11 ミチル
雲一つない青空と、その色を映し出したかのような青い海。
その海を割って、二つの影が白波を立てながら浜辺へと向かってきた。ヨウとカナメである。
「やった、僕の勝ち!」
「うわぁ、ヨウ君、速いなぁ……」
海から上がったヨウに、カナメが感嘆の声を上げる。水をしたたらせながら砂浜へと戻ってきた二人に、フィルとマナブが呆れた視線を向ける。
「まったく、お前らって奴らは……。のん気に泳いでる場合じゃねーだろうが」
「え、どうしてさ。せっかくの海だよ?」
「みんなも泳ごうよ。ねえ、ヨウ君?」
「カナメ殿! 何をたわけた事を! あれを見なさい!」
物分りの悪い子供を叱りつけるような口調で、マナブがあちらへと人差し指を向ける。
その先には、風船遊びに興じる生徒会メンバーの姿があった。男女入り乱れて、楽しそうに遊んでいる。
彼らが遊んでいる風船は、弾力のある素材でできたよく弾むものだった。それを地面に落ちないよう、みんなで空へと向かい突いている。たまに人へ向かって風船を打ちつける者もあり、それを何とか宙へと弾き返していく。
興味をそそられたヨウが、無邪気に聞く。
「へえ、おもしろそうだね! 二人とも、一緒に遊ばないの?」
「……はあ、これだからお子様は……」
「一体何を見ているのでしょうな……」
フィルとマナブがやれやれと首を横に振る。それからヨウの肩に腕をかけると、フィルが彼の首を抱え込むようにして耳元で言った。
「いいか、ヨウ。オレたちはここで観察してるんだよ。あれとは別の風船たちをよ」
「別の風船……?」
「そうだ。ほら、よく見ろ。スミレちゃんやイヨ先輩をよ……」
言われて、ヨウが彼女たちを見る。そして、フィルの言わんとする事を理解した。
「わ、わわっ……!?」
「お、わかったか? スゲえだろ、あっちの風船はよ! あの遊び、本気になってくると結構ぴょんぴょん飛び跳ねるから、風船の方もそれに合わせて飛び跳ねるって寸法よ!」
「おお! フィル殿! イヨ先輩が!」
「うおおお! 何て豪快なジャンピングアタック! つーか、胸揺れすぎだろ!」
その光景に、ヨウとカナメも思わずつばを飲み込む。確かに、片時も目が離せないかもしれない。
と、向こう側から突然鈴の音が投げかけられた。
「おーい、ヨウちゃーん! みんなも、一緒に遊ぼうよー!」
「はっ!?」
笑顔で大きく右手を振るノリコに、ヨウの意識が現実へと引き戻される。あやうくフィルたちに魔境へと引きずり込まれる所であった。慌てて返事をする。
「う、うん! 今行くよ!」
「ぼ、僕も行くよ!」
駆け出したヨウを、カナメが慌てて追いかける。後ろを振り返ると、「副会長のお誘いとあっちゃあ、断れませんな」「まったくですな」と、フィルとマナブも立ち上がっているのが目に入った。
それからしばらく、ヨウたちはみんなと楽しく風船遊びに興じた。
「ふう、疲れたぁ」
風船遊びに夢中になり、少し疲れたヨウは休憩を取ろうとその場から離れる。
木陰に行こうかと歩いていると、艶っぽい声に呼び止められた。
「ヨウ、いい所に来たね。ちょっとこっち来なよ」
その声にヨウが顔を向けると、そこには敷布の上にうつ伏せで横たわるミチル・フジモトの姿があった。大胆に背中の開いた水着とむっちりとした腰周りの肉付きに、思わず頬が赤くなる。
「な、何ですか?」
「ちょいとあんたに頼みがあってさ」
そう言うと、ミチルがカバンの中から何やら白っぽい液体の入ったビンを取り出す。うつ伏せのまま顔の前でフタをはずすと、中の液体を数滴手になじませながら言う。
「これ、日焼け止めなんだけどさ。あんた、これ背中に塗ってくれない? こんな風にさ」
「えっ、ええええ!?」
驚いたヨウが、目を丸くしてミチルの顔を見る。そんなヨウの驚きなど意に介しない様子で、ミチルがヨウにビンを手渡す。
「ダ、ダメですよ先輩! だって、先輩にはカツヤ先輩がいるじゃないですか!」
「ムリムリ、あの馬鹿、あっちでマサトといちゃこらしてるもん。嫁をほったらかしにして、まったく何やってんだか」
「だからって何で僕なんですか! 女子にお願いして下さいよ!」
「ヤダ。それに、最初にここに来たのがあんたなんだもん。大丈夫、カツヤは日焼け止め塗ったくらいで怒るようなケツの穴の小さい男じゃないさ」
「お、女の子がケツの穴とか言わないで下さい!」
思わず大声を上げる。そんな声には取り合わず、待ちくたびれたようにミチルがヨウを見上げる。
「そんなわけだからさ、早い所塗っておくれよ」
「で、でも……」
「いいからいいから。ほら、頼むよ」
「わ、わかりましたよ……」
押し切られる形で、ヨウが渋々承諾する。ビンの中の液体を手に塗りこむと、おそるおそるミチルの背中へと手を伸ばす。
「そ、それじゃ行きますよ……」
「ああ、頼むよ」
ヨウの手のひらが、そっと背中に触れる。
「あッ」
「わ、ご、ごめんなさい!」
ミチルの身体がぴくりと跳ね、慌ててその手を引っ込める。
「何やってんのさ。ちゃんと塗っておくれよ」
「は、はい……」
顔を真っ赤に染めながら、あらためてヨウがその手をミチルの背中へと当てる。みずみずしいその肌の感触に、ヨウの胸が一段と高鳴る。
ミチルの肌は柔らかく、それでいて弾力に富んでいる。気を抜けば意識がどこかへと持っていかれそうになるその感触に、ヨウはひたすら耐える。
そんなヨウを惑わすかのように、ミチルが悩ましげな声を上げる。
「あッ……んんっ……うン……。んッ、そこ……いい……。はン……」
「あ、あの! 妙な声を出すのはやめて下さい!」
「ああン? 何さ、細かい事気にするんじゃないよ。あたしだって別に気にしてないからさ」
あなたが気にしなくても、僕は気にするんですってば。そう思いながら、ヨウは正座してミチルのほどよく引き締まった背中に液体を揉み込んでいく。
そろそろいいかな、と手を止めたヨウの目に、我が目を疑う光景が飛び込んできた。何を思ったか、ミチルが肩から水着を脱ぎだしたのだ。上半身がほぼ裸となったミチルに、ヨウが動転する。
「なッ、ななな、何やってるんですか!?」
「何って、こうしないと肩まで塗れないだろ? あ、いくらヨウでも胸はダメだぞ?」
「当たり前です!」
狼狽しきったヨウは、今にもひっくり返りそうな声で言った。
「ぼ、僕、もう戻ります!」
「ちょっと、冷たいじゃないか。ほら、ちゃんと塗ってくれよ」
そう言ってミチルが立ち去ろうとするヨウの手首を握り、ぐいと引っぱる。バランスを崩したヨウがそのまま倒れ込む。
「わっ、わわわわ!?」
盛大に倒れ込んだヨウの胸に、何かとてもなめらかで暖かい感触が伝わってくる。それがミチルの背中だという事に気づくまで、さほどの時間はかからなかった。ミチルがからかうような笑みを向ける。
「おやおや、最近の若い子は大胆だねぇ」
「す、すいません! 今どきます!」
慌てて起き上がろうとして彼女の背中に手がいき、滑りのいい液体のせいでするりと手が滑る。再びすっ転ぶと、ヨウは半ばミチルに後ろから抱きつくような格好になる。ますますまずい。こんな所、誰かに見られでもしたら……。
そう思って顔を上げたヨウの目に、よく見知った友達の顔が飛び込んできた。
「ヨ、ヨウ……。これは一体、どういう事なのかしら……?」
「チ、チアキ!?」
顔を上げると、そこには眉間にシワを寄せて二人を見下ろすチアキの姿があった。自分が今絶体絶命の危機に瀕している事に気づき、ヨウは必死に弁解を試みた。
「ち、違うんだチアキ! これはその、ミチル先輩に頼まれて……」
「そうそう、あんまり張り切るものだからついはずみでこうなったんだよ」
「へえ、何をそんなに張り切ったのかしらね……?」
「ち、違う! 先輩、変な事言わないで!」
もはや顔面蒼白なヨウに、チアキが冷ややかに言う。
「言い訳する前に、まずはそこを離れる所から始めるべきだと思うのだけど……?」
「えっ!? あっ! そ、そうだよね!」
静かな怒りを湛えるチアキに、ヨウが慌てて立ち上がろうとする。その拍子に、日焼け止めの入ったビンを手ではじいてしまった。ビンは綺麗な放物線を描き、中の液体がチアキとミチルに降りかかる。若干粘性を持ったその液体を上半身に浴び、ミチルがいたずらっぽく言う。
「ヤダ、身体中ベトベトじゃないのさ……」
「ご、ごめんなさい!」
その扇情的な光景に赤面しながら謝るヨウの耳に、低く語りかけてくる声が届く。
「ヨウ……あなた、いい度胸してるじゃない……」
「ひッ!?」
振り向くとそこには、顔から胸元にかけて液体をべっとりとまとわりつかせたチアキが仁王立ちしていた。整った鼻や唇に、どろりとした白い液体が張り付いている。
その液体を乱暴に手で拭うと、チアキは凄みのある笑顔で聞いてきた。
「覚悟はできてるわね?」
「は、はい……」
「よろしい」
そう言うと、チアキが一切の遠慮なくヨウの耳をつまんで引っぱる。おやおやと手を振るミチルを背に、ヨウはずりずりと引きずられていく。
「いい? この事は副会長にも伝えておくから。洗いざらい吐くのよ?」
「ご、ごめんなさい!」
その後、ヨウはチアキにこってりとしぼられるのであった。