28 一夜明けて
実質的に合宿の最終日となる、会館での三度目の朝。ヨウたち一年生男子は、朝食前に洗面所で顔を洗っていた。
さすがに三日目ともなると疲れもたまる。ヨウが首から肩のあたりをぐるぐると回していると、カナメの顔が目に映った。
「おつかれだね、カナメ君」
「そりゃあね。昨日は対抗戦で力を使い果たしたんだもん」
そう言って笑うカナメは、気持ち背中が丸まって見える。相当身体的にもくるものがあるのだろう。恐らくは精神的にも。
そんなことを考えていると、カナメが羨ましそうに口を開いた。
「ヨウ君はさすがだね。あれだけの戦いをしていながら、そんなに疲れている様子もないし」
「ええ? そんなことはないよ。僕だってくたくただよ」
「またまた。僕なんか体はだるいし、筋肉痛もあるし」
「まったくだぜ。オレもさすがに限界が近いぜ」
ひょっこりと顔を出したフィルが、さもつらそうに腰に手を当てる。その隣のマナブも、フィルの言葉にうんうんとうなずいている。
「同感ですな。それがしは元々頭脳労働担当ゆえ、このような特訓には慣れていないのです」
「ま、オレは肉体労働派だけどな。連日の猛特訓で、いいかげん体のあちこちが悲鳴を上げてきてるってもんよ」
「何寝言言ってるのよあなたたち。二人とも対抗戦には出ていないじゃない」
いつの間に現れたのか、チアキが呆れた顔で言う。彼女も顔を洗いに来たのだろうか、前髪を上げて髪どめでとめている。普段あまり見ることのない、形のいい額が露わになっていた。
「出たよお小言女。お前は見るからにピンピンしてるよな。さすが優等生、とても女とは思えない化け物じみた体力をお持ちのようで」
「……それは辞世の句と受け取っていいのかしら?」
「いやいやヤダなあ、朝の軽いジョークですよチアキさん」
笑顔でこぶしを握りしめるチアキに、手のひらを返したかのようにフィルが卑屈に頭を下げる。この二人は相変わらずのようだ。
「でも、本当に元気そうだね、チアキ」
「それは褒め言葉と思っていいのかしら? でも、こう見えても結構こたえてるのよ、私。どう見てもあなたの方が元気そうだけど」
「そうだよね、チアキさん。ヨウ君って、実は不死身なんじゃないのかな?」
「そんなわけないよ」
苦笑しながらカナメの言葉を否定するヨウだったが、チアキなどはあながち冗談でもないといった様子で考えこむ。
「確かに、あなたを見ているとそれほど的外れな言葉でもない気がするわ。昨日副会長とあんな死闘を繰り広げておきながら、一眠りしただけでこんなに回復しているなんて……。ヨウ、あなたの身体、疲労が回復したり傷が治ったりするような秘術でもかけられてるんじゃないの?」
「そんなことはないよ……多分」
「多分って何よ!」
「ひっ!? だ、だってそんなこと、自分じゃわからないじゃない」
もちろん全否定したいところではあるのだが、思い当たる節が全くないかと言われればそうでもないあたりがつらい。もっとも、それを正直に言葉や態度に出してしまうところがヨウの美徳、あるいは未熟さであった。
ヨウはチアキの矛先をかわそうと、話を別の方向に持っていく。
「それに、多分ノリコだってピンピンしてたでしょ? 僕だけじゃないって!」
その言葉に、なぜかチアキのトーンが低くなる。
「それは……いえ、何でもないわ。そろそろ顔洗いたいから、そこ、いいかしら?」
「ああ、ごめん。それじゃまた後でね」
あまり長話をして朝食に遅れてはまずい。ヨウたちはともかく、これから顔を洗うチアキはどうなるかわからない。何せ女の子というのは男と違って身支度にたっぷりと時間をかける生き物なのだから。
そう思ってチアキに場所を空けると、ヨウはカナメたちと一緒に部屋へと戻っていく。よく考えてみれば、朝起きるのが早いはずのチアキがこんな時間に洗面所に来るということ自体が珍しいことであった。やはり昨日の疲れで起きるのが遅くなったのだろうか。
廊下を歩いていると、マナブが眼鏡をくいっと上げながらつぶやく。
「しかし、前髪をアップにしたチアキ殿もなかなかのものでしたな」
「はぁ? マナブ、その眼鏡くもってんじゃないのか? オレには相変わらず鬼の形相をしてるようにしか見えなかったぞ?」
「そんなこと言ったら、チアキさんがかわいそうだよ」
「いやいや、お前らはあんまりそばにいないからわかんないんだって。あいつはホントおっかないヤツなんだから」
そうは言うけど、チアキの話をするときのフィルはいつも生き生きとしてるけどなあ……。そんなことを思いながら、ヨウは部屋へと戻った。
食堂で出会ったノリコは、昨日までの彼女とは別人だった。
今日も食堂に入るなり声をかけてくるかとヨウは思っていたが、彼が食堂に入った時、意外にもノリコはまだそこにはいなかった。
それどころか、しばらく経ってからアキホに付き添われるような形で食堂にやってきたノリコには、いつもの元気がない。少し気になって声をかけにいったが、おはようヨウちゃん、ううん、大丈夫、いつも通りだよ、と言葉少なに言うと、そのまま食事を取りに行ってしまった。
どう見てもいつも通りではないその様子に、ヨウが心配してその背中を見つめていると、後ろから野太い声が聞こえてきた。
「ありゃあ完全にくたびれてるな」
「マサト先輩」
マサトはヨウと並ぶと、何か珍しい生き物でも見るかのようにノリコを見つめた。それから、ヨウに向かってつぶやく。
「あんなに覇気のないノリコ、初めて見たぜ。よっぽど昨日の戦いで力を使っちまったんだろうな」
「そうなんですか? 僕もあんなノリコは見たことがないですけど、去年は違ったんですか?」
「そりゃ違うさ。去年は一発でタイキをのしちまったし、会館を出る時まで終始ピンピンしてたさ。まあ正直な話、昨日あれだけの精霊力を使ったにもかかわらず、今ああして歩いていられること自体驚きなんだがな」
「なるほど」
言われてみれば、確かにその通りだ。ノリコは現役精霊術師のタケルたちが絶句するほどの力を行使しているのだ。何ともない方がおかしいのだろう。
納得してうなずいていると、マサトが呆れた顔で言う。
「あのなあ。ノリコ以上に、俺はお前が何者なのかが気になるよ。ノリコでさえあのざまだってのに、何でお前はそんなにピンピンしてるんだ?」
「さあ、何ででしょう?」
他人事のように言うヨウに、マサトは再び呆れてため息をつく。
「やっぱりお前は化け物だな。きっとノリコも、お前とやり合えるのが嬉しくてつい力を使いすぎたんだろうさ」
「それはあるかもしれませんね。僕も久しぶりにノリコと戦えて、正直少し嬉しかったですから」
「やっぱりお前は大した奴だよ。俺なら間違ってもあいつと戦えて嬉しいなんて言えやしない」
そう言って笑うと、マサトは感心したようにつぶやいた。
「しかし何だな、昨日勝ったはずのノリコは疲労困憊、かたや負けたはずのお前はこうしてケロリとしている。試合はノリコの勝ちだったが、実際の勝負はお前の勝ちだったのかもな」
「それは違います。実戦に次はありませんから。本当の戦いだったら、僕は昨日の時点でもうこの世にはいません。だからあの勝負はノリコの勝ちです」
生真面目に反論するヨウに、マサトはやれやれと頭に手を当てる。
「まったく、お前は真面目な奴だな。少しくらい自己主張したってばちは当たらないんだぞ?」
「いえ、僕がそんなことを言わなくても、勝手にどんどん広めていってくれる人がいますから……」
「そう言えばそうだったな……」
そう言って、二人は食事を手に席に着くノリコを見る。どうやら今日はその宣伝部長殿も、珍しく休暇を取るらしい。
「それじゃ僕、席に戻りますね」
「ああ、そうだな。ヨウ、今日は特訓の最終日だ。しっかりと精霊力を磨くんだぞ?」
「はい、がんばります」
生真面目に言うヨウに、マサトはまた後でな、と自分の席に戻っていく。
おとなしいノリコっていうのも何だか新鮮だな、などと思いながら、でもやっぱりいつもの方がノリコらしいかな、などとやや矛盾したことを考える。
しかしノリコがあんな風になるとは夢にも思わなかった。原因は自分にあるのだから、今日は彼女がケガをしたりしないよう、用心深く見守らなければならない。
そんなことを思いながら幼なじみを心配げに見つめたヨウは、身をひるがえすとフィルたちが待つテーブルへと戻っていった。




