27 新たな役職
タケルとナツミを見送った後、ヨウは一年生たちと一緒に風呂に入り、一日の疲れを汗や汚れと共に洗い流した。無論、今日は時間を間違えないよう細心の注意を払ったのは言うまでもない。
部屋に戻った後、しばらくは一年生同士で語らっていたが、尿意をもよおしたヨウは部屋から出て一人用を足しに行った。
その帰り道、ヨウは廊下でチアキとばったり出くわした。
ヨウが笑顔で声をかける。
「チアキ、今日はお互い、一日大変だったね」
「ふふ、そうね」
対抗戦や夕食の騒ぎを思い出したのか、チアキの顔からも笑みがこぼれる。
「今日のチアキ、凄かったよ。あんな風に先輩の意表を突くなんてね。やっぱり普段から知力の重要性を説いているだけのことはあるね」
「それはどういたしまして。もっとも、あなたたちの戦いを見た後だと、あんなのはただの小細工に過ぎない気もするのだけれど」
「そんなことはないよ。仮に僕がチアキと戦うとして、それだけチアキの戦術の幅が広いとわかっていれば、僕の取りうる行動も自然と制限されてくる」
「お褒めの言葉、素直に受け取っておくわ。ありがとう」
そう言って、すぐにチアキが肩をすくめる。
「もっとも私なら、あなたと戦わなければならないような状況になる事態を全力で回避することをまず最優先で考えるけれど」
「お互いそうありたいものだね」
「わからないわよ? もし男女対抗戦なんて企画が行われることになれば、可能性は0じゃないのだから」
「その場合は、また僕とノリコが戦うんじゃない?」
「今年はそうでしょうけど、来年副会長が引退した後ならわからないわよ? もっとも、その場合は私がその企画を握りつぶすかもしれないわ」
「なるほど、チアキらしいね」
「ちょっと、それはどういう意味よ」
眉を吊り上げるチアキに、ヨウがごめんごめんと頭を下げる。
その厳しい表情のまま、チアキが言う。
「でも、あなたと副会長の戦い、本当に凄かったわよ? あの副会長の怒涛の攻撃を、途中までは全て完璧に防ぐんですもの」
そこまで言って、チアキが表情を和らげる。
「やっぱりあなたは、その……副会長が認めただけのことはあるわね」
上目遣いにチアキが言う。ほんのりと赤く染まった頬を見て、彼女も湯上りで血行がよくなっているのだろうかと場違いなことを思う。
ヨウから目をそらすと、チアキはしばし口を閉じていたが、やがて意を決したように声を上げる。
「ねえヨウ、もしよかったら、これから……」
「おや、二人で何を話しているんだい?」
不意に声をかけられて、チアキが口から出かけた言葉を慌てて飲み込む。
二人で振り返ると、そこには風呂から上がったといった様子のタイキの姿があった。
「あ、会長。今ちょっと対抗戦の話をしていたところなんですよ」
「ああ、二人とも今日は見事だったよ」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げるヨウの隣では、チアキが何やら複雑そうな表情でうつむいていた。
「どうしたの? チアキ」
「な、何でもないわよ」
不機嫌そうに冷たく言うと、チアキがぷいとそっぽを向く。なぜかはわからないが、どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。何か気に障るようなことでもしてしまっただろうか。
その様子に、タイキも少し困ったような顔になる。
「おっと、もしかして僕はおじゃまだったかな」
「そんなことはありません」
チアキがやや強い調子で否定する。ということは、やはりチアキを怒らせた原因は自分か。女の子は難しいなあ、とヨウは困惑するよりない。
そんなヨウに、タイキがにこやかに話しかける。
「ヨウ君、君は本当に大したものだ。去年僕がなす術もなく敗れたあのノリコを相手に、あそこまでの戦いを展開するとはね」
「あ、ありがとうございます」
「君の力もこの目で見ることができたしね。これほどまでの力の持ち主とは、正直思わなかった」
「そ、そんなことは……」
そこまで言いかけて、タイキの言葉を否定するのも謙虚に過ぎると思い直したヨウは、素直に礼を述べる。自分も少しは心の機微というものがわかってきたのだろうか。
笑ってうなずくと、タイキはチアキの方を見て言った。
「チアキ君も素晴らしい戦いぶりだったよ。今我々三年生の間では、二年生を相手に唯一勝利を収めた君の評価がうなぎ上りだ」
「そ、そうなんですか? 恐縮です……」
驚きの声を上げたチアキは、そのまま顔を赤くしてうつむく。
「何も不思議なことじゃないよ。あれほどの戦闘センスと勝負勘、度胸のよさ。どれも得難いものだ。いつもの君らしく、堂々と受け取ってくれればいい」
「は、はい」
そう言われて、チアキは表情を引き締めて胸を張る。こういうところは本当に素直だ。
そんなチアキの姿に微笑むと、タイキは二人の顔を交互に見ながら満足げに言う。
「今日は本当によくやってくれたと思っているんだよ、君たち一年生諸君は。おかげで、我々の方でも来年の君たちの役職をすんなりと決めることができた」
「もう決まったんですか」
「ああ、だいたいはね」
タイキの言葉に、チアキがやや前のめり気味になる。きっと今すぐにでもその結果を聞きたいのだろう。気持ちはわからなくもない。ヨウだって、できれば会長補佐になってノリコのそばで彼女をサポートしたいと思っているのだ。もっとも、精霊力に乏しい自分が次期会長の座に最も近い役職である会長補佐につくことはまずないだろうと思ってはいるのだが。
「実は参考までに、タケル先輩たちにも少し聞いてみたんだけどね。先輩たちも大賛成だったよ」
「そうなんですか。会長候補はノリコなんですよね?」
「当たり前じゃない。他に誰がいるって言うのよ」
すかさずチアキにとがめられ、ヨウはごめんごめんとあいまいに笑う。そんな二人の様子に、タイキからも笑みがこぼれる。
「それはまだ言えない……といっても、ノリコについては大方の予想通りと思ってもらっていいよ。君たちの役職も、楽しみに待っててね」
「はい」
二人素直にうなずくと、ヨウはぽつりとつぶやいた。
「それにしてもタケル先輩とナツミ先輩、今日は泊まっていけばよかったのに」
「彼らも軍人だからね、なかなかそうもいかないんだろう。それに、少し気になることを言ってたしね」
「気になること?」
「ああ。何でも最近港のあたりで怪しい動きがあったそうでね。それもあって警戒がいつもより厳しいらしい」
「そうだったんですか」
少し驚くヨウとチアキに、タイキが説明を付け加える。
「動きがあったのはもっと東の方という話だから、こちらにはあまり関係ない話だろうと先輩は言ってたけどね。さて、明日は合宿の最終日だ。二人とも今日は疲れただろうから、ゆっくりと休むんだよ?」
「はい、ありがとうございます」
頭を下げるヨウとチアキに微笑むと、タイキはそのままロビーの方へと歩いていった。
その場に残された二人であったが、ふいにチアキが声を上げる。
「いけない、もう戻らないと湯冷めしちゃうわ。ヨウ、あなたも風邪なんて引くんじゃないわよ?」
「あ、うん、そうだね。それじゃチアキ、またね」
「ええ、それじゃ」
そう言うと、チアキは何一つ乱れのない浴衣姿で格好よく踵を返し、颯爽と部屋へと戻っていった。身体を翻す時に風が起き、わずかに甘い香りがヨウの鼻孔を刺激する。
帰りの過程を除けば、合宿も残るはあと一日。明日もがんばるぞ、とヨウは一人気合を入れ、仲間の待つ部屋へと戻っていった。




