Hey Osiri
昨年発売された「Nフォン」というスマートフォンには「Osiri」という最新の音声認識機能が付いている。
音声認識機能と言えば、話しかけられたり質問された内容に対して、情報を検索してくれたり、スケジュールを確認してくれたりするものである。
例えばスマホに向かって
「太郎に電話」と話しかけた場合、機能が代わりに「太郎」の電話番号を探し出し、持ち主の代わりに発信してくれる。
一方、新しく開発されたOsiriは会話機能が大幅に強化されており、持ち主はまるで生身の人間と会話している気分になるそうだ。
***
部活が終わり、高校の最寄り駅で電車を待っていた時のことだった。
俺はガラガラの駅のフォームでベンチに腰掛けていた。時計はすでに20時を回った所であり、ほとんど人影は見当たらない。
俺が部活の疲れでうとうとしていると、ふいにベンチが揺れた。驚いて隣を見ると、さっきまで居なかった白髪の男が前のめりになって座っている。
おかしい。他にも座れるベンチはたくさんあるはずなのにこの男は何故俺の隣に座ったのだろう。はっ、まさか……そっち系の人か!?
俺が警戒しながら立つ機会を伺っていると、白髪の男はおもむろにスマホを取り出した。そのやや分厚いフォルムを見た所、どうやら新型スマホの「Nフォン」のようである。
男は前かがみの体制のまま、膝の上に置いたNフォンに向かって掠れるような声を発した。
「ヤマ子に電話……」
ポン、という電子音のあとOsiriが音声を発した。
――申し訳ありません、ヤマ子さんの電話番号にお掛けすることが出来ません。
「なぜだ」
先ほどと同じく掠れているが、より低い声を出す男。
Osiriの方も、先ほどと同じくポン、と電子音を出した後に続ける。
――知らない方が良いと思います。
俺はその返答に驚いた。まるで生身の人間と話しているかのような返しだったからだ。
「いいから教えろ!」
どもった怒声が夜のホームに響き渡る。
――着信拒否されています。
Osiriの音声のあと、この3番ホームはしばらくの静寂に包まれた。
「うわああああああ!」
かと思うと突然男は発狂し、頭を掻きむしり始める。
「なぜだ! 着信拒否されてしまったのは何故なんだ!」
すると男のNフォンの画面がまたポン、と音を立てた。
――はい、こちらをお探しですか?
そして画面が切り替わったかと思うとそこには見た事のある検索エンジン画面と共に、こんな文字列が並んでいた。
――もしかして:生理的に受け付けない
完全に煽ってる!
「うわあああああああ! うわああああああああん!!」
その画面を見た男は更に発狂する。Osiriとの会話の流れを見ていると、どうやらこの男は彼女に振られ、しかも着信拒否されてしまったようである。
「なぜだ! 俺はこんなにイケメンなのに!!」
――はい。ご主人様はカリフラワーよりも毛深いです。
そしてここで謎の切り返しに出るOsiri。
もう限界だ、頭がおかしくなる前にこの男から離れようと思っていると、男の声は幾分トーンダウンした。
「なあOsiri、俺がヤマ子と出会ったときの事を教えてくれ」
思い出に浸る気なのだろうか。
――かしこまりました。ご主人様とヤマ子さんが出会ったのは、去年の12月24日、あれは雪の降りしき夜でした。
随分ロマンチックな出会いだったんだな。
「懐かしいな。たしか出会った場所は富士の樹海だったな」
ん? ……冬の夜に樹海?
――はい。その時ヤマ子さんはちょうど自殺死体の遺品を漁っていました。
完全にヤバい奴じゃねぇか。
「そうだったなあ。俺が死のうとして樹海に迷い込んだところでヤマ子に噛みつかれて助けられたんだよな」
それ殺そうとしてたんだよ。
だが男の声は少しづつ明るくなってきている。
「なあOsiri、ヤマ子の好物は何だったか覚えてるか?」
――ヤマ子さんの好きな食べ物はチョコレートと、
あれ? 案外かわいいな。
――それから人の断末魔。
前言撤回。そいつは悪魔だ。
――それからトノサマバッタです。
何の連想ゲームなんだよ。
「あいつは本当に食いしん坊だったな」
しかし男の顔には笑顔がにじんでいる。
「釣りに行ったらエサもルアーも全部食べるし」
――ご主人様も3回食べられました。
なんで生きてるんだよ。
笑いながら話しているが、笑いながら話せるような内容ではないことは確かである。
「おいOsiri、ヤマ子の顔は可愛かったよなあ!」
まるで友達に同意を求めるようにOsiriに話しかける男。
「あいつは芸能人の誰かに似てたよなあ。そうだ、女優の沢田恵子だ!」
――はい。ヤマ子さんの顔面は、女優の沢田恵子さんの体内のミトコンドリアにとてもよく似ています。
どんな顔面なんだ!?
「それなのに、それなのに……! もう、死にたい……」
今までの幸せな生活とのギャップに耐えられなくなったのか、男はうずくまって泣き出した。
――はい、首つり自殺などはいかがでしょう。
まるでおすすめメニューのような言い方である。
「首つりってなんだよ! ちっとは止めろよ!」
ここで初めて突っ込む男。
――失礼しました。元気を出してください。家に帰ればヤマ子さんのエサ代で膨らんだ5000万円の借金が待ってますし、明日は日曜日なのに強制出社ですけど頑張ってください。
Osiriは完全に殺しに掛かっている。
「そうだな、死ぬのは止めだ。だが」
何故か納得する男。
「Hey Osiri、俺と付き合ってくれ」
今度は何を思ったかOsiriに向かって告白する。
これにOsiriはどう返すのだろう、と思っていると急にNフォンから火花が走り、爆発音と共に弾け飛んだ。
俺も男も驚いて飛びのいた後には、煙の立ち込めるNフォンが残されていた。
自害しよった……。どれだけ嫌だったんだ。
その時、貨物列車が轟音を響かせ3番ホームを通り抜けていった。それはまるで昔の思い出も、未練も、全てかき消してしまうかのような叫びのようで、男は貨物列車が通り過ぎるまでずっと煙を上げるNフォンを神妙な顔で見つめているのだった。
おわり
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