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エピローグ

 ノックの音が、深い眠りについていた私の意識を呼び覚ました。

 鳴り止まないノックに苛立ちを募らせながら、気だるい身体を起こして戸を開ける。


「ごきげんよう、貧乏人さん」


 戸を閉めようとしたものの、すんでの所で思いとどまった。寝ぼけた頭と身体が覚醒し、脳がフル回転する。

 報酬が、貰える。


「すぐ支度する」


 私はそう告げて戸を閉め、急いで身支度を整えた。

 リビングに向かうと、華やかな紅茶の香りがした。こんな香りのする茶葉は、ウチには置いてなかったはず。


「さすが、直接的にお金のことが絡むと動きが良いですわね」

「当たり前じゃない!」


 シャーロットの言葉も、報酬を前にすればストレスにならない。


「ちょっと、声のトーンを落としなさいな。朝から興が削がれますわ」

「失礼しました大人しくしますごめんなさい」

「まるで人が変わったようですわね……。いつものこととはいえ、どうも気味が悪くて仕方ありませんわ」


 大金を前にすると、人間おかしくなってしまうものだ。それは本能的なもので、よほど精神が強くないと抗うことなんてできるはずがない。


「とりあえず、土産に紅茶を仕入れてきたのでそれを淹れさせていますわ。他にも数種類ほど差し上げますから、新鮮なうちに楽しんでくださいな」

「ありがとうございます。本当にありがとうございます」

「やっぱり気色悪いですわ……帰ろうかしら」

「ちょ、ちょっと待って。ごめん、わかったから」

「わかればよろしい」


 そんなやり取りをしている間に、アイヴィーがキッチンかやってきて給仕を済ませた。

 熱い紅茶を吐息で冷まし、冷めたであろう上澄みを静かに啜る。


「あっつ!」


 猫舌ばかりは、取り繕うこともできなかった。対面のシャーロットはなんの気なしに紅茶を嗜むけど、どういう舌の構造をしていたらそうなるのか不思議でならない。


「美味しい。……さて、事の顛末は一羽から伺いましたわ。無事に猫さんからの依頼を達成してくださったようですわね」


 依頼と聞いて、我に返ったように一昨日のことを思い出す。

 ガラにもなく切なさが心を過ぎって、ごまかすように茶菓子をつまんだ。


「報酬は一年分の生活支援でよろしいですわね?」

「ええ、ありがとう」


 報酬の話も上の空で、二匹のことを思い返す。そして具体的に思考を巡らせようとして、やめた。いまあれこれ考えたところで、何かが変わるわけでもない。

 私はふっと息をついて紅茶を啜り、気分を切り替えた。


「それにしてもワタクシ、ひどく胸をうたれましたわ。まさか猫さんたちの間にも、甘く切ない恋愛事情があるとは思いもしなくって」

「うん、そうね」

「そうして思いを馳せていたらワタクシ、興味が湧いてきましたの。猫さんのことをもっと知りたい。だからあなたに、猫界の情報を探って頂きたいの!」

「うん、そう……って、はあ!?」

「もちろん報酬は弾みますわ。なんならこのボロ屋敷を新築にして差し上げても良くってよ」

「い、いやいやいやちょっと待って! もう私そういうのいいから! 相手にするのは人間だけで十分なの!」


 またこのちびっ子は、とんでもないことを言い出す。

 いくら報酬を弾まれても、そんな苦労をしたくはない。こいつのことだからきっと、新聞かニュース番組よろしく毎日のように新ネタを持ってこいと言ってくるだろう。


「残念だけど他をあたって。私はもう懲り懲りだから」

「むう。そこまで言われては仕方ありませんわね……」


 シャーロットは口を尖らせつつも、引き下がってくれた。とりあえず危機を免れたようで、胸をなでおろす。


「あ、そういえば。ウチにいま犬がいるんだけど、あんた引き取って」

「いけませんわ、じきに会議の時間です」

「は? ちょっと、」


 腕時計を確かめたシャーロットは残る紅茶を飲み下し、立ち上がった。


「ではまた、当面の報酬金は置いておきますから。一羽!」

「はい。失礼いたします」


 そうして慌ただしくも、二人は虚空に消えた。


「まったく、なんなのよ……」


 人の話を聞かないのは元からだったけど、あそこまでタイミングが良いと怒る気力もなく呆れるばかりだ。

 まあ、今回の報酬でチビ助の餌代も賄えるだろうし、次に会う時にでも話を持ちかけよう。


「アイヴィー、片付けよろしく。ああ、私の紅茶と茶菓子は置いておいて」

「うん、わかった」


 私も席を立って、家の外に出た。

 春の日差しがあたりを包む。肌を撫でる風も、ほんのり温かい気がした。

 庭のほうに回って一本木を見てみると、数日前に咲かせた花はあらかた散っていた。根元に落ちる花の一つを手に取ると、花弁がはらはらと解けて風に舞う。その様子に灰色の猫の姿が重なって、また少し胸が痛んだ。


「少しだけ」


 腰に付けた灰袋に指を突っ込み、ほんのひとつまみの灰を取り出す。


「枯れ木に、花を」


 宙に投げ出した灰は風に乗って、枯れ木にほんの少しだけ花を咲かせた。

 新しく開いた小さな花は、温かい春風にそよそよと揺れている。その花が少しでも長く咲き続けていられるようにと、私は心の中で静かに祈った。

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