8 海へ
帝都メイキョウを出発した精霊機関車は、帝都南部の山間部を抜けて広大な穀倉地帯に入る。しばらく走り続けていくと、その先に比較的大規模な都市が見えてきた。
「あ、もうすぐアサカワかあ」
ヨウが車窓の風景を懐かしそうに見つめる。
「アサカワって、ヨウのふるさとか」
「うん。まあ、僕が生まれたのはもっと東の方だけどね」
「ヨウのふるさとって事は、副会長のふるさとでもあるわね」
「のどかな所ですね……」
友人たちも、窓の外を見つめながら言う。うなずきながら、ヨウは一人物思いにふける。
ヨウやノリコと同じくアサカワで入試を受けたというクラスメイト、ハヤセ。あの事件で、彼は美化委員会のタチバナ副委員長によって拘束された。その後しばらく学院を欠席していたが、事件から十日ほどして彼が学院を去ったという知らせを聞いた。
何とも後味の悪さが残る事件であったが、ヨウにはあの事件が妙に引っかかっていた。ハヤセが美化委員であった事、ヨウ自身もあの事件にかかわっていた事もあり、どうしても簡単に忘れる事ができない。
窓の外を見つめながらそんな事を考えていると、通路側から鈴の音が聞こえてきた。
「ここに帰ってくるのも久し振りだね……って、ヨウちゃんはそうでもないか」
「ノリコは年明け以来だもんね」
懐かしそうに車窓の向こうを見つめるノリコに、ヨウが微笑む。慌てて席を譲ろうとするチアキを手で制して、ノリコが言葉を続ける。
「ずい分と遠くに来ちゃった気がするなあ……。昔はこの町も凄く大きく感じてたのにね」
「そうだね。よくノリコにあちこち引きずり回された事を思い出すよ」
「えー、ひっどーい! あれはヨウちゃんがとろとろしてるのがいけないんじゃない!」
口を尖らせてノリコが抗議する。直後、後輩たちが驚いた目で自分を見ている事に気づき、慌てて一つせき払いをする。
「えー、コホン。この町は、あたしと彼にとってはいろいろと思い出がある町なんです。皆さんも、よければ一度遊びに来てみて下さい」
今さら取り繕っちゃって、とくすくす笑うヨウを、ノリコがじろりと一睨みする。ヨウの向かいの席では、そんなノリコの言葉にチアキが目を輝かせてうんうんとうなずいていた。
「なるほど! この町の空気が、副会長とヨウという二人の天才を生み出したという事ですね! 勉強になります!」
「あたしはともかく、ヨウちゃんは本当に天才だからね。チアキちゃん、同じライバルを持つ者どうし、これからもがんばりましょう!」
「はい! 副会長!」
打倒ヨウに燃える二人に挟まれ、スミレが困ったような笑顔を浮かべている。二人にライバル扱いされ、ヨウも苦笑しながら窓の外へと視線を向ける。列車はアサカワの街の中へと入り、駅がだんだんと近づいていた。
鉄道が開通した頃はノリコと一緒に駅で機関車を見物してたっけ。そんな事を思い出しながらノリコの顔を見ると、ちょうど視線が彼女とぶつかる。彼女も同じ事を考えていたのだろうかと思いながら、ヨウは再び窓の外へ視線を移した。
アサカワを通過して数時間。終点のイノハマに着く頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。三日月がずい分高く上がっている。海風と磯の香りが、何とも心地いい。
残念ながら海の方は真っ暗で何も見えなかったが、生徒会メンバーは徒歩で駅からほど近い港まで移動する。もっとも、元々物資の高速大量輸送を実現するために鉄道が造られたのだから、港の近くに駅が建設されたと言う方が正確であろう。
しばらく歩くと、停泊中の船の姿が見えてくる。さほど大きくはないが、三、四十人くらいが乗るには十分な大きさだろうか。こんな時間に定時の船便があるとも思えないので、これも生徒会で手配した船なのだろう。真っ暗闇の中、明かりを頼りに船へと乗り込んでいく。
海が初めてのヨウには、暗闇の中聞こえてくる波の音が不気味に思えて仕方なかった。それは前を行くスミレも同様だったらしい。心細そうにチアキの手を握っている。
そのチアキはと言えば、波風や波音を気にする様子もなくすんなり船に乗り込むと、スミレに向かって手を差し伸べている。彼女も海は初めてのはずなのに、大した胆力だ。馬鹿にされないようにと、ヨウも内心の不安を胸に押しとどめて舟へと乗り込んだ。
全員が船に乗り込んだ事を確認すると、あらかじめ船の中に準備されていた食事を三年の補佐たちが手際よく配っていく。この後軽く食事をとったらなるべく早く眠るようにと、タイキから指示が出る。何でもこれから船が出発し、夜明け前にはサヤミの港に到着するそうだ。しばらくはそのまま停泊し、明け方に宿泊施設へと移動する予定なのだとか。
先輩にもらったサンドイッチを食べていると、間もなく出航すると船員が連絡してくる。せっかくなので、ヨウはチアキたちを誘って甲板に出た。出航の様子を見ようと思ったのだが、明かりの他は暗くて何も見えない。やがて船が動き出すのは感じる事ができたが、結局ヨウの目には海を思わせるものは何も見えなかった。海の中を船が行くさまを見たかったヨウであったが、明日明るくなる頃にはもう港に着いてるんだよなあと少しがっかりして船内へと戻っていった。
船内に戻ると、すでに先輩たちの多くが雑魚寝状態で眠りに落ちていた。まだ起きていたマサト・ヤマガタが、お前らも早く寝ろよ、と忠告する。明日からは訓練も遊びもハードだからな、と笑うマサトにヨウも笑顔でうなずくと、開いているスペースで横になり、毛布にくるまって目を閉じた。
朝、目を覚ますと船内では何人かがもう目を覚ましていた。日も昇り始めているようなので甲板に出ようとすると、同じく起きていたチアキに声をかけられる。
二人で一緒に甲板に出る。その目に飛び込んできたのは、どこまでもはてしなく広がっていく海だった。水平線から顔を出したばかりの太陽が、揺らめく水面を朝日で照らす。
「わあ……!」
その雄大さに、ヨウの口から思わず感嘆の声が漏れる。見れば、チアキも驚きに目を丸くしている。
「凄いね、チアキ……!」
「ええ……とても綺麗……」
「これが海かぁ……」
目の前に広がる光景に二人並んで見とれていると、後ろからカツヤ・マエジマが二人に声をかける。
「おーい、お二人さん。夫婦水入らずの所悪いが、そろそろ出発するぞ」
「ちょっ!? 変な事言わないで下さいよ!」
「そうですよ! 私たち、そんなんじゃないですから!」
二人して、いささかむきになって否定する。照れるな照れるなと笑いながら、カツヤが戻っていく。少し気まずい感じになって、そろそろ戻ろうか、とヨウは先に船内へと戻った。
外に出る準備をして、船を下りていく。港はすでに漁へと向かう船で賑わっている。その熱気を横目に、ヨウたちは宿泊施設へ向けて出発する。
施設はここから少し離れた所にあるそうだ。これから数日間、一体どんな事が待ち受けているのだろうかとの期待を胸に、ヨウは皆と共に歩き始めた。