35 失策
「へえ、これが噂の副会長ちゃんか! オレ、マジでタイプ!」
チアキたちに放った攻撃を軽々と防がれた若い男は、そんなことなど特に気にする風でもなく、間に立ちはだかったノリコに向かいおどけた調子で言う。
そんな男の言葉には取り合わず、ノリコは端の方でうずくまるイッペイとショウタを確認すると男をにらみつける。
「……あなたの仕業ですか?」
「ごめんごめん、思ったより弱っちくてさぁ。危うく殺しちゃうところだったよ。ま、どのみち殺すんだけどさ!」
後ろを振り向くと、チアキとカナメに向かい軽く頭を下げる。
「あなたたちも、遅れてしまってごめんなさい。もう大丈夫だから」
「はい……はい……!」
そんなノリコに、チアキはひたすらにうなずき返す。安堵のあまり、ろくに言葉が浮かばない。今はただ首を縦に振るのが精いっぱいだった。
「さーて、それじゃあ次は副会長ちゃんにお相手してもらいましょうかねぇ?」
楽しそうに右腕に力を巡らせ始める男に、ノリコは鋭い視線を向ける。
「来るのなら全力でかかって来なさい。……命の保証はできませんよ?」
「言うじゃない、お嬢さん! それじゃ遠慮なく――!」
刹那、男の精霊力が膨れ上がった。その強大な力に、チアキの背筋を悪寒が走る。先ほどまでの比ではない。自分たちに向けて放ったあれは遊びだったとでも言うのか。
対するノリコはいつもと変わらぬ様子で男と対峙している。彼女の力を疑うわけではないが、男が放つ圧倒的な精霊力に、チアキの胸を不安が渦巻いていく。
そんなチアキの頬を、男から吹きつける精霊力の風がかすめていく。
「やらせてもらうぜぇ――!」
叫び声と共に、男の腕から荒れ狂う黒い渦が放たれた。空を切り裂く風の刃をまき散らしながら、渦巻く死の嵐がノリコ目がけて襲いかかる。
黒い渦は地表の土を削り取り、土煙を巻き起こしながらノリコへと突き進む。その威力は昨日の対抗戦でノリコやヨウが見せた力にも匹敵するようにチアキには思われた。悲鳴が喉元まで差しかかる。
一閃。
ノリコは一見無造作に、左手で手刀を切ってみせた。その手から放たれた光の刃のようなものが、黒い渦をたやすく引き裂き消滅させていく。
「ぐはぁっ!?」
光の刃は瞬く間に黒い渦を消し去り、そのまま男の胸に直撃する。一声漏らすと、男はそのまま前のめりに崩れ落ちた。
圧倒的。ノリコの力は、その一言に尽きた。チアキたちが束になったところで防ぐことなどできないであろう破滅的な力を、ノリコはたった一撃で難なく粉砕してのけたのだ。とても同じ人間の業とは思えなかった。
「……退いて下さい」
木陰に佇む男に、ノリコは静かに言った。その声に、男がこちらへと近づいてくる。
「……噂に違わぬ力だな。学院始まって以来の逸材というのもうなずける」
低い声で言うと、厳めしい顔つきの男は視線を若い男の方へと動かす。
「この男も精霊術師としては一級の腕を持っているはずだが。それを一蹴してのけるとは、この先の成長を考えるとそら恐ろしい」
「これでおわかりでしょう。あなたたちに勝ち目はありません。おとなしく退いて下さい」
男の言葉に、ノリコは再び撤退を迫る。
あらためてノリコの規格外の力を目の当たりにし、チアキの胸中の不安は霧散した。やはり副会長は凄い。自分たちなどとは持って生まれた資質が違うのだ。先ほど少しでも不安に思ってしまった自分が恥ずかしい。
これほどの力を見せつけられたのだ。敵ももう逃げるしかあるまい。あの男も相当の使い手のようだが、副会長の敵ではない。みすみす逃がしてやる必要などない気もするのだが、そこは副会長の考えがあるのだろう。
「退いて下さい、か」
しかし男は、一言そうつぶやくとノリコに向かい問いかけた。
「先ほどからの言動を見るに、君はずい分と仲間思いな性格のようだ。そんな君が、なぜ仲間を殺そうとした連中をみすみす見逃すような提案をするのだろうな」
「……」
男の問いに、ノリコは黙したまま動かない。
その様子に、男は薄く笑う。
「察するに、君にはもう力が残っていないのだろう?」
「……何のことです」
「とぼけなくてもいい。それなら全て納得がいく。先ほどこの男に全力で来いなどと言ったのも、圧倒的な実力差を見せつけて私を退かせたかったからだろう? その実、君にはすでに私と戦う力は残されていなかった」
男の言葉に、チアキは息を飲む。全ては男を撤退に追いこむための演出だったというのか。確かに、先ほどの攻撃では膨大な精霊力を放出していたが。
加えて、ノリコにはまだ昨日の対抗戦の疲れが残っていたことをチアキは思い出す。今こうして男と対峙しているノリコだが、実は立っているのも精一杯の状態なのかもしれなかった。
「そう思うのならば、試してみますか?」
表情一つ変えずに、ノリコが男に不敵に問いかける。その言葉も、いまやチアキには無理を押し隠そうとする強がりにしか聞こえなくなりつつあった。
「それでは、さっそく試させてもらうとしよう」
男が、静かに精霊力をみなぎらせていく。その力は、ノリコの力の前に倒れたあの若い男と比べても遜色がないようにチアキには思われた。
「『退け』と言ったのは失策だったな」
「……」
「君たちに恨みはないが、私にも退けない事情がある。悪いが一足先に黄泉で待っていてくれ」
そう言うと、男の周囲にいくつもの炎の槍が出現する。『炎熱の騎士槍』。その大きさは、昨夜ノリコが見せたそれに匹敵するものであった。
次の瞬間、燃え盛る深紅の槍がノリコへと降り注ぐ。カナメを抱えながら目を閉じるチアキの耳を、落雷のごとき轟音がつんざいていく。吹き荒れる熱風が、彼女の肌を灼く。
凄まじい熱風をこらえ、瞼を開いたチアキの瞳に映ったのは、槍にえぐられ穴だらけの地面に片ひざをつくノリコの姿だった。攻撃を防ぎきれなかったのか、制服はところどころ焼け焦げ痛々しい姿をさらしている。
やっぱり限界なんだ! チアキは愕然として目の前のノリコの背中を凝視する。このままでは副会長が危ない、何とかしなければ――!
「二人とも、逃げて!」
立ち上がり駆け寄ろうとするチアキに、ノリコから鋭い言葉が投げかけられる。それは普段のノリコからはおおよそ想像もつかない、チアキが初めて聞く切羽詰まった声であった。
「二人が逃げる時間くらいは稼ぐから、お願い!」
「で、でも!」
「早く!」
半ば金切声でノリコが叫ぶ。ためらった末にカナメの下へと駆け出す。
そんな彼女たちに、男は再び幾本もの炎の槍の先端を向ける。
破壊的な精霊力の波動にチアキが思わず振り返ったのと、男が槍を放ったのは、ほぼ同時であった。五本の槍が、ノリコと、そしてチアキたちに向かってうなりを上げる。
このままじゃみんな助からない! 誰か、誰か助けて――! 手を突き出し、精一杯の精霊力の盾を作りながら、チアキは必死に祈った。その祈りも空しく、そのいずれもが致命的な威力を持つ槍の群れはチアキたちへと迫ってくる。
突如、炎の槍が空中で爆ぜた。
五つの槍は次々に破裂し、その膨大なエネルギーの余波もチアキたちに押し寄せることなく静かに消えていく。
何事が起ったのかにわかに把握できないチアキであったが、ノリコの視線の向きに気づき、そちらへと目を向ける。
その先には、入学以来チアキがライバルと認めその背中を追いかけ続けてきた少年――ヨウ・マサムラの姿があった。