10 勧誘
生徒会長タイキ・オオクマが発した、ヨウ・マサムラを生徒会役員として招くという一言。突然の申し出に、フィルが手に取ろうとしていたカップを思わず取り落としそうになる。傾きかけたカップを何とかつかみ直し、かろうじて紅茶がテーブルにぶちまけられるのを阻止してホッとため息をつく。
そんなフィルには目もくれず、ヨウとタイキはお互い見つめ合っていた。やがて、ヨウが口を開く。
「誘っていただいてありがとうございます。ですが、僕が生徒会にふさわしいとは思えません」
「なぜ、そう思うんだい?」
タイキが笑顔のまま問いかける。
「生徒会は学院でも最も優れた生徒たちが集う組織であると聞いています。会長や副会長はもちろんの事、今ここにいらっしゃる皆さんはいずれも常に学年上位10%以内の成績を保ち続けているとか。一方で僕は今年の入試において、末席で何とか滑り込むのが精一杯という劣等生です。そんな僕が生徒会に入ったりしたら、生徒会の沽券に関わりかねません」
「何だ、そんな事か」
タイキは間の抜けた声で言うと、ノリコやマサトと顔を見合わせながら笑った。
「そんな事は問題ないよ。我々生徒会は伝統的に実力主義だ。学院での成績がどうであろうと、生徒会にふさわしいだけの力を持つ者には等しく門戸を開いている。そして君は、その力を十分に備えていると僕は考えている」
「副会長もそうですが、それは買いかぶりというものではないでしょうか。僕には……」
「ヨウ君。それを判断するのは君ではなく、我々生徒会だよ。安心したまえ、そのために選考試験を行っているんだ。もちろん、全ての受験生は公平に審査する」
「申し訳ありません。出過ぎた口をききました」
幾分声のトーンを落としたタイキに、ヨウが非礼を詫びる。そんなヨウに向かって、タイキは一転軽い調子で、
「もっとも、いくら実力主義で成績は関係ないと言っても……」
と言いながら、笑顔でカップを手に取る。
「学業をないがしろにした結果成績が悪いというのは論外だけどね。それこそ生徒会の沽券に関わる」
「ふふっ、講義も聞かずに遊び惚けてるヨウちゃんなんて、あたし想像できないです」
「ははは! 確かにこの坊やがそんなタマとは思えねえ!」
上級生三人が笑いあう。その横で「あなたは生徒会には入れそうにないわね」とチアキに言われ、フィルは一言「ほっとけ」とつぶやいた。
「ですが会長」
笑っているタイキに向かい、ヨウが声を上げる。
「もし生徒会が試験を通じて僕を認めたとしても、生徒たちがどう思うかはまた別の問題なのではないでしょうか」
「それこそ君には関係のない事だ」
強い口調で、タイキが言う。その顔からは笑顔が消え、気の弱いものならば身震いしてしまうほどに厳しい表情が浮かんでいた。
「確かに生徒会三役の信任は総会での投票という形で生徒に委ねられているが、生徒会役員の選出は学院から認められ保障された生徒会の専権事項だ。学院職員や生徒からのいかなる圧力にも影響されるものではない」
「さっきも言ったけど、だからって好き勝手に選ぶわけじゃないよ。あたしたちは選考は公平に行うし、希望者には選考結果の理由も開示してるから」
「申し訳ありません」
再びヨウが頭を下げる。自分は生徒会にふさわしくないという考えに囚われて、少し意固地になっていたかもしれない。
タイキの顔にも笑顔が戻る。
「そういうわけで、ヨウ君が生徒会に入るにあたっての障害は何一つないから安心して。まずは選考試験だけでも受けてみてほしい。この通り、お願いするよ」
「お願いヨウちゃん。どうしても嫌なら仕方ないけど、そうでないのなら、どうかあたしたちに力を貸して」
「俺からも頼む。とりあえず試験だけでも受けてくれ」
「そ、そんな。どうか皆さん、頭を上げて下さい」
生徒会メンバー三人に頭を下げられ、慌ててヨウが頭を上げるようお願いする。
「わかりました。そこまでおっしゃっていただけるのなら、選考試験、つつしんでお受けしたいと思います」
「おお! 本当か!」
「ヨウ君、ありがとう!」
「一緒にお仕事がんばろうね!」
三人が喜びの声を上げる。一人だけ先走っている人がいるな、と思いながら、ヨウは笑みを返した。
ヨウの説得に成功し、生徒会の三人が一仕事終えたとばかりに息をつく。ああ見えて意外と緊張していたのか、マサトが二年生の生徒会メンバーに紅茶のおかわりをお願いする。
皆が落ち着いたところで、ヨウがタイキに質問を投げかけた。
「先ほど生徒会は実力主義とおっしゃってましたが、本当に貪欲に人材を集めているんですね。やっぱり学院での地位や発言力の維持のためという側面もあるのでしょうか?」
「そう、そこなんだよ」
興味本位の何気ない問いだったが、意外にも心底困っているといった調子でタイキが答える。
「君たち、生徒会は学院の中でも絶対的な権力と権限を握る組織だ、なんてイメージを持っていたりはしないかい?」
タイキの質問に、新入生三人が不思議そうに顔を見合わせる。
「えっと、生徒会って言うとそんなイメージっすけど……」
「私も、学院は生徒の自主性を重んじるって聞いてますし……」
「違うんですか?」
三人の答えに、タイキが苦笑しながらいかにも残念そうに肩をすくめる。
「生徒会が強大だったのはずい分と昔の話でね。恥ずかしながら、ここ十年二十年ほどの間に生徒会の力というのは相対的にはかなり弱くなっているんだよ」
「そ、そうなんですか?」
驚いたチアキが、思わず大きな声を上げる。
「もちろん今でも、生徒会が最も有力な組織である事には違いないんだけどね。ただ、この十年で生徒会に匹敵するほどの力をつけた組織もあるんだ」
「その筆頭が、美化委員会だな」
「美化委員会!?」
マサトの言葉に、三人が驚きの声を上げる。「美化委員会」など、その名の響きからして、権力闘争とは無縁の穏やかな組織としか思えない。ヨウが意外に思っていると、思い出したかのようにチアキが言う。
「そう言えば、不思議に思ってたんです。不良を引き渡すときに、どうして美化委員会でもいいのかって」
「ああ、あれなんかは典型的なこじつけなんだよ」
チアキの疑問に、忌々しそうにマサトが吐き捨てる。一体どういう事なのだろう。
不思議そうな顔のヨウたちに、苦笑混じりにタイキが説明する。
「数年前に美化委員会が学院に要求したんだよ。生徒の風紀を正すのはこれ校内美化のため、ゆえに美化委員会にその権能を認めるべし、ってね。本来学院生活に関わる事を決める場合は生徒総会を通さなければならないんだけど、どうやら美化委員会には独自のルートがあるらしいんだ」
「学院には軍をはじめとしていろんな組織が手を伸ばしているの。多分美化委員会にもどこかの息がかかってるんじゃないかな」
「本来、各委員会は生徒会のチェックの下でそれぞれの仕事を執行していくんだけど、現場で実務を行う執行機関というのは往々にして肥大化しがちでね。我々もバランスが崩れないようにと必死なんだよ」
「もう一つ、勢力を増してきたのが帝精連だな」
「テイセイレン?」
「帝国精霊術師学院部活動連盟、略して帝精連だ。学院の各部活動の代表で構成されるんだが、十数年前に結成されて以来、今では相当な発言力を持つ組織にまで成長している」
マサトが苦虫を噛み潰したかのような表情で言う。タイキが続ける。
「非公式の組織ではあるが、いかんせん我が校の生徒の過半が何らかの部活に属しているからね。とても無視できるものではないんだよ」
「こんな時期から部活動があんなに必死に勧誘してるのは、先に生徒会や委員会に優秀な生徒を取られないようにって意味もあるの。禁止されている訳ではないけれど、有力な部活であれば生徒会や委員会とのかけ持ちは事実上不可能だから」
「そんなわけで、我々生徒会としてはかくも困難な状況の中でも生徒たちのために共に助け合っていける仲間を絶賛募集中という訳だ。期待しているよ、ヨウ君」
「がんばろうね、ヨウちゃん」
「はい……。まずは試験だけでも、受験させてもらいます」
ヨウの言葉に、生徒会の三人が笑顔でうなずく。ノリコとマサトがさらに何やらヨウに話しかけている横で、タイキがチアキの方へと顔を向けた。
「ところでチアキ・シキシマさん」
「は、はい?」
急に名前を呼ばれ、驚きに思わず声がうわずる。
そんなチアキにタイキが笑いかけた。
「君は今年の入試を優秀な成績で突破したそうだね。確か、総合七番だったかな?」
「と、とんでもない、恐縮です」
うつむいたチアキの顔が赤く染まる。その様子を見ていたのか、ノリコが感心したように、
「謙遜しなくてもいいよ。チアキさんの努力の正当な結果なんだから、もっと誇ってもいいくらい」
「あ、ありがとうございます。しかし過去は過去、これからが肝心ですから……」
「過去の自分に驕らず、常に努力を怠らない、か。素晴らしい心がけだ」
二人の言葉に、チアキが耳まで赤くなる。案外、真正面から褒められる事には慣れていないのかもしれない。
そんな彼女に、タイキが笑顔で尋ねた。
「時にシキシマさん、君はもうどこに所属するかは決めているかい?」
「はい、いえ、今のところ、生徒会か委員会をと……。いえ、もちろん選考に合格できればの話ですが……」
それを聞いたタイキの顔が明るくなる。ノリコにも聞こえていたのか、チアキの方へと向き直る。
「それなら話は早い! シキシマさん、君もぜひ選考試験を受けて下さい!」
「わ、私がですか?」
「うん、あたしからもお願い! さっきの話を聞いてもしっかりした子なのはわかるし、何よりヨウちゃんの友だちなら信用できるからね!」
「もちろん、知り合いだからって選考基準をゆるめる事はないし、残念ながら選考に漏れる可能性もあるけれど、シキシマさんの実力なら十分に期待できるのではないかと思います。まずは選考だけでも、受けてみてくれないかな?」
思わぬ申し出に目を白黒させるチアキ。もちろん、答えは決まっている。
「は、はい! こちらこそ、ぜひお願いします! ご期待にそえるようにがんばります!」
「おお? そっちの姉ちゃんも選考受けるのか! 一気に二人キープとはめでたいな、おい!」
ヨウやフィルと話しこんていたマサトが、チアキたちの様子に気づいて大笑する。話が一段落したと周りも気づいたのか、その後はその場にいた他の生徒会メンバーも交えながら、ヨウたち三人はしばし生徒会の歓迎を受けるのであった。




