第八話 ……わたしは、さすらいのニート
森の中は思ったよりも隙間があり、樹海と言えるほどの木々はない。
零れ落ちる光が草木を照らし、どこか和やかな雰囲気が漂っている。
昨日は余裕がなかったから、勝手に歩きにくい森だと思っていた。
しかし、足元に気をつければ、素人の俺でも散策ができそうだ。
「とはいえ、これは足に来るな」
《そうなんですか?》
「日本でこんな森に入った事ないし、現代人の俺にはキツいわ」
ピクニックや登山が趣味の人にとっては、この程度の森は踏破できるのだろうな。
まあ、俺も冒険者になってしまったので、今後はこういう場所も慣れなければいけないが。
《それで、昨日の場所は見つかりそうですか?》
「そうだなぁ……」
足元に生える薬草を摘みながら、俺達は会話を交えていく。
ソフィーに教えてもらった通りに、根っこを傷つけないように採取してっと。
なんでも、薬草の根は漢方になるのだとか。
異世界にでも漢方があるのかと思ったが、どうやら言語翻訳が似たような単語に翻訳したらしい。
読み書き会話。
全ての言語関係は、これのおかげで滞りなく意思疎通ができている。
これもスキルなのではないかとティナに尋ねたところ、神様がサービスしてくれたの事。
……異世界に来てまで、他言語を勉強しなくて良かった。
《お、これは》
「なんとなく、俺も感覚が伝わったぞ」
辺りを警戒していた俺は、例のスキルが発動したと本能で理解した。
左前方の先が気になり、あそこへ行くべしと訴えが来ている。
つまり、この先になにか厄介事が待っているのだろう。
鬼が出るか蛇が出るか。
どちらにしても、面倒な事には変わりないが。
ため息を一つ。
ショートソードを抜いて方向を変え、草木を掻きわけていく。
暫く進むと、少し開けた場所に出る。
《昨日の箱がありますね》
「それと、あいつもな」
白を基調としたプレゼントボックスの周囲を、グルグルと徘徊しているゴブリンが一匹。
ぎゃあぎゃあ鳴きながら、時々手に持つ棍棒で箱を突っついている。
というか、昨日も思ったけど。
ゴブリンって、群れで活動しないのか?
ゲームや小説では、大概のゴブリンが三匹以上で行動しているんだが。
まあ、こっちからすれば、むしろ都合がいい。
《どうしますか?》
「……いつかは、魔物を殺さなきゃいけない時が来る。
だから、今ゴブリンが一匹という、この絶好のチャンスを逃したらもったいない」
生き物を殺す事には、嫌悪感がある。
だけど、言い方が悪いが、そんな些細な事でウジウジと悩むのは時間の無駄だ。
覚悟なんて大層な物はないし、きっと一生罪悪感に蝕まられるのだろう。
しかし、これも俺が生きるために必要な事。
《賢人様?》
目を瞑って、深呼吸。
一つ、二つ、三つ……よし、腹は括った。
「おい!」
生死のやり取りを意識するため、あえてゴブリンの前に現れた。
声を上げる俺に、緑の小人は振り向いて目に剣呑の色を宿す。
震える武器の切っ先を静めながら、俺はこちらに駆け出すゴブリン目掛け、兜割り。
「おらぁっ!」
しかし、ゴブリンが翳した棍棒とぶつかり、ショートソードが半ばまで食い込んでしまう。
咄嗟に柄から手を離し、後方へジャンプ。
《大丈夫ですか?》
「ああ」
短く言葉を返した俺は、足元の石を掴む。
そして、野球のボールのように、ゴブリンの腹部へと投球。
「ゲギャッ!?」
腕でお腹を覆い、膝をつくゴブリン。
隙だらけなその姿を見て、俺は一緒に落ちた棍棒からショートソードを抜く。
慌てた様子でゴブリンが立ち上がろうとするが、頭をかち割られた事により、それは叶わない。
白目を剥いて倒れ伏す魔物の最期に、俺はゆっくりと乱れた意識を整える。
《お疲れ様です》
「ああ……思ったより、罪悪感がないな」
《それはそうでしょう。
神様がその他諸々のアフターケアをしましたから》
「そういえば、そんな事も言ってたっけ」
どうりで、異世界への順応が早いと思った。
いくら腹を括ったとはいえ、普通の現代人のメンタルでは耐えられないはずだし。
……今回の事は、神に感謝しておこう。
《そんな事より、箱ですよ》
「中が無事だといいんだけど」
気を取り直して白い箱に目を向けると、ある違和感を覚えた。
昨日、俺はゴブリンから逃げたんだが。
その時、箱のフタを開けたままだったと記憶している。
しかし、目の前のプレゼントボックスは固く閉じられており、侵入者を拒む砦のような雰囲気が伝わってくるのだ。
《変ですね。
ゴブリンがフタを閉めたのでしょうか》
「いや、それはない」
《なぜ?》
「だって、こいつは箱の周りを回っていただろ?
それってつまり、こいつも箱の中身を知らなかったって事じゃないか?」
俺の推測を聞き、ティナはなるほどと肯定の声を上げる。
《では、他の魔物が箱を閉めたと?》
「それか、人が来て閉めたか。
まさか、箱が勝手にフタを閉めるわけないし──」
思わず笑おうとした瞬間、箱がガタリと揺れた。
《……動きましたねぇ》
「……動いたな」
やはり、俺の見間違いではなかったか。
自然と声を潜めた俺達は、忍び足で怪しいボックスへと近づく。
手に持ったままのショートソードを構え、いつでも攻撃できるようにする。
《どうするんです?》
「そんなの、開けるしかないだろ」
つんつんと切っ先で箱を突けば、ガタガタッと小気味よく揺れる。
《なにしてるんですか?》
「いや、危険じゃないか確かめようと」
中に爆弾でも入っていたら、怖いし。
というか、本当にどうすればいいのか。
箱の中身が凄い気になるが、中になにが入っているかわからない。
最悪の場合、開けたらドカンと爆発する可能性が。
最後の一歩が踏み込めず、二の足を踏んでいると。
「うぉっ!?」
一際激しく箱が揺れ、ゆっくりとフタが上がっていく。
暗闇の切れ間から、徐々に煌めく白髪が露わになる。
「って、髪?」
つまり、中に人がいるという事か?
戸惑っている俺をよそに、頭にフタを乗せた白髪が回転。
後ろを向いていた赤い目とかち合い、辺りになんとも言えない沈黙が舞い降りる。
「……」
「えっと?」
「……おやすみ」
「はっ?」
鈴が鳴る如き気だるげな声で、箱の中にいた人がポツリと呟いた。
思わず固まる俺を尻目に、そのままフタを下ろして箱を閉じてしまう。
……って、ちょっと待て!
「おい、いきなり箱に籠るなよ!」
「……眠い」
「じゃなくて! 色々と聞きたい事があるんだけど!」
「……わたしは、さすらいのニート」
意味わかんないから!
なんでこの世界にニートの概念があるのか知らないが、そんな事よりさっさとこいつを箱から出さなければ。
結局、この引き篭もりが再び箱を開けるまで、三十分ほど時間がかかるのだった。