7 出立
八月に入り、生徒会の合宿の日がやってきた。
真夏の太陽が最高点に近づきつつある中、帝都の駅前広場には珍しく人だかりができていた。帝国精霊術士学院生徒会のメンバーである。その数、三十二人。
彼らは正午に帝都メイキョウを発つ精霊機関車に乗り、約十時間もの時間をかけて南端の港湾都市イノハマへと入る。そこで帆船に乗って一晩を船上で過ごし、翌朝には宿泊施設のあるサヤミに到着する。なかなかに厳しい日程だが、生徒会らしいと言えばそうかもしれない。
精霊機関車に乗れるという事で、生徒会メンバーのテンションも上がっている。帝都では制服着用が原則であるが、今回は事前に許可を取っている事もあってほとんどの者が私服に身を包み、四泊五日の旅を心待ちにしているようであった。真夏の炎天下とあって、日傘を持つ者もちらほらと見かける。
「それにしても、つくづく凄いわよね、生徒会って」
隣からチアキが話しかけてくる。日に焼けたくないとばかりに、片手で日差しを避ける仕草をする。
いつもの制服姿ではないためか、常日頃の気の強い堅物そうなイメージが和らいでいるように思える。涼しげな白のワンピース姿からは、むしろ年相応の可愛らしささえ感じられた。
「精霊機関車の客車を三十二人分も押さえちゃってるんでしょう? ほとんど貸切みたいなものじゃない」
「本当だね。いくらくらいかかるんだろう」
「それはもう、帝国臣民が一、二年は暮らせるくらいの額はかかっているんじゃないかしら。往復だとその倍ね……」
「旅費のほとんどは鉄道代って事かな」
「それはそうでしょうね」
「うへえ、聞いただけで気が遠くなるな……」
フィルがパタパタとうちわをあおぎながら、うんざりしたような顔をする。Tシャツにチョッキ、下は短パンと、いかにも夏といった格好だ。
「まあ、これも生徒会ならではの特権よね」
「私、精霊機関車に乗るのは初めてなので楽しみです」
「あ、そっか。スミレさんは西から来てるんだもんね」
その言葉にスミレがこくりとうなずく。その瞳も、これから乗る精霊機関車への期待に満ちている。
スミレは白い薄手のブラウスに、長めのスカートをはいている。生地が薄いので、どうしても胸の盛り上がりが強調されてしまうのは仕方ない。ヨウはなるべく目線を下げないように注意しながらスミレに向かい笑う。
「そう言えば、フィルも海の方の出身だったよね?」
「ああ。もちろん帝都へはイノハマから鉄道使ってきたんだぜ」
「スミレは帝都までやっぱり二、三日くらいかかったのかしら?」
「はい。高速馬車を使っても、どうしてもそのくらいはかかります」
「そう考えると、やっぱり精霊機関車って凄いね」
そんな話をしていると、タイキがメンバーたちに号令をかけた。
「はい、みんな注目。それではこれから、精霊機関車に乗ります。一般のお客さんもいると思いますので、生徒会メンバーとしてふさわしい行動を心がけて下さい」
そう言って、タイキが駅の方へと歩いていく。生徒会の面々も、その後に続いた。
精霊機関車の到着を前に、駅のプラットホームは独特の緊張感に支配されている。
貨物車が停車するあたりには人と荷物とがずらりと並び、機関車の到着を今か今かと待ち構えている。ヨウが帝都に来た時に見た、あの戦場のような荷物の積み替えが脳裏をよぎる。
一方の客車の停車位置には、ヨウたち生徒会のメンバーがずらりと並んでいる。これはこれで珍しい光景かもしれない。その高額な運賃ゆえに普段満席になる事は滅多にない客車であるが、この日ばかりは例外のようだ。
と、線路の向こう側から黒い物体がこちらへと向かってくるのが見えてきた。その姿が徐々に大きくなってくる。
少しずつ近づいてくる、黒く巨大な地上の船。精霊機関車の威容に、見るのはこれが初めてではないにもかかわらずヨウは圧倒された。減速しているのだろう、けたたましい金属音が鳴り響く。
プラットホームに入ってきた機関車は、ゆっくり、ゆっくりと駅の中を進み、ちょうどヨウたちの目の前のあたりに客車部分が停車した。これだけの大きさの物が高速馬車よりも速く走っていたというのに、ここまでぴったり止めるとは驚くべき精度だ。運転手の技量に感嘆を禁じえない。
見ればスミレが目を輝かせながら黒光りする車体を見上げている。それは隣のチアキやフィルも同様だ。そんな彼らの様子に頬をゆるめていると、タイキが乗車をうながした。指示にしたがい、生徒会メンバーが次々と客車に乗車していく。向こう側で猛然と下ろされている積荷を見つめながら、ヨウも客車へと乗り込む。
久し振りに乗る精霊機関車の客室は、相変わらず落ち着いた雰囲気に包まれている。二人一組で向かい合う四人がけの座席、全部で八組を全て生徒会で押さえているという事だ。聞くところによれば、すでに来年の分の座席も予約済みなのだとか。一般の客は長椅子に腰をかけていく。
指示にしたがい、ヨウも四人がけ座席の一つに座る。ヨウの席にはフィルとチアキ、そしてスミレが座る。通路の向こう側にはカナメとアキヒコの一年生チームが席を取った。
「出発までは結構時間がかかるのよね」
チアキが言う。
「そうだね、荷の積み替えが終わるまで待たないといけないもんね」
「帝都だと積み替えも長いのよね。一時間くらいかかるかしら」
「私、おにぎり作ってきたんです。皆さんも、よかったらいかがですか?」
「お、サンキュー、スミレちゃん!」
「あ、僕も一ついただいていいかな?」
「はい、お好きな物をどうぞ。こちらが梅、こちらがおかかでこちらが昆布です」
「うまっ! スミレちゃん、これスゲえうまいよ!」
フィルがスミレからおむすびを受け取りながら、うまそうに頬ばっていく。ヨウも一つ受け取ると、皆と談笑しながら列車の出発を待った。
時計の針が十二時をさし、出発の鐘が鳴り響く。少しずつ、精霊機関車が加速を始める。動き出した精霊機関車に、スミレが興奮気味に声を上げる。
「わ、わ! う、動きます!」
「そりゃ動くわよ。ずっと止まってたらいつまで経っても海に着かないじゃない」
「あ、ご、ごめんなさい……」
申し訳なさそうな声で謝るスミレ。それを見て、フィルが呆れた顔で言う。
「まったく、人の純粋な感動に真顔で答えるとか、こいつには人の感情ってものがわからないのかねえ……」
「な、何ですってえ!?」
それをきっかけに、いつもの言い争いが始まった。事の発端になったスミレが困ったようにおろおろと二人の顔を見比べる。ヨウはそんなスミレに向かって、いつもの事だと首を振ってみせる。
精霊機関車は意外と静かに、その速度を増していく。駅が遠ざかり、帝都の街並みが車窓を流れていく。
イノハマまでは約十時間。帝国領の実に三分の二を縦断する、長い鉄道の旅が始まった。




