第二皇子は魔女を妻にした
第二皇子は魔女を妻にした、という話は国民にも広まっていた。兄である第一皇子である次の王はこの国に降る雪のような白い肌をもつ美しい妃をとったのに、と嘆く人々もいた。しかし、第二皇子は病弱で王位を告げず、性格も変わり者であるから仕方ない、そのような人間が国王にならないのなら良いとまで言う人間もいた。
「カトレア様、お茶をご用意致しました」
「ありがとう」
メイドの入れた紅茶を飲みながら、窓の外に降る雪を眺める。私こそが魔女と恐れられる第二皇子夫人のカトレアである。魔法国家からこの魔法になじみのない国へ政略結婚させられた元姫だ。自国では魔法に長けているのも勤勉であるのも美徳であったが、この国ではそれは恐れる対象であるらしい。そんなわけで王宮の中でも少し肩身の狭い生活を強いられているが、そんなに苦しい思いをしているわけでもない。
「美味しい紅茶ね」
「お気に召しましたか?南方より取り寄せた輸入品です」
「貴方が淹れてくれるからかしら?シェリー?」
「カトレア様そんな可愛らしいことを嗚呼今のを殿下にお聞かせした…」
「シェリー」
「取り乱しました。また取り寄せておきます」
私に与えられたメイド達は何故か3日ほどで私によく懐いた。シェリーはその一人である。私よりも少し年上でこの国によくある茶色の毛をひとつに束ねる美しい顔をした女性である。よく暴走する感情豊かな性格であるが、メイド業はそつなくこなしてくれているので問題はない。
この国では稀有な自分の白銀の髪を撫でる。それといっしょに深い青の髪飾りがしゃらんと揺れた。
「そうだ、殿下が本日体調が優れていらっしゃるから、一緒に庭に出たいと仰っていて」
「そう」
「昼食後にこの部屋にいらっしゃると」
「シェリー?今って昼食後よね?」
ぴたり、と彼女の動きが止まった。私は飲みかけていた紅茶をゆっくりと机におき、素早く彼女を見る。
「私もさっき聞いたんですって!」
「嘘おっしゃい!だからあの方に頂いた髪飾りを選んだのでしょう?」
「落ち着いて下さいカトレア様、殿下がそうしろというから私はお伝えできなかったんです!」
「落ち着けないわよ、どうしましょう。今から着替えた方がいいかしら」
「あー、僕は今のままでも、素敵だと思っているよ」
「そんなはずないわ!ただでさえ私はあの方より3つも年上のおばさんなのに……僕?」
振り返ると少し気恥ずかしそうにはにかむ青年がいた。私を娶って三ヶ月経つ変わり者の第二皇子、私の、旦那様。穏やかな目と通った鼻筋の、美形ではないが整った顔立ちで健康そうな体つきのギルバート様。本当は何故か病弱で何故か私を気にかけてくださる素敵な御方。失態を見られて変な声が出そうだ。
「君の驚く顔が見たくてね、シェリーに頼んだんだよ」
「…落胆したでしょう」
「ううん、嬉しかった。カトレアが僕のために慌ててくれるのが。…でもおばさんなんて酷いな、君は…あー…とっても、その、綺麗なのに」
言葉を選んでいるというには赤くなりすぎた彼の顔を見つめる。彼は私を褒めようとするといつもこうなってしまうのだ。大方、病弱なせいで女性に慣れる機会があまりなかったのだろうと予想している。
「ギルバート様、今日は雪ですよ?外はあまりよろしくないのでは?」
「外の牡丹がとても綺麗なんだよ!東の国から仕入れた花でね、寒いと咲くんだ。君の白銀の髪によく似合う綺麗な赤い花を咲かせるんだ。それを君に見せたくって」
子供のようにはしゃぐ彼を見て笑みを零す。子供のようにと言ってしまったが、彼はまだ16なのだ。そうなってしまってもおかしくはない。私は彼の手をとって、魔力をのせた文を唱える。
「少しだけ、暖かくなる魔法をかけました。ローブを着て、少しだけ庭を回って戻りましょう?体調を崩されてしまう前に」
「…我儘を言ってしまったね」
「ギルバート様が私に見せてくださるのでしょう?これ以上の幸せはございません」
「…君は、ずるい人だ」
きょとん、として首を傾ける。彼がまた少し顔を赤くした要因を探して、慌てて手を離す。
「それだけではないんだけどね」
手を離した意図を察した彼は少し苦笑する。彼の目を見つめて真意を聞こうとするが、今度は彼は優しく笑った。
「雪がまだ少ないから早めに行こう、寒くないうちに」
「はい」
差し出された手をとった。
******
「〜っ、くしゅ」
侍女が慌てて私に毛布を渡す。それを受け取り膝にかけ椅子の背もたれに少しもたれる。
今は暖炉の前でギルバート様を待っている。ギルバート様は体調を崩されていないようで終始「魔法ってすごい!寒くない!暖炉の前にいるみたいだ!」とはしゃいでいた。そのご様子を見て密かに私は喜んでいたのだが、自分にその魔法をかけるのを忘れたという失態を犯した。風邪はひきにくい体質だから大丈夫だとは思うが、一時的にとはいえ自国よりはるかに寒かったから体が吃驚してしまったのかもしれない。馬鹿なことはするものではないなと思い知らされる。
「第二皇子がお見えです」
「お通しになって」
侍女は深々と頭をさげる。そうして暫くすると彼が入ってきた。そして、その瞬間。
「…へくちっ」
小さくくしゃみをしてしまった。もし風邪で彼に移してしまってはどうしよう、そう思い咄嗟に顔を上げる。今日はお帰りになった方がいいかもしれません、そう言おうとすると、彼は真剣な顔でこちらに向かってきた。今はこっちにきてはいけませんよギルバート様。その言葉も間に合わず彼は私の肩を掴む。
「すまない、無理させてしまった。君の国はここより温暖な気候だったね」
「いいえ、ただ、寒くなると出るだけで体調は大じょ、〜っ、くしゅ」
「…くしゃみまで可愛いのは僕が末期だからかな?シェリー」
「いいえ、殿下。この暖炉の火を見るよりも明らかでございます」
「ギルバート様、前々から思っていたけど、本当に使用人と仲がよろしいのね?」
「兄様や父上には内緒だよ、怒られる」
「貴方様がお望みになるなら、くしゅん」
彼は私を見ておろおろしているようだった。自分のせいで私の体調を崩してしまったと思っているのだろう。侍女までどきまぎしているようだ。私は侍女の用意したミルクティーを飲む。暖かい甘い液体が食道を通り、体の中に入っていく。目を閉じてその温かさを堪能し、暫く沈黙した後目を開けた。
「…温まれば大丈夫なんです。ほら、もう止まったでしょう?」
「…よかった、僕の病弱が移ったのかと」
「何をおっしゃるのです」
そんなことあるはずもない、と怪訝な目で彼を見る。彼は真剣な顔でこう続けた。
「最近僕が調子がいいのは君に不調を押し付けているのかと思って、どうしようかと」
「ああ確か、そんな魔法あったような」
「そんなこと絶対しないでくれ!」
彼は滅多に出さない大きな声で私に詰め寄った。掴まれていた肩が強張る。私の状況に気づき彼はぱっと手を離した。侍女たちが困り顔で俯いている。少し可哀想だ。
「…すまない、ただ」
「いいえ、ギルバート様。貴方が嫌がることは致しませんし、今までもそのような魔法はかけておりません」
「…それならいいんだ、ただ、君が辛いと僕、は…」
言いかけて、彼は止まった。どうしようという表情が見て取れる。流石の無表情女である私もこれは表情を変えずにいられなかった。耳まで赤くなった彼の様子に何も言い返せない。
「…シェリー、他の子達と一緒に外で待っててくれる?」
「承りました」
やっと出た私の言葉にそそくさと出て行く侍女たち。ああきっと、明日中にめちゃくちゃ広がってるでしょうね、なんてことでしょう。
「ギルバート様、とりあえず椅子にかけませんか?」
「…ああもう!」
彼は私の手を掴んで、力強く引き寄せて、ぎゅ、と私を抱きしめた。状況を文章にしてから、私はもう一度その文章をなぞる。抱きしめる?彼が?私を?認識して、私は今度こそ呼吸困難になりそうだった。
「魔女って言うからどんな人かと身構えながら楽しみにしてたら!」
「…そこは楽しむのですね?」
「白銀の髪が綺麗な僕より頭がいい魔法が上手な年上のただの優しい女の子だし!心配性だし!」
「…あの」
「最初は表情を変えないから心配だったのに!髪飾りをあげただけで嬉しそうな顔をするし!兄様の夫人のが美人って言われてるけど!あれはカトレアの笑顔を見てないからだ!」
「ギルバート様」
「病弱で王位を告げないのを知っていても、無理矢理政略結婚させられても、国の家臣が無礼でも、…君は、優しい」
「…ギルバート様!」
畳み掛けるように捲したてる彼の名を呼ぶと、彼は言葉を止めた。私を解放して、一歩離れて私を見る。彼の深い緑色の目は少し揺れた。
「どこかの戯曲で言ってたんだ、緑色の目は嫉妬深い怪物の目だって、僕は、君に不釣り合いで」
「ギルバート様」
消え入りそうな彼の声を遮って彼の目の奥を覗き込む。
「あまり、こういうことを何度もいうのは苦手なのです」
言うと、不安そうに彼が声にならない声を漏らした。私は彼が逃げないように彼の腕を掴む。
「愛してます、貴方を」
「…え、」
私の言葉が予想と違ったのか、彼は小さな声を発しただけだった。驚いたままの彼に今度は私が畳み掛ける。
「たった三ヶ月、貴方と過ごしただけの娘です。それでも、貴方は十分すぎるほど私を魅了した」
言うのは恥ずかしいことだと、感情を思いのまま吐露するのははしたないことだと思ってきた。しかし、言い始めると案外止まらないものだ。
「魔女と呼ばれる私を嬉々として迎え入れ、兄上の奥方よりもはるかに女性として劣る私を気にかけてくださった。国民が恐れる私を、国の重役たちが魔法以外に使い道がないだろうと信じている私を、妻として信じてくださった」
「カトレア」
「それが偽りでも構いません、利用しつくして、私を捨てて気に入った側室をとっても構いません、ですから…どうか、まだ、利用できるうちは、お捨てにならないで」
「君は」
「私、努力しますから…だから」
「…とんでもない、悪女に捕まったものだよ」
ため息混じりの彼の言葉に体が硬直する。彼は眉尻を下げて私の頬を撫でる。
「魔法で君に恋させられるよりももっと、タチが悪い。ああもう、どうして君はこんなにずるいんだ」
「ギルバート様、私…」
「僕だって愛してるよ、君のこと愛さないなんて無理だろ?」
少しむすりとして、かつ真っ赤に染まった顔で、彼は私の髪を撫でた。ヒールの履いた私よりも少し高い身長の彼を見上げる。彼は私の前髪を手でかきわけ、そっと額に口付けた。じわりと耳まで熱くなるのが自分でも分かる。じとりと私をにらみながら、彼は言った。
「情けないけど、今の僕はここまでしかできないから」
待っててくれ、とかすれたか細い声で彼は言った。明らかに余裕のない彼は紳士に程遠いけれど、それでも、かっこいいと思ってしまった。今更侍女をよんだところで気まずいだけだ、それなら彼が言ったような悪女になってもっと甘えてしまおうか。流石に、彼の時間をこれ以上拘束するのも憚れるが、このまま赤い顔で返しても殿方のプライドとしては良くないだろう。こんな理由をでっち上げて、私は余裕たっぷりな悪魔のように笑って囁いた。
「…もう一度、抱きしめてくださる?」
彼の赤い顔がさらにその色に染まった。あらあら、と心の中でクツクツと笑いつつ、とんだ悪女になってしまった、と理性が肩を竦めていた。
供養ものです。見直してたら砂糖だばーっと吐いてました。やったぁ砂糖買わなくて済むね!
新年一番の投稿です。これからもよろしくお願いします