6 事件
「や、やめて下さい!」
「やめろって言われてやめる訳ねえだろ」
「上級生の言うことは素直に聞けよ」
「おら、わかったらさっさとそこに入れ!」
小柄な少女の叫びが三人の男の野卑な笑い声にかき消される。じりじりと追い詰められ、覚悟を決めたかのように顔を上げた少女と下卑た笑みを浮かべる男たちの耳を、少年の声が貫いた。
「その辺でやめるんだ。取り返しのつかないことになる」
その声に四人が振り返ると、そこには二人の少年と一人の少女の姿があった。ヨウとフィル、チアキである。ヨウが一歩、前に出る。
男たちは胸に金色の徽章をつけている。三年生の証だ。女子生徒の方を見れば、その豊かな胸の左側には銅の徽章が見える。ヨウたちと同じく一年生らしい。男たちもヨウの胸元に視線を向けると、口々に怒りのこもった声を上げる。
「何だァ? 一年の分際で三年のやることに口挟んでんじゃねえぞコラ!」
「姫を助けるナイト気取りか? いいぜ、顔の形がわからなくなるくらいボコってやんよ!」
恰幅のいい大柄な男と筋肉質な中背の男が前に出る。もう一人の小男は女子学生が逃げ出さないように目を光らせながら、嫌らしい笑いを浮かべ続けている。
フィルが前に出ようとするのを、ヨウが右手で制した。
「大丈夫、ここは僕一人で収めるから」
そのセリフが聞こえたのか、二人の男が真っ赤に顔を染めて激昂する。
「んだとォ!? 調子コイてんじゃねえぞコラ!」
「クソガキが、ぶっ殺す!」
怒り狂いながら突進してきた男たちを冷ややかに一瞥すると、ヨウはゆっくりと腰を落とし、それから一転、弓から放たれた矢のごとく大男の方へと駆け出した。瞬きする間もなく男の懐へと潜り込む。
当の大男はと言えば、目の前のヨウが突然消えたと思っているのか、あらぬ方向へと視線を泳がせている。
「速い!」
唯一その動きを捉えていたチアキが声を上げた時には、すでに大男の身体が崩れ落ちていた。みぞおちに鋭い肘鉄を食らい、ひとたまりもなくその場に膝をつくと、そのままうつ伏せに倒れて地面と接吻する。
何事かとそちらを振り向いた中背の男の目の前には、先ほどまで大男を相手にしていたはずのヨウがすでに立ち塞がっていた。男が思わず呻き声を上げる。
「テ、テメェ……」
「このあたりで、どうか引いていただけませんか?」
脂汗を流しながら呻く男に、ヨウが落ち着いた声で勧告する。たちまち男の体から怒気が吹き上がり、筋肉が膨れ上がる。
「ざけんなよ、クソがァァァァ!」
絶叫しながら右の拳を振り上げると、捻りの加わった凶悪な一撃をヨウの顔面に向かって放つ。
「仕方ないですね」
ため息混じりにつぶやくと、ヨウは無造作に左手を顔の高さまで上げる。その手のひらが、男の渾身の一撃を易々と受け止めた。あれだけの勢いだったにもかかわらず、不思議なことに音はほとんどない。
絶句する男には構わず、ヨウはその腕を捻り上げると足を払いながら男の身体を地面へと叩きつける。完全に体重のバランスを崩し、筋肉質な身体が簡単に四分の三回転する。突進力をそのまま流され、激しく地面に叩きつけられた男はそのまま昏倒した。そのあまりに鮮やかな体捌きに、残された小男はもちろんのこと、フィルとチアキも声が出ない。
ややあって、小男が顔を強ばらせながらかすれ声を漏らした。
「てめえ、いったい何者だ……?」
「ボーダーぎりぎりで何とか入学を許された、ただの落ちこぼれの新入生ですよ」
いまさらの小男の誰何に、ヨウがおもしろくもなさそうに答える。忌々しそうにヨウを睨みつけると、小男の周囲の大気が揺らめいた。
「一年のクセに、このクソガキがァ! 三年との力の差、見せつけてやるよォ!」
小男が叫ぶや、その周囲を炎が取り巻き始める。精霊力の行使によって、契約精霊の力の一部たる炎を呼び出したのだ。その熱気に、周囲の気温が一気に上昇する。チアキが焦りの表情で叫んだ。
「いけない! この炎、ヨウの力じゃどうにもならない!」
「もう遅せぇ! オレの力はクイックなんだよ! おとなしく丸焼きになりやがれ!」
慌てて精霊召喚に入るチアキとフィルだったが、今からではとても間に合わない。小男が放ったいくつもの炎の塊がまっすぐにヨウを襲う。その一つ一つが、耐性のない人間ならば丸々一人簡単に焼き払えるほどの威力を秘めたものであった。グラスウィルを召喚するのがやっとの精霊力しか持たないヨウが、この炎を防ぎ切るなど到底不可能であろう。
そんな必殺の威力を込めた火球は少年を容赦なく襲い、派手な音と光を放ちながら次々に炸裂した。
「ヨウォオオオ――ッ!」
フィルとチアキが絶叫する。とてもではないが、ヨウに耐えられるような威力の炎ではない。炸裂する炎の眩しさに思わず目を閉じた二人が、絶望的な表情で瞼を開く。
――そんな二人の目に映ったのは、何事もなかったかのように悠然とその場に立ち続けるヨウと、それを呆然と見つめる小男の姿であった。
「こ、このヤロォ……!」
呻き声を上げると、小男が再び火球を放つ。
だがその火球は、ヨウの眼前に突如現れた金色の光を放つ壁の前にことごとく砕け散っていく。壁と言うよりも、無数の円陣と言った方が正確か。それぞれの円陣にはびっしりと文字や図形が描かれ、そのそれぞれが右回り、あるいは左回りにゆっくりと回転している。炎はこの円陣に進路を阻まれ次々と消滅していった。
ヨウが一歩前に出る。
「あなたの炎は僕には届かない。おとなしく投降して下さい」
「な、なめるなぁ……!」
苦しげに言うと、男の周りに新たに六つの火球が現れる。
それを無表情に一瞥すると、ヨウは無造作に右腕を水平に払った。その手から六本の光の矢が放たれ、狙い違わず六つの火球全てを貫く。まばゆい光を放つと、吹き荒れる熱風のみを残して炎があっさりと消滅した。
とっておきの切り札をいとも簡単に破られ、小男の表情が恐怖にに満たされる。
「次はあなたを狙います。これは最後通告です」
ヨウが冷たく言い放つ。今まで聞いたことのない彼の冷ややかな口調に、フィルとチアキの背筋にも冷や汗が流れる。完全に戦意を消失したのか、小男はその場にへたりこんでしまった。ヨウはそのまま彼に歩み寄ると、一言何事かを告げて当て身を食らわせる。小男は白目をむいてそのままうつ伏せに倒れた。
「ヨウ! 大丈夫!?」
我に返ったチアキがヨウの下へと駆け寄る。一拍遅れてフィルもその後に続いた。
「お前、凄げぇな! こいつら三年なんだろ? 普通一年なんかがかなう相手じゃないんだぞ?」
「そんなことはないよ。チアキなら倒せる相手でしょ?」
「それは……そうね。それよりもさっきのは何だったのよ? あなた、精霊力は使えないんじゃなかったの?」
「そんなことより、まずはこの子だよ。君、大丈夫?」
そう言ってヨウが女子生徒の方を振り返る。彼女は倉庫の壁に背中を押しつけるように座りながら、肩を震わせて怯えた表情を見せていた。ヨウが笑顔で語りかける。
「安心して。僕らは君を助けに来ただけだよ。君、ケガはない?」
その言葉に、少女が無言でこくこくとうなずく。チアキが彼女に手を差し伸べながら優しく声をかけた。
「大丈夫? 立てる? 私はチアキ、あなたと同じ一年生よ。あなたは?」
「ス……スミレ、です」
チアキの手を取りながら少女はそう名乗った。少し気分が落ち着いたのか、三人に向き合うと礼を述べる。
「た、助けていただいてありがとうございました。おかげで助かりました」
そう言って頭を下げる。やや猫背気味に背中が丸まるその姿が、彼女の内気な性格といまだに残る怯えを表していた。
「スミレちゃんか。オレはフィル、こいつはヨウだ。よろしくな。ところで、スミレちゃんはどうしてこんなところで絡まれてたんだ?」
「あ、あの、この人たちが、部活の話をしたいと言うのでついて行ったんです。断ってもあきらめてくれなかったので……。そうしたら、ここに連れられて……」
スミレがうつむきながら状況を説明する。少しハスキーな声が可愛らしい。
こうして並んで立ってみると、スミレはずいぶんと小柄な少女であった。女性としては比較的背の高いチアキと比べれば、頭一つ分に近い差がある。長身のフィルと並ぶともはや大人と子供のようであった。顔立ちもやや幼さが残り、知らない者が見れば子供と間違えても不思議ではない。
そんな小柄な身体や幼い顔に反して、その胸は豊かな膨らみを見せていた。制服の上からでもその大きさをうかがい知ることができる。顔立ちや身長とのギャップもあり、幾分倒錯的とも思える魅力をその身体に湛えていた。
「私たち、一年C組なの。あなたは?」
「わ、私は一年A組です」
「あら、そうなの。講義でも一緒になるかもしれないわね。その時はよろしくね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
そう言って、スミレがようやく笑顔を見せる。やはり自分が話しかけるより女子どうしで話し合う方が打ち解けるのも早いな、などと思いながらヨウはチアキとスミレを見つめていた。
日が傾き、冷たい風が吹き始める。風はその場に残っていた戦いの熱を押し流し、あたりには再び静寂が戻っていた。