笑い、
「まあ、お若いのに随分御丁寧な言葉遣いをなさいますのね。それでは、お役に立てますか分かりませんが、精一杯対応させて頂きますわ」
と、上品に返した。
***
「実はね、あの御伽噺には、語られざる一節がありますの。この話は、この地方でも知っている人はほとんどおりませんわ」
語り部の女性は、高くも低くもない、心地よい語り口で話を始めた。語り口には、わずかだがアンドラ語の訛りがあり、おそらくバイリンガルなのだろうと思われた。
「実は、一般に知られている御伽噺の続きとして、お姫様のその後を語る話があるんです」
「お姫様のその後、ですか。それは、まったく知りませんでした。どのようなお話なのですか?」
「はい、それは次のような話ですの」
いなくなってしまったお姫様は、ひとり、暗いところで泣き続けました。涙が涸れても、泣き続けました。
やがて、泣き疲れた王女様は、かつてのお優しい心根を失われ、自分を忘れた民衆を、臣下を、そしてあろうことか父王さまや母君様、さらには世界そのものを激しく憎むようになってしまわれたのです。
そこへ、人の声が聞こえてきました。
「王女様、どうぞ泣くのをおやめ下さい。あなたはもう、一人ではないのですから」
長らく誰からも相手にされなかった王女様は大変驚かれました。
「あなたは誰!?」
「私は、あなた様の父君に追放された魔女でございます」
「あなたも、あの男に恨みを持っているのね?お願い、復讐に力を貸してちょうだい!」
ああ、悲しい王女様。自分の姿を奪ったのがこの魔女とも知らず、そして自分が魔女の復讐のための道具になっていることに気付かず、魔女に助力を頼んでしまったのです。
「王女様のために微力を尽くさせて頂きます」
魔女は自分の策略だと言うことをおくびにも出さず、王女様に申し出ます。
「魔女よ、私はどうすれば皆に復讐できるか分からないの。どうか知恵を貸して頂戴」
「恐れながら王女様、まずは王女様に人智を超えたお力をお渡ししようと存じます」
魔女はそう言い、王女様に不思議な力をたくさん与えました。
その力を得ると、王女様の瞳は復讐を果たせる歓喜に燃え、真っ赤な色に染まっていきました。
「王女様、そのお力を持って人の悲しみと絶望が満ちる場所に赴いて下さい。それでますます王女様のお力は増していくでしょう。王女様のお力が増せば、それだけ世の中への復讐が容易になります」
王女様はお姿と声を取り戻し、災厄の訪れた土地土地に姿を現しました。そして、不思議な力を使って災厄を長引かせ、人々の嘆きを受けてますますお力を増していきました。そしてそれは王女様のお命がつきるまで繰り返されたのです。
王女様のお命がつきると、魔女は王女様の憎しみが固まった結晶と、人々の運命を断ち切る一振りの剣を、王女様の体から取り出しました。
こうして魔女の復讐に利用された王女様の魂は、救われないまま現世を漂うことになったのです。
王女様の魂は転生を繰り返し、転生した先々でまたお姿と声を失いました。そしてその末に、やはり世の中をお恨みになり、真っ赤な瞳で災厄の地に現れるようになったのです。
やがて王女様の魂はいくつにも分かれ、様々な土地で同時に転生するようになりました。
そして、真っ赤な瞳で災厄の地に訪れる者を、人々はいつしか『影の一族』と呼ぶようになったのです。
また、魔女は子供をなし、子々孫々まで魔術を伝えていきました。彼らは世に復讐するため、『影の一族』を狩り、その憎しみの結晶と運命を断ち切る武具を手に入れていきました。彼らの目的を知らない人々は、災厄の地に訪れる『影の一族』を狩る彼らを、『光の一族』と呼ぶようになったのです。
語り部が御伽噺の語られざる一節を一通り語り終えたとき、三人は絶句していた。
『影の一族』?
『光の一族』だって?
「そ、それでは・・・」
セオドアは何とか声を出した。
「その話は、“『影の一族』と『光の一族』”の御伽話とつながっているのですか?」
「ええ、そうね。いつの間にか、どうしてだか二つの御伽噺は別々のものとして語られるようになったけれど。それにね、この話がこの地方の人たちにも忘れられているのは、この話が一種の禁忌になっているからなの。でも、あなた達は遠くからわざわざここに話を聞きに来てくれたのだし、この地方の人でもないから特別にお話ししたのよ。私、この話は大学教授だったときにも学生たちには話さなかったわ」
「・・・」
セオドアは頭がまだ混乱していた。
「あの、それでは、この御伽噺の元になった歴史というのは」
語り部の女性は微笑を浮かべると、
「ええ、実はね。はっきりとつながりがあるかどうかは研究者によって説が分かれるのですけど」
「はあ」
「十一世紀頃ね、王室付きだった従者の日記が残っているの。その日記には、正史には残っていない、いいえ、他のどの記録にも載っていない王女様のことが記されているの。日記の中で従者は、王女様がいつの間にかいなくなってしまって、誰も王女様のことを憶えていないことを嘆いているの。日記を読む限り、どうやら王女様とその従者とは道ならぬ恋に落ちていたようだけど、日記の内容を単なる妄想として、取るに足らない史料だと切り捨てる人が大多数だわ」
「・・・なるほど。本当に誰も王女様のことを憶えていないのなら、御伽噺としても残らないわけで、前提からして矛盾が生じますものね。実際、歴史の中に御伽噺の元ネタがあることは、私も知っていましたし。まあ、御伽噺だから多少の矛盾があるのはどうしようもないのかも知れませんが」
「ええ、そうね。でも、その日記は当時の宮中儀礼を記している点で、ある程度の史料的価値は認められているの。従者自体も、他の史料に名前が載っているので、実在の人物だと考えられているわね」
「その従者の名前は何というのですか?」
この質問は単なる興味本位で発したものだったが、
「名前は、ハンス。ファミリー・ネームは伝わってないけど、ハンスという名前が当時の史料に繰り返し登場するわ。ただ一つ、ハンス・ステュワートという名前が記された史料があるけれど、日記を書いたハンスと同一人物かどうかは、分かっていないの」
ハンス。
この名前は聞き覚えのあるものだったが、おそらく偶然の一致だろう。
「本日は貴重なお話、ありがとうございました。大変勉強になりました」
「いえいえ、やくたいもない話でお時間取らせてしまって、すみませんでしたね。すこしでもお役に立てたのならいいのだけど」
「とんでもない。大いに役立ちました」
セオドアは挨拶をすませてお暇しようとしたが、ふと思い直してこう訪ねた。
「すみません、もう一つだけ。十一世紀ということは、昔のタツオカ城に王族が住んでいた頃ですよね?旧タツオカ城趾に立ち入るには、どこに許可を取ればよいのでしょうか?」
「そうね、許可を取るには役場に行けばいいと思うけれど」
語り部の女性は言葉を継いで、
「でも、あそこはあらかた調べられているから、新しい発見をするのは難しいと思うわ」
「そうだろうとは思いますが、一度目に収めておきたくて。それでは、失礼致します」
セオドアは、今度こそ挨拶をすまし、まだ混乱のさなかにあるリネットとリズリットを連れてその場を後にしたのだった。
***
三人が中心街まで戻ってきたとき、すでに夕方になっており、町が赤く染まっていた。
ここまで、三人の間に会話はない。さっきの話で、三者三様に考え込んでしまっていたのだ。
「なあ、どこかで飯を食べていかないか?」
セオドアが、久しぶりに声を発した。
「ん、おなか空いてるし、何か食べたい」
「私も。なんだか疲れちゃってるし」
思考が中断されたことより、沈黙が破られたことにほっとしたように二人が賛意を示した。気疲れしているのはセオドアも同じで、一人で考え込むよりみんなで相談したい気分にもなっていた。
そのまま、三人は軽食を取るために適当な喫茶店に入った。
「あのジュリアンって人がいっていたことと、語り部の人が言っていたこと、気持ち悪いくらい重なってたわね」
リネットが思っていたことを言うと、セオドアはこう返した。
「いや、あの人がどうやってか、この御伽噺の完全版を知っていた可能性は否定できない。それに、あの人は『闇の一族』を殺さないと言っていた。御伽噺との矛盾はある」
「あたし、お姫様の生まれ変わりなのかな。リーネも、このままだと『闇の一族』になっちゃうのかな」
「リズ、それは飛躍しすぎだし、結論を急いじゃいけないよ。まだタツオカ城趾の調査もあるし、図書館で調べることもある。結論を出すのは、まだ先でも良いと思う」
「でも、リーネは御伽噺の通りに姿と声を無くしちゃった。あたしも、御伽噺みたいに赤い目をして、不思議な力を持ってる」
「・・・うん、それはそうだけど。でも・・・」
セオドアは反駁を試みたが、言葉を継ぐことが出来なかった。二つの御伽噺、そして、かつてジュリアンという男が語った話、これらを真実ではないかと思い始めている自分を否定することは出来なかった。
(しかし、まだ証拠が足りない)
セオドアはそれでも、確たる傍証がなければ、どうしても自分の中で真相にたどり着けないと考えていた。
第九章 タツオカ城趾 邂逅、そして・・・
語り部から伝承を聞いた翌日、セオドアたちは図書館で一日調べものをしていたが、語り部から聞いた話以上の収穫を上げることは出来なかった。ただ、『ハンス』が登場する史料をいくつか発見し、そのうちのいくつかでは、単なる従者ではなく、近衛兵団の指揮まで任されていた重要人物であったらしい、という記述を見つけていた。
さらにその翌日、三人は朝早く宿を引き払い、タツオカ城趾を目指した。タツオカ城趾は、タツオカの町から少し離れた場所にあり、どうせ何日か掛けての行き帰りになることが分かっていたためである。
出発する当日、タツオカである事件が勃発した。秋津系とヴィシー系の難民同士が衝突し、ホルシュタイン人の警察隊と自警団を巻き込み、争乱状態になったのだ。
三人は運良く争乱が発生する前に町を出ており、道中で争乱発生の噂を聞いたのである。タツオカ城趾を調査した後はタツオカに戻る予定でいたのだが、町へはしばらく近づかない方がよいかも知れない。
「ふう、ちょっと歩き疲れちゃった。そのタツオカ城趾はまだ遠いの?」
「馬車ならタツオカから半日ってところだけど、歩きだと早くても一日、普通に歩いて二日くらいの道のりかな。路銀もだんだん心細くなってきたところだし、歩きで我慢してくれ給え」
「ね、タツオカ城趾では何を調べるの?あたしに手伝えることある?」
「うん、もちろんリズにも手伝ってもらうよ。むしろ、リズの力に期待しているところもある。まずは、祭祀所の跡を調べようと思っているんだ」
「祭祀所?そこに何があるの?」
「当時のアンドラ王国は、今のホルシュタインで信仰されている宗派とは違う宗派を信仰していてね。アンドラがホルシュタインに組み込まれた後、半ば強制的に改宗させられたのだけど、改修前の宗派は秘儀を良く行っていたのだ。この宗派では、祭祀所に地下施設が良く作られていたのだけど、タツオカ城の調査資料では、この地下施設が見つかっていない。もしこの地下施設が見つかれば、御伽噺に出てくる追放された魔女の痕跡が見つかるかも知れない。それが見つかれば、何かの手がかりになるかと思って」
“もし地下施設が見つかれば”“その地下施設で、もし魔女の痕跡が見つかれば”。仮定の上に仮定を重ねた、都合の良い考えであることは、セオドア自身も承知していた。しかし同時に、もしかしたら・・・と言う期待感も持っていたのである。
「ん、分かった」
「私は何をすればいい?」
リネットが聞いた。
「まずは、リズと同じように地下施設を探して欲しい。地下施設が見つかって、僕とリズが施設に入った後は、地上で待機。もし地下施設が崩れたらことだからね。人を呼んでくる・・・のは無理だけど、なんとかして、誰かを崩れた場所に誘導して欲しい」
「・・・その役はリズの方が良いんじゃない?」
「それも考えたけど、リズの力で何かを発見できるのじゃないかと期待してるんだ。難しい役だけど、お願いできるかな」
「・・・分かったわ。やってみる。・・・もし助からなくても、安らかに成仏してね?」
「・・・笑えない冗談だねぇ」
道中、三人は打ち合わせをしたり、やくたいもない軽口をたたき合ったりしながら、割と砕けた雰囲気で旧タツオカ城趾へと向かった。
やがて、一行は旧タツオカ城趾に到着する。
「ふう、やっと着いたわね。思った以上に『遺跡』って感じで崩れてるのね・・・」
「ね、テッド。専門家の考古学者が見つけられなかった祭祀所の地下施設、あたしたちに見つけられるかな?」
「何事もやってみないと、分からないよ。それに、リズの勘に期待しているところもあるのだ。祭祀所の跡地で地下施設が見つからなければ、城の跡地をくまなく探して、それでも見つからなければ周囲を探して・・・、大体二、三日は調査してみるつもりだよ。二人とも、付き合ってくれるかい?」
「私はもちろん良いわよ」
「ん、付き合う。もし何か見つかれば、御伽噺と歴史がつながるかも知れないし」
こうして、旧タツオカ城趾での探索が始まった。
***
「リズ、何か感じたり、気になったりするところはあるかい?」
探索二日目、三人はもうすぐ日が落ちようかという時間まで遺跡を調べていた。もうそろそろ本日の探索を打ち切ろうか、と皆が考え始めた頃、セオドアがリズリットに質問を投げた。定期的に同じことを聞いているので、今回も特別な返事が返ってくるとは期待していなかったのだが・・・。
「特に何か感じたりはしないけど、そこ・・・その扉の跡のところ、気になる」
「扉の跡?」
「他の扉は段差がないのに、そこの扉だけ、内側も外側も、わざわざ階段を付けてる。なんか、変な感じがする」
「言われてみれば・・・、ちょっと調べてみるか」
リズリットが指さした扉の内側と外側には、一見何の変哲もない階段が付いている。しかし、リズリットが指摘したように、内側と外側にレベル差がないにもかかわらず、ここだけ階段が付いているのは確かに妙である。
「さすがに、よく分からないな・・・石の積み上げ方が、他に比べて雑な感じはするが・・・石の隙間にも、長い月日が経って砂が入り込んでいるし・・・」
セオドアは途方に暮れたように階段を見るのを止め、立ち上がった。
「リズ、この階段の石をどかす、というより動かすことをイメージして、意識を集中してみてくれないか?」
ここまでの道中で、リズリットの力について、少しではあるが、調べてきている。当初、セオドアが考えたように、温度操作系・・・水を凍らせたり、お湯にしたりということが出来るのは確認できた。ものに手を触れず動かすことも、小石でなら出来ることを確認している。ただし、重いもの、大きな物については確認していない。
だから、リズが少しすがめで階段の石を見つめた後、本当に石がずれたことに、セオドアは少しびっくりした。
「すごい・・・リズ、君の力は本当にすごいよ!」
もし御伽噺が本当の歴史を映したものならば、『影の一族』の持つ、こういう不思議な力が人々の忌避の対象になっていたのだろう。セオドアはそう思ったが、リズリットに対しては恐怖ではなく尊敬や憧れに近い感情を抱いた。
「ねえ、階段のあったとこ、穴が開いてる!」
リネットの声で我に返る。穴だって?
「本当だ。穴というか、地下へ続く階段だな。探していた地下施設かも知れない。秘儀を行っていた場所なら、例の“魔女”についての情報が得られるかも・・・」
三人とも、興奮を隠しきれない。御伽噺が歴史とつながるかも知れない。それは取りも直さず、リネットの姿を取り戻す手掛かりとなる。それだけでなく、リズリットを『光の一族』から守る方法を・・・もっと言えば、『影の一族』になる前の状態に戻す方法をも見つけることが出来るかも知れない。セオドアは、まだ御伽噺と実際の歴史、そしてジュリアンの語った話のそれぞれの関連については半信半疑でいたが、この先に、疑念を確信に変える証拠があるかも知れないと考えると、身震いを抑えることが出来なかった。
「じゃあ、早速降りてみよう。話していた通りに、リーネはここで見張りを。リズは一緒に来てくれ」
「了解、見張っておくわ。でも、万が一のことがないように気をつけてね」
「十分気をつけるよ」
言い残して、セオドアとリズリットは狭い入り口から階段を降りる。明かりとして懐中電灯を二人とも灯した。降りていく階段の壁面にはなにやら文様とも壁画ともつかない模様が刻まれていた。
「ね、この模様何?象形文字とか?それとも古代の絵物語とか?」
「その通り、古代の物語を絵で示した物だよ。当時の宗派で使われていた経典の説話を絵物語で描いた物さ。文字にはなってないから、元の説話を知らないと意味が分からないけどね」
「どんな物語なの?」
「闇から太陽神が生まれて世界を創造し、人間を作った、っていう物語さ」
「テッドってホントに物知りなのね」
「役に立たない知識ばっかりだけどね」
そんなことをしゃべりながら進んでいくと、やがて小部屋に到着した。
「ね、この部屋、ぼんやりと明かりがついてない?」
「多分ヒカリゴケが壁に植えてあるんだよ」
言いながら、セオドアは部屋のあちこちに懐中電灯の光を向けた。
「ふむ、おきまりの祭壇の他に、やはりおきまりの絵物語・・・いや、待てよ?あそこの壁には・・・」
セオドアは、部屋の側面にあたる壁に注目した。
「ここの文様だけ、オーソドックスな様式には無い模様になっているぞ・・・。リズ、ここの壁に何か感じないかい?」
リズはそう言われて壁に近づき、あちこち眺めたりなで回したりしていたが、やがて一歩下がると、
「ここ、壁の裏側から風がながれて来てる。それに、他の壁と違って、私の力で動かせそう。ここだけ、壁が薄い」
「隠し通路があるのかな?リズ、壁を動かしてみてくれるかい?」
「ん・・・」
リズリットが目をすがめて意識を集中すると、壁が動いて後ろに続く通路が現れた。セオドアとリズリットは、少し慎重に通路の中へと歩を進める。通路を歩きながら、懐中電灯の光であちこちを照らすと、壁面に何かの物語を描写していると思われる絵が描かれているのを見ることが出来た。
「ね、この絵は何なの?テッド、知ってる?」
「多分だけど、今の一神教がアンドラに伝わる前に信仰されていた神話を描いてるんじゃないかな。こんな通路があるなんて、思わなかったよ。結構すごい発見かも知れないが、今はそんなこと言っている場合じゃないよな」
「どんな神話なの?」
「ごめん、詳しくは知らないんだ」
やがて、やや広い空間・・・つまりは部屋に出た。
「通路はまだ奥に続いているみたいだね。でも、まずはこの部屋を調べよう」
「ん、わかった」
二人は手分けして、部屋の中を調べることにした。そう広い部屋でもないが、あちこちに壺や石で出来た箱などが置かれており、何かかつての歴史、そして御伽噺につながる手掛かりがないか手当たり次第に見ていく。
そして・・・。
「ね、ここの壁・・・何か文字みたいのが掘ってあるんだけど、テッド、読めない?あたしの知らない文字みたいだし」
「ん?どこの壁?」
セオドアはリズリットが指さす壁に懐中電灯の光を当て、石壁に刻んである文字を指でなぞりながら読んだ。
「これは、中世に使われていたアンドラ文字だ!単語や文法は今のアンドラ語とほとんど変わらないはずだけど、アンドラ語自体、あまり得意じゃないんだよなぁ・・・」
ぶつぶつ言いながらも、セオドアは文字の解読を進めた。
「『秘儀を』・・・『行う部屋の』・・・『奥に』・・・、『禁忌の探求を行う場を作った』!?なんだこれは、この部屋のことを言っているのか?」
「テッド、続きは?」
「え?ああ、『魔術を使える人間を集め』・・・『近隣諸国を占領するための研究を行った。しかし』・・・『探求は近隣諸国の知るところとなり』・・・『探求を中止し、魔術師を追放することになった』・・・『魔術師は報復として』・・・『探求の結果得られた秘術を用い、王女の姿を奪った』って、これは!」
「テッド、これって御伽噺!?それとも本当の歴史?」
「文中に事件の起こった年号、それに文末には文章を刻んだ人間の署名と記述年月日が掘られている。図書館で調べた、御伽噺の元になっていた王様の在位期間と重なる日付だ。地下への入り口が塞がれていたことを考えると、誰かの悪戯とも思えないし・・・これは、御伽噺が真実だと言うことを信じざるを得ないかも・・・」
「ね、続きは?まだ途中なんでしょ?」
セオドアの指の動きを見て、まだ途中までしか呼んでいないことに気付いたリズリットが続きを促した。
「続き?続きは・・・『秘術によって、王女の中に』・・・『魔具』?・・・『が錬成された。魔具を宿した王女は魔力を得て』・・・『姿を変え、記憶を失い、災厄の地に現れた』・・・『魔術師達は魔具を得るため』・・・『王女を弑逆した』・・・『しかし、王女の魂は分裂し、転生を繰り返したため』・・・『魔術師達は素性を隠し』・・・『光の一族と名乗り、王女の転生体を狩り続けた』・・・『なぜなら王女の魔具だけでは、報復として王国を転覆するだけの力が得られなかったからである』・・・『転生体は初め、普通の人間として産まれ、やがて姿を失う。その後』・・・『災厄の起こる地に移動し、記憶を失い、赤い目と金髪とを得て力を得る』・・・『魔術師達は、彼ら彼女らを影の一族と呼び、貶めることによって狩りを正当化した』」
「テッド・・・」
リズリットは涙を目にため、小さく震えながらセオドアの上着の裾をつかんだ。
「まだ、最後に一文がある。『私は彼らを許さない。彼らに先んじて王女の転生体を狩り、そして魔具となった王女の魂を取り戻し、呪いから解き放つ』。署名は・・・『ハンス・ステュワート』」
「じゃあ・・・、じゃあ・・・、リーネも私も王女様の生まれ変わりなの?リーネもそのうち『影の一族』になっちゃうの?」
「いや、待て、待ってくれ、リズ。僕も少し混乱している。今の時点では考えがまとまらないんだ」
そのとき、部屋のさらに奥へと続く通路から、うめき声のような物が聞こえてきた。二人はびくりと体を震わせ、その後もかたかたと震えた。
「え、今の何?」
「何って・・・、声のように聞こえた」
リズリットもセオドアも、震える声で会話を交わしている。
「ね、引き返す?」
「ど、どうしよう。引き返すのが一番賢明だけれど・・・」
が、しかし。二人が後じさりしながらもと来た通路へ近づいていこうとしたとき、奥の通路から突然人影が現れた。その人影をみて、二人とも飛び上がって驚き、知らず知らずのうちに抱き合って震え始めた。
「・・・あなた達は?」
奥から現れた男?とおぼしき人影がセオドア達に問いかける。
「あ、あ、あなた、あなたこそ誰なんですか!!」
セオドアは半ば絶叫するように問い返す。
「私?私は・・・私は・・・ゲルハルト。そう、名前はゲルハルトだ。それ以外のことは・・・分からない。自分のことが、分からないんだ」
そのとき、セオドアとリズリットは気付いた。男が透けるような金髪で、瞳の色が赤いことに。そして、思い出した。タツオカの町で災厄とも言える争乱が発生していることを。
「ね、もしかしてこの人・・・」
「あ、ああ、多分間違いない・・・『影の一族』だ。目覚めたばかりの・・・」
「『影の一族』?何のことです?あの、もう一度聞きますが、あなた方はどなたです?」
ゲルハルトと名乗った男は質問を重ねた。
「ああ、僕はセオドアと申します。こっちの娘はリズリット。怪しい者ではありませんので、安心して下さい。といっても、簡単には信用できないかも知れませんが」
「・・・あの、あなた方は私のことを知っているのですか?私が誰なのか、御存知で?」
「・・・あなたが何者なのか、その問いには半分だけ答えることが出来ます。あなたの素性については、残念ながら我々にも分かりませんが」
「半分だけ?素性については分からない?」
「あなたが今、どういう状況に置かれているのかは分かります。ただ、その説明は少々込み入っていて、ここではちょっと・・・。表に出てから詳しいお話をさせて頂けませんか?」
「・・・分かりました。ところで、ここはどこなんですか?私はこの先の、小さな部屋にあった石造りの寝台で目を覚ましたのですが・・・」
「そのことについても、追々お話しします。まずは、明るいところに出ましょう」
と、三人は、出口に向かって歩き始めたのだが・・・。
「テッド!リズ!大変よ!」
出口の方から、リネットの声が聞こえてきた。
「リーネ?どうしたんだい?外で何かあったの?」
「あの、あの男!ハンスとか言う奴が来てるの!」
「ええっ、何だって!!」
セオドアは叫び、リズリットは震え始めた。いや、セオドアも心臓がばくばくし、肝が縮み上がっていたが、他の面子には幸い気取られなかった。
「リーネは念のため物陰に隠れていて!リズとゲルハルトさんはここに留まってて。ぼ、僕が、ちょ、ちょっと先に行かせてもらうよ」
それでも、声がうわずって、震えてしまうのはどうしようもなかった。このセリフを口に出すだけでも、セオドアとしては精一杯の勇気を振り絞っているのだ。
「待って、テッド。あたしも行く」
リズリットのこのセリフに、びくっとセオドアが反応した。内心、一人で外に出なくて良いかも知れないと言うことに安心してしまう自分に自己嫌悪を感じながら。
「一緒に出るって、それは危険だよ!あいつは君を付け狙っているんだよ?」
「でも、あたし、なんか不思議な力あるし。役に立てると思う」
リズリットも止まらない震えをもてあましながら、何とかこのセリフを口にした。
セオドアは男のプライドとか、それでも縮み上がったままの肝とか、どこかで冷静なリスク判断とか、いろいろな思いがを一瞬のうちに脳裏に駆け巡らせた末、こう言った。
「・・・わかった。リズは一緒に来て。でも、僕の背中の後ろにいて、いつでも逃げ出せるようにして。まずは僕が出て話をするから、その後出てくるんだ。・・・ゲルハルトさんはこの中にいて、出て来ないようにして下さい」
「なんだい?何か危険なことでも?」
戸惑うゲルハルトを置いて、セオドアは出口から外に出た。
外では、リネットの言った通り、ハンスが遺跡の中に建っており、こちらを見て――いや、睨んでいた。
セオドアが外に顔を出すと、
「・・・よお、坊主。また会ったな」
無愛想に、そしてぶっきらぼうに話しかけてきた。
「・・・出来れば、会いたくはなかったですけどね」
セオドアはなるべく恐れの色を出さないように振る舞いたかったが、声が震えてしまうのはどうしようもなかった。体を完全に外にさらしたときも、全身の震えをとめるのが精一杯で、どうしても動きがぎこちなくなっていた。
「ふん、そんなに怯えなくても大丈夫だ。あんたら二人に危害を加えるつもりはない」
「・・・二人?」
セオドアは戸惑いと、『まさか?』という疑問を胸に聞き返した。
「信じられないという顔だな?見えないと思い込んでいるようだが、そこの物陰に隠れているお嬢さんのことだよ」
「「ええっ!?」」
セオドアとリネットの驚きの声が重なる。
リネットのことが見えているのか?まさか!今まで、誰にも見えず、気付かれもしなかったのに?そんなことが・・・有り得るのだろうか?
「はっ」
ハンスが鼻で笑う。
「俺は『影の一族』を狩る『光の一族』だ。姿を失った人間が見えるのも不思議じゃないだろう」
「あっ・・・」
セオドアが納得し掛けたそのとき、
「・・・なんてな。俺以外の『光の一族』・・・少なくとも実際に『影の一族』を追っている連中には見えてねぇよ。ジュリアンにも見えてなかったろうが」
「・・・あ、そういえば・・・」
ジュリアンから『影の一族』と『光の一族』についての話を聞かされたとき、ジュリアンはリネットの存在に気付いた様子はなかった。目線すら、一度もリネットの方には向けなかった。彼にはリネットが見えていなかったのだ。
「お二人がここにいるってことは、当然あの嬢ちゃんもここにいるんだろう?」
「な、何のことだ?」
「ごまかそうとしているのか?後ろの出入り口から顔を出しているのに」
ハンスは半笑いしながら、セオドアの後ろにある出入り口を指さした。
「!リズ、まだ出てきちゃダメだってば!」
「ん、・・・ごめん。でも、多分セオドアより役に立つ」
このリズリットのセリフに、セオドアはいたく傷ついた。表情にも出ていたらしい。リネットは哀れむような表情を浮かべてセオドアを見つめ、リズリットは『しまった』という表情を浮かべてセオドアから目を背けた。
「ふん、随分信頼されているじゃないか、坊主」
ハンスは愉快そうな表情を浮かべた。声音には明らかな侮蔑が含まれている。
「う、うるさい。そんなことより、何でお前にだけリーネの姿が見えるんだ!」
「何でだって?それはな・・・」
ハンスはおもむろに懐から、薄紫の透明な、何かの結晶を取り出した。
「この、結晶を持っているからさ」
「?なんだ、その結晶は?」
ハンスはふっと笑い、
「これはな、魂の結晶だ」
「魂?まさか、それは・・・」
「そこの出入り口から出てきたってことは、すでに知っているらしいな。まさか、アンドラ文字を読めるとは、ちょっと坊やのことを見直したよ」
ハンスは満更嘘でもなさそうな口調で言い、セオドアを見た。
「そうだ、これは王女の魂・・・正確にはその欠片だ。『光の一族』の上層部が集めている、な」
「『光の一族』・・・やはり、『影の一族』を狩って・・・殺していたのか!あのジュリアンって人が言っていたことは嘘だったのだな!」
「嘘?まあ、結果的にはな。だが、ジュリアンは嘘を吐いたとは思っていないぜ」
「どういうことだ?」
「ジュリアンはな・・・いや、俺以外の『光の一族』・・・その実行部隊は、全てジュリアンの語った『物語』を信じ込まされているんだよ」
「『物語』、だと?」
セオドアは怪訝な顔をして問いを発した。
「いくら、世間からあぶれたアウトローといってもな」
ハンスは言葉を続ける。
「さすがに、殺しをやると言えば、二の足を踏む奴らが大半だ。だからな」
一息吐き、さらに言葉を紡ぐ
「『影の一族』を殺すのではなく、社会に復帰させる、そう信じ込ませて実行部隊を動かしているのさ、『光の一族』の上層部はな」
「あんたも実行部隊の一員じゃないのか。なぜ、そんな裏事情を知っている?あんたの言っていることは矛盾している!」
「はっ、それはな・・・」
「まさか、あんたはハンス・ステュワートだとでも言うのか?」
ハンスの言葉をひったくり、セオドアが言った。もちろん、そんなわけはないと考えている。まさか何百年も前の人間が生きているとは当然思わないし、ただ単に強気の姿勢を見せるために、半畳を打ったつもりの一言だった。
「ふっ、まあ地下の文章を読んだのなら、そう思っても仕方ないわな。ああ、そうだよ。おれが“あの”ハンス・ステュワートだ」
「・・・は?」
セオドアにとっては、完全に予想外の返答だった。リネットもリズリットもぽかんとしている。
「あの、それはどういう?」
セオドアは間抜けな質問をしてしまう。
「どういうも何も、かつてのアンドラ王家で従者をしていて、王女のことをただ一人憶えていた“ハンス・ステュワート”がこの俺だ」
「は?」
セオドアは、まだ事態が飲み込めない。
この人は何を言っているんだ?
頭の中ではクエスチョンマークが並んでいた。
「何を言っているか分からないという顔だな。まあ、無理もない」
ハンスはどこか自虐的な笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「おれは、あのとき、誰もが王女の姿を見失っている中、うっすらとではあるが王女の姿が見えていた。だが、見間違いだと思って話しかけることすらしなかった。今でも悔やまれることだが・・・。その後、時間が経つに連れて、王女のことを誰もが忘れていき、存在そのものがなかったことにされ始めたころも、俺だけは王女のことを忘れなかった」
ハンスは一人語りを続ける。
「そこを、追放された魔術師達に見込まれたのさ。一人だけ王女のことを憶えているからってな」
「魔術師に、見込まれた・・・?」
「魔術師達がやっていた研究の一つに、不老不死がある。その秘術を施されたのさ。彼らの目的を果たす独楽とされるためにな。あいにく不老、ってわけにはいかなかったが、不死は今のところ続いてる」
「不死、だと・・・?」
セオドアは、またしても信じられない話をされて、混乱した。このところ、現実味のない話ばかりを聞かされ続けて、正直自分のキャパシティを超えている。不死などということがあり得るのだろうか?
「また、信じられない、って顔をしているな。まあ、無理もない。それなら、これを見てみな」
ハンスは、結晶を懐にしまい、代わりにナイフを取り出した。
「これを見れば信じるだろう?」
そのナイフで、自らの手首を切った!
血が噴き出し、辺りを朱に染める。
だが・・・、
やがて、血が止まり・・・あろう事か、噴き出した血が逆流してハンスの腕に吸い込まれ始めた。そして、すべての血がハンスの手首の傷に吸い込まれた後・・・静かに、傷が閉じた。
「え・・・、え?」
セオドアは、そしてリネットもリズリットも、今目の前で起きたことが理解できない。一体、何が起こった?今のは、何なんだ?
「俺は、傷を負ってもすぐに再生しちまうのさ。これが俺にかけられた、不死の呪いだ」
セオドアは身構える。いや、本人は身構えたつもりだった。しかし、気持ちが委縮しているため、どうしてもへっぴり腰の不格好な姿になる。それでも、セオドアは考えた。もし、自分がなけなしの勇気を振り絞り、ハンスに襲いかかっても、かすり傷を負わせるのが精一杯だろう。そして、その傷はたちまちのうちに癒えてしまう。もしリズリットの力で大きなダメージを与えたとしても、それが致命傷になるかどうかは怪しい物だ。むろん、今のパフォーマンスがハンスのはったりで、大きな傷は治せないのかも知れない。そのことも考慮に入れて言葉のやりとりをするべきだ。
「いま、『呪い』と言いましたね?あなたは、王女の魂を救済することを目的としているのに、なぜ命を長らえることを『呪い』と表現するのですか?」
まずは、言葉尻をとらえて話を長引かせる。その間にこの後とる行動を考える。ついでに、話の流れから、相手の思考パターンが読めれば上出来。そう考えて、セオドアは言葉を紡いだ。
「死を望んでも、死ねない。大病を患っても、あるいは大けがを負っても、苦しみと痛みだけ感じて死ぬことが出来ない。今みてぇな小さな傷ならともかく、大けがなら再生にもそれなりの時間がかかるからな。王女の魂を集めるのだって、『光の一族』との競争だ。それも、いつ終わるとも知れない仕事だ。これが、呪いでなくてなんだと言うんだ。王女を本当に助けられるかどうかも分からないのに・・・いや、」
ハンスは一息吐き、
「そんなことはどうでも良い。おれは、そこの狩り損ねた嬢ちゃんと・・・そして、もう一人・・・」
「あのう、すみません、もう出てきても良いんでしょうか」
少し気が抜けるようなのんきな声で、ゲルハルトが地下への入り口から顔を出した。
「あっ、まだ・・・」
セオドアが制止しようとしたそのとき、抜く手も見せず、ハンスがナイフを投げ捨て、懐から短銃を取り出して発射した。
「!!」
まさに電光石火の早業。ちょっと顔を出しただけのゲルハルトの頭は、西瓜を割ったように赤い血と脳漿をまき散らして破裂した。
「マ、マグナム弾・・・」
小便をちびりそうなほどの衝撃を受けながら、セオドアが呟いた。
「坊主、よく見てな」
ハンスに言われるまでもなく、セオドアは、いや、リネットもリズリットも、ゲルハルトの死体から目をそらせない。すると・・・、ゲルハルトの死体が燐光を放ち始め・・・やがて無数の、それはまるで蛍の光のような、丸い光の玉が、死体からふわふわと飛び立ち始めた。そして、ゲルハルトの体の光がやがて淡くなっていき・・・光が消えたとき、ゲルハルトの体も消えてしまっていた。
「それが、『影の一族』の死に様だ」
ハンスが言い放つ。
「おい、そこの姿を失った嬢ちゃん、その柱の影から出てきて、地下への入り口を見てみな」
リネットはびくりと体を震わせたが、意志を失ったように、ふらふらと地下への入り口へ近づいていった。
「なに・・・これ」
リネットは、ゲルハルトの遺体があった場所をみて、ぽつりと呟いた。
そこには、先程ハンスが見せた薄紫の透明な結晶とまるで同じ結晶、そして一振りのナイフがあった。
「それが、その結晶が王女の魂の欠片さ。そして、そのナイフはな・・・」
ハンスは言葉を切ると、短銃を構えなおし、
「おい、坊主。その結晶とナイフをこっちに持ってこい」
冷酷な声で、セオドアに命じた。
結晶とナイフを拾い上げたリネットからその二つを受け取り、セオドアはハンスに近づいていった。勇気を振り絞っているものの、どうしても足が震えて歩くのに手間取り、歯の根が合わなくなっていた。それでも、何とかハンスの元に辿り着き、結晶とナイフを渡す。
「これだ、これ。たとえ呪いを受けていても、俺が心から欲してやまない王女の魂の欠片。・・・そして、このナイフこそが」
ぎろり、とセオドア、リネット、リズリットの順にハンスは睨んだ。
「運命を断ち切るナイフだ」
「う、運命を断ち切る?」
歯をかたかた鳴らせながら、何とかセオドアが訪ねた。
「そう、運命を断ち切るナイフだ。このナイフがあれば、結晶となった王女の魂を、呪縛から解放できる。そして、」
ハンスはニヤリ、と凶暴な笑みをたたえた。
「王女の転生体、つまりは・・・そこの、姿を失った嬢ちゃんの運命を断ち切る・・・姿を、取り戻すことが出来る」
「「「えっ!」」」
これには、セオドア達全員が驚きの声をあげた。
そして、ハンスの近くにいたセオドアは、ほとんど反射的にハンスの手の中にあるナイフを取り上げようとして、
「ふんっ」
「ふぎゃっ!」
何が起きたかも理解できないまま、ハンスの体術によって地面に転がされていた。ハンスの両手が塞がっていたために、あまりにも無防備に手を出してしまったのだ。かつて、近衛兵団を指揮していた頃の体捌きは、数百年経っても錆び付いていないようだった。
「だがな、このナイフは本来こうやって使う!」
ハンスは、ナイフを結晶に突き立てた!・・・が、あろう事か、ナイフは折れず、結晶も割れず、結晶がまるでゼリーのようにナイフを通していた。そして、結晶は色を失っていき・・・やがて、無色透明となった。
「ふん、これで・・・また一つ、王女の魂を解放できた。これで、このナイフには何の力もなくなった」
言っているそばから、ナイフはまるで溶けるようにかき消えていき、やがて完全に消えて無くなった。
「だがな・・・この結晶には・・・もう王女の魂は宿っていないが・・・もう一つだけ、力が残っている。おい、そこの金髪の嬢ちゃん!」
リズリットが反応する。
「これを受け取りな!」
ハンスが放った結晶を、リズリットが危うい手つきでキャッチした。
「で、そこを見てみな」
ハンスが指さした方を、リズリットは反射的にみて、
「え・・・、あなた、誰?・・・もしかして、リーネ・・・なの?」
リネットは驚愕した。
「リズ、あなた私が見えるの!?」
「リーネ、リーネなのね!すごい・・・私、リーネが見える・・・声が、聞こえる・・・」
「その結晶はな」
ハンスがぶっきらぼうに言った。
「身につけていれば、『姿を失った者』を見る力を授けるんだ」
セオドア達三人は唖然とした。
「な・・・、なら、何で、結晶を身につけていない僕にはリーネの姿が見えるんだ!?」
「ふん・・・それはな」
もったいぶるように一息入れて、
「お前も、本来なら『姿を失った者』になるはずだったからだ」
「ええっ!?」
「たまにいるんだよ、そう言う奴は。だが、そいつらは大抵、姿を失う前に、王女の魂が蒸発しちまう。その結果、姿を失わない。おまえさん、最近そこの嬢ちゃんの姿が見えなくなったり声が聞こえなくなったりすることはないか?それは、お前の中の王女の魂が蒸発しかけているからだ」
セオドアは、何も言えなかった。驚きすぎて、思考も停止していた。ハンスの言葉が、うつろな頭に反響する。
「で、でも」
思考がほぼ停止した状態だが、何とか言葉を紡ごうとする。
「でももくそもあるか。実際、思い当たることがあるんだろう」
「・・・」
「やはり、図星か。だが、まあ、あの結晶があれば、見えなくなることはない。これからもな」
「ひとつ、聞かせて下さい」
セオドアは、何とか言葉を絞り出した。
「魔術師達が復讐しようとしていたのはアンドラ王国ですよね。アンドラ王国はもう何百年も前に滅んでいる。なのに、なぜ魔術師達、つまりは『光の一族』の上層部は、今も王女の魂を集めて・・・秘術を施そうとしているんですか」
ハンスは不気味な薄ら笑いを浮かべながらこういった。
「奴らが恨んでいるのはアンドラ王国だけじゃなかったのさ。アンドラの敵だった、秋津もヴィシーもホルシュタインも、全てが憎悪の対象で、全てに怨嗟を持っている。奴らはこの大陸に存在する大小様々な国、全てを転覆させる気だ」
「いや、しかし・・・」
「しかしもかかしもあるか。実際、秋津とヴィシーの間では戦争が起こっているだろうが!」
「!!」
セオドアは意表をつかれた。何?何を言っている、こいつ?
「それではまるで、あの戦争が『光の一族』による者みたいじゃないですか。戦争の原因は他にあって・・・」
「『光の一族』のせいなんだよ」
ハンスがぴしゃりと言った。
「要因はそら、探せばいくらでも挙げられるさ。だがな、これまでに集まった王女の魂の欠片で、最終的な憎悪と政治の操作をしたのは奴らなんだよ」
「そんな・・・そんなことって・・・」
「秋津とヴィシーだけじゃねぇ。さっき言ったろうが。このホルシュタインも、マジャールもシキペリも、そして突厥もどこもかしこも、全てを巻き込んでこの大陸にある国をことごとく壊滅させることが奴らの宿願なんだよ。実際、難民の流入で、人種的対立と経済の混乱っていう要因が蒔かれたこのホルシュタインも、いつ奴らの手によって戦争に駆り立てられるか、分かったもんじゃねぇ」
「そんな・・・そんな!止める方法はないんですか!?秋津とヴィシーの戦争も、ホルシュタインの参戦も!」
「だから、さっきから言ってるじゃねぇか、王女の魂の欠片を一つでも多く、奴らより早く手に入れればいい、って。だが、しかし・・・ふむ・・・」
ハンスは再び、凶悪な笑みを浮かべた。
「もう一つ、手があるぜ」
「それは、どんな!?」
「王女の魂が結晶化する前に、刈り取っちまえばいい」
「?ええと、つまり・・・?」
「王女の転生体が、姿を失った段階で殺しちまえばいい。ふっ、手始めに、そこのお嬢さんから殺してみたらどうだ?『光の一族』も、さすがに『姿を失った者』は見つけられない。だから、組織から目をつけられる心配はないぜ?」
「なっ・・・、そんなこと、できるわけがないだろう!!」
セオドアは激高した。そして、その激高により恐怖はどこかに吹き飛んでしまった。
「リーネを殺せば世界が救われるだと?巫山戯るな!!そんな未来は願い下げだ!俺なら、俺になら、もっと優れた、最善手が打てるはずだ!」
「うぬぼれるなよ、小僧!!・・・と言いたいところだがな。まあ、お前さんくらいの歳なら、そういう自分への過剰評価や大言壮語、的はずれな議論も良くある話だわな。まあ、その最善手ってのを言ってみろよ、試しに」
「ぐっ・・・それは、これから考える」
「ふ・・・ははっ、だと思ったぜ」
あからさまな嘲笑を浮かべるハンス。安い挑発だ。セオドアにもそれは分かっている。それでも、セオドアは、この挑発は買わなければならないと直感した。
「ああ、確かに即答は出来ねぇよ。だがな、ガキはガキなりにあがいてあがいて、俺にしかできない、俺になら出来る答えを見つけてやる!この世界が破綻する前にな!全てを諦めちまった、物わかりのいい大人には見つけられない答えをな!」
ハンスは、セオドアに冷たい目を向けた。
「俺はこの数世紀、お前と同じように最善の、少なくとも最悪を回避する方法を模索し続けた。その結果得た答えがこれだ。俺と違ってほんの十数年しか生きていない、これから数十年しか生きられないお前に、どんな答えが出せると言うんだ?」
「短い時間しか生きていないからこそ、短い時間しか生きられないからこそ、見つけられる答えがある!自分に出来なかったからと言って、同じ問題を出された人間全てが答えを見つけられ無いと思うなよ!」
「その威勢だけは買ってやるよ。だが、現実にぶつかるのは時間の問題だぞ・・・いや、」
ハンスは言葉を切り、
「みっともない、しかも中身のない大人の理屈を振り回しちまった。まあ、せいぜいあがくがいいさ。それで、お前なりの『答え』を見つけろ。それは、この世界では意味が無くとも、お前にとってはかけがえのない意味をもつものになるだろうからな」
ハンスは、くるりと背を向けた。セオドアは完全にハンスの間合いに入っているが、全く脅威には感じていないのだろう。そして、自分に格闘能力のないことを自覚しているセオドアは、それを屈辱だとは思わなかった。
ハンスはそのままその場を去り・・・いや、去り際に振り向き、こう言った。
「ああ、その嬢ちゃんな」
相変わらず、その顔には冷酷な笑みが浮かんでいる。
「その、姿を失った嬢ちゃん」
「・・・リーネがどうした?」
「その嬢ちゃんの姿を取り戻したいか?」
「当たり前だろう、そんなこと」
「だったら、良い方法があるぜ」
「何!?」
「そこの、それ、『影の一族』の嬢ちゃん」
ハンスはリズリットを指さしながら言った。
「その嬢ちゃんを殺しな」
「な・・・!?」
「その嬢ちゃんを殺して現れた“武具”・・・さっきみたいにナイフかも知れんし、剣かも知れん。とにかく、その“武具”を使えば、『姿を失った者』の嬢ちゃんの運命を断ち切れる。転生体としてのな。そうすれば、『王女の生まれ変わり』という運命から解き放たれて、姿を取り戻せるはずさ」
ハンスは今度こそ去ろうとする。その背中に、セオドアが呼びかけた。
「ちょ、ちょっとまって下さい!」
ハンスが振り返る。
「なんだ?小僧」
「あなたは、『光の一族』の実行部隊でありながら、『光の一族』の上層部の真意を知っているのですよね?それで、危険はないのですか?というより、『光の一族』、つまりは魔術師達に呪いをかけられた、ハンス・ステュワートだと言うことは発覚していなんですか?それとも、それを知られた上で雇われているとか?」
ハンスは肩をすくめて、
「危険は常にある。勝手に『影の一族』を狩っていることを知られたら、まず間違いなく上層部に拘束されるだろうな。だが、今まで、そのことを知られたのはジュリアンだけだ。そして幸いにも、ジュリアンは他の奴には話していないし、話す気もない。いざとなれば、ジュリアンを・・・、いや!・・・だが、今のところ俺が“あの”ハンス・ステュワートだとは知られていない。三年ほど前、ただのアウトローだと思われて、偶然雇われただけさ」
「雇われるまで、どうやって『影の一族』を見つけていたんです?ジュリアンさんの話では、『羅針盤』が無ければ、そして災厄の起こる場所の予言が無ければ見つけられないとのことでしたが?」
「『光の一族』にスカウトされる前は、災厄の起こった土地に飛んでいき、金髪紅眼の人間を捜していたんだ。遭遇する確率はきわめて低く、大抵は『光の一族』に先を越されていたがな。それでも、たまに遭遇する『影の一族』を狩って、奴らの野望を成就させないために行動していた」
ハンスは三度背を向け、今度こそ立ち去った。
去り際、ハンスの左手の薬指に填められた指輪が、沈み往く太陽の光を反射して、一瞬きらりと光った。
第十章 そして、それから
三人は、しばらく呆然と立ちつくしていた。
最初に動いたのは、リズリットだった。
「・・・リーネ」
「え?」
「リーネ、なんだよね?本物の」
「そ、そうよ。偽物も本物もないけど。・・・初めてだね、直接会話するの」
「なんだか不思議。今までずっと一緒にいたのに」
「今更なんだけど・・・改めて、よろしくね、リズ」
「こちらこそ。よろしくね、リーネ」
二人は、ここに初めて、正しく相対したのだった。
これまで、リネットの姿をリズリットに見せるため、写真に撮ってみたり石膏で型を取ろうとしてみたり、折に触れていろいろ試してきたのだが、全ての試みが失敗していた。
「リーネって、そんな顔してたんだ」
「なに、思ってたより美人?」
「美人って言うより、可愛いって感じかな。ごめんね、年上に向かって」
「いいわよ、嬉しいし。そう言われたことも、リズと直接話せることも」
「リーネの方は、私のこと今までも見えてたんだよね。私の声も聞こえてて」
「うん。リズは、最初にあったときから可愛い娘だって思ってたわ」
「ん、ありがと」
そんなガールズトークに、セオドアが割って入った
「いや、感動の対面シーンに割り込んで悪いんだが」
「テッド、・・・さっき、話し方変わってなかった?」
「ね、一人称も“僕”じゃなくって“俺”だった」
「いや、あれは・・・」
セオドアは、少し赤面しながら、
「少し興奮していたからね。つい、僕らしくない話し方をしてしまった」
「でも、ねぇ」
「うん、あたしもそう思う」
リネットとリズリットは目配せしてくすくす笑いながら、
「一人称が“俺”のときのしゃべり方の方が、ずっと親しみやすかったわよ」
これまで、それなりに長い時間付き合ってきたリネットにそう言われて、セオドアは少なからずショックを受けた。
「・・・今までは、親しみやすくなかったのかい?胸襟を開いてはくれていなかった、と?」
「だから、そう言う文語調のしゃべり方だと、肩が凝るんだって」
「ん、正直、頭の中で文章に直さないと、何言ってるか分からないときがある」
「ああいうしゃべり方が出来るんだったら、ずっとあれで通したら?」
「・・・しゃべり方が変なのは自覚しているけど、あれを通すのは、それはそれで、自分が自分ではなくなった気がして・・・」
「まあ、いきなりしゃべり方変えられても気味が悪いかもね」
「ね、やっぱりテッドは変なしゃべり方の方がらしいし」
それはそれでセオドアにとっては不本意だったが、顔をしかめるだけで、特に反論はしなかった。
「・・・ところで」
セオドアは、本題に入ろうとした。正直、今までの雰囲気を壊す話題なので、あまり切り出したくはなかったのだが・・・。
「・・・ハンスの言ったこと、どう思う」
「・・・」
「・・・」
案の定、二人とも黙ってしまった。
「僕は正直なところ、小さなことから大きなことまで、俄には信じられないような話が続いて、どうにも頭が混乱している。でも、あの手首を切って見せたところや、その・・・ゲルハルトさんを・・・殺して、その結晶でリズにリネットの姿を見えるようにしたところを考慮すると、実際、本当のことを言っているのかも知れない。その一方で、実は真実をちりばめた嘘を言っているのかも知れない。とくに、秋津とヴィシーの戦争が『光の一族』の差し金によるものだとか、ホルシュタインも参戦するかも知れないとか、その辺りの話はどうにもうさんくさい」
ゲルハルトの件は、リネットもリズリットもあえて話題に上らせなかった、ということを重々承知の上で、セオドアはこのセリフを吐いた。
「特に、リズを、その・・・殺して、出てきた“武具”を使えばリーネの姿を取り戻せる、と言う件は・・・検証できない。出来るわけがない。大体にして、リーネ。もしそのことが本当だとして、リズの“武具”を使いたいかい?」
「見損なわないで、テッド。そんなこと、望むわけがないでしょ」
「だよね。僕だって、リーネを殺せば祖国の危機が救われると言われても、そんなの願い下げだ。リーネもリズも、犠牲になるべきじゃない。いや、それだけじゃない、『姿を失った者』、そして『影の一族』、そのどちらも失われて良い命ではない。失われて良い命なんて、存在してはいけない」
リネットとリズリットは力強くうなずいた。
「なら、僕らのやることは明白だ。ハンスの言ったことが嘘なら、真実を見つけなければいけない。本当なら、ハンスの言ったこと以外の、リーネやリズ、それに他の『姿を失った者』や『影の一族』を元に戻す方法を見つけなければいけない。その方法が見つかれば、『姿を失った者』はそのまま家族の元に返れるはずだし、『影の一族』も、元の姿を取り戻して、やはり元の家族のところへ返れるかも知れない」
再び、リネットとリズリットがうなずく。
「でもテッド、そんな都合の良い方法が見つかるのかしら?」
「一つ、心当たりがある」
「え、なに?」
リーネとリズリットの問いに答えて、テッドは言った。
「『光の一族』だ。王女に呪いをかけたのが彼ら・・・もしくは彼らの祖先なのなら、その秘術について知らないわけがない。彼らの中枢に潜り込み、情報を取り出せれば、ハンスの言ったことが本当かどうか分かる。もし本当なら、秘術の情報を得ることで、この不幸な連鎖を断ち切れるはずだ」
リネットとリズリットの眼に光が宿った。
強い、決意の光だ。
「そうね、テッド。まずは、『光の一族』に接触することが大事よね。奴らから、情報を取らなきゃ」
「ん・・・怖いけど、頑張る。あたしも、あいつらに何度も狙われてるから」
「二人にそう言ってもらえると心強いよ」
「でもテッド、私たちは自分の目的と一致しているから良いけど、あなたは良いの?あなたは、自分の祖国を救うのが・・・」
話している途中で、リネットは気が付いた。そうだ、これは・・・
「これは、僕の目的とも一致している。もし、秋津とヴィシーの戦争が『光の一族』の差し金なら・・・そして、難民がホルシュタイン参戦のダシに使われようとしているのなら・・・なんとしても、止めなくちゃならない。難民となっているお母・・・、母と弟、それに兵士となって相対している父と兄のために」
不謹慎とは思いながら、リネットとリズリットはうっすらと笑みを浮かべた。
「ね。べつに、“お母さん”で良いと思う。“父”じゃなくて“お父さん”で」
「“兄”とか“弟”も不自然だし、普通に、いつもの呼び方で呼んだら?」
セオドアは顔を真っ赤にして、
「べ、べつに“父”“母”“兄”“弟”で良いだろ!?意味は通じるんだし!」
「でも、なーんか、ねぇ?」
リネットがリズリットに目配せする。
「ん、テッド、元々はそんなしゃべり方じゃない気がする。さっきも言ったけど、普通にしゃべって良いんだよ?」
「だよね、もう結構長いこと一緒にいるんだし」
セオドアは耳まで真っ赤にして、二人から目をそらした。
「別に良いじゃんよう・・・今までのしゃべり方でさぁ・・・」
「そうそう、その言葉遣い!それがテッドの自然なしゃべり方だと思うわ」
「テッド、ずっとそのしゃべり方の方が良い」
女の子二人にからかわれて、セオドアはもうどうして良いか分からなかった。女の子と一緒に旅して、女の子に慣れてきていたと思っていたのだが、どうやらそれは思い上がりだったらしい。
「わ、分かったよ、なるべくこのしゃべり方で通すから!そんなに責めるなよぅ・・・」
ちょっと涙目でそう言うと、女の子二人は、声を上げて笑い出した。
第十一章 これからのこと
「テッド、それで、『光の一族』にはどうやって接触するつもりなの?」
「いまのところ、『光の一族』には知り合いが二人。ハンスとジュリアン。だけど、もちろんハンスは信用ならないどころか、危険ですらある。出来ればジュリアンさんにもう一度会いたいけど・・・もう、タツオカからは離れちゃってるだろうなぁ・・・ここの『影の一族』はいなくなっちゃったし、タツオカの争乱も落ち着いちゃったし。とりあえずは、ハンスが前にやっていたって言う、災厄が起こった土地に素早く移動する、って方法で動くしかないだろう。あの二人以外の『光の一族』に接触できるかも知れないし」
「ね、テッド」
リズリットがセオドアの服の裾をクイクイ引っ張った。
「ん?なに、リズ」
「あたしを餌にするのは?」
「・・・どういうこと?」
「災厄の起こった土地には『影の一族』を狩るために『光の一族』が来るんでしょう?その土地に現れた『影の一族』を捕獲しても、あたしがいれば、『光の一族』の『羅針盤』は反応すると思う」
「それは、危険だよ。ハンスみたく、はぐれものの『光の一族』に見つかったら、また襲われるかも知れない。それに、『光の一族』のみんながみんな、ハンスやジュリアンみたく単独行動をとってるとは限らないじゃん。集団で襲ってこられるリスクを考えると・・・」
「そうよリズ、それは危険すぎるわ」
実は、この案はセオドアもリネットも頭の中では考えていた。しかし、今では大事な仲間となっているリズリットを、囮に使うような作戦は端から却下していたのだ。
「でも」
意外なことに、リズリットは食い下がってきた。
「多少のリスクは、仕方ないと思う。もちろん、他に良いアイデアが出たら、それに従う。でも、それまでの間はこの方法で行くしかないと思う」
セオドアもリネットも何とかリズリットの提案を却下したいと思ったが、即座に良い代案が出てこなかった。
「じゃあ、あたしの案で良い・・・」
「ちょっと待った、リズ」
セオドアは何とかリズリットを思いとどまらせるために、代案をひねり出した。
「リーネ、憶えてる?最初に出会った町での出来事を」
「え、なんのこと?」
「最初にあった町で、確か珍しく食堂で昼食を摂ろうとしたとき、ハンスに会ったことがあったよね?」
「・・・あー、そう言えばあったかも」
「そのとき、食堂の女将さんとハンスはやけに親しげだった。もしかしたら、あの人ならハンスのことを何か知っているかも知れない。そりゃ、『光の一族』についての直接の手掛かりにはならないかも知れないけど、それでも何か、有用な情報が得られるかも・・・。リズの提案のことを考えるのは、その後でも遅くないと思う」
「確かに、それは良い考えね」
「そんなことがあったんだ。でも、その町までは遠いんじゃないの?」
「確かに遠いけど、思い出してご覧。途中でも、災厄に見舞われた土地はあっただろ?その土地土地で、よそ者を見かけたかどうかを聞いて回れば、『光の一族』の実行部隊について、めぼしい情報が得られるかも」
「それは良いアイデアね。リズ、まずはテッドの提案に乗ってみましょ」
「・・・ん、分かった」
こうして、話はまとまった。後は、目的に従って動くだけだと思われたが・・・。
「ねえ、テッド」
「ん?なんだい、リーネ」
「あなたのお母さんと弟さんがいる難民キャンプ、ここから近いんでしょ?」
「・・・まあね」
「だったら・・・顔を合わせてきたら?」
「・・・、いや。止めておくよ」
「どうして!?」
「二人には、裏ルートを通じて仕送りをしていたんだ。その仕送りがここのところ途切れてる。もちろん途切れる理由は――だいぶぼやかして――手紙に書いたけど、やっぱり会いにくい。それに、元秋津難民が難民キャンプに入って、そしてまた出てくるのは、至難の業さ。命の危険を冒すか、かなりの額の袖の下を用意しなけりゃならない。下手すりゃ、この旅もここでお終い。難民問題を解決して、祖国を救うっていう俺の目的も果たせないまま終わっちまう」
「・・・そう。ごめん、変なこと言って」
「いや、リーネが気に病む必要はないよ。むしろ、気を遣ってくれてありがとう、って気分だ」
「テッド・・・」
リズリットがおずおずと言った。
「早く、目的が果たせると良いね。三人の目的が一つになったんだし」
「ああ、そうだね。やっと、ここから、俺たちの本当の旅が始まるって気分だ」
「うん、そうね」
「ん、がんばろ」
三人は、漠とした目標ではあるが、最終的な到達点が定まり、そして三人バラバラだった旅の目的が一つになったことを心のどこかで喜んでいた。
そして、すがすがしい気持ちで、新たな一歩を踏み出したのだった。
夢で見た話が元になっています。
夢を見た当時はとても面白い夢を見た気になっていたのですが、今となっては何が面白いのか全く分かりません。
面白さが分かった方、私にその面白さを開設して頂けませんか?