2 出会い
ヨウが帝都にやって来て、十日ほどが過ぎた。先日入学式も終え、いよいよ今日から学院での授業が始まる。
学院の生徒は学年ごとにそれぞれA組からD組までのいずれかのクラスに所属し、必要な科目を各自自由に履修する仕組みになっている。ヨウが所属する一年C組は先ほど講義履修のガイダンスを終えたところであった。
灰色の壁や床が冷たさと威圧感を与える広い講義室の、その後方に座っていたヨウに、後ろから声をかける者がいた。
「よっ、お前がヨウ・マサムラかい?」
後ろを振り返ると、やや線の細い少年が人懐っこい笑顔で立っていた。金髪に青い瞳。クラスの自己紹介で見た顔だ。この国には白人種、それもここまでくすみのない金髪の持ち主は少ないのでよく記憶に残っていた。
「ああ、君は確か……」
「フィル・フーバーだ。よろしく」
「うん、よろしく」
フィルと名乗った少年が、そのままヨウの後ろから話を続ける。
「お前、凄い成績なんだな。見たぜ、入試成績。学科なんてぶっちぎりのトップじゃん。何だよ、900点満点中896点って。二番の奴を100点近く引き離してるじゃんか。科目別でも全部お前の名前が一番上にあったしな」
そう言えばそうだったか。成績優秀者の入試結果は学科、実技とも校内の掲示板に張り出してあったということをヨウは思い出した。
「いったいどうすりゃあんな点取れるんだよ。つーか、お前が間違った問題って何だよ?」
「まあ、学科はおまけみたいなものだからね」
「その発言は聞き捨てならないわね」
突然、二人の会話に少女の声が割りこんできた。見れば、ヨウの左隣に座る女子生徒がヨウに厳しい視線を向けている。
「精霊の力を十分に発揮するには、それ相応の知識や知力が要求されるのよ。学科を軽んじるような発言は看過できないわ」
「ああ、ごめん。そういうつもりで言ったんじゃないんだ。不快に思ったなら謝るよ」
「よろしい。私、そういう素直な男は嫌いじゃないわ」
そう言って、少女がお茶目にウィンクする。腰元辺りまで伸びた長い黒髪、切れ長の目。見るからに理知的な印象の少女であった。
「ところであなた、あなたがあのヨウ・マサムラ君なんでしょう? 学科の成績、私も見たわよ。実技の方もすこぶる優秀だったようね」
「まあ、僕は肝心の精霊力に問題があるから、せめて学科や実技は人よりできないとね。ところで君は、チアキ・シキシマさんだったよね?」
「あら、自己紹介憶えててくれたのね。チアキでいいわ。今回は学科四位だったけど、次回は負けないんだから。覚悟しててね、首席さん」
「え、お前も頭いいのかよ? 弱ったな、そんな優等生に挟まれちゃオレ、ちょっと居場所に困るじゃん」
「気にしないでよ。トップなのは学科だけだから別に首席ではないし、むしろ僕はギリギリで合格した落ちこぼれと言った方が正しいしね」
「え、そうなのか?」
「証拠に、総合成績の方には僕の名前なかったでしょう?」
「う、ううん……? そうだっけ?」
「言われてみれば、そうだったかもしれないわ……」
不思議そうに二人が首をひねる。
「それともう一つ。自己紹介でも言ったけど、僕は今年で十六になる。入試は去年も受けてるし、みんなより点が良いのもきっとそのせいだよ」
「え、マジか? いやいや、ダメなヤツは何度やったってダメなもんさ。あの成績は間違いなくお前の実力だよ」
「フィルの言う通りよ。いずれにしても、あなたが私のライバルであることに変わりはないわ。これからよろしくね、ヨウ」
「こちらこそ、チアキ。フィルもよろしく」
「おうよ」
お互い顔を見合わせると、笑顔で握手を交わしていく。そして三人、しばしの間新入生らしい初々しさであれこれと談笑を始めた。他愛もない話に、本格的な学院生活初日の緊張も幾分ほぐれてきたように感じる。
「おい、そこの落ちこぼれ」
ヨウたちの楽しいひとときを破ったのは、三人の男子生徒だった。三人のうち、中背の生徒がヨウに毒のこもった視線を向ける。
「知ってるぞ、お前。アサカワの試験場にいた奴だろ。まさか契約してる精霊がグラスウィルだとは夢にも思わなかったけどな。あんなクソ精霊でよく恥ずかしげもなく学院を受験しようなんて思ったもんだ」
「おいおい、マジかよハヤセ? グラスウィルなんて、オレが六歳の時には使役できてたぜ」
「オレはもう昔過ぎていつだったか思い出せねえよ。そんなんで学院受験していいのか?」
「だからいるだろ、そんなんで受験した奴がここに一人」
ハヤセと呼ばれた少年の言葉に残りの二人が爆笑する。嘲りを隠そうともしない彼らの笑い声に、チアキが怒りに満ちた瞳を向けた。
「別に精霊が何であろうと、現に力を認められて今ここにいるんだから何の問題もないでしょう? だいたいヨウの成績は、学科・実技共にトップクラスなのよ?」
「そんなもんが何の役に立つんだよ。肝心の精霊力がないんじゃ精霊術師としては下の下だろ。そんな奴はおとなしく士官学校にでも行って、タダの兵隊やってればいいんだよ」
「なっ……!?」
再び哄笑を浴びせる三人に何か言おうとするチアキを、ヨウが黙って左手で制する。そんなヨウに、ハヤセが不快な笑みを浮かべながら言った。
「それにしてもグズはグズ同士で群れるんだな、えぇ落ちこぼれ? 入学早々つるんでるのが青目に女かよ。所詮落ちこぼれ、それに集まる連中もたかが知れてるな!」
フィルたち白人種に対する蔑称とチアキへの露骨な侮蔑の言葉をハヤセが口にするや、ヨウの表情が凍りつく。三人が大声を上げて笑う中、ヨウは静かに席から立ち上がると、ぞっとするほど低い声音でつぶやいた。
「……撤回しろ」
そのただならぬ雰囲気に気圧されたのか、冷や水を浴びせられたかのように三人が思わず笑いを止める。ヨウはもう一度繰り返した。
「撤回しろ。彼らへの今の発言、許す訳にはいかない」
「こ、この野郎……!」
やや幼さの残るその柔和な顔からは想像もつかない強い口調に、ハヤセたちが敵意を剥き出しにしてヨウたちと睨み合う。
一触即発なその空気を打ち破ったのは、一人の生徒の声だった。
「入学早々に喧嘩とはいただけないな」
「何をッ、邪魔すンじゃ……」
声の主に啖呵を切ろうとしたハヤセだったが、その顔を見て絶句する。石膏でも塗りこんだかのようにハヤセの表情がそのまま硬直した。
「ヒロキ・クジョウ……!」
そこにいたのは、ヨウたちより頭一つほど抜けた長身の生徒だった。体の肉付きも均整が取れていて、身のこなしには一分の隙もない。ヒロキと呼ばれたその少年は、ヨウとハヤセたちを一瞥すると、ハヤセに向かって口を開いた。
「君たちのやり取り、後ろの方しか聞いてはいないが……。あれはいけないね、ハヤセ」
「くっ……」
苦虫を十匹ほどまとめて噛み潰したような顔でハヤセが歯軋りする。一つ舌打ちすると、「行くぞ」と一言つぶやいてハヤセたちは苛立たしげにその場を立ち去った。
気が抜けたかのように、フィルがふうっとため息をつく。
ヨウはヒロキに向き合い謝意を述べた。
「ありがとう、助かったよ」
「いや、君は発言の撤回を求めていたわけだし、むしろ余計なお節介だったかな」
「それは君のせいじゃないよ」
「そう言ってもらえるとありがたい。私はヒロキ・クジョウ。よろしく」
「僕はヨウ・マサムラ。よろしく」
ヨウに続いてフィル、チアキとも握手を交わすと、ヒロキは再び自分の席へと戻っていった。その後ろ姿を見つめながらチアキがつぶやく。
「なるほど、あれがヒロキ・クジョウか……」
「有名人なの? 彼」
「それはそうよ。ヨウ、見てないの? 今年の入試総合トップ、正真正銘の首席合格者よ。そして、帝国を支える大貴族クジョウ家の嫡男でもあるわ」
「はあ~、クジョウはやっぱ格が違うねえ。ハヤセも完全にビビって逃げたって感じだったな」
「感じ、と言うか、間違いなくそうね。でも、ものわかりの良さそうな男でよかったわ。顔もいいし、私狙っちゃおうかしら、彼のこと」
「お前、さっきヨウに色目使ったばっかじゃん」
「あれは挨拶みたいなものよ。いちいち本気にしないでくれる?」
「あ~、へいへい」
確かに、あの男はただ者ではない。二人のやり取りを微笑ましく思いながら、ヨウはもう一度、ヒロキの方へと視線を向けた。