38 帰路
「あ~、ホント終わったんだな、合宿……」
「ですな……」
駅がどんどん遠ざかっていくさまを車窓から眺めながら、フィルとマナブは名残惜しそうにつぶやいた。
通路を挟んで反対側の座席に座っていたヨウは、そんな二人を見つめながら自身も軽くため息をついた。
目まぐるしい合宿であった。昨日の夕べから今朝にかけては、まともに休む間もなかったように思う。
特にヨウは襲撃グループの首謀者とおぼしき男を捕らえたとあって、夜通し先輩たちへの説明に追われた。やはりノリコたちを襲っていたあの男はただものではなかったのだ。
空が白み始めた頃にはタケルほか数名の軍人がやってきた。タケルなど、会館に入るなりヨウたち生徒会メンバーに土下座しそうな勢いで謝ってきたものだ。不審な動きを察知していたにも関わらず、後輩たちを危険にさらしてしまったことを深く悔いていたらしい。
拘束していた襲撃グループの面々を引き渡し、簡潔に事件の概要を説明すると、ヨウたちは慌ただしく会館を離れ駅へと向かった。一日くらい帰るのが遅れるかと思ったが、生徒会メンバーの不在によって学院の運営に支障をきたすようなことがあってはならない、という理由で予定通りに帰るよう指示があったらしい。詳しい話は学院に戻った後、帝都の調査部が聞くとのことであった。
向こうの席からは、フィルとマナブの話し声が聞こえてくる。
「なんかいろいろあったけどよ、なんだかんだでいい合宿だったよな……」
「ですな。おなごたちのみずみずしい肢体も堪能できたことですし……」
「水着、ヤバかったよな。スミレちゃんもイヨ先輩も、何食ったらあんなに育つんだよ」
「しかしやはり副会長殿は別格でしたな。神々しいまでのあのオーラ、同じ人間とはとても思えませぬ」
昨日の騒動を微塵も感じさせない二人の会話に、ヨウの顔も思わずゆるむ。こんな当たり前の日常を守ることができたのならと思うと、昨日からの疲れもさほど苦にはならなかった。
「……あの二人、相変わらずどうでもいい話しかしないわね。まあ、副会長については全面的に同意するけれど……」
ヨウの前に座るチアキが、二人をじとりと見つめながらあきれたようにつぶやく。疲れがたまっているのだろう。背もたれに身体をあずけながら、頭だけをフィルたちの方へと向けている。
「それでいいんだよ。あの二人が真顔で昨日の事件について話したりなんかしてたら、それこそみんな気が休まらなくなっちゃう」
「あはは、本当だね。僕もヨウ君に助けてもらったおかげで、マナブ君に余計な気をつかわせなくてすんだよ」
隣に座るカナメと顔を見合わせて笑っていると、チアキが視線だけをこちらに向けながら言った。
「あはは、じゃないでしょう。あなたたち、いつものことながら緊張感がないわね……」
「そ、そうだよね、ごめんなさい……」
「気を悪くしないでね、チアキさん。やっぱり不謹慎だったかな……?」
しゅんと肩を落とす二人に、チアキはやや気だるげに身体を起こすと穏やかな口調で言った。
「そうじゃないわよ。二人ともあれだけのことがありながら平常心を失わないなんて、少し羨ましいって思っただけ。私はまだ昨日のことが頭から離れなくて、実を言うと今でもちょっとだけ怖いの。ダメね私、まだまだね……」
そう言って、チアキがやや疲れたようにうつむく。それは当然だとヨウは思う。あと一歩到着が遅れていれば、チアキは今こうして目の前にはいなかったかもしれないのだ。あの時彼女がいかほどの恐怖をおぼえたか、ヨウにはとても想像できない。
言葉づかいに気をつけながら、ヨウはチアキに言う。
「そんなことないよ。恐怖を感じるのは危機回避のために必要なことだし。適度に危機意識を持てるのは大事だよ」
「そうそう。それに僕はあの時ぼんやりしてたから、あんまり記憶に残ってないだけだしね。チアキさんの反応は至極普通だよ」
チアキはうなだれたまま二人の話を聞いていたが、やがて顔を上げるとため息混じりにつぶやいた。
「はあ……あなたたちに気をつかわれるようじゃ、本当にまだまだね……」
「えええ? そんな、ひどいよチアキ」
「ふふ、冗談よ。二人とも、ありがと」
そう言って、いたずらっぽくチアキがほほえむ。彼女のこういう仕草は珍しいな、とヨウは思った。
「チアキさん、疲れてるんですよ。昨日からほとんど眠れていないんじゃないですか?」
チアキの隣に座るスミレが、少し心配そうに声をかける。
「そうね、正直だいぶ疲れてるみたい……。でも、それはあなたたちも同じなんじゃない?」
「そうだね、僕も身体はだるいけど、昨日はあの後ずっとのびてたからあんまり眠くはないかな。ヨウ君は?」
「僕は結構眠いかなあ。きっとしばらくしたら寝ちゃうかも」
「そうよね……。今日ばかりは、私も眠らせてもらうわ……」
そう言って座席にもたれかかったチアキであったが、その直後何かを思い出したかのように身体を起こす。
「そうそう、寝る前に一つ聞いておきたいのだけど」
「うん、何?」
「昨日の戦いなのだけど、ヨウ、あなた最後に大きな火の玉を操ったでしょう? あれは一体何だったの? 精霊術ではないのよね?」
興味津々といった様子でチアキが聞いてくる。さすがは頭脳派、未知の現象を前に好奇心が止まらないようだ。
「うん、あれは魔力で直接炎をつくったんだ。僕は炎の精霊とは契約してないからね。まだまだうまく制御できないけれど」
「つくったって……あなた、あれだけの炎を精霊の力も借りずにつくり出したっていうの!? しかもそれを自分の力だけで制御していたですって!?」
つい先ほどまで今にも眠りに落ちそうだったチアキが、すっかり眠気が吹き飛んだといった顔でその身を前へと乗り出す。
そして、我にかえったかのようにため息をついた。
「って、今さらよね。あなたはいつも、私たちが思いもよらないようなことをあっさりとやってのけちゃうんだから……」
「あはは、確かに」
カナメもその言葉に同調するかのように笑う。
「でも、あんなことができるのならわざわざ精霊術なんて学ぶ必要もないんじゃないかしら? あなたのことだから、どうせ風や水の精霊術だってたやすく再現できるんでしょうし」
「そんなことはないよ。特に地の精霊術は植物に働きかけるものが多いからね。さすがに生命は僕の魔法じゃ生み出せないよ。それに、僕は精霊術師学院の学生なんだし。精霊術もちゃんと使えるようになりたいよ」
「あはは、ヨウ君はまじめだなあ」
笑いながら、カナメが感心した様子で言う。
かと思えば、次にはこんなことを口にするのだ。
「でも、そんなことができるんだったら入試の時にやればよかったんじゃない? そうすれば副会長と一緒に学院に入学できたのに」
「ちょっとカナメ!? あなた、何てことを言うのよ!? そんなの不正よ、ダメに決まってるじゃない!」
「あはは、冗談だよ冗談」
「まったく、どうなんだか……」
腕組みをし、眉間にしわを寄せながらチアキが背もたれにもたれかかる。
そんなチアキに遠慮しながらも、スミレが口を開いた。
「でも、ヨウ君は本当に凄いです。しかもそれほどの力を持っているのに、さらに精霊術まで学ぼうとするなんて……」
「い、いや、そんな大層な話じゃないよ……」
少し赤面しながら、スミレから目をそらす。
初めの頃は「ヨウさん」などと呼ばれ、どこかこそばゆい感じがしたものであったが、最近ではスミレもヨウたちのことを君付けで呼ぶようになった。敬語が抜けないのは本人の気質に由来するものなのであろう。
以前はヨウを少し怖がっていた節があったということもあり、君付けになったのは少し心の距離が縮まったように思えてヨウは嬉しく思っていた。
その時、ヨウの頭の真上から涼しげというにはいささか大きな鈴の音が聞こえてきた。
「そうでしょう! ヨウちゃんは、相変わらず凄いんだから!」
「わわわっ!?」
突然の声に思わず前につんのめったヨウは、チアキの胸に頭から突っ込みそうになるのをかろうじてこらえると、慌てて後ろの背もたれの上部を振り返った。
そこには、上機嫌に笑みを浮かべるノリコの顔があった。
「ノ、ノリコ? 君、もっとあっちの方に座ってなかったっけ?」
「席を替わってもらったの。せっかくだから、かわいい後輩たちと交流を深めようと思って」
そう言いながらウィンクするノリコに、チアキがたちまち心を打ち抜かれて背もたれへと倒れ込む。
椅子に膝立ちしているのであろうノリコの身を案じ、ヨウが注意する。
「ノリコ、そんな姿勢じゃ危ないよ? 機関車が揺れたらどうするの?」
「ご心配なく。帝国の技術力を甘く見てはいけません。精霊機関車は馬車よりずっと揺れが少ないんだから」
「そ、それはそうだけど……」
瞬く間に論破されて二の句が継げないでいると、ノリコの隣からもう一つひょっこりと首が現れた。
「やっほ~、私もいるよ」
「アキホ先輩まで……」
「ね、みんなでお話しようよ! そうだ、ヨウちゃんの小さい頃のお話でもしよっか! ヨウちゃんの凄いところから恥ずかしい話まで、何でも答えてあげるよ?」
「それはおもしろそうですね、副会長!」
「僕も聞きたいです、ヨウ君の武勇伝や内緒の話」
「ちょ、ちょっと!? みんな、そんな話聞いてもおもしろくなんかないよ!」
「あら、副会長のお話がおもしろくないわけがないじゃない。どうぞ副会長、お話を始めて下さい」
「そう? それじゃまずは、ヨウちゃんが意地悪な先生を逆にこてんぱんにやり込めちゃって、それだけじゃなくてすっかり改心させちゃったお話からにしましょう!」
まるで子供がヒーローの話でもするかのように目をきらきらと輝かせながら、ノリコがヨウの子供時代の話を始める。や、やめてくれ……。お願いだから……。ヨウは顔を真っ赤にしながらうつむく。その頭上では、ノリコがうきうきとした声でヨウの自慢話を誇らしげに語っている。
ヨウにとっては拷問にも等しい時間が、それからしばらくの間続いた。




