第3話 命の選択(1)
気が付くと辺りは真っ白で何も無い空間だった。
暑くも無く、寒くも無く、時間の流れさえ感じる事の無い虚無の空間。
自分という自我を意識して保っていなければ周りの空間に溶け込んでしまいそうな気がする。
普通なら自我消滅の危機対して畏怖するかも知れないが、もう何も自分には残されていないと人生を諦めてしまった人間には、徐々にでも自分が消えて無くなるといった恐怖さえも安らぎと感じてしまう。
ことここに至ってようやく生前の記憶が戻って来て、自分の人生が終わった事を思い出した。
(そう言えばオレって確かに死んだよな。何でこんなところに居るんだろう)
もしかしてこれが輪廻転生の瞬間というヤツなのでは? でもあんな人生というか最後だったし、ここで神様が出て来てもう一回人間をやれって言われたらそっちの方が困るかな。
オレとしてはこのまま消えて無くなるのが一番良いと思っている。
お、それなら簡単じゃね? このまま何も考えず全てを忘れてボ~っとしていれば無になれそうな気がした。
(さよならオレ。せっかく生まれてきたのにあんな人生でごめんな。もう二度と人間なんかやらないから赦してくれよな)
考える事を止めて自我を手放し再び深い眠りへと誘われ……るはずだったんだけど、あと少しで消えてしまえそうなところで誰かの声が聴こえる。
『ちょっと待つのじゃ、そこの少年。消えるのはまだ早いぞ!』
(だれか居るのか?)
気が付くと目の前には深い紫色の上品なローブを纏った神様っぽい女の人が浮かんで立っていた。
『妾は”死を司る神”と呼ばれておる存在じゃ。本来ならば女神の誰かがお主の担当となるはずだったのじゃが、其方の死因がちと稀なケースでの。それが理由で誰も担当したがる者がおらなんだのじゃ』
暗い紫色のローブの両肩には着衣よりも更に黒のロングヘアーが首の両側から胸の上へと垂れていて、こちらを見つめる大きな瞳は髪と同じ黒――だがよく見ればそこには全ての光が吸い込まれて全く反射される事の無い完全な黒い瞳。
オレと同じ日本人の様な印象も受けるが、日本人ではあり得ないほど透き通った白い肌が美しいを通り越して神々しさすら感じさせる。
でも少しだけ残念なのは胸が大きく育っているにも関わらず、胸ほど育っていない低身長が合法ロリと呼ばれる一部の者にしか需要が無さそうな所だろうか?
『”ぽい”とは何じゃ、”ぽい”とは!それに一部の者にしか需要が無さそうなどとはちと無礼ではないのかの?! 妾は正真証明の神族の一人じゃ。お主の境遇を哀れに思い、人生を再スタートするチャンスをやろうとわざわざ来てやったのにそれはなかろうて……』
他所ではどうだか知らないが、オレの住んでいた日本ではその手の転生ネタなんて巷にイヤと言うほど溢れていてオレも何度か読んだ事はある。
だからそれくらいでいちいち驚いては居られないし、そもそもオレのクラスメイトの中にも何人かがその手の物語にハマっていたヤツが居たのも知っている。
だがあれらの物語はただの創作物では無く、異世界から無事に生還した者たちが居て事実を伝えていたと云う事だったのだろうか? でもその内容が余りにも突飛すぎた為に社会に受け入れられる土壌が育って無かったから、娯楽作品として普及してしまった可能性がある。
”事実は小説より奇なり”とはよく聞くが、死んで初めて解る事もあるのだなと思った。
『どうしたのじゃ、なぜガッカリしておる。もう一度人生をやり直せるのじゃぞ?もっと喜ばんか』
(あ、すみません。それなら間に合ってますからもう結構です。やっと現実世界からここまで逃げてきたのに、またあの世界へ戻って人間としてやり直すだなんてどう考えても悪いイメージしか浮かびません。このまま消えて無くなりたいです)
相手が喜ぶと思って買ってきた誕生日プレゼントを訳も知らずに拒否されたような、そんな残念そうな顔をした神様が口をカクカク動かしながら固まっている。
これではチンチクリンとは言えせっかくの美貌が台無しだ。
死を司る神様ならオレのような迷える魂をサクっと刈り取ってしまうのが仕事ではないのだろうか? オレは少しだけ申し訳ない気持ちになったが、ここで相手の意見を尊重するとまたあの世界へ送り返されるのでは無いかと考えて無言のまま神様をじっと見つめる。
『そうか、では元の世界では無いところで、人間で無ければ転生しても良いのじゃな?』
あれ? 何か神様がムキになって来たような気がする。
そうでは無くて”消えてなくなりたい”と最後にちゃんと伝えたはずなんだけど、オレの返答の仕方が悪かったのか、何が何でも生き返らせてやる! みたいな感じになってきたぞ……これはマズイな。
『そういえばまだ転生者の力が必要とされる世界があったな。お主が元居た世界とは違い機械文明では無くて魔法文明が発達した世界じゃ。あそこならお主の希望に合うかもしれんの』
(ですから、オレは先ほどから転生なんて一度も言ってはいません。例えそこが異世界で魔法が使えて俺TUEEEが出来てハーレム状態になれるとしてもです。もうオレの人生は終わったんですから魂の終息を希望します)
神様がオレの目を見てから”ハァ”と深い溜息をつく。
『そうか、そこまで詳しく知った上での判断なら仕方が無いのじゃ。異世界への転生は誰か別の者に行って貰うとしようかの、本当に残念じゃ。お主ならあの世界で生まれ変わるであろう妹殿を今度こそ守れるかも知れないと思ったのじゃが。……ではさらばじゃの』
(ちょ、ちょっと待った!その異世界とやらには里奈が居るのか?)
このダメ神め、最後にサラっと重要な事を吐いたぞ。
『もう里奈殿では無くて別の存在になっておるが、その魂はお主の元妹殿のものじゃ。ではもう良いかの?』
(良くないからちょっと待とうか。――で、その異世界とやらに生まれ変わった里奈がもう別人なのは判った。でもまた誰かに生命を狙われたりするのか?)
『因果は巡るという言葉は知っておるかの? お主が妹殿の仇として一人の男を殺めた事によって、妹殿の運命にあの男の運命の糸が絡みついてしまったのじゃ。この場合は兄の因果が妹に降りかかるケースじゃが、元妹殿の前にあやつの魂は必ず現れるはずじゃ。でももう関係無いんじゃろう?』
いやそれって関係大ありだろ?! オレがあの男を殺したせいで新しい人生を歩み始めた妹の身(魂?)に危険が迫ると聞いてしまっては、それまで何を言われても波紋一つ立てなかった心が急に騒めくのを感じた。
(はい!はい!先生、オレやっぱり転生します!メチャメチャ転生したい気分になってきました。もうその異世界以外では生きて行けない気がします!神様!是非オレをその異世界とやらへ転生させて下さいませませーーー!!)
『だぁ~~~~~うるさいのじゃ。だれが先生じゃ、最初から素直にそう言えばいいのじゃ。お主がその世界へ行く事は既に運命を司る女神から聞いておるのじゃ』
チッ、なら最初からそう言えよこの残念神め――なんて言ったらチビでボインの神様が気を悪くするかも知れないな。口は災いの元だから気を付けろっていつも言われてたっけ。
『念のため言っておくが、ここでは話さなくても考えただけで伝わるのじゃ。そもそもお主は最初から一言も話してはおらん。 全て念話による会話じゃからの。 もしかして気付いておらなんだのか? それに妾にはコレといった決まった姿形は持ってはおらんから、もし妾の姿がチビでボインに見えるとしたら、それはお主の深層意識がそれを望んでいるからなのじゃ。もう立派な犯罪者予備軍じゃなw』
オレはもしかしたら取返しのつかない事をしてしまったのかも知れない。
一番の地雷であろう”残念神”について一言も触れていない事が逆に怖い。
そんな事を考えていると猛烈に恥ずかしくなり穴があったら入りたい気持ちが今になって理解出来た。