2話 生き様の種
次の日、学校へ行くといつもと見える物が違っていた。女子の誰と誰が仲が良いとか、そういうことに今更気づいていて、少し驚く。どうやら僕は、男子とよく喋る女子と、背の高い女子と、同じ班の女子と、そのくらいしかちゃんと見てはいなかったらしい。
もちろんみんな名前は知ってる。学年3クラス、80人弱だったと思うけど。4年間と三ヶ月、それだけあればどんな子でもだいたいの印象は全員分ある。
だけど、ほら。あそこに男子とあまり話さない女子がグループを作ってることとか、その中心人物は(控えめにしてるけど)竹内さんみたいだ、とか。そういうことにはあまり気づいてなかった。
竹内さんを見ていて、彼女はなんとなく周りより少し違って。それがたぶん僕が彼女をグループの中心だと思った理由なんだけど、なぜなんだろうと考えていた。例えば竹内さんは顔立ちがちょっとかわいいけど、けどそれだけじゃない。
ずっと考えていて、それに気づいたのはその次の日。
服だ。たぶん彼女は周りの子より、いわゆるオシャレなのだ。
そういえばと思い返せば、クラスのまとめ役がとても上手で、男子ともわりと話す宮川さんは、高い背にいつもジーンズとかをはいていて、それがとても似合っている。今日も、ほら。
そうやって気づくと、女子の服装ってずいぶん種類が多いみたい。同じような服でもちょっと違ったりして。みんな似たような半袖Tシャツか長袖Tシャツの男子とは全然違う。男子の場合はちょっとかっこいい服を着てくると逆にからかわれたりするもんなあ。
……ひょっとすると男子の中での「運動ができること」が、女子の中での「オシャレなこと」「服が似合ってること」なのかも知れない。もしそうだったら、ちょっとめんどくさそうだ。
「ねえ、好きな女の子っている?」
ふと気になって聞いてみた。相手は同じクラスの知幸くん。
僕はドラマを見なくって、持ってるゲームも少ない。漫画なら結構読んでるんだけど、なんでか読む物が微妙に違ってて、話がなかなかあわなかった。ちょっと前まで体が強くなくて外遊び組にもあんまり馴染めず。最近は、本を好きになって色々読むようになったから、読んだ本が何冊かかぶった知幸君といることが多かった。
「いない、かなあ。……あのね、好きってどういうことなのか、僕よくわかんなくて。」
知幸君はちょっと恥ずかしそうにした後そう答えた。「ごめんね。」と謝る知幸君にちょっと慌てる。
「ううん、だいじょうぶだよ。それに、僕もよくわかんないんだ…… 」
実は初恋を保育園の頃にしていたりもする。けれどしていたことを覚えているだけで、どんな物だったかはすっかりわからない。……今の僕じゃ考えられないけど、大胆にもシロツメクサの冠をプレゼントしたりもしたのになあ。
……でも、男子を好きになる気持ちなんて、もっとわからない。
女の子を好きになる気持ちがわからない僕だけど、女の子の着替えを見てみたかったり、女子トイレを覗いてみたかったりは少しする。
だから僕のなかっかわが女の子だと知った今は、すごく微妙な感じだ。
そういえば、今の僕が男子トイレに入るのはのぞきになるのだろうか。……まあ、なったって困る男子はいないだろうけど。
禁止されるとやりたくなる。知らない物は知りたくなる。
おちんちんがないってのがどんな風なのか僕はよくわかんないし、立ち便器がないトイレなんて想像できない。……つまり、そういうことだったのだろうか。
恋ってなんなのか知りたくって、初恋はどうにも思い出せなくって。この女の子を知りたいって気持ちはきっと恋へ繋がるのだと、そう思ってたんだけどなあ。
前の検査から4日後の土曜日、詳しい検査の結果を聞きに病院へ行った。
病院の受付で待つ間、母さんから財布をひったくる。小銭をあさってちょうど良い十円玉を見つけた。ピカピカの十円玉。10の文字側を男、平等院側を女と決めた。
母さんは良く「迷え!」なんて言う割に「自分の中の答えは最初っから決まってるものだ。」なんてことを言う。僕もなんとなくその言葉は正しいと思っていて、迷った最後にはよくコインを投げる。
漫画にあこがれてコイントスの練習をしてたのがきっかけだった。買うか買わないか。行くか行かないか。どっちのケーキを選ぶか。もし間違った目が出ると、どうしてか胸の奥がむかむかする。正しい方ならすっと通る。
そんなことで自分の気持ちを確認できてしまうことが、いつもおかしかった。
僕の年齢、10の文字を上にして親指をはじく。くるくると舞ったコインはずいぶん高く上がって、不安だったけどちゃんと真下に落ちてきてくれた。差し出した左手の甲を、右手のひらで覆さえる。
そっと覗いたコインの結果は、不思議と胸をすっと通って。やっぱり、とそう思った。
「じゃあまずは、この三日の間に体調を崩したりはなかったかい?」
前と同じように診察室に入って、井上先生はそう切り出した。どう言う意味かと思ったけれど。
「人は精神的に不安定になるだけで、体の調子が簡単に崩れたりするからね。」
と、そういうことらしかった。
大丈夫だったと答えると、のどの奥を見られたり、聴診器を当てられたり、ぱっと見の症状がないことを確認された。
「それじゃあ染色体検査の結果から。」
そう言って先生は数字とアルファベットの沢山並んだ紙を取り出した。
「染色体は『XX』で、他に染色体異常なども見つからなかったようだね。あと芳春君の体のホルモンバランスだけど、君と同じ年齢の女の子と比較すれば一般的と言える値だったよ。」
だから病気とかそういう心配はしなくていい。と先生は続ける。
「それは……来る、可能性が明日にでもあるって事ですよね。」
何が、とは恥ずかしくて口に出せなかった。
「うん、そうだね。初潮の平均年齢は12歳頃で、多くは10歳〜15歳の間だから可能性は十分ある。でも、だからって結論を急ぐ必要はないからね。半年くらいは悩めばいいさ。」
「……ちなみに、それって前兆とかってありますか?」
「うーん、そうだな。例えば身長の伸びが低くなってたり、陰毛が発育し始めてれば割と近く、少なくとも1年以内にあると思っていいかもしれない。」
暗に毛が生えてないと言われた気がして、少し顔が熱くなる。顔を上げると先生はニヤッと笑って。
「ちなみに、男の子としては10歳で毛が生えてないのは普通だから、安心して良いよ。」
と、からかいとも何ともつかない、ヘンテコなことを言ってきた。でも僕にはそれが妙にツボにはまって、つい声を出して笑ってしまった。
「先生。」
検査結果の紙の見方を、君の物だからと先生は丁寧に解説してくれた。それがだいたい終わった頃、僕は先生に声を掛けた。
「……僕が、これから選ぶことって。その……僕はその時、自分の性別を選んだことになるんでしょうか?」
僕が、ここでする選択はきっと大事なのだろうけど。でもそれだけで全てが決まってしまう訳じゃないっていう。そんな気がしていた。いや、たぶん決めてしまうのは結構簡単で、その方が楽なこともあるんだろうけど、でもそれは違うって。そうじゃないんだって。そんな気がしていた。だから……
「……どっちでもあるんじゃないかな。」
少し考えたあとで、先生の声は静かだった。
「例えば、2週間前のなにも知らない君と、今のいろんな事を知ってしまって考えてる君は、同じだと君だと思えるかい? きっと考え方や感じ方がきっとずいぶん変わってしまったんじゃないかな。君の体はまだなにも変わらないけど、ただ知るだけで君は変わった。」
よくわからないものだった女子をなぜか近くに感じた。男子が僕と同じ事を考えてるのか不安になって、知幸君の話に安心した。
「逆に、君がこれからどちらを選ぼうと君の遺伝子が変わることはないし、君が過ごした10年間もまた変わるわけではない。」
僕の染色体が『XX』なのはどうやったって変わらないし、僕は確かに10年間『男』だった。
「だから、君は確かに大切な事を選ぶ。だけどそれで全てが決まってしまうわけではない。私はそう思うよ。」
ゆっくり丁寧に言葉を紡いでから、先生は最後に笑った。
「それにほら、性別なんて案外あやふやなものだからね。」
……たぶんこの時に僕の中で、種のようなものが生まれたのだ。生き様の種。それがどんな花を咲かせるのかを僕はまだ知らない。
「先生、僕は女の子を選ぶよ。」
そう言うと先生は目を丸くして。きっと僕が今結論を出すとは思ってなかったのだろう。それがイタズラに成功したようで少し笑う。
「いいのかい?」
という確認に「うん。」とはっきりうなずいた。
「いいよね。」
と母さんに目を向ける。どこかで感づいていたのか、予想よりずっと落ち着いている母さんは、あきれたような笑みを浮かべて、僕の頭をなでた。




