32 襲撃
日もすっかり傾き、太陽の日差しがあたりを赤く染めていく。演習場では数組の生徒たちが組手を行っていたが、夕食の時間が近づいてきたこともあり、訓練を切り上げる組も出始めていた。
「僕たちもそろそろ終わろうか」
「そうね、先輩たちも引き上げるみたいだし」
カナメ・イワサキの言葉にうなずくと、チアキ・シキシマは額の汗を軽く手の甲で拭った。そのまま、額に張り付く前髪をかき上げる。
「やるじゃない、カナメ。顔に似合わず武闘派なのね」
「それはこちらのセリフだよ。失礼かもしれないけど、とても頭脳派の女の子とは思えない強さだ」
にこりと微笑むカナメに、チアキも笑みを返す。
実際、この数カ月で自分でも驚くほど強くなったと思う。目標であった生徒会に入り、憧れの存在だったノリコ・ミナヅキ副会長と出会うことができた。そして生徒会の先輩たちに追いつこうと、ずっと鍛錬に励み続けてきたのだ。これで成長しない方がおかしいのかもしれない。
もっとも、副会長にあんな一面があったとは夢にも思わなかったけど……。脳裏に蘇ったノリコの子供っぽい言動に、チアキは思わずかぶりを振る。副会長だって人間なんですもの。それにあの親しみやすさも、きっと副会長の魅力に違いないわ……。
気を取り直して、チアキはカナメに挑発的な調子で言う。
「あら、それはありがとう。でも、あまり女の子だからと甘く見ていると、また昨日の対抗戦のような目に合うかもしれないわよ?」
「そ、それは言わないでよ……」
そう言いながら、カナメが上目遣いに口ごもる。やや頬が赤く見えるのは、夕日に照らされているからというだけでもあるまい。
まったく、カナメといいヨウといい、どうして同輩の男子たちはこうも内気というか、おとなしいのか……。チアキは軽くため息をつく。それから、今しがた脳裏に浮かんだ少年へと思考は移っていった。
ヨウ・マサムラ。学院に進学したチアキがまったく予想もしていなかったタイプの少年。精霊力をほとんど持たない身でありながら、その圧倒的な知力と戦闘能力で生徒会入りを果たした異色の新入生。そして何より、今では絶えたといわれている古の秘術、『魔法』の使い手――。敬愛してやまないノリコの幼なじみにして、チアキの同級生であるヨウとの出会いは、彼女に大きな衝撃と影響を与えた。友として、ライバルとして、この数か月間チアキはヨウの背中を必死に追っていたように思う。
そのヨウは、ここから離れた場所で精霊力の容量を増やす訓練に励んでいる。あのノリコに匹敵するほどの強大な力を持ちながら、この合宿の間ずっと地味な訓練に勤しんでいるヨウを見ていると、チアキなどはつい「今さらそんな訓練をする必要があるのか」などと思ってしまう。ヨウに言わせれば「僕は『精霊術士』学院の学生だからね」だそうで、それは至極もっともな話ではあるのだが。
「ねえ、どうしたの? チアキさん」
「え? あ、ううん、何でもないわ」
カナメに声をかけられ、チアキの意識が現実に引き戻される。そんな彼女に、カナメが言葉を続ける。
「大丈夫? ぼぉっとしてたよ? ヨウ君のことでも考えてた?」
「ええ……って、どうしてそこでヨウが出てくるのよ!」
うっかり肯定してしまった己の迂闊さも相まって、チアキはやや荒っぽい声を上げながらカナメをにらみつける。この少年は、普段子供っぽいくせにこういうことには鋭いから油断ならない。今の発言も、純粋な疑問なのか、それとも狙っての言葉なのか。
もっとも、驚いたような顔でごめんなさいと素直に頭を下げる姿を見ていると、やはり前者なのだろうかと思う。カナメの発言というのは、無垢な子供が思いついたことをすぐに口に出してしまうようなものなのかもしれない。
その点、ヨウなんかはそういうことに気づきもしないのよね、とチアキは内心でため息をつく。それが悪いというわけではないが、正直チアキにはそれがもどかしい。もちろん「もどかしい」というのはヨウとノリコの関係についての話だ。自分のことでは、断じてない。
ふと気づけば、演習場にいるのもチアキたちと二年のイッペイ・ショウタ組だけになっていた。自分たちもそろそろ戻ろうと会館に足を向けたその時、周囲を異様な気配が包んでいることに気づいた。
「カナメ、何か妙よね」
「チアキさんも気づいた?」
見れば、向こうではイッペイとショウタも異変に気づいた様子でこちらへと視線を向けてくる。どうやら気のせいではないようだ。
演習場を囲うように生い茂っている木々。その向こう側から、いくつもの気配が感じられる。数にして二十ほどか。それがどう好意的に解釈しても敵意以上のものであることは明白であった。
「今まで気づかなかったなんて……迂闊だったよ」
「先輩たちも気づかなかったんだもの、おそらく相手はプロね」
悔しそうに首を振るカナメに、緊張をはらんだ声でチアキが答える。生徒会メンバーはただの子供ではない。その彼らをして、あれほどの数でありながら、間近に接近するまで気づかなかったのだ。林の向こうに潜む者たちが軍人、あるいはそれに準じる者であることは確実であった。
「来るぞ、お前ら」
イッペイが向こうから声をかけてきた。その声にも緊張がみなぎっている。
その直後、林の奥がざわめいた。
木々の間から、チアキたちを取り囲むように黒ずくめの人影が次々と現れた。その手には剣が握られている。ただの訓練にしては、あまりにも殺意に満ち満ちていた。
「これは、どういうことなんだろうね」
「少なくとも、私たちと夕食をご一緒したいという感じではなさそうね」
二人うなずくと、静かに応戦の構えをとる。話し合いが通じる相手ではなさそうだ。
だからと言って、何も知らされないままに襲われるというのは納得がいかない。イッペイが人影に向かって声を上げた。
「あんたら、いったい何者だ? 恨みを買うようなことをした覚えはないが」
その問いに答えることなく、黒い人影はチアキたちとの間合いを詰めてくる。どうやら問答無用ということらしい。
「どうやらやるしかないようね」
「そうだね。正直、僕もうくたくたなんだけど」
「男の子でしょう? シャキっとしなさい」
冗談交じりにカナメを叱咤すると、チアキは人影へと鋭い視線を向けた。カナメも肩をすくめながら人影に向き直る。
海からの風が、林を抜けて周囲にかすかな潮の香りを運ぶ。今や敵意をむき出しにして迫る人影に、チアキは静かに内なる精霊力を高めていった。
先日モンスター文庫大賞の一次選考が発表されましたが、本作も無事通過することができました。本作の一次通過は初めてですので、二次がどうなるか楽しみです。なお、他に私の作品が別名義も含めて二作品一次選考を通過しているので、興味のある方はこの機会にご覧いただけると嬉しいです。
物語はいよいよ第二部のクライマックスに突入しました。引き続き執筆をがんばりたいと思いますので、今後もご愛読いただけると嬉しいです。




