40 ハヤセ
教室の中にはハヤセとヨウたちの他に誰もいなかった。教壇のあたりにハヤセが立ち、ヨウたちをじっと見つめている。
フィルとチアキは、教室に入りはしたものの入り口からあまり離れようとしない。二人のハヤセへの不信感たるや相当なもののようだ。このまま入り口にいても話が進まないので、ヨウが前に出る。
「ヨウ、行くのか? 別にここからでもいいだろ?」
「大丈夫。とりあえず僕が話を聞くから、二人はここで待っててよ」
「あいつの事だから、外から人を呼ぶのかもしれないわ。入り口は私が見張っているから、ヨウも気をつけるのよ」
「そんなに心配しなくても大丈夫だって」
苦笑しながらうなずくと、ヨウがハヤセの方に歩いていく。彼から三歩ほど離れた所で立ち止まり、ヨウはハヤセと対峙した。
ハヤセはヨウとは目を合わせず、うつむいたまま立ち尽くしている。静寂が教室を支配する中、ハヤセが口を開いた。
「この前はすまなかった。お前に叩きのめされて、俺も目が覚めたよ」
そう言いながら、上目遣いにヨウを見る。その表情は暗い。
「お前は凄い奴だよ。精霊力はほとんどないのに、あれだけの力を持っていて、仲間にも慕われるなんてな」
「僕の事はどうだっていいよ。わかってもらえたならそれでいいんだ。それと、あの二人にもちゃんと謝ってもらえるかな。初めて会った時に言ってただろう? 彼らにひどい事」
「ああ、それももちろん謝る。本当にすまなかった」
「ありがとう、わかってくれて」
ヨウがハヤセに笑いかける。ハヤセも薄く笑うと、少しずつ話し始めた。
「俺はお前に嫉妬していたんだ。俺があれほど苦労して入学したのに、どうして精霊力のないお前が学院に合格できたのかって。その後生徒会にも認められて役員にもなるしな。それで、ついコネを疑ってしまったんだ」
そう言って、ヨウの顔を覗く。視線は合わせない。
「でも、あの時お前と戦ってわかったよ。お前は本当に強い。生徒会がお前を入れるのも当然だよ」
自嘲気味に笑いながら、ハヤセは懐にしのばせていた腕輪を取り出した。それを右腕にはめながら、ハヤセがヨウを見る。
「そうだ、もう一つお前に謝らなきゃならない事があるんだ」
そう言って、ハヤセがヨウの目を見る。そこには血を求める狂的な輝きがあった。ヨウが警戒の色を強める。
「どういう事?」
「こういう事さ――――お前を殺しちまって、すまなかったってな!」
狂ったような声を上げて、ハヤセが右腕をこちらへと突き出す。その腕にはめられた腕輪に、大きな青い石が埋め込まれている事に気づいた。あれは――――精霊石!
「二人とも、逃げて!」
「お前らもまとめて死ねぇぇぇ!」
叫ぶヨウに向かい、ハヤセが右手に集めた精霊力を放つ。以前戦った時とは比べ物にならないほど強大な炎の柱が、ヨウに向かって放たれる。室内の温度が急上昇し、その熱に周りの空気が揺らめき出す。
鋼鉄をも溶かすであろう高熱の炎が、ヨウの前に出現した黄金の円陣によってその行く手を阻まれる。炎の柱は、燃える花びらとなって熱風と共に散っていった。同時に円陣も粉々に砕けて消し飛ばされる。
「どうだ! この腕輪の力! これこそが、選ばれた者にのみ与えられる支配の力だ!」
ハヤセが吠える。この正気を失った状態にヨウは覚えがあった。例の指輪の事件。あの指輪にも精霊石が埋め込まれていた。おそらくあの腕輪も、精霊石から力を引き出すと同時に使用者の精神にも影響を与える効果があるのだろう。
加えて、ハヤセ自身のヨウに対する憎しみもある。それはこの前の戦いでまざまざと見せつけられたばかりだ。その相乗効果は、ヨウをして戦慄を禁じえないほどに彼の憎悪を増幅させていた。このままでは、彼の精神そのものが崩壊してしまうかもしれない。
「ヨウ!」
「今助けに行くわ!」
フィルとチアキが教室の中へと駆け込む。が、足を踏み出したものの何か壁のようなものに阻まれてしまう。見れば、ヨウとハヤセを中心に、彼らを半球状の光の膜がおおっていた。かすかに輝くその膜の表面には、ヨウを守った円陣同様に文字列や幾何文様がびっしりと書き込まれている。膜は教室のほとんどを包み込んでおり、フィルとチアキは入り口に締め出されるような形になっていた。
「こ、これはどういう事!?」
「ヨウ、一体どういうつもりだ!?」
「二人は危ないから入ってこないで! できればチアキは野次馬が来ないように見張って、フィルは誰か先輩を呼んできて!」
いつになく厳しい声でヨウが指示を飛ばす。悔しそうにぎりりと歯軋りすると、チアキがヨウに向かって叫んだ。
「わかったわ! 無理しないでね!」
「ありがとう!」
「く、くそっ! ヨウ、待ってろよ! 今すぐ呼んできてやる!」
そう言い残して、フィルが全速力で駆け出していく。安心した表情を見せるヨウに、ハヤセが怒り狂った叫び声を上げる。
「てめえ、よそ見してんじゃねええええぇぇぇっ!」
怒号と共に、ハヤセの右腕から再び炎の槍が放たれる。しかしその槍は、先ほど同様に文字と文様がびっしりと描かれた黄金の円陣によって防がれる。槍は四散し、あたりの机があっという間に消し炭となる。
だが、ヨウの顔にはいつものような余裕は認められなかった。わずかに焦りの色さえ見て取れる。それに気づいたのか、ハヤセが一気に調子づいた。
「そうだ! そういう顔が見たかったんだよ! いつもすましたツラしやがって! どうだ、俺の『炎熱の騎士槍』は! 防ぐだけで精一杯だろう!」
そう言って狂ったように笑い出すハヤセに、ヨウが強い口調で叫ぶ。
「ハヤセ! 早くその腕輪をはずすんだ! そんなに大きな精霊力、君の力じゃ制御しきれない! それに、その腕輪は精神への影響が大きすぎる! このままでは君が危険だ!」
その言葉にハヤセは逆上した。目は血走り、顔じゅうに血管がちぎれそうなほどくっきりと浮き上がる。
「テメェ……言うに事欠いて、俺の力じゃ制御できないだと? 精霊力のないテメェが知った口聞くんじゃねえ! テメェとの格の違い、今はっきり見せてやるよおおおぉぉぉおおぉ!」
絶叫と共に、ハヤセの精霊力が膨れ上がった。彼の周囲が、真っ赤に燃える炎の嵐に包まれる。あたりの椅子や机を次々に焼き尽くし、炎と煙とで視界が悪くなる中、焦げつく臭いを感じながらヨウはハヤセと正対した。
どうやら説得には応じてもらえそうにない。そうとなれば、彼のためにも早くあの腕輪を取り除かなければ――。チアキが不安そうに行方を見守る中、覚悟を決めたヨウは、呼吸を整えると、静かに己の内なる力を呼び起こしていった。




