二匹
「やあ」
ケージ越しに、とりのすけがアイリッシュを呼んだ。
「随分探したよ。こんなに遠くにいたなんてね」
アイリッシュは微動だにしない。
「ここまで君との距離を縮められたのはいつ以来かな。できたらもう少し傍に寄りたいんだけど、それには君の許可が要るだろう?」
すると、灰色の毛玉がもぞもぞと動いた。身体を起こすことなく、アイリッシュは緩慢な動きでその顔を見せた。
写真で見たのと同じ、琥珀色の瞳が鈍く光る。
「君の顔が見られて嬉しいよ」
「私は見たくなかった。あなたの顔なんて」
彼女のあまりの言い草に、とりのすけに同情する。つい口出ししたくなるのを必死でこらえた。
「帰って」
それだけ言って、アイリッシュは再び丸くなる。
しばらく黙って立ち尽くしていたとりのすけは、意を決したようにケージを潜ろうとした。その瞬間、身体を震わせたアイリッシュは飛び起き、毛を逆立ててとりのすけを威嚇する。
「来ないで!」
「嫌だ」
「どうして! あな、たは……」
何かを言おうとしたアイリッシュは、ふっと力が抜けたように倒れた。とりのすけは俊敏な動きでその身体を支え、彼女をゆっくりと横たえる。
「どうして……わかって、くれないの……」
力ない声でアイリッシュが呟くと、とりのすけは自嘲気味に口を開く。
「僕は君と違って、頭が悪いからね。それと、こうして一歩を踏み出す勇気がなかった。君がどうして僕を遠ざけるのかがわからなくて、君が僕のことを覚えている確証がなくて、怖気付いていたんだ。正直なところ今も自信はないけど、もう君の病は待ってくれないんだろう?」
その言葉に、アイリッシュがわずかに目を見開いた。
「いつから、知ってたの?」
「君に再会した、その時だよ。心の機微はわからなくても、身体の状態はわかるさ」
「はあ……。あなたって、鋭いんだか鈍いんだか」
諦めたように、彼女は力無い笑みをこぼした。
「ああ。あなたから距離を置くのに、とても苦労したのに。その努力が、全部水の泡だわ。生き永らえようとしたのが、間違いだったわね」
ふう。と、彼女は息を整えて言葉を続ける。
「病気の予兆に気付いて、伝染るものだと気付いて、それでなおあなたの傍に、いるわけにはいかなかった。嫌いだった人間に敢えて近付いたのも、そのためだったのに」
とりのすけも、私も、口を挟むことなく耳を傾ける。
「……でも、心の底ではあなたのことを諦め切れなかった。あなたを思えば近付くわけにはいかない。だけどもう一度、あなたに寄り添いたい、温もりを感じたい。そんな思いが日に日に増して、引きこもっていた私は、ついに店先に出るようになった。人間を頼りに、私の噂が猫の方にまで広まって、あなたに伝わることを願った。だけど、あなたに再会したあの時、やっぱりダメだと思った。再会の喜びより、罪悪感が勝った。私の我儘で、あなたを苦しめるわけにはいかないって」
「もう十分苦しんださ」
とりのすけは、穏やかな声音でアイリッシュをなだめた。
「もう十分、苦しみを味わったよ。僕にとっては、何より君と寄り添えないことが辛かった。目と鼻の先にいた君と分かり合えない日々の方がよっぽど苦しかった。だから、たとえ長く生きられても君のいない余生に大した価値はない。僕には、君しかいないんだから」
彼はアイリッシュの顔に頬を寄せる。
「もっと早く、こうしていられたら良かった」
「あなた……」
「これからはずっと、君の傍にいるから。たとえ離れても、すぐに追いつく」
「馬鹿なこと言わないで。……でも、ありがとう」
とりのすけの言葉に、彼女は心から安心したようで、
「愛してるわ」
その一言を遺して、ゆっくりと目を閉じた。