5 ノリコとヨウ
「さっきはごめんね、ヨウちゃん……」
「う、ううん、気にしないで」
帝都の若者に人気だという大通り沿いの喫茶店で、ノリコが頭を下げる。ヨウも困ったような笑いを浮かべる。
ノリコの悩殺水着を前にあえなく失神してしまったヨウであったが、それも一時的なもので間もなく目を覚ました。自分を心配そうに見つめる客たちの視線に気づき、慌てて男物の水着売り場へと移動したが、あの程度の事で気絶してしまうなんて情けないやら恥ずかしいやら。
ノリコも先ほどはやりすぎたと反省しているようだ。あの後急いで水着を買うと、お茶でもおごるね、とこの店にヨウを引っ張ってきた。紅茶とケーキのセットを頼み、二人見つめあいながらそれを待つ。
「あたし、ヨウちゃんが相手してくれないからついムキになっちゃって……」
「ごめんね、あの場がどうしても落ち着かなくて、早く終わらないかと思っちゃったんだ」
「まさか気絶しちゃうとは思わなかったから……」
「そ、それはもう言わないでよ!」
水着売り場で自分がさらした醜態を思い出し、ヨウが思わず大きな声を上げる。できる事ならば、ノリコの記憶ごと全てを消し去りたい。
ヨウの大声に驚いたノリコが、慌ててカバンの中の荷物を取り出そうとする。
「だ、大丈夫! あの水着はやめたから! もっとおとなしいのにしたよ! 見る?」
「いい、いいって! 今はいいから! もうその話は終わり!」
ヨウが両手を突き出してノリコを制止する。あの水着で海などに来られたらたまったものじゃない。ノリコの水着姿を思い出し、顔が赤くなる。
ノリコはうつむいて少し寂しそうな顔をする。
「あたし、やっぱり魅力ないのかな……。ヨウちゃんになら、女の子扱いしてもらえるかなって思ったんだけど……」
「え!? いや、ノリコは十分魅力的だよ!」
落ち込むノリコに、今度はヨウが慌てて励ましの言葉をかける。ノリコが上目遣いでヨウを見つめた。
「本当……?」
「ほ、本当だよ! だってほら……子供の頃より、その、いろいろと成長もしているし……」
「あ……」
「僕がその、倒れたのだって、ノリコの姿が凄く、い、色っぽかったからだし」
「い、色っぽ……」
お互いに火が出るのではないかと思うほど顔を赤くして、二人は黙り込む。
しばらくして、ノリコが出し抜けに明るい声を上げる。
「ヨ、ヨウちゃん! 学院の生活はどう?」
「え? う、うん、うまくやれてるよ!」
「そ、そう? さすがヨウちゃんだね!」
妙にぎくしゃくしたやり取りに、二人は顔を見合わせると、どちらからともなく笑い出した。なぜか笑いの発作に見舞われたようだ。にじむ涙を右手で拭き取りながら、ノリコが言う。
「ふふっ、ヨウちゃん、変なの!」
「ノリコこそ。今日は変だよ?」
「だって、帝都で初めてのデートだもん。少しは変にもなるよ」
「あはは、僕もそうなのかも」
ひとしきり笑った所で、店員がケーキセットを運んできた。生クリームをたっぷりと乗せたケーキに、待ってましたとノリコの瞳がきらきら輝く。
「これこれ! あたしのイチオシのケーキなんだよ!」
「へえ、おいしそうだね」
「そう、とってもおいしいからヨウちゃんも食べてみて! いただきまーす!」
食事の挨拶を済ませると、さっそくノリコがケーキを口に運ぶ。ヨウもケーキにフォークを入れた。適度に空気を含んだ柔らかい生地がさっくりと切れる。
「おいしい!」
「ホントだ! おいしいね!」
ケーキを口に入れたヨウがノリコに同意する。こんなお菓子、地元ではとても口にはできない。ノリコが夢中になるのもうなずける。
フォークを口に運ぶたびに幸せそうな顔をするノリコが、ヨウに話題を振る。
「そう言えばヨウちゃん、試験はどうだった? ……って、聞くまでもないか」
「ちゃんと聞いてよ。がんばったんだから」
「ヨウちゃんががんばったら、全科目でトップになっちゃうじゃない」
「ないない。でも精霊術以外の科目はそのつもりで臨んでるけどね」
「そんな事言って、実は精霊術でもトップを狙ってたりするんでしょ」
「まあね。制御系とか、テクニカルな科目は結構いい所いけるんじゃないかな。僕も生徒会役員なんだし、苦手だからできませんなんていつまでも言っていられないよ」
「それじゃヨウちゃん、前期試験はかなりいい所までいくかもね。入試と違って定期考査は単純に各科目の合算だから。傾斜配点があるとはいえ、総合トップ10は堅いんじゃないかな?」
「あはは、そうだといいね」
ノリコの言葉に軽く笑うと、お茶を一口すする。
「そういうノリコこそ、全科目トップを目指してるんでしょう?」
「そうなんだけど、道は険しいんだよね。今回は三度目の正直といきたいんだけど、無理だろうなあ……」
「おやおや、副会長ともあろうお方がずい分と弱気な発言ですね」
「言ってくれますね、マサムラ君」
お互い顔を見合わせてくすくすと笑う。
「あたしの最大のライバルは目の前にいますから。そのくらいやらないと」
「僕は自分にできる事を一つずつやるだけだね」
「あー、優等生発言ー」
ケーキを味わいながら、二人は学校生活の話題でしばし談笑した。
「そうだ、聞きたい事があるんだけど」
「うん? 何?」
カップを持ちながら首をかしげるノリコに、ヨウが聞く。
「合宿って、具体的には何をやるの?」
「ああ~。それはね、もちろん海と温泉!」
「ノリコ……」
ヨウが呆れて幼なじみの顔を見る。少し恥ずかしそうにノリコが見つめてくる。
「そ、そんな目で見ないでよ。もちろん特訓もあるよ。あたしもヨウちゃんの精霊力を高めるために厳しくしごいてあげるから。覚悟しててね?」
「う、うん。お手柔らかに」
「合宿では秋からの新体制を決めるための適性を見る、って言う話は知ってるでしょ?」
「うん、先輩たちから聞いてる」
「だから、合宿ではそれぞれの得手不得手を生徒会基準でいろいろ測定するの。そして不得意分野は徹底的に鍛える。ヨウちゃんは精霊力に難ありだから、かなり地道なプログラムになるんじゃないかな」
「やっぱりそうだよね」
とほほと肩を落とすヨウ。くすりと笑うと、思い出したかのようにノリコが言う。
「それとね、合宿名物に一・二年対抗戦っていうのがあるんだ」
「一・二年対抗戦?」
「うん。読んで字のごとく、一年生と二年生とが実戦形式で勝負するんだよ。いつもは二年生が全勝しちゃう事が多いそうなんだけど……」
「だけど?」
「今年はヨウちゃんがいるからね。全勝は難しいかな? もちろんヨウちゃんの相手は、あ・た・し」
嬉しそうにノリコが言う。本当に嬉しそうだ。ヨウが困り顔で言う。
「ノリコ、そんなに僕と戦いたいの?」
「もちろん! もう昔のあたしじゃないって所、ヨウちゃんに見せてあげないと! あたし、今度こそ絶対勝つから!」
「ノリコはとうに僕を超えてると思うんだけど……」
ダメ元で言ってみるが、案の定ノリコは聞いていない。いろいろと必殺技を準備しているんだとか何だとか、嬉しそうにヨウ攻略法を語り始めた。
こうなると長いんだよなあ……。ヨウは観念するとおとなしく聞き役に徹する。
ノリコの対ヨウ・マサムラ必勝講座が終わったのは、それから三十分後の事であった。




