リスクヘッジ
裕子はその年、神奈川県にある実家で5年ぶりに家族と共に年越しをする計画を立てていた。
東京で一人暮らしを始めてからというもの、日を追うごと実家に帰省する数が減った。
最近ではほとんど家に寄り付かなくり、結局今年の夏はお盆にも帰らなかった。別に家族が嫌いというわけではなかったけれど、母も父も弟も皆元気だし、特に関心がないから忘れてしまうのだ。
まったく親不孝な娘だと思う。だから大晦日ぐらいはと思い、顔を出すことにしたのだ。身支度を整えていざ神奈川県へ、大した距離ではないけれど、なぜだかちょっとだけワクワクした。
年末特番のテレビをつけながら皆で食べる年越しそばが美味しい。こうして家族全員が集まるのは何年ぶりだろうか。ああだこうだ喧嘩ばっかしてきたけれど、やっぱり家族は良い。
普段は面白くもなんともない地上波放送のテレビも愉快に見えるし、普段は気の合わない弟とだって話しが弾む。一家団欒、思い出話に花が咲かせていたらいつの間にか深夜の0時を超えていた。
朝の4時半、優子たち一家は初日の出を見るために、眠たい目をこすりながら極寒の朝を迎えた。みんな凍えながら起きてくる。改めて、「新年明けましておめでとう」
身支度をして車に乗り込む。まだ皆が眠気まなこの中お父さんだけはシャキッとしていた。ドライバーはつらいぜ。
スポットまでは車を走らせて30分ほど、真っ暗だった夜空が段々と濃い青色に染められていく
「空晴れそうだね」
「そうだね」
「なんか買っていくかー?」
「そうだね」
キャッチボールにならない会話をポツポツ繰り返しながらぼーっと開けていく空が待ち遠しかった。水平線を見渡せる海辺の車道の路肩に車を止めて、まだかまだかとお天道様を待つ。
待ち時間というのは不思議と長く感じるもので、例えば、誰かを待っている時ほど長く感じる時はない。相手が付き合い始めたばかりの彼女だったらドキドキして辺りをキョロキョロしてしまうだろうし
取引先のお客さんだったら姿勢を正して今か今かと待たなくてはならない。それは、太陽の訪れを待つ今もそうだ。1秒1秒を、肌で感じることができる。
そして、ようやく遠くの方に現れたまんまるいお日様は「こんなに綺麗だったけ?」と
思わせてくれるぐらい美しかった。
「今年はなんかいいことがある気がするよ、裕子ちゃん」
「え、ほんと?」
「うん」
「だといいけどね」
「大丈夫よ」
お母さんが、たまにキャラでもない変なことを言う時はだいたい良いことがある予兆なのだ。
今年は何か良いことがある気がして嬉しくなった。
皆でお店で朝ごはんを食べてそのまま家へ帰ってきた。夜には温泉に行こうと計画し、各々が自分の部屋へ戻った。もう一眠りしようかなと部屋のベッドに潜り込む。
何歳になっても、二度寝というのはどうしてこんなにも気持ちいのだろう?まさしく至福のひと時だ。年甲斐もなくベッドの上をゴロゴロのたうち回った。
それにしても、かつての自分の部屋を見渡してみれるとやっぱり懐かしい。机の引き出しを引っ張り出してみると、学生の頃に使っていた教科書やアルバムが出てきた。
若い!思わず頬が緩んだ。
部屋の隅には昔オークションで買った変な絵もそのまんま飾ってあるし、私がここを出た時と、何も変わっていない。
あえて何ひとつ触らないでいてくれているのが少し嬉しかった。またここで暮らすのも、悪くないかも。
部屋のアレコレを探索していると、ふと机の一番下の奥の方に置き去りにされた見覚えのある一冊のノートが目に入った。
目を細め凝視する。気がついた瞬間、裕子は思わず「アッ」と声を出した。
「私が昔書いてた日記だ」
落っこちながら過去にタイムリープしてゆく気分。周りを囲むあらゆる風景がデジタル4Kから黄色く色あせたアナログへと色を変える
恐る恐るペーッジをめくり中身を覗いてみれば、思ってた通りやっぱり顔が真っ赤になった。
中学生から書き始めた日記は、自分でも予想以上に続いた。
コツコツ何かを続けることは苦手だったし、文章を書くことも得意じゃなかったけれど、どうしてだろう。
些細な感情の揺れ動きをを文字に書き起こし、自らの記録として残していく作業が楽しかった。
明日の自分に向けて応援の言葉を書き残す。長い長い1日が終われば、その日の報告を過去の自分へ返信する。そんな一人遊びだって何年も続けた。
なんとなく続けた日記が、いつのまにか習慣付いていた。
でも、、、
「いつから日記、書くの止めちゃったんだっけ? 」
裕子は思い出そうとしてみた。
頭の奥の、奥の奥の、小さな記憶の山をかき分けて「日記」という箱を探す。その記憶は、たしかにどこかにあるはずだった。
でも、記憶の糸は、高校時代のある時点を境に、プツリとちぎれて消えて無くなっていた。
思い出そうとしても、駄目だった。あんなに書くのがすきだったのにどうしてだろう。
日記とダイエットと失恋なんて、そういうものなのかなあ?
かつての自分が書いていた日記には、苦しかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、様々な色をした感情が描かれていた。
ただの活字が描き出すその情景は鮮明で、裕子に眩しささへ感じさせる。過去は、実際に見ることが出来るんだ。
光に乗って時空間をまたがなくたって、タイムマシンに乗らなくたって、こうやって日記を読み返すだけで、過去はに行くことができる。
思いのまま自分自信をを綴ると、こうなるのか。まんまるい活字を目でなぞりながら
「恥ずかしい。。。」と思った。丸裸にされてアクアラインのど真ん中に捨てられてるような気分だ。
初めて付き合った男の子のことや、自分だけの秘密の気持ち、大切な友だちとの思い出、
赤裸々に語ったその中に、もはや秘密はない、他の人に見られたら、たぶん死んでしまう。
本気でそう思った。
_____________わたしのゆめのはなし________________
ずーっと忘れていたけれど、日記には当時の裕子が密かに抱いていた「夢」について多くのことが書かれていた
もともと私欲物欲が少なく温厚で気楽な性格だと思っていたけれど
過去の記録には、激しく自己実現を果たそうともがく過去の自分がちゃんと描かれていた
ある日の出来事である。当時小学生だった優子はその日も学校を終えて友達と遊び
門限である18:30に間に合うように、帰宅しようとしていた
季節は夏だったからまだ辺りは明るくカラッとした月曜日の湯型だっただった
帰宅途中、ドラマの撮影現場に出くわしたのだ。
下町風情な雑多な住宅街と品のない商店街が立ち並ぶこの通りに、けたたましいほどの人だかりができていた
人だかりの隙間の奥には、真っ黒で重そうなビデオカメラを持ったカメラマンやADらしき女の子が見えた
細身な体を駆使して人の隙間を通り抜け中を覗いてみたら、綺麗な顔をした男の子の顔がチラッと見えた。
その子がこっちを向いて今自分と目があった気がした。
その瞬間「ハッ」とした
私は、一般人なんだ。奥にいるあの子は有名人であり芸能人で、私は一般市民であり野次馬なんだ
自分自身が、群がる野次馬たちの一部でしかない、そんな自分がどうしよもなく嫌いだということに気がついてしまった
あの子の綺麗な横顔が、とてもとても悔しかった。
「私も、芸能人になりたい」
高い高い場所に立って、黄色い声援を浴びているアイドルや歌手達は、裕子にとって羨望の的だった。
普通の人たちが絶対に立ち入れない業界は魅惑的で、ひな壇に腰掛ける芸人たちの横に座るタレントが羨ましくて嫉妬した。
「なんにもいらないから、特別になりたい」
裕子は思った。ヨコシマな妄想が加速し裕子は芸能人になることを目指すことにしたのだ
タレント養成所に入り歌の練習をして演技の練習をした。オーディションにも何度も行った。自分なりに頑張っていたつもりだった。
でも、現実は吉備路シク箸にも棒に引っかからないなにをやってもうまくいかなかった。
親ともよく喧嘩をした。私が芸能人になりたいというのはのは、両親の望むべきところではなかったらしい
レッスンやオーディションのための費用をバイトで稼ぎ、疲れきって勉強がおろそかになったりすれば
父親も母親も口を揃えて「そんなのは趣味程度にして勉強をちゃんといしなさい」と私を叱った
腹が立ったけど、学業とバイトと芸能活動を両立することは私には至難の技だった。
そのうち、両親は私に対する金銭的な援助をやめると言い出した。親の援助なしでは芸の活動はやっていけないと思っていた
「どうしてお母さんもお父さんも私の夢を信じてくれないの?!」
私が怒ると
「信じるも信じないも確率の問題だ。親の立場からしてみたら反対するに決まってるだろ。しかも学校を卒業してからやりなさい今お前の仕事は勉強が一番だ」
反論したいけれど、言葉がうまくでてこず、わけわからないことをワーワー泣きながらごねるだけだった。
今思えば、その想いの強さは、そんなに強いものではなかったのかもしれない。
裕子はそのうち、うまくいかないことを親のせいにするようになった。
もっと可愛く産んでくれたらテレビに出られたのに
もっと昔から英才教育をしてくれていたらクイズ番組に出られたのに
子供の頃から子役にしてくれればドラマに出られたのに
もっとお金を出してくれていたらチャンスが増えたのに
そうやって、少しづつできない理由ばかりをさがして、頑張ることをサボるようになったんだ。
うまくいかない原因を他に押し当て自分を肯定するようになった
_________今の私_________
今(現在)優子はみずほ銀行で働くしがない銀行員である。結局、裕子は芸能人になるという選択をしなかった。
いつの日からから、大っ嫌いだった父の「また夢物語ばっか言って」っていう嫌味を聞かなくなったのは
私が「芸能人いなりたい」と言わなくなったからだ。
気がつけば銀行員として働き始めて8年だ。
安定した職に就いた私を両親は喜んだ。だけど、優子の心の奥にはまだ、そんな自分を良しとする自分はいなかった
どこか満足されない満たされないは未だに心の奥の方にある。不完全に燃焼された想いの欠片が身体中を時々チクチクと刺した感覚だ。
でも、その痛みの謎が今ならわかる。簡単なことだ。
私は、売れないことによる挫折と、約束されない将来というリスクを選ぶことが出来なかった
本気で必死こいて追いかけることが出来なかった、しなかった。ただ、それだけだ。
必死に行動できなかったから、私は今の現実を作り出した過去の自分を憎んでしまっている。
どうしようもない後悔をしている。
必死に喰らいつかなかった過去の自分を受け入れずにいる。
だけど、行動を起こしてこなかったことは、結局は私にとっての夢とは、
夢とはほど遠い小さな願望に過ぎなかったのかもしれない。
「口ほどにもないわね」
そう呟くと、裕子は静かにノートを閉じた。
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