32 クジョウ
学院の生徒が履修する科目には、必修科目と選択科目とがある。当然の事ながら、精霊術士の育成機関である学院では、必修科目に精霊術の実技科目が組み込まれていた。
「しっかし、ヨウってホントに精霊力は低いんだな……」
「こればかりは、どうしてもね」
精霊力を最大出力で的に放つ課題を終えて戻ってきたヨウに向かい、フィルがどうにも理解しがたいといった調子で言う。これにはヨウも苦笑いを返すしかない。
「ヨウの事だし、初めは何かの冗談かと思ってたぜ」
「でも、精霊力の容量や出力はともかく、精霊力の制御に関してはずば抜けてるのよね……。それこそ、このクラスじゃクジョウに迫るレベルじゃないかしら? あ、もちろん私もいるけれど」
こちらは半ば呆れた様子で、チアキがヨウにつぶやく。
「いくら上手に制御ができても、威力がないんじゃあね。水鉄砲とライフルじゃあ勝負にもならないだろ?」
「威力はともかく、精度はヨウの方がよっぽどライフルに近いじゃない」
近年各国で普及しつつある新兵器の名を挙げながら、二人が議論を交わす。と、フィルが二人の肩を叩く。
「噂をすれば、首席殿のお出ましだぜ」
二人がフィルの指差す方向に顔を向けると、的に向かい並ぶ生徒の中に、ヒロキ・クジョウの姿があった。的を前に悠然と構えるその姿からは、同じ一年生とは思えないほどの静かな迫力があふれ出している。
ヒロキの登場に、クラスの視線もそちらへと集中する。この光景も、この授業ではもはやおなじみになってしまった。人々を惹きつけてやまない魅力とカリスマが、彼にはあった。
「それでは、始め!」
教官の合図と共に、生徒たちが己の精霊力を高めていく。その中にあって、ヒロキのそれは規格外のものであった。圧倒的な炎の奔騰が、彼の周囲を包み込む。その炎の中から現れた精霊の姿に、生徒たちの間からどよめきが起こる。
ヒロキが召喚した精霊、それは数ある炎の精霊の中でも上位に位置する魔獣、ファイアドラゴンであった。いまだ幼竜ではあるが、それでもカナメのグロウサラマンダーより軽く二回りは大きい。そしてその潜在能力は、グロウサラマンダーの比ではない。
その背中からは、空を飛ぶにはまだ小さいが一対の翼が生えている。一見した限りでは竜騎士が駆るレッサードラゴンとあまり違いがわからないが、ファイアドラゴンの成竜の戦闘力はレッサードラゴンを凌駕する圧倒的なものだ。帝国の精霊術士でさえ契約できる者はそう多くはないであろう大物の登場に、生徒たちは大いに沸いた。
「出た!」
「待ってました!」
周りから歓声が上がる。それを気にする様子も見せず、ヒロキがファイアドラゴンの首を的へと向ける。
的に照準を定めたファイアドラゴンの周囲に、強い精霊力の流れが集まる。その力は熱をはらみ、徐々に揺らめく炎となって具現化する。その密度が、みるみる増していく。
ゆっくりと、火竜がその大きな口を開く。集まった炎が喉奥からちろりと見え隠れする。凝縮されたその精霊力の高まりに、見守る生徒たちの緊張も高まっていく。
静かに、ヒロキが的を指し示した。次の瞬間、圧倒的な炎の奔騰が火竜の口から放たれる。それは全てを焼き尽くす炎の柱となって、まっすぐに的へと襲いかかる。
「まさかあれ、『炎熱の放射撃』……!? 一年生が使える精霊術じゃないでしょ……」
チアキが思わずつぶやく。確かに、今ヒロキが放ったのはあのカナメ・イワサキが実技試験で見せたのと同じ上位精霊術、『炎熱の放射撃』だった。
否、同じではない。その威力、完成度はカナメの『炎熱の放射撃』を遥かに上回っている。この一撃だけで、ヒロキとカナメの精霊術士としての格の違いがはっきりと見て取れた。
ファイアドラゴンが放った炎は、狙い違わず的に直撃する。対精霊術防御を施されている的が、鉄をも溶かす高熱に悲鳴を上げる。そのあまりの迫力に、見物している生徒たちも声が出ない。火竜はしばらくの間火炎を吐き続けていたが、やがて炎を吐き終えそのまま姿を消した。
「うおおおおおおおぉぉっ!」
「すげええぇぇぇぇぇぇ!」
「何なんだ、今の術は!」
「オレたちとは次元が違う!」
顔色一つ変えずに生徒たちの中へと戻っていくヒロキに、生徒たちから驚嘆と、惜しみない賞賛の声が投げかけられる。クラスの友人たちの下まで戻ると、彼らに向かって笑顔を見せる。
「それにしても、あいつはバケモノだよな……」
ヒロキの恐るべき力に、フィルが舌を巻く。それはヨウも同感だった。あれほどの精霊力を、完璧に制御してみせるその才能。さすがは今年の首席合格者といったところか。
「やっぱ副会長って、あいつよりスゴいのか?」
「当たり前よ! クジョウは確かに凄いかもしれないけど、副会長は二十年に一人の逸材なのよ? 比べる事自体失礼ってものだわ!」
「お前、あいかわらず副会長の事になると熱くなるな……」
チアキの剣幕に怯えたように肩をすくめると、フィルはチアキから目をそらしてヨウに聞く。
「で、実際のところはどうなんだ? ヨウはいろいろ見た事あるんだろ? 副会長の精霊術」
「そうだね、今のクジョウ君の『炎熱の放射撃』なら、ノリコと結構いい勝負なんじゃないかなあ」
「嘘よ!」
即座にチアキが否定する。彼女の鬼気迫る眼光に、さすがのヨウもたじろいで視線を泳がせる。
「ま、まあ、昔の話だけどね。今ならどうなるかわかんない……いや、ノリコの方が上だよ、きっと」
「きっと?」
「ぜ、絶対! うん、絶対! そ、それより、今のノリコの話なら先輩たちに聞いた方がいいんじゃないかなあ? うん、絶対その方がいいよ!」
「それもそうね。ヨウの情報って古いから、全然当てにならないんだもの」
これ以上はボロが出る――実際には自分が見たままを話しているだけなのだが――と思ったヨウが、チアキの追及の矛先を自分から先輩たちへとそらす。チアキはチアキでそれに納得したのか、早くも先輩への質問を考え始めている。先輩、すみません――ヨウは心の中で詫びた。
「副会長の今の得意技って何なのかしら。あらゆる精霊術に通じてるって話だけど……。一日にどのくらい勉強してるのかも気になるわね。私もせめて頭脳では追いつきたいし。そうだ、副会長ってどんなものが好きなのかしら? お菓子? ぬいぐるみ? 意外と武具なんかが好きだったりして……。聞くならやっぱりアキホ先輩かしら? でもでも、マサト先輩なんてあれで意外と後輩の面倒見もいいし、そっちもアリかもね……。それともいっそ、副会長本人に……? キャー、ダメダメ! そんなのまだ早すぎるわ!」
「おーい、チアキー?」
「いいかげんこっちに戻ってこいよ、もうお前の出番だぞ?」
「はっ!? あ、あら、私とした事が少々夢中になりすぎたようね。もう、言われなくてもわかってるわよ」
いやわかってなかったじゃん、というフィルの声を聞き流し、チアキが的へと向かう。これは本当に先輩たちに謝らないといけないかも……。困り果てた顔で、ヨウは先輩たちへのお詫びの言葉を考え始めるのだった。