15 死線を越えて
「わぁ、すっごいよ、みんな~!」
「あんたは去年も入ったでしょうに。でもまあ、私も同感だね」
「本当、凄いですね!」
「空が、綺麗……!」
風呂場に入ってきた四人が、目の前の露天風呂に感嘆の声を上げる。年頃の少女特有のやや金属的な話し声が石の床に反射する。
その声を、ヨウたち四人は心臓が締め付けられるような気持ちで聞いていた。湯船の中ほどにある岩の裏でひたすら息を潜める。
(おいおい、マジでどうするよ……。これじゃオレたち、逃げ場がないぞ?)
(やっぱり素直に謝った方がいいんじゃ……?)
(血迷われたかヨウ殿!?)
(そうだぜヨウ! そんな事したらオレたち確実にあの世行きだ!)
(で、でも……)
(まずは事態が好転する事を祈って少し待とうぜ。結論を出すのはそれからでも遅くはない)
それはどうだろう、と思いながらも、ヨウもフィルの言葉におとなしくしたがう。
浴場では女子たちが身体を洗い始めているようだ。出口との間に居座られ、完全に退路をふさがれた形になる。
(くっそ、せめてみんな壁の方を向くとか、一斉に頭洗うとかしてくれればいいんだけどなあ……)
(そうだね……って、フィル君、君何見てるの!? マナブ君も!)
(バカ、カナメ、デカい声出すな! 誰かが見張ってなきゃ動きようがないだろが!)
(そうですぞ! まずは情報収集こそ戦の要!)
(ダメだよフィル! 女の子の、は、裸を覗くなんて!)
男子たちが口論しているその時、可愛らしい声が彼らの耳を打った。
「きゃああっ!? アキホ先輩、何するんですかあっ!?」
「ほっほ~う、スミレちゃん、君、いいもの持ってるねぇ」
「やっ……! そんな、揉まないで下さい……あっ……」
「ふ~むふむ、こうか? それともこうか? けしからん……」
「ふっ、くぅ……」
それは、アキホとスミレがじゃれ合う声であった。
(な、ななな、何ですとおおおぉぉぉっ!?)
男子四人が、唐突なハプニングにそろって声を上げる。ヨウの心臓が、にわかにその鼓動を加速させる。きっと皆も同じであろう。
「こらアキホ、スミレちゃん嫌がってるじゃない」
「はいはいノリコ、構ってあげなくてごめんね? 言われなくてもちゃんと相手をしてあげるよん」
「なっ、何バカな事言って……きゃふんっ」
「ほほう、ノリコ、あんたまた少し成長したね」
「やっ、やめてアキホ、んっ、くん……」
「ふっ、副会長!?」
どうやら今度はノリコが餌食になったようだ。その様子に、チアキの喉から調子はずれな高い声が飛び出す。
(うおおおおおおぉぉぉぉ!)
(アキホ先輩、お見事ですぞおおおおぉぉぉっ!)
(ちょっ、二人とも、ダメだって!)
興奮するフィルとマナブを、ヨウとカナメが必死になだめる。もっとも、ヨウにした所で興奮している事に変わりはない。少なくとも、とてもじゃないが今お湯からは上がれない。
(そんな事言って、ホントはお前も幼なじみの意外な姿に興奮してるんだろ?)
図星をつかれたヨウは、顔を真っ赤にしてそっぽを向く。そんな彼らの耳に、脳を溶かしつくしてしまうような少女たちの声が容赦なく襲いかかってきた。
「ノリコって、こう背中を指でスッとするのに弱いんだよね~」
「ひゃぅんっ!?」
ノリコの喉から、か細い悲鳴が上がる。その声に、ヨウの背中をぞくりと何かが駆け抜けていく。
「ノリコにこんな弱点がある事、ヨウ君は知ってるのかな~。ほれほれ~」
「やだ、ダメっ、ヨウちゃんには言わないで……はうンッ」
浴場に響くノリコの切ない声に、ヨウの精神力が限界を迎えようとする。耳をふさいでも、ヨウの脳裏にはノリコの甘い声が、切なげに眉根を寄せて弓なりに身体を反らせる映像と共にはっきりと甦る。ぼ、僕、もう駄目……。
そんなヨウの脳内妄想を打ち払ったのは、アキホを止めようとするチアキの声だった。
「せっ、先輩! そこまでです! それ以上は、たとえ先輩でもこの私が許しません!」
「ほう? チアキちゃん、この私に挑むつもり? いい度胸じゃない、先輩の力ってものを教えてあげる!」
今度はチアキとアキホとの間で何やら戦いが始まる。桃色の想像をかきたてる展開が終わり、ヨウは深く安堵のため息をついた。
「ふぅ~、やっぱり露天風呂は気持ちいいね~」
「はい! 私もこんないいお湯は初めてです!」
「月も高くなってきたし、絶景だねぇ」
「本当ですね、綺麗です」
身体を洗い終え、女子たちが湯船に入ってくる。岩一枚を隔てて反対側にいるヨウたちの緊張も、また一段と増す。おまけに長時間湯船に浸かり続けている事で、彼らはもう湯にのぼせる寸前であった。
(いいかお前ら、最初で最後、一回きりのチャンスだからよく聞け)
フィルが真剣な顔つきで言う。
(女子はこの後必ずあの岩の合間に気づき、そこに移動して外の景色を眺めるはずだ。オレたちはその隙を突いて一気に脱衣所まで突っ走る)
(なるほど、この岩を中心に点対称に移動していくんだね)
(そういう事だ、カナメ。いいか、ぬかるなよ)
フィルの声に、四人が真剣な面持ちでうなずく。これに失敗すれば明日はない。そこには悲壮なまでの決意があった。
ほどなくして、機会は訪れた。
「あ! あそこ、あそこから海が見えるんだよ!」
ノリコが岩と岩の間から見える景色を指差して言う。その言葉に一年生たちも食いついた。
「本当! 月光が反射して綺麗です!」
「不思議な光景ですね……」
「ほら、みんな、こっちこっち!」
ノリコの声に、チアキたちが岩の合間の方へと移動する。千載一遇のチャンスとばかりに、四人は岩を挟んで点対称な位置を保ちながら移動する。
ついにヨウたちは脱衣所の側へとたどり着いた。悪いと思いつつ振り返れば、ノリコたちは湯煙の向こうでこちらに無防備に背中を向けながら、岩の向こうの海を見つめている。視線を前に戻せば、目の前の空間は脱衣所まで綺麗に開けている。
行くなら、今しかない。
(全軍、突撃いぃぃぃ!)
フィルのかけ声と共に、四人は全力で、それでいて物音を立てないように脱衣所の扉へと駆け出していく。わずか十歩ほどの距離が、果てしなく遠い。
そしてついに扉が目の前に迫る。た、助かった! ヨウたちの顔に安堵の笑みが浮かぶ。
その時、脱衣所の扉が開いた。
「露天風呂、久しぶりだね」
「これが楽しみで来てるようなものだし」
「ノリコたちももう来てるかな?」
和気あいあいと浴場へ入ってきたイヨ・タチカワたち三人娘と一年生四人組が、真正面から鉢合わせする。三人娘の笑顔が固まり、ついで絶叫が浴場にこだました。
「き、きゃああああぁぁぁあああぁっ!?」
「な、何、どうしたの!? って、ヨウちゃん!? きゃああああぁぁぁっ!」
「な、何であなたたちがここにいるのよ! み、見るな!」
「ちょっとキミたち、もしかしてずっとここにいたの? これはさすがにお姉さんも許せないなぁ……」
「み、皆さん、最低です……」
けたたましい声が鳴り響く中、ヨウが必死に弁解を試みる。
「ま、待って、違うんだ! これには訳が……」
「も、問答無用! 絶対許さない!」
「ヨウ、まさかあなたまでこんな事するなんて……覚悟なさい!」
「ご、ごめんなさい! って、ぎゃあああぁぁあああぁ!」
怒号と共に、四人に向かって風呂桶やら何やらが四方八方から投げつけられる。そこから先は、もうされるがままに、嵐が過ぎ去るのをただただ待ち続けながら耐え忍ぶしかなかった。
……十分後、脱衣所の入り口にはぼろぼろになって昏倒する一年生四人組の姿があった。