8 昔話
夏の暑さも徐々にやわらぎ、この頃は夕暮れともなると窓からの風が涼しい。
生徒会の仕事も一通り終わり、ヨウはノリコから会長補佐の心構えについて講義を受けているところだった。副会長にして会長補佐でもあるノリコは、何やらヨウに熱っぽく語りかけている。
もっとも、その内容はお世辞にもあまり参考になるとは言い難かった。
「だから、ヨウちゃんはそんなに気にしなくても大丈夫! ヨウちゃんに余計な面倒をかけないよう、あたしが全部きちんとやっておくから!」
「いや、でも、それじゃ僕が補佐になる意味がないでしょ……?」
「いいんだよ、意味なんてどうだって。ヨウちゃんが次期会長候補だってことが何より重要なんだから」
いや、それはどう考えても本末転倒だろう。会長補佐は、会長のサポートを通じて誰よりも会長の職務に精通するからこそ、次の会長の最有力候補になるのだと思うのだが。
そう言ってみても、ノリコは「ヨウちゃんの実力を考えれば、そんなことはささいな問題でしかないよ」と言って意に介さない。
これは自分で仕事を見つけていくしかなさそうだ、と半ば諦め気味にお茶を飲んでいると、会計の仕事が終わったのか、チアキがこちらへとやってきた。
「あ、チアキ、お仕事終わったの?」
「ええ、ちょうど一区切りついたところよ」
「よかった、じゃあチアキちゃんもお茶しようよ」
「え? は、はい、喜んでおつき合いいたします!」
そう言って、チアキは大急ぎで台所の方へと駆けていく。しばらくして、お茶を片手にチアキがこれまた大急ぎでこちらへとやってきた。
「そ、それでは失礼します」
「ふふ、お疲れさま」
その一言だけで、チアキの顔がゆるゆると緩んでいく。疲れが癒えていくのであれば結構なことだ。
「相変わらずチアキちゃんはおもしろいね。堅苦しい感じが一気に緩んだり、緩急に富んでて」
「そ、そうですか?」
「そうそう。あたしに少し似てるかも」
「そ、そんな、恐縮です!」
チアキが顔を赤くする。そのままずずっとお茶をすすって一息つく。ノリコの場合は、緩急というよりも表の顔と裏の顔がまるで別人のように思えるが。
興奮を落ち着かせようと軽く深呼吸していたチアキが、ふと何かを思い出したかのように目を開いた。
「あ、緩急と言えば、副会長」
「うん? どうしたの?」
「私聞きました。副会長、入学した頃は今とは全然違っていたそうですね」
「い”っ!?」
それまで綺麗な鈴の音を奏でていたのどから、ひきがえるを踏みつぶしたかのような声が漏れた。微笑をたたえたまま、ノリコの表情が固まる。
「だ、誰から聞いたの? そんな話」
「マサト先輩とカツヤ先輩からです。入学して生徒会に入ったばかりの頃は、人を寄せつけない迫力のあるクールな女性だと言っていました」
「そ、そう。そうだったかもね、あはは」
その笑いに、しかし湿り気がいささかも感じられない。およそノリコらしからぬ愛想笑いを気にも留めず、チアキはうっとりと目を閉じる。
「周囲に人を寄せつけず、ただひたすらストイックに高みを目指す副会長……。素敵です」
「あ、ありがと、チアキちゃん。ところでヨウちゃん……」
どうも話を変えたがっている風のノリコには気づかずに、ヨウは若干心配そうな顔で言った。
「でもよかったよ。ノリコって意外と人見知りだし。初めの頃は友達がいなかったって聞いた時は心配したけど……」
「い、いるもん!」
急に大声で叫んだノリコに、ヨウとチアキのみならず周りの生徒会メンバーも思わずこちらを見る。その視線に気づいているのかいないのか、ノリコが弁解するように二人に向かって訴える。
「あたし、初めから友達いたもん! ちょっと待ってて、今証人連れてくるから!」
そう言うや、ノリコは立ち上がるとばびゅんと窓側の方へ飛んでいく。そして、あちらで雑談を楽しんでいたアキホの手首をつかんで引っ張ってきた。
「ちょっとちょっと、どうしたのノリコ?」
「アキホちゃん、証人になって! あたしの友達だって!」
「証人? いや、ノリコと私は昔から友達でしょ?」
「だから、その昔の話!」
わけもわからずに連れてこられたアキホに、チアキが説明する。
「私たち、入学したての頃の副会長について今聞いていたんです。それで、ヨウが友達がいないだなんて言い出したものだから……」
「ははーん、なるほどね」
話はわかった、とでも言いたげな目で、アキホはうんうんとうなずいた。
「そうだね、私は入学した時からノリコの友達だったよ」
「でしょ? ほら、友達くらい最初からいますよーだ!」
勝ち誇るノリコには構わず、アキホが続ける。
「そう……ノリコの、唯一の友達だった」
「……へ?」
「あの頃のノリコって、ホント今とは大違いだったんだよ? 初めの頃は私が声をかけても相手にしてくれなかったし」
「ちょっとアキホちゃん、何を言って……ふが!?」
抗議しかけたノリコの口を、アキホが素早く手で塞いだ。
「ようやく口をきいてくれるようになってくれたのは、確か一週間くらいしてからだったかなあ。あの頃はノリコ、私のこと『ツツミさん』って呼んでたんだよ? 昼休みになると『ツツミさん、お昼はお暇でしょうか』なんて言ったりしてね。あの頃のノリコは貴重だよね~」
「むが、むがー!」
「クラスではしばらくの間、私と二人だったよね。私の友達を交えてお昼することもあったけど、あの頃はノリコも友達も互いに緊張しちゃってまだちょっと気まずかったっけ」
「むー! むー!」
アキホに口を押えられながら、ノリコが何やらじたばたしている。アキホと仲よくやっていたという話なのに、何をそんなに暴れているのだろう。
「生徒会に誘われた時はびっくりしたな~。何せ学院始まって以来の逸材なんて言われてる子の補佐だしさ、務まりっこないって思うじゃない? でも、この子に『どうかあたしを支えてください』なんて言われたら、そりゃ断ることなんてできないじゃない?」
「ノリコがそんなことを言ったんですか?」
「そうだよ~。だから私も覚悟を決めたの」
「副会長にそんなことを言われるなんて、羨ましい……」
チアキが羨望と、そしてほんの少しの嫉妬が混じった目でアキホを見つめる。いや~、それほどでも、とアキホは空いている左手で頭をかいてみせた。
実はヨウも、ほんのちょっぴり嫉妬を感じていた。ヨウには会長補佐なんて何もしなくてもいいと言っていたが、アキホはノリコにしっかりと頼られていた。自分も同じように頼ってもらえないことが、ほんの少しだけ悔しい。もちろん、入学当時と今とではいろいろと状況が異なっているということくらい、頭ではわかってはいるのだが。
と、ずっと口を塞がれていたノリコが、アキホの手を口元からようやく引きはがした。
「もー! アキホちゃん、あることないこと吹きこまないでよー!」
「え? 全部あることだったでしょ?」
「ないこと!」
頬を膨らませ、桜色の唇をとがらせる。きっとほとんど事実だったのだろう。
少しむきになってノリコが身を乗り出す。
「とにかく、あたしはちゃんと友達がいたんです! 心配はご無用ですから!」
そう言って立ち上がると、ノリコはそのまま台所の方へと行ってしまった。
「ありゃりゃ、ちとやり過ぎちゃったかな……?」
「そんなことないですよ、いろいろ教えてくれてありがとうございます」
ぺろりと舌を出したアキホに、ヨウが生真面目に礼を言う。そんな話をノリコが自分からしてくれるとも思えない。思いがけず貴重な話が聞けて、ヨウは満足げに笑った。
「よければまた昔のノリコの話を聞かせてください」
「わ、私にもお願いします!」
「うん、いいよ~。それじゃまだ思い出しておくね」
ひらひらと手を振ると、アキホも立ち上がって席を離れようとする。
その背中に向かい、ヨウは声をかけた。
「あ、アキホ先輩」
「ん? 何かな、ヨウ君?」
「その……ノリコと仲よくしてあげてくれて、ありがとうございます」
「うん? ああ、まあね~。私ってもの好きだから。お礼を言われるようなことじゃないよ。それじゃまたね」
小さく手を振ると、アキホも台所の方へと向かう。
アキホがいてくれて本当によかった、とヨウは思う。ノリコが学院に通い始めた頃は本当に心配していたのだ。今の彼女があるのも、アキホという友達がいてくれたおかげであろう。
もう一度、心の中でアキホに感謝しつつ、ヨウも帰り支度をするために立ち上がって自分の持ち場へと戻っていった。
今気づきましたが、この作品も今月で投稿開始から一年になっていたようです。
ヨウたちが二年生になるのはまだしばらく先になりそうですが、これからもご愛読いただけると嬉しいです。




