6 約束
「それじゃ僕、ちょっと約束があるからお先に失礼するね」
「え? そうなの、珍しいわね」
「それでは、また生徒会で」
昼休み、いつものようにチアキたちと昼食を食べていたヨウは、いつもより早めに食事を終えて立ち上がった。
そんなヨウに、フィルも立ち上がってささやく。
「お、例の約束か?」
「う、うん……勉強の約束だよ?」
「わかってるって。ま、うまくやってこいや」
ポンと背中を叩くフィルに、ヨウは苦笑で応えた。
生徒たちで満席の食堂。まだ昼食を食べ終わる生徒が少ないためか、食器返却口には生徒の姿は少ない。食器を返すと、ヨウはやや急ぎ足で教室へと向かった。
教室では、購買で食べ物を買った生徒たちが思い思いの席に集まって食事と会話を楽しんでいる。学院生活も半年を過ぎ、購買派の数もかなり増えたように思う。
そんな教室の中ほどの席で、女子生徒が三人で何やら話しこんでいた。ヨウの姿を見るなり、真ん中に座っている少女に何事かを話しかけ、両脇に座っていた生徒が去っていく。
ヨウが手を振ると、その少女、シズカ・ミナトが、こちらに小さく手のひらを振ってみせた。
彼女のところまで来ると、笑顔で声をかける。
「おまたせ。ごめんね、ちょっと遅くなっちゃったかな?」
「ううん、全然! わざわざありがとう!」
シズカがやや早口で礼を言う。少し顔が赤く見えるのは気のせいだろうか。声もちょっぴり弾んでいるような気がする。
「ミナトさん、もしかして少し風邪気味? 具合が悪いなら、またあらためて時間作ろうか?」
「え? ううん、違うの! 私は全然平気! さ、さっそく始めよ!」
「そうなの? よかった、それじゃ始めようか」
そう言ってシズカの隣に座ると、ヨウはかばんから勉強道具を取り出し始めた。
今日は昼休みを使い、前々から約束していた通りシズカに勉強を教えてあげることにしたのだ。短い時間ではあるが、苦手なところのヒントくらいは教えてあげられるだろう。
精霊術の制御の細部が難しい、と言うシズカに、ヨウはテキストを示しつつ要点を教える。
「これがこうつながるから、こことここを……」
「あ、なるほど! じゃあここはこうなるのか……」
「こうすると発動時間とのずれが生じるから、その前に……」
「そっか、だったらここはこうすればいいのかな?」
「そうそう、ミナトさん、飲みこみが早いね」
「そ、そんなことないよ、マサムラ君の教え方が上手なんだよ……」
相変わらず少し熱っぽい顔色で、シズカが遠慮がちにつぶやく。
実際、シズカの理解力には目をみはるものがあった。もっとも、それも当然かもしれない。彼女はクラスで五指、とまではいかないが、それに次ぐ実力の持ち主ではあるのだ。
ヨウの指導が的確なおかげか、それともシズカの理解力の高さのためか。彼女が準備していた疑問点は、さほど時間をかけることもなく全て片づいてしまった。
ペンを置いたシズカが、上目遣いにヨウを見つめながら嘆息する。
「マサムラ君って、ホントに凄い……。もう全部終わっちゃった」
「ううん、ミナトさんががんばったからだよ。お疲れさま」
「そんな! 忙しいのに勉強教えてくれてありがとう!」
「どういたしまして。お役に立てたなら嬉しいな」
ヨウの言葉に顔をさらに赤くして、シズカがもじもじしながらペンやらテキストやらをせわしなくいじくる。
と、勉強道具を片づけ始めたヨウに向かい、意を決したかのように声をかけてきた。
「マ、マサムラ君! せっかく勉強も早めに終わったし、少しお話してもいい? い、忙しいかな?」
「え、うん、喜んで。お昼はちゃんと時間をとってあるから大丈夫だよ」
「よかった! ありがとう!」
シズカが大輪の花が咲いたような笑顔を見せる。ノリコの笑い方に似てるかも、と思いながら、でも、ノリコよりどこかちょっとだけ大人っぽい感じがするような気がした。
「よく言った、シズカ!」
「シズカ、がんばれー!」
何か声が聞こえたような気がしてそちらを振り向けば、さっきまでシズカの両隣にいた女子生徒たちがこちらを興味津々に見つめているのが見えた。何やら楽しそうに二人話していたが、その目がどうもフィルが自分をからかう時の目に似ているのが気にかかる。
かばんから講義のシラバスを取り出すと、せっせとページをめくりながらシズカが聞いてきた。
「マサムラ君、後期はどの講義取るか決めた? やっぱり全部上級なの?」
「ううん、僕精霊力が弱いから、精霊力をいっぱい使うような講義は取れないんだ」
「そうなの? じゃあ私とおんなじだね! ってことは、この辺の講義を取るつもりだったりする?」
「そうだね、その辺は初級を取ることになるかな」
「私も! そっか、じゃあこの講義は、い、一緒に受けてもいいかな?」
「うん、きっとフィルも受けると思うけど、よかったら一緒に受けようよ」
「ホ、ホント? うん、じゃあ私、これとこれとこれ受けるね!」
シズカが嬉しそうに、講義のところに丸をつけていく。ヨウとしても、新しい友達が増えるのは純粋に嬉しい。
ヨウもシラバスを取り出すと、自分が受ける講義のページを開いてみせた。
「僕、このあたりの講義も受けるんだけど、よかったらミナトさんも受けてみない?」
「ホ、ホント!? で、でも、ちょっと難しそうかな、私そんなに頭良くないし……。あ、でもこれならいけるかも」
「本当? わからないところは僕やチアキがいるから教えてあげられるよ?」
「そ、そうなんだ、ちょっと考えてみるね」
チアキの名を出すと、なぜかそれまでうきうきとしゃべっていたシズカの口が少し重くなった。それから、ためらいがちにこちらを見たかと思うと目をそらし、またこちらを見ては目をそらす。
やがて、意を決したように顔を上げると、シズカは少し大きな声で聞いてきた。
「あ、あの、マサムラ君!」
「は、はい! 何でしょう?」
「あの、その……シキシマさんとは、ど、どういう関係なの?」
「どういう関係?」
質問の意図がよくわからないヨウに、シズカは一転して消え入りそうな声で続けた。
「ご、ごめんなさい、急にこんなこと聞いて……。いつも一緒にいるから、そ、その、つき合ってるんじゃないかなって……」
「僕とチアキが? そんな、まさか!」
ヨウは驚いて、思わず椅子ごと後ろに倒れこみそうになった。すんでのところでこらえると、上目遣いにこちらを見るシズカに向かって言う。
「この前もそんな噂があったみたいだけど、僕とチアキはごく普通の友達だよ。僕はまだそういうの、よくわからないし」
「そう、なんだ……」
シズカがほっとしたように、胸に手を当てて息をつく。ひょっとして、二人がつき合っているのなら、同じ講義を受けて二人の時間を邪魔しては悪いとでも思ったのだろうか。
苦笑すると、ヨウは少し忠告するような口調で言った。
「でも、チアキにはそういうこと言っちゃダメだよ? 僕とそんな関係になってるなんて噂、迷惑だって怒り出すかもしれないから」
「くすっ、ありがと。注意するね」
そう笑うシズカの顔が、今度はさっきと違ってノリコの無邪気な笑みと重なって見える。悩みごとなんて一つもなさそうな、あの能天気なくらい楽しそうな笑みだ。
ふと時計を見ると、そろそろ次の講義が始まる時刻になろうとしていた。
「あ、そろそろお昼も終わりだね。ぼくもそろそろ行かなきゃ」
そう言いながら、ヨウは勉強道具を片づけ始める。
「ホントだ! ごめんねマサムラ君、こんな時間までつき合わせちゃって!」
「ううん、全然! またわからないことがあったら声かけてよ!」
「うん、ありがとう!」
そう笑顔でうなずくと、シズカは立ち上がったヨウにやや遠慮がちに聞いてきた。
「あの、マサムラ君、勉強以外でも、声かけてもいいかな……?」
「え? もちろんだよ。僕の方こそいいのかな、ミナトさん、いつも女子と一緒だけど……」
「も、もちろんだよ! もし何かあったら、どんどん声かけてくれると嬉しい! あ、じゃなくて、遠慮なく声かけてね!」
「うん、わかった! それじゃまたね!」
「うん! 今日はありがとう!」
笑顔で立ち去るヨウに、シズカも笑顔で手を振ってくる。そこにシズカの友達がやってきて、何やら話しこみ始めた。
「……えー!? そんなところまで約束したの!?」
「やったじゃんシズカ、大戦果だよ!」
「ふ、二人とも、もー……」
仲よくしゃべる三人の声を背に、ヨウは少し晴れやかな気分で教室を後にした。
MFの二次選考は、残念ながら落選となりました。応援ありがとうございました。
第三部はいつにも増して青春ものっぽいストーリーになりますが、よろしくお願いします。




