閑話 ノリコの新入生おもてなし作戦 後編
「カ、カナメ君!?」
「ちょっと、大丈夫!?」
口から赤いしぶきを噴き出してそのままのけぞったカナメの身体を、いち早く立ち上がったヨウが後ろから支える。
直後、カナメが息も絶え絶えに声をしぼり出した。
「み、水……」
「水?」
見ればカナメの口の周りが真っ赤になっている。カナメに水を手渡すと、ヨウはテーブルへと視線を落とす。
てっきりカナメは血を吐いたのかと思っていたが、どうやらテーブルの赤い染みはソースのようなものであるらしかった。
ノリコが頭をかきながらぺこりと謝る。
「あ、あれ~? 特製ピリ辛ソースを入れてみたんだけど、ちょっと刺激が強かったかな? カナメ君が辛いもの苦手だって知らなくて……ごめんね?」
「いや、苦手とかそういうことじゃないと思うけど……」
必死に水をあおるカナメを、ヨウは痛ましい目で見つめるよりない。
「まったく、そのくらいでだらしないわね……」
さすがのチアキも、もう料理の破壊力そのものは否定する気がないようだ。
「お待たせ、チアキちゃん! 次はチアキちゃんの分だよ!」
「は、はい!」
名指しで呼ばれ、チアキが思わず大声で返事する。
その返事に気をよくしたのか、ノリコは満面の笑みで皿のふたに手をかけた。
「チアキちゃんはいつもがんばってくれてるから、私も気合を入れて作ってみたんだよ」
そしてふたを外すと……その下には、山盛りの炒めご飯が鎮座していた。
「う……」
チアキが思わずうめく。
「チアキちゃん、たーんと食べてね!」
「も、もちろんです……」
チアキの額を次々と脂汗が伝う。
ヨウが声をかける。
「チアキ、無理はしなくていいんだよ……?」
「い、いいえ! 会長がわざわざ私のために作って下さったんですもの、全部食べるわ!」
悲壮な面持ちでそう言うや、チアキは手にしたスプーンを炒めご飯に突き刺した。
スプーンにたっぷりと盛られたご飯を、思い切って口へと運ぶ。
「ぐ……」
顔からみるみる血の気が失せていくチアキを、ヨウたちは心配そうに見つめる。
「シ、シキシマさん、大丈夫? 僕も少し手伝おうか?」
「オ、オレも少しくらいならもらってやってもいいぜ?」
「ば、馬鹿言わないでよ、これは会長が私に下さったものなんだから……」
決死の表情で、チアキは黙々とご飯を口に運んでいく。時々もれるくぐもったうめき声が実に痛々しい。
それでも、ついにチアキは目の前のご飯の山を征服する。
「ぐぷ……」
思わずげっぷを出すチアキに、ヨウたちが声をかける。
「よくがんばったよ、チアキ!」
「大丈夫? シキシマさん!」
「見直したぜチアキ! お前、よくやったぜ!」
「……このくらい、当然よ……うっぷ」
「チアキちゃん、もう大丈夫だから! とりあえず少し休も?」
アキホが駆け寄って、チアキを外へと連れていく。
後に残されたノリコが、不安そうな表情を浮かべる。
「もしかして……みんな迷惑だった?」
「い、いや、その! ノリコの気持ちは嬉しいよ? 本当だよ!」
ヨウは叫ぶと、ノリコの目の前に残っていた最後の皿を手にする。
思い切ってふたを取ると、そこには得体のしれないソースがかけられた肉の塊があった。
ノリコが申し訳なさそうに言う。
「ヨウちゃんのためにって、がんばって作ったんだけど……無理しなくていいよ……?」
「いや! ノリコが作ってくれたんだ、全部食べるよ!」
宣言すると、ヨウは肉にひたすらナイフを入れていく。大きな肉の塊が、みるみる小さな肉片の山へと変わっていく。
「おっ、おお?」
「これは……いったい?」
「こうして肉を細切れにするんだ。そして……」
ナイフを置くと、ヨウは皿を持ち上げてスプーンを手に取る。
「一気に、口の中へかき込む!」
大きく口を開けると、ヨウはその中へ肉片を一気に押し込んだ。
「おおおお!?」
「い、一気にいった!」
フィルとカナメが驚嘆する。
そしてヨウは……今までに味わったことのない感覚にさいなまれた。全ての汗腺が開き、血液が逆流するような感覚がヨウを襲う。
「ヨ、ヨウちゃん!」
薄れゆく意識の向こうで、ノリコが叫ぶ声が聞こえた。
ノリコがどんな顔をしているのか、ヨウにはもう見えなかったが、これだけは伝えなければと思い口を開いた。
「ノ、ノリコ……」
「何、ヨウちゃん?」
「ノリコは、僕にだけ、ご飯を、作って……」
「えっ、えええ?」
戸惑うノリコの声を聞きながら、ヨウの意識が遠のいていく。
ノリコの料理を他の人に食べさせるわけにはいかない。これ以上犠牲を出さないためにも、彼女が作った料理は全部自分が食べなければ。
そんな使命感を抱きながら、ヨウはそのまま気を失った。
彼らの献身が身を結んだのか、ノリコの料理が新入生に振る舞われることはなかった。




