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第六章 極寒の刃

完結です。

 少年兵達が作成されている。

 まだ十にも満たない子供達にライフルが持たされていく。

 彼らにも、力は注がれている。

 彼らは肉体の一部がメタリックな部品によって構築されている。

 まるでおもちゃの兵隊のようだった。サイボーグの部品が、皮膚の下に埋め込まれて、眼球にはスコープがねじ込まれ。心臓は鉄でコーティングされている。

 彼らは痛みを感じない。

 苦痛というものを捨ててしまったマシーンでしかないのだ。

 彼らは数々の失敗作の中から作り上げられた、数少ない試作品だ。

 世界を席巻する為に、いずれはこの技術は必要になってくるだろう。

 まずは、ヴァーゲンを落とさなければならない。そして、あらゆる国家にも領土を広げていく。それこそが、ヒースとグローリィの望みであるのだから。

 ヒースにはもう正常さなど無い。そんなもの、とっくの昔に捨ててしまった。

 彼女は人間である事を拒んでいる。そして、支配を望んでいる。

 この世界を好きなように構築していきたい。

 必要なのは、分かりやすいラベリングなのだ。半機械や半動物のボディとして生かし続けて、欲望だけを脳に注入していく。これで戦闘兵器の出来上がりだ。

 人間は機械や家畜でいい、ヒースはそう考えている。そうする事によって文明が発展し、この世界に規律が誕生する。科学の進歩こそ世界を掌握出来る。迷いなど何も無かった。



 ヒースの能力によって、動物化した女達がやがてお互いの肉と肉を喰らい始めた。

 血肉が乱れ飛んでいく。

 能力のエキスを注入され過ぎたのだろう。もう、こうなってしまうと、只の本能だけで生きる物体と化している。もはや動物ですらない。只、暴食するだけの物体。

 やがて、骨を噛み砕く音が聞こえ始めた。

 背徳の力『テンパランス・リバース』。

 ヒースは、きゃはは、きゃはは、きゃはは、と笑っている。

 笑う度に、何か感情の堰が外れていくかのようだった。理性というものは、壊れてしまっているのだろう。

 ヒースに付き従う者達は、みな、彼女の異常が分からなくなっていっている。

 彼女に付き従う事こそ真理なのだと思っている。

 それは一つの宗教のようなものだ。

 ヒースのテンパランス・リバースは、人間という存在を無理矢理、進化させる。

 機械と混ざった人々。

 彼らはまだ、生きている。

 兵器と一体化した者達。

 堕落の群れが続いている。



 子供達を救いたい。けれども、救えない。

 プルシュは心が蝕まれている。

 何処にも届かない、明日のように。……未来は無い。

 どうしようもない現実の中で、何と戦えばいいのか分からない。

 エンバーマーという技術は独学で学んでいった。

 子供達の死体は美しく蘇る。

 何の為に生きてきたのか、プルシュは意味を付けようとする。

 子供達は可憐だ。未来への希望なのだ。

 かつて、兵器工場を見学しに行った。

 みな、良い奴らばかりだ。

 彼らは明日の日には死んでいくか、もしくは人体改造を施されていく。

 自分には何も出来ないという現実に、日々、襲われている。どうしようもなく、どうにもならない。

 子供達を救えない。明日の希望を。

 どうしようもない現実ばかりが辺りには広がっている。

 一体、どこに希望があるというのだろうか。

 弱い者達に希望を託さず、明日や未来の担い手を殺していく状態を作ってしまった時点で、その国に未来は無いとプルシュは考えている。

 人間が思考停止していく状態、何も考えず機械へと変わっていくという事。

 剥き出しの生、人間が人間で無くなっていくという状態。

 何としてでも食い止めなければならないもの。



 開いた窓、靡くカーテン。そいつは窓に座っている。

「君の相方なのだが。国王に囲われた」

 死の翼は楽しそうに告げる。

 何処からともなく、風が巻き上がっていくかのようだった。

 それは轟音を伴っている。

 ソルティは不快そうな顔になる。しかし、彼女の言葉を吟味して複雑そうな顔になる。

「どういう事なんだ?」

「言葉の通り。君の相方は今、王と一緒にもう一つの国に向かっている。さて、私は教えるだけだ。君達がどう動くかに私は興味があるのだけれども、やはり私は無関心でいるべきだろうからな?」

 その女は、漆黒を背にしていた。背後には、寒空が広がっている。

 まるで終わりを告げる鐘の音のように。

 何者をも嘲笑っているかのように。

 デス・ウィングの表情は笑ってこそいるが、酷く冷たい。

 それは死や夜の刻限のようだ。

 胸の中を、すっと。不気味で冷たいそよ風が流れ込んでくるかのよう。

 どんな希望も潰えて消える。

 みな、終わりまで生きているだけだ。

 彼女は何処までも傍観者で、どうしようもなく他人に対して冷酷だ。

 ただ、他人の人生が破滅していく事ばかりを願っている者の眼だ。

 ソルティはザルファの事を思う。どうしようもなく、やるせないもの。

 背負った重荷は、自分から引き剥がす事は出来ないのだろう。

 ソルティはザルファに依存している。彼に神聖ささえ、見い出している。

 それはきっと、ソルティの中にある苦しみを、何故だかザルファは癒やしてくれるのだからだ。



「テレサ……ごめんね、どうも私は。……人を好きになれないみたいなんだ」

 ソルティは寂しそうに。とても寂しそうに笑った。

 体温。

 重ね合わせた唇の温度が。急速に冷え切っていく。

「ごめんね? これ以上、出来ないみたいなんだ……。多分、私の生育環境と関係があって。その……辛い思いさせちゃうのかな? ごめん……」

 二人の間の距離は、どうしようもなく分け隔てられている。

 急速に身体が冷え切ったような感覚へと陥っていく。

 胸にナイフを沢山、刺し込まれたみたいだ。

 期待させていて……それ?

 一瞬、頭の中が真っ白になっていた。自分をもう一人の自分が後ろから見ているような感覚。

 掴んだ幸せ。こんなにも自分が絶対的な瞬間の只中にいるのだと思ったのに。

 テレサはその中から、落下していく感覚を感じ取っているのだろう。

「でも、私、貴方の事。好きだよ……」

 彼女はとても辛そうに言う。

「分かってる……」

 分かっているからこそ、どうしようもなく辛い。この苦しみに焼かれながらも、捨て去っていかなければならないものがある。たとえば、人間らしい生き方だとか。

 巻き込めない。

 ソルティは自分が幸福になるイメージなんて生まれなかった。

 ザルファの下へ向かおうと思っている。

 デス・ウィング。不吉な奴だ。

 間違いなく分かったのは、あの女は歪んでいる。

 底知れない程の心の歪さを抱えている事だけは間違いが無い。

 あれと関わってはならない、何とかして、二人をあれと引き剥がしたい。

 ソルティは動かなければならない。ザルファの為に。

 これはどんな感情なのだろうか。

 大切なものを守りたい。そんなものなのだろうか。

 諦める事を知っている、少年時代の思い出が蘇っては消える。

 自分は幸せになる事なんて在り得ない。そんなもの、どうやっても想像する事が出来ない。テレサはとても優しくて純粋だ。

 だからこそ、自分では釣り合わないし、分かり合えないのだと思った。

 酷く分かっているのは、自分の下に彼女がいてはいけないという事だ。

 彼女の幸福を願う余り、自分のような死の耽溺の中で生きている者に寄り添ってはいけない。テレサにはまともな人生を歩んで、まともな生涯を築いて欲しい。

 夢は叶わない。

 ソルティは知っていた。

 どんな幸福も在り得ない、それも知っていた。

 全て、諦めるしか無いのだろう。ならばせめて、少しだけでも自分を好きになってくれた者の為に祈る事が出来るのならば。それはきっと、自分が生まれてきた証なのだろうから。



 デス・ウィングは何も手を下さない。

 ただ、人間の底知れない悪意が見たいだけなのだ。

 だからこそ、この両国がどうなっていくのかには非常に興味がある。

 くるくると、世界を手中に収めていく感じ。

 それにしても、此処は空気が美味しい。極寒の中、空間という空間に愛しさを覚える。

 こんなにも、終わっていく絶景が愛しいのは、心の内に強い空洞を秘めているからだ。



 ソルティは『グール・ブレス』を使った。

 空間に彼の力が混ざり始めていく。

 此処はデュラスによって処刑された者達の墓場だ。

 死人達が墓から蘇っていく。

 ソルティは祈っていた、彼らに祝福を与えているのだ。再び、この地上で生き、果たしたかった使命を果たす為に。彼らの望みを叶えるべく、彼は力を使い続ける。

 崩れ落ちた顔、剥き出しの骨、全てソルティが愛しく思うものだ。

 死は何と美しい事だろう。それに比べて、ありのままの生は何処か歪だ。

 最近、絞首台に吊るされた白髪の少年がかたかたと動き出す。

 まだ、舌は腐っていない。呻き声が聞こえる。

 ソルティは彼に近寄った。

 ……ザ、ザル……ファ……。

 微かだが、声が聞こえてくる。舌がゆらゆらと蠢いている。

「君はザルファを知っているんだね? じゃあ、奇妙な運命の巡り会わせだ。君が私と会えたのは、きっと何かの神の導きだよ。ザルファはどうなっている?」

 ソルティは彼を絞首台から降ろす。そして、喉にそっと触れる。

「ザ、ザルファが。…………デュラスに利用されて。グローリィ……ヒースの下に向かうらしい。お、俺は駄目だった。力を封じられて……。畜生、死んでしまった。いや、俺は生きているのか?」

「君は死人だ。身体も腐っていく。そうだね、私なら時間を与える事が出来る。長生きは出来ないけれども、一矢、報いるつもりは無いかい」

 少年は頷く。

 彼の名前はジルズと言うらしい。

 二人はゾンビの大群を引き連れて、デュラスの下へと向かう事にした。



 此処からは、もうじきヒースの領地だ。

 戦いが始まる。自分は戦えるのだろうか。けれども、覚悟を決めるしかない。

 デュラスは自身の力を行使している。

 可能な限り、敵が此方側に辿り着けないように。

 ムシュフシュは黒い森の陰に奇妙なものを見た。

 それは、二人の人のように思った。

 ムシュフシュは双眼鏡を取り出して、森の辺りを眺める。

 高い丘陵に、そいつらは佇んでいた。

 まるで、深淵のような瞳で此方を見据えている。

 蝶のような翼を持った女と、蛇のように全身に鱗を生やした女だ。

「どうします? 間違いなく敵だ。それも見つかっている」

「放っておけ、どうせザルファのダーク・クルセイダーで近付けまい」

 デュラスはエアデ・ウント・ゲルトも、使っている。

 だから、幸運を操作している。

 どうせ、何があった処で。此方側には辿り着けないだろう。

 女の一人が機関銃のようなものを取り出した。

 そして、それをデュラス達の乗っている車に向けて撃ち込んでくる。……しかし。

 機関銃は暴発して、その女は酷い火傷を負っていた。

 もう一人が、翼を広げて此方側に向かってくる。蝶の翼を広げている。

 まるで、踊るように此方側をくるくると回っていた。

「調べられているな、どうしたものか……」

 デュラスは思考していた。

 しかし、自分が直接、向かっていって。叩きにいくしかない。

 幸運を操作する為には、自分が可能な限り、敵陣へと近付いていかなければならないのだ。



 ワーロックの首が落とされる。

 ジルズが持っていた包丁によって、何度も何度も、ワーロックの首を刺突していき、ついに首をもぎ落としたのだった。

 彼は歓喜の叫び声を上げる。

 そして、いつの間にか取り出した巨大な鋏を掲げる。その鋏は分裂していき、複数の刃物へと変わっていく。

「こいつが……! こいつが俺の、俺の力を! 盗んでいやがったんだぁああああ!」

 彼は怨嗟の涙を流す。どろどろと黒いものが両眼から流れ落ちていった。

 ゾンビの大群が城の中で、次々と衛兵や給仕などを食い殺していた。

 彼らは憎しみばかりが深かった。

 ソルティはグール・ブレスを使う時だけ冷酷になれる。敵は始末しなければならないから。

 自分は戦場の戦乙女のようなものだ、死者達の魂を鼓舞して、戦場へと立たせる。

 そう、自分は死者達の司令官なのだ。

 


 バイオ・ファクトリーのトゥース・ファンガスは二人の前に立ちはだかっていた。

 デュラスと。彼女のエアデ・ウント・ゲルトが無い今、宮殿を守るのは彼しかいなかった。

 言わば、重大な使命を背負っているという事になる。

 彼はガスマスクを身に着けていた。黒に緑が混ざる髪の色。

 本来ならば、テロリストが此れ程までの力を有している筈は無かった。

 しかし、何かの歯車が狂っている。

 自分と同じような、特殊な力を持つ者の存在。

 それは、この世界の調和を物の見事に破壊していく。

 彼は自分の力に、絶対的な自信を持っていた。破壊力が、その辺りの火薬などの域を、軽く超えているからだ。

 彼は毒の胞子を撒いていた。

 しかし、敵兵達には何の効力も持っていない。

 ファンガスは気付く、相手が生者では無い事に。

 異臭が漂っている。土塊の臭いもだ。

 朽ち果てた姿の、白髪の少年がいた。

 彼は鋏を振り回していた。

 ファンガスは焦る。



 ワーロックの力で封印されていた、特殊な力を持つ者は他にもいる。

 彼は力を封じられながらも、時折、デュラスに助言を与え続けていた。

 先代の王も、彼からは助言を与えられていた。

 力の名前は『プロフェシー』と言うらしい。

 それは予言という意味であり、あるいは、その言葉の意味の裏側には断罪というものさえ含んでいるのかもしれない。詳しくは分からない。彼の情報は何処かへと、不気味に消失している。

 地下牢の奥底には、書斎のようなものがあった。

 彼はそこでひっそりと暮らしている。

 豪勢な食事が彼の下には運ばれてくる。

 彼は一度、謀反を起こそうとした。内容はこの国の末路を予言したからだ。それで、先代の王の怒りを買って、地下牢の中に封印されていた。

 彼は、この王国の影の守り神のような存在だった。その正体の一切が不明であり、もしかすると、彼自身。自分の存在が何だったのか忘れてしまったのかもしれない。

 着物と呼ばれるものを身に着けている。

 彼は異国の者らしい。詳細はまるで不明だ。

 ぱらり、ぱらりと、本を捲っている。

 男は薄らぼんやりを、虚空を見つめて笑う。

 彼の名は『シャックス』と言う。

 ファンガスは彼に頼み込む事にした。

「助けてくれ。城が化け物達に占領されている、どうすればいいか分からない。デュラス様もムシュフシュ将軍も出向いている。ワーロック殿も殺された、俺は一体、どうすれば」

「ふむ、全部。知っている。未来の事は俺のページに記されているからな」

 そう言って、彼はノートを取り出した。

 そこには、大まかだが。此れまでの国家の事情が記されていた。

「俺に情報は与えられない。ただ、視えるだけだ。運命の導きというものを」

「視える……?」

「お前も死ぬ。今から、覚悟を決めておけ。それから、俺も近いうちに死ぬ。覚悟は決まっている。この国は崩壊する、それはどうしようも無い事だ」

 予言の宣告だ。

「終わりは近いな、それは定められた事なのだろう。どうしようもなくな」

 彼の顔は達観しているものの顔だ。

 あるいは、物事の道理の行き着く先を見抜いてしまって、諦観しているのかもしれない。

 ファンガスは困惑した。

 何かが崩れていくような映像が見えた。

「しかし、引き止めよう。もう少し、先に引き伸ばす事は出来る」

 ゾンビ達の足音が忍び寄ってくる。

 ファンガスは覚悟を決める事にした。



 宮殿の中で、異臭が撒き散らされている。

 ソルティのグール・ブレスによって蘇った死者達は、数十名程度だ。彼らは生前の恨みを媒介にして、その行動原理にしている。

 新たに出来た死者達を蘇らす事は出来ない。彼らは此方側の戦力に恨みを重ねて襲ってくるだろうからだ。

「何だろう? 嫌な予感が」

 ソルティは周囲を見渡す。何かが、おかしかった。

 気付く。

 それは、キノコの胞子のようだった。

 ソルティは寒気を覚える。まるで、それは死の宣告のようにも思えた。

 爆発音が鳴り響く。



 無数のネズミや昆虫の死体が、一人の男の身体に纏わり付いていた。

 それらは、ぐずぐずに焼け崩れて男の身体から剥がれていく。

 ソルティは装甲を覆う事によって、攻撃を防いでいた。

 死者達は黒焦げになって、辺りに散乱している。

 ソルティは自分の身体に纏った鎧を剥がしていく。

 彼は、顔を上げる。

 すると、目の前には、ガスマスクを身に付けた男が立っていた。

 ソルティは冷や汗を流す。

 彼は全身から、無数の胞子を噴出させている。

 グール・ブレスとバイオ・ファクトリー。

 二人の能力者はお互いを牽制し合っていた。

 一歩、踏み込みを間違えれば。あっさりと敵に殺される。

 男は余裕そうな顔をしていた。

 ソルティは焦る。

 自分にはそれ程の強さは無い。相手は明らかに攻撃性に特化しているタイプだ。

 そして、気付く。

 この敵は、相当、強いのだと。幾千もの戦いの経験を得ている。



 沢山の歩兵達がやってきた。

 ザルファの能力が通じない。老いによる攻撃がまるで効果が無い。

 デュラスも力を使い続けている、しかし意味をなしていない。

 歩兵達は、顔から植物の蔓のようなものが生えていた。

 それが、うねうねと伸びている。そして、ぼとぼとと口元から唾液を吐き出していた。

 化け物が、と誰かが毒づいた。

 デュラスの部下達が、散弾銃を撃ちまくる。しかし、敵は何度、弾丸を浴びせても死なない。

不死身の兵隊達だ。

べきり、べきりと、身体が変形していく。

すると、身体の内部が露出していく、メタリックの身体。

 肉体が合金によって覆われている。

 ムシュフシュが拳銃で狙撃し続ける。しかし、まるでダメージを受けない。

「私は私の浅はかさを呪う……。ヒースの力は一体、何なの?」

「わたくしめが、何とかします。どうか気丈さをお保ちください!」

 ムシュフシュは叫んだ。

 三名の能力者、これでヒースを倒すつもりでいた。

 戦力が不足しているのは否めない。しかし、たとえ数少ない戦力であっても、最大限に行動を起こして戦うしかないのだから。それ以外に道は開けないのだから。

 希望という門は狭いものだ、しかし閉ざされてはいない。戦って勝ち取れるものだと信じている。しかしだ。

 情報が不足していた。しかし、それでもやはり、戦いを選ばざるを得なかった、それに関して、何故、迷う必要などあるのだろうか。

 決断をしてしまったのは、きっと、あの女に出会ったからだ。

 まるで、その存在自体が不吉を感じるもの。隙間に入り込んでくる風のような存在。

 デュラスは、今、戦う事を決断してしまった。きっかけは、あの女。

 しかし、今が動くべき時なのだと信じて疑わない。

 ムシュフシュの能力である『デア・アングリフ』は、拳銃の威力を底上げするものだ。

 銃口から発射された鉛弾は、距離が遠ければ遠い程に凶悪な破壊力を発し。巨大なエネルギーへと変わる。



 ヒースの能力である『テンパランス・リバース』。

 その禍々しさは、デュラスやザルファの想像力を遥かに超えていた。

 襲ってくる兵隊達は、みな、化け物へと変えられた者達ばかりだ。

 そのおぞましさに、言い知れぬ感情が込み上げてくる。

 人間には。

 どうやっても辿り着けない壁というものは存在する。

 凶悪な力、そのもの。それに抗う事など出来るのだろうか。

 理性を失った人の形をした残骸が、無数に襲ってくる。彼らは、ただのヒースの操り人形としてのみ生かされている。

 人間の肉体の再構築。

 ヒースは此れまでの文明史を何とも思っていない。

 人間という存在自体の遺伝子を破壊して、新たな生物へと変えようとしているのだ。

 子供兵達は、ぐちゃぐちゃに崩れながら、這い回っていた。

 大脳を潰されても、動き回っている。

 何故、人間にこのような事が赦されるのだろうか。

 プルシュは彼女の死を望んでいる、毎晩、どうすれば彼女の息の根を止められるのか考えている。

 


 三名は宮殿の中へと突入した。

 護衛兵達も、先の戦闘で何名か失ったが。まだ十数名残っている。

 デュラスは死ぬわけにはいかない。国家の為に。

 それでも、自分の力故に先陣を切らなければならない。

 突撃隊はデュラスの力の加護に守られている。

 ある程度の不運ならば、相手に押し付ける事が可能だ。

 デュラス自身が、ヴァーゲンにいる事によって。国家の経済をコントロールしてきた。

 それ程までに強力な力なのだ。

 少し不安なのは、デュラスがいなくなったヴァーゲンだ。

 何名もの衛兵達が守っているとは思うのだが。

「どうせ、死んでしまえばおしまいなんだ? 考えるだけ無駄だとは思わないか?」

 ザルファは嘲笑う。そして、くっくっ、と哄笑を浮かべた。

 大量に所有しているナイフを、今にもデュラスやムシュフシュへと向けてきそうだった。

 殺人への渇望、それ程までに彼は他者というものを憎んでいる。



 ヒースの兵隊達は、ザルファのダーク・クルセイダーとムシュフシュのデア・アングリフによって始末されていった。

 更に、向かってくる散弾銃や爆弾の攻撃も。デュラスのエアデ・ウント・ゲルトによって、此方に被害が向かう事は無い。

 攻防ともに完璧だった。

 このまま、彼女を倒さなくてはならない。

 彼女が倒れれば、何十万、何百万名もの命が救われる筈なのだ。

 これは祖国だけの問題ではない、ひょっとすると、グローリィの者達の問題でもあるのかもしれない。

 三名はヒースのいるであろう場所へと突入する。

 ザルファが兵隊の一人に拷問して聞いた。

 顔のパーツを少しずつ、削いでいく。兵隊は、あっさりと彼の質問に答えた。

 ヒースがいる場所、彼女の寝室へと三名は向かっていた。

 ムシュフシュが扉を開く。

「いません……」

「別の場所に移ったんだろうな?」

 デュラスは嫌な予感がしていた。

 ザルファは相変わらず楽しそうだ。まるで、自らの死を望んでいるかのよう。



 デス・ウィングは指先を広げる。

 指先の一つ一つが、煙のように大気へと溶けていく。

 彼女は風そのものだった。

 その身体は、人間のそれをしていない。

 風の漣。彼女は大気と一体化していく。

 彼女は大自然と一つになっていた。

 凍える吹雪と溶け合っていく。

 そして、遠目からヴァーゲンを眺めていた。

 早く、この結末が知りたいのだと。心の中で舌なめずりをする。



 希望は偽りなのかもしれない。

 けれども、形の無い想いに縋るしかない。

 人々は願っている、この国が幸福であるようにと。

 空も感情も、濁り淀んでいる。

 ヴァーゲンでは、信仰が広まり始めていた。

 人々は口々に聖なる句を諳んじる。

 何に祈ればいいのか分からないが、彼らは土着的なものを信じていた。

 古き神々に、大いなるものに。

 あるいは、もはやそれしか縋るべきものが無いのかもしれない。

 何か救われるものなどあるのだろうかと。

 正しきものなどあるのだろうか、善なるものなど。

 階級制度、貧困、そして相反する享楽と繁華街、みな立場によって見える世界が違っている。

 みな、徐々に知らされていっている。

 自分達の生きている価値観や現実を支えている基盤など、何も無いのだという事を。

 灰色の感情が溢れ出している。未来の無さをみな、感じ取っているのだろうか。けれども、それを押し隠したいが為に、貴族達はますます享楽に耽っていた。

 連日、社交界では飲みや歌えの騒ぎが続いている。

 今の瞬間を楽しみたいのだろう。もしかすると、近い未来には自分や自分達は戦争に巻き込まれて死を向かえているのかもしれないから。

 それならば、一時の幸福を味わう事に意味を見い出した方が良いのだろう。

 前線で戦う為の兵隊の募集が掛けられている。

 貧困層から選ばれて、突撃隊として加えられていく。彼らは日々の食べ物の為に、命を賭して、そして死んでいくのだ。

 抗いがたい現実、只、時間ばかりが経過していく。

 みな、何処かで何故、こんな時代に生まれてしまったのかと、悩み苦しんでいる。

 そして、その葛藤のようなものを様々な形で解決させようとしているのだ。

 放蕩も闘争も、同じ事なのだ。希望も諦めも。

 全ては同じ現実の上で構築されているもので、その事に対して、どのように向き合っているかという形が違うだけでしかない。

 デス・ウィングは街の中を歩いていた。

 この動乱は彼女にとって、見世物舞台だった。

 人間の負が充満していく。それは彼女にとって、何よりも心地の良いものだ。



 ヒースはかつて、宰相の娘だった。

 そして、腹違いの子供だった。

 彼女は最初、自分の力が何なのか分からなかった。自分の指先から植物の蔓のようなものが伸びていく。そして、それは飼っていた仔兎の紅い眼の中へと入っていった。

 小兎は、やがて腹や胸が膨れ上がっていき、植物と融合していき。やがて、数日の間に枯れて死んでしまった。その死体は、骨の部位が植物化していた為に、そのまま地面にすぐに分解されていった。

 彼女は幼い頃から、何かが歪んでいた。

 人々がとてつもなく異質に思えて仕方が無かった。

 構造のようなものの破綻が見えて仕方が無かった。

 成長したヒースは、グローリィの権力者達を殺害した。

 今でも、城の中には。当時の権力者達の剥製が飾られている。それはもはや、人間の姿をしていなかった。

 そして、自分の好きなように国家を構築していった。それは人々にとって、とても悪い結果となるものだった。

 ヒースはただ、自分にとって魅力的な世界を作りたいだけだった。

 無邪気さは未だ、残っている。それは酷い呪詛にも酷似していた。

 彼女は子供達を弄ぶ、それは歪にも彼女自身がかつてこの世界から歓迎されなかった子供だった。幼い頃、無視されて育てられてきた。

 ヒースは全てが楽しくて仕方が無い。この世界を彼女の望むものとして制圧する事が出来る。軍隊も国民も、今や彼女の操り人形だ。そして、国民は自分達が人間を止めていく事に関して、まるで疑ってすらいない。

 このまま、どんどん自分の世界を広げていこうと考えていた。



 これから死ぬのなら、幸せな夢の中で生きていたい。

 何もかもが叶ってしまった夢の中で。

 そこは不思議な家庭の情景だった。

 ザルファが幸せに笑っていて、テレサと一緒に暖かな山小屋の中に住んでいる。

 長閑な自然が広がっている、紅葉だろうか。秋の夕暮れだ。

 三人で、カモミールのハーブ・ティーを飲んでいる。テレサはガレットを作って、二人に振舞う。美味しいね、とみんなで笑い合う。

 こんなにも手に入れたいものがあるのは、何故なのだろう。

 ソルティは左脇腹に、大きな空洞が開いていた。

 そして、それは胸の辺りまで深く抉れている。

 意識が朦朧としていく、此れまでの記憶が錯綜していく。

 後、どのくらいの間、生きているのだろうか。痛みが無い事の方が、むしろ怖い。

 どんな希望も叶わない。未来なんて初めから無かったのだから。

 色々な人生の中で、自分はどれくらいの幸せを手にしていたのだろうか。

 ひょっとすると、テレサと出会った二週間もの間が、とても幸福だったのかもしれない。運命を分かつものは、些細なものだ。選択する事は幾らでも出来た。

 ぼんやりと、辺りの空間を眺めている。もう、網膜は何も映らないのかもしれない。

 在り得なかった情景ばかりが、両目に流れていく。きっと、これは脳が捏造しているものなのだろう。

 ただ、口の中に広がる鉄の味だけは不可思議に強い実体感を持っていた。

 もう少しだけ、何か出来たのかもしれない。テレサともっと話しておくべき事は色々、あった筈なのだ。時間は幾らでもあった。彼女の此れまでの事の、彼女が思い描いている理想の事も。彼女の趣味の事も。

 けれども、もう遅過ぎるのだろう。

 今、自分はどのような感情を持っているのだろうか。ただ、まだ少しだけ生きていたい。まだ、何か出来る事がある筈なのだから。

 遣り残した事は幾らでもある筈なのだ。そして、それは解決出来るのだろうか分からない。ただ、確かに今はまだ生きている。

 ちょろちょろと、グール・ブレスの力によって。爆発で焼け爛れたネズミ達が動き回っていた。

 意識が朦朧としていく。ぼそぼそっ、と。自分で何かを呟いていた。



 ファンガスは宮殿の外へと逃げ延びた。

 宮殿は半壊している。だが、仕方が無い。もし、いざとなればそこまでするべきだとデュラスは言っていた。

 彼はガスマスクを取る。

 おそらく、顔色はかなり蒼褪めているだろう。

 何だか、胸がむかむかとしている。気分も優れない。

 考える事を止めてしまいたくなる、込み上げてくる闘争本能の赴くまま、戦い続けていたい。

 あのシャックスという男、彼はファンガスが死ぬ事を予言していた。

 国家の為に死ぬという事で、命は惜しくはない。

 しかし、何故だろうか。何処か不安定になってくる。命を賭ける覚悟はあった、しかし、何処か死に対する恐怖感が少しずつ増していく。

 自分の足場が、どんどん崩れていきそうだ。しかし、彼は使命をまっとうしたのだという自尊心で、それを振り払った。

 国家に縋った、死ぬ事など微塵も怖くないと思っていた。実際、突撃兵達の名誉の戦死をファンガスは誇らしく感じていた。自分もいつか死ぬ時は誇りと共に死にたいと。

 しかし、実際、死ぬという不安に立たされた時、何かが崩れ落ちそうだった。

 目の前が崩壊していくような感覚。

 


 プルシュはデュラスの宮殿が炎上しているのを見る。

 車が幾つも走ってきて、放水が行われていた。

 彼は状況を把握しようとしていた。一体、何があったのか。

 頭の中で整理していく、おそらくはテロリストらしき者が宮殿を破壊したのだろう。

 ふと気付いた。

 この世界を支えているものなど、余りにも脆いものでしかないのだと。

「……この街はどうなっているんだ?」

 人々の間で、喧騒が広がり始めている。

 彼は取り敢えず、状況を視察する事を決め込んだ。

 デュラスはどうなったのだろうか。国民達は真剣に不安に思っている筈だ。

 このままだと、抑制が効かずに暴動が起きるのではないのだろうか。

 プルシュはふと、気付いた。

 自分が望んでいた事とは、一体、何だったのだろうかと。

 ただ、恨みばかりが強くなっていく中で、壊れてしまった国家というものをイメージ出来ない。そもそも、プルシュの住んでいるグローリィと、此処、ヴァーゲンでは体制の状況も違っている。

「何故、テロルが必要なんだ? 革命が……」

 情熱だけで動こうとしてきた。

 体制というものは、彼が憎むべき存在でしか在り得なかった。

 調べていくと、此処を支配しているデュラスを心から支持している者達は大勢いる。

 国家という存在の維持、経済の建て直し。全ての者達を幸福に出来ないかもしれないが、それでも多くの者達の幸福を願っている独裁者。

 もし、この体制の中で幸福な者達が大勢いるのならば。その国家はとても素晴らしいものとも言えるのではないだろうか。

 人間は何が幸福なのか分からない。そして、何が幸運なのかさえも。

 プルシュは苦しむ、虐げられている子供達の姿が頭に浮かんでは消えていく。

 トラウマとなって、何度もフラッシュバックしていって。自分自身の情念のコントロールが聞かない。人間は存続していいのかさえも疑う事になった理由。

 人が生きて、人が死ぬという事、みな、必ず子供だったのだ。

 みな、少しずつ年齢を重ねて成長していった。必ず、みな子供だったのだ。

 過去があり、今という自分がある。生きてきた人生がある。しかし、ヒースはそれを踏み躙っていった。構築していった理想、構築していった価値観、全ては未来の為だ。

 プルシュは惑い、迷う。

 デュラスは殺さないし、殺せない。しかし、ヒースが殺害しなければならない。

 自分はどのように戦えばいいのか、分からない。

 あの革命家の白髪の少年、彼は吊るされていた。

 子供は未来に対する贈与だ。この世界に降下した贈り物なのだ。



 ムシュフシュは焦っていた。

 何かがおかしい、それが何なのか分からない。

 此処は、何処か霊廟のようにも思えた。

 …………完全に、調査が不足していた。これでは、軍人として失格だ。

 彼は自分自身の甘さを恥じる。

 そして、デュラス達を守る事を真摯に思い直す。

「おや、お前は何処かであったねえ?」

 豹の肉体に、白い翼を生やしている女。

 おそらくは、ヒースの側近の一人なのだろう。

 ザルファは彼女を覚えている、確か、ジュゼットと言っただろうか。

「そういえば、ヒース様に言われたよ。ちゃんと始末しておけってな。危うく、お怒りを買う処だったじゃないか。まったく」

 女は彼らを見て、嘲弄していた。

 まるで、蟻か何かを捻り潰そうとしているような声音だ。

「さてと、三名って処か。わたしの『ザ・モード』の前では、お前らはゴミのようなものだ。覚悟を決めて貰おうかしら?」

 豹女はふふっ、と笑った。

 デュラスは冷たく笑っている。

 ザルファも同じだ。

 ムシュフシュは、そんな二人を見て。少しだけ、胸にしこりが取れる。

 デュラスもザルファも覚悟が決まっている。そういった者達と共に戦える事を誇りに思う。

 軍人としての名誉な事なのだ、味方に恵まれるという事は。

「老化はもう、わたしには効かない。今、対策が立てられつつある。わたしはヒース様の実験に成功した。わたしが、ヒース様の力に一番、近い者の一人だ。人間の不老不死をヒース様は齎そうとしている。緑帽子、お前が幾ら力を使った処で、わたしを老いさせても、わたしはまた、細胞が活性化して若返る。お前の能力は本当に下らなかったな」

 ジュゼットは絶対の自信を持って述べていく。

 彼女は右腕を振り上げようとした。

 ムシュフシュは狙撃銃を構えていた。

『デア・アングリフ』で、此処は敵を仕留めるしかない。

 デュラスのエアデ・ウント・ゲルトもある。ある程度の幸運と不幸は入れ替える事が出来る筈だ。

 しかし、何故か不安が拭い去れない。何かがおかしい。

 デュラスとザルファは、それに気が付いていた。

「ムシュフシュ、任せる」

「御意に」

 二人は一人の武人を盾にして、残った兵士達と一緒に。部屋の外へと向かった。

 ヒースは一体、何処にいるのか。探し当てなければならない。

 ザルファはダーク・クルセイダーを使い続けて、デュラスはエアデ・ウント・ゲルトを使い続ける。そして、周りの兵隊達は銃器を持ちながら。辺りを伺っていた。

 あのジュゼットの言った不吉な言葉、対策は立てられつつある。

 デュラスは自分の力の弱点とは何なのかを、思考している。

 分かっていた。

 幸運の量には、限界がある。

 幾ら力を使い続けたとしても、たとえば、百発の銃弾を撃ち込まれて、流れ弾の災厄を敵の方へと向かわせたとしても。千発、撃ち込まれれば分からない。

 幸運とはそういったものなのだ。続かない、統計には解れのようなものが生じてくるからだ。



 青い悪魔は、雪原の中、彷徨っていた。

 ひらひらの少女服の上に、粉雪が舞っている。

 ひらり、ひらり。しとり、しとり。

 彼は幽玄の闇に佇んでいた。

 奇妙な格好をした、女達が集まってきた。

 裸体の上から、腰や胸に甲殻を纏った女達。この雪原でもこの姿で適応出来るらしく、皮膚の表面がつるつるに光りながら、常時、高い体温を発している。

 彼女達は青い悪魔に危害を加えようとする。

 彼女達は、それぞれ変形した肉体を持って、少女服を纏った少年へと襲い掛かる。

 青い悪魔は無感情。

 それは、雪原に舞い降りた妖精のようでもあった。

 その存在自体が、幻想的だ。

 瞬時に、女達はバラバラの粉微塵に解体されていく。

「処で、君は何故、僕に付いてくるんだい?」

「さあ?」

 死の翼は、とても楽しそうだった。

 いつの間にか、彼の隣に佇んでいた。

「迷っているんだけど、どっちがいいと思う?」

「何が?」

「二つの国があって、どちらも私達は簡単に壊す事が可能だ。どちらかを手助けする事が出来る。しかし、私達はどう動くべきなのかな? 私は望んでいる、人々の不幸を、災厄を。さて、君は何を望んでいる?」

「よく分からないよ、只、僕は辛いかな。自分の力を抑えられない」

「ふふっ、そうだろうな?」

 まるで、悪魔の囁きのような声だ。

 デス・ウィングは望んでいる、この青い悪魔が何かしてしまう事を。

 彼が動く事によって、更なる災厄が訪れるだろう。それがどうしようもなく、楽しみなのだ。

「さてと、何故。私達のような存在は生まれてきたのだろうな?」

「知らない。僕に関わらないでくれないかな?」

「君は沢山、私のコレクションにしたいものを製作してくれる。それって、凄く私にとっては良い事なんだよ。だから、君は私にとって恩寵のようなものだ」



 無線機が鳴り響いていた、最新型だ。

 デュラスはそれを手に取る。

 そして、唖然とした。

「何……? 宮殿が? それで、ヴァーゲンは、今。どうなっているんだ?」

 何があったのか、まるで分からない。

 何とかして、頭の中を整理し直す。

 全て、道筋を誤ってしまったのかもしれない。

 一体、どの選択を取れば正しかったのか。

 宮殿はテロリストによって、破壊されたと聞かされた。

 それも、本当に見るも無残にだ。

 宮殿にいる給仕や兵隊達は、大量に殺されたのだと。

 通信相手は、ファンガスだった。デュラスが信頼している能力者の一人だ。

 彼は止むを得ず、宮殿を破壊しなければならなかったと告げた。死人達の大群が宮殿の者達を殺し続けて、どうにもならなくなったのだと。

 デュラスは心が一瞬、折れそうになる。

 テロリストに対する対策は、もっと行うべきだった。均衡は崩れていったのだ。余りにも、グローリィの脅威に力を注ぎ過ぎた為に、どうにもならなくなってしまった。

 ファンガスはテロリストを始末し損ねたかもしれないと言った。

 彼の者は、死人を操って押し掛けてきたのだと。

 余りにも、異常な事態だ。しかし、それを受け入れるしかない。

 やはり、デュラスはヴァーゲンに残り続けるべきだった。彼女が鎮座する事によって、国家には幸運が齎されていたからだ。

「やはり……私は、祖国に戻る。ムシュフシュに伝えておいてくれ」

 ザルファは不快にも、笑い転げていた。心の底から、デュラスの不幸が楽しくて仕方が無いのだろう。

 デス・ウィングといい、こいつといい。……デュラスははらわたが煮えくり返りそうになる。しかし、それを強く抑えて気丈に振る舞う事にした。

「私は向かうぞ、ヴァーゲンに。国民の事が心配だ、おそらくは暴動が起こるだろう。それにしてもだ」

 デス・ウィングがやってきてからだ。

 何かが、崩壊していきそうだった。冷戦状態を崩されていったような。

 そう言えば、ザルファは、ヴァーゲンに来る前に、ヒースの兵隊達を大量に殺した。それがあって、ヒースが怒り狂って。支配と領土拡大を決断した可能性が高い。

 汚らわしい背徳者ばかりだ。神の怒りに背いた者達。

 デュラスはヴァーゲンへと向かう。一体、どうすればいいのか分からなかった。

 幸運とは一体、何なのだろうか。拮抗状態は破壊されていく。今よりもより良いものに向かって、人々は突き進んでいく。デュラスもその生き方から抜け出せない。

 与えられた選択の中で、思考して。思考し尽くして、勝ち取っていくしかない。

 自分の力は、幸運の操作だ。しかし、その力を持ってしても、どうにもならない事象というものが存在する。自分はあまりにも無力なのだと思った。



 自分の行動規範とは、一体、何なのだろうか。

 プルシュは我ながら、自分は愚かだと思っている。しかし、どうしようもないくらいに、足が先に動いていた。

 彼は宮殿の中に入り込んでいた。

 黒煙が一面で揺らめいている。

 プルシュは眉を顰めていた。

 一応、辺りを警戒しながら伺う。

 拳銃レムレースを、辺りへ向ける。

 彼の『オルビダード』が何処までやれるのか分からない。

 大ホールはぼろぼろに、破壊されていた。

 所々に、黒焦げの死体が横たわっている。



 一人の女性的な顔立ちの青年を見つけた。

 最初、女だと思ったが、すぐに男だと分かった。

 プルシュは彼に近付く。

「お前……、君は?」

「ああ…………、私はソルティア。君は……?」

「俺はプルシュ。これはお前がやったんだろう?」

 確信。

「どうかな? 確かに私が突入したよ。私が追い詰めた、でも、敵の方もね。強かった。しかし、何故、私は此処にいて。こんな事をしているのかな?」

 プルシュは彼の姿を見て、溜め息を吐いていた。

 もう長くは無いのだろう、彼の傷を見れば分かる。

 ネズミ達が、彼の下によってきて。大きな傷の孔へと集まっていく。どうやら、止血しようとしているらしい。しかし、留め止めもなく、傷は溢れていく。

「あ、そうだ。ザルファ……黒髪に緑色の帽子の人に会ったら、伝えておいて。何ていうか、ごめんね。って、それからテレサ、彼女の特徴は…………」

 彼は何事かを、ぼそぼそと呟いていた。

 空ろな眼をしている。



 プルシュは宮殿の中を駆け巡っていた。

 まるで、何かに呼び込まれているかのようだった。実際、呼ばれていた、それは後になって知る事になる。

 そう、彼は向かっていたのだ。知らず知らずのうちに。

 そこは、暗い地下牢の奥底だった。

 まるで、地獄の入り口のような場所だ。

 遠くから、亡霊達の呻き声が聞こえてくるかのようだった。

 そこには、一人の男が幽閉されていた。

「お前は……?」

「ああ、俺の名前はシャックス。そうだ、お前も死ぬよ」

 彼はそう断言する。

「そうだな。人間はいつか必ず死ぬな?」

 プルシュは強気で、その奇妙な男に告げる。

 その男は、不思議な異国の服を身に纏っていた。

 それは、何だ? と訊ねると、和の国のもので。着流しだ、と答えられた。

 男はプルシュと眼を合わせる。

「俺は言うならば、予言師のようなものだな。世界に気流のように流れている、災厄のようなものを“視る”事が出来る。デュラスの幸運を操れる力は、きっと俺の力を完全に抑えていたんだろうな。彼女自身が気付かぬうちに、いわば、俺とデュラスは双生児のようなものなのかもしれないな? 俺は不幸を引き寄せるような力を持っている。……どう説明すればいいか分からないが、不幸というよりも、死なのかな? 人間は必ず死ぬ、それはお前が言った通りだ。お前は俺の力の本質を見抜いたのかもしれんな」

 プルシュは首を横に振る。

「何を言っているのか分からない」

「分からないだろうな、俺も俺の力が何なのか分からない。パンドラの箱のようなものだ。沢山、詰まっている災難の蓋を引き出す力を持っている。……しかし、お前。沢山の子供達に愛でられているんだな? お前の背後には、無数の子供の死者が見える。見上げたものだな?」

 くっくっ、と。陰鬱に男は笑っていた。

 その横顔はとても、虚無的に映った。彼には、おそらく何も無いのだろう。

 生きている事など、どうだっていいのだろう。

「デュラスは国を離れるべきじゃなかった。先代の君主は、俺を切り札のように使っていた。しかし、デュラスの方が扱い易かったのだろう。デュラスは幸運を招き、俺は他人に破滅を引き寄せる。教えるが、デュラスが君主になれたのは、その力故だな。先代の王は、自分の後釜に、デュラスを呼んで。この国の操作を行わせたかった。デュラスは子供の頃から英才教育を受けさせられて、官僚になり、そしてこの国の君主になった。それは、先代の王が計略した事なんだ。王は探していたんだな? 俺の力の代わりになる者を。探し続けて、デュラスを見つけ出した。哀れだと思わないか?」

「デュラスがか?」

「この国家そのものだ」

 シャックスは暗い笑みを浮かべていた。

 全てが、おかしく滑稽だと言わんばかりに。

「蓋は開いた。俺のせいじゃない、デュラスは堰を押さえていたんだ。とっくに、この国は不況が続き、他国によって侵略されていく運命にあった。しかし、彼女の存在がそれを捻じ曲げていた。彼女はこの国を離れるべきじゃなかった。だが、何だろうな? この国に、やってきてはいけない者が現われた。俺は“視えている”。そいつは、風の姿をしている。そいつが、デュラスに囁いたんだろう。そいつは、本当にこの世界に存在してはいけない者だ。この世界に対して、背教している。何だろうな、言うならば……」

 彼は巧く言い現すための言葉を考えていた。

 そして、ふと思い付いたように言う。

「そうだな、そいつは。何だ、その。“悪意”そのものだ」

 声のトーンが強くなる。彼の感情は少しだけ、起伏が激しくなる。

「黒死病みたいに、彼女の悪意は広がっていく。お前も死ぬし、俺も死ぬ。デュラスはどうなのだろうな? 守られるのかな? しかし、彼女の死は不安定だ。先ほどは死ぬと思っていたが、やはり薄っすらぼんやりとしてきた。これは一体、何なのかな?」

「分からないな?」

 プルシュは当惑していた。

「俺の力、『プロフェシー』の断片を送り付けてやろう。お前に憑いている子供達、それらがお前の使い魔となり。牙となってくれるだろう。お前は復讐を果たすといい。お前は死ぬが、報われる。お前はお前が憎んでいる者の場所へ向かえ。お前が本当に憎悪し、呪詛している者は。この国にはいないんだろう?」

 プルシュは頷いた。

 シャックスと名乗った男は、自身の力の概要を説明していく。

 それは、むしろ彼自身の問題というよりも。むしろ、他人が持っている可能性そのものに対しての問題に触れていくような……。

「お前に会えた事を感謝するよ。お前は俺にとっては、幸運だった」

「そうか。王は、俺を扱い兼ねていたがな?」

 シャックスはうわ言のように、王、王、と呟き続ける。まるで、時間が停止しているかのようだった。

 プルシュが牢獄の外へと向かう途中、彼は呟いた。

「青色……。何だろうな、青色の死が。お前を包む。お前はそいつと出会うべきだ。出会えば、お前の目的は叶う。せいぜい、青い死を刺激する事だ。それによって、お前は自身の命と引き換えに。お前の意思は達せられる」

 ぼそぼそっ、と聞き取り難い声で喋っていた。

「出会う事は無いのかもしれないな……。お前には、その運命は訪れない。しかし、目的は達せられるかもしれないな。最大の悲劇という形で……」

 男の言葉を聞き取る者はいない。男は冷たい壁に向かって、語り掛けていた。



 人間は必ず死ぬという事実。

 それは直面する事態だ。

 しかし、死なない、という現象はあるのだろう。

 それは、ヒースが求めようとしているものだ。

 死なない肉体、不条理な存在。この世界の秩序に抗う存在。

 彼女が求めているものは、多くの者達の存在を否定する行為なのだろう。

 それにしても、思うのは。死は他人の死でしかない。

 人間は自分自身の死と対面する事が出来るのだろうか。

 圧倒的なまでの支配、彼女はそれを望んでいる。この世界を踏み躙るという事。そうする事によって、彼女は万能感を手にする事が出来るのだろう。

 プルシュは歩みを進める、グローリィへと向かっていく。

 必ず、出会えるとあの不気味なシャックスという男は告げていた。

 災厄は引き寄せてやったのだと。

 蓋は開かれたのだと。



 青い悪魔は自分の存在の理由が分からない。

 ただ、緩やかに思考の流れを止めていたい。

 ふと、背後から囁き声が聞こえた。

「デス・ウィングさんは怖いねえ。彼女は死ねないんだねえ。そして、君は殺すしか無いんだねえ」

 青い悪魔は、そいつが何なのか分からなかった。

 ただ、怖気がして。そいつに力を発動させてみた。

 無数のナイフが空間を舞っていく。

「私の名前は“他人の死”。それ以下でもそれ以上でも無い。私を殺す事は出来ないし、そして、私も君に深く干渉するつもりは無いよ。私は言ってみれば、“概念”みたいなものかなあ。誰も彼もが、自分の死を体験する事は無く。全ては他者の死なんだからね」

「言っている意味が分からないよ」

 何処にも無いようなドレスを纏った美少年と、少女服を纏った人形のような顔の少年は。お互いを見つめていた。

 二人共、性別の向こう側にいる。男では無い男。

 そして、二人共、死という存在そのものだった。

「デス・ウィングさんは、君の力を見たがっているよ。君に興味が湧いたみたいだねえ。彼女はずっと前から、君の存在を知っていたみたいだねえ。会えた事は偶然ではなく、必然なのだと言っていたよ。君が力を使う事を見たいんだって、とても素敵な見世物舞台になるだろうって」

 青い悪魔は、強い嫌悪感を覚えていた。

 自分は酷く嫌われている。

 自分で自分が嫌いだ。

 しかし、そのような自分の特性を引きずり出そうとする存在。それはとてつもなく不気味で、悪意に満ちていて。この世界を嘲弄しているかのようだ。

 青い悪魔は自分が生まれてきた理由について、苦しむ。

 生きているだけで、他人を殺害せずにはいられない自分の存在と、持て余し過ぎている大き過ぎる力。

 どうすれば、この強大なまでの殺人そのものを体現した『クラシック・ホラー』という能力をコントロール出来るのだろうか。

 分からない。

 何も、分からない。

 持て余している自分自身。どうしようもない。



 デュラスは部下に言って、車を走らせていた。

 装甲車だ。別部隊が、既にグローリィの領地に踏み込んでおり、デュラスを乗せてくれた。

 グローリィの街は離れていく。ファンガスから、引き続き、ヴァーゲンの状況を中継して貰っている。

 此処から、ヴァーゲンまでは。大体、半日くらいは掛かるだろう。

 ザルファは残ると言った。

 彼の行動を止める理由も術も無かった。

 彼は彼なりの目的があって、ヒースを倒したがっているみたいだった。その意思は尊重しようと思う。もはや、少しずつ分かり合えてきている仲になっていた。

 装甲車は走り続ける。

 数時間程、経過した頃だろうか。

 ぽつり、ぽつりと雪が降ってきた。

 デュラスは陰鬱そうな顔になる。

「やはりな……」

 自分の幸運操作によって、何とか難を逃れて。安全なルートを進んでいたが、ついに見つかってしまったみたいだ。幸運にも限界がある。それはどうしようもない事だ。

 風を切るような音が聞こえてくる。

 そいつは、トカゲのような鱗を身に纏った女だった。

 まるで、耳元に声が響き渡ってくるかのようだ。

「あれぇー、あなた。何処かで見た事があるような顔しているなあ?」

 デュラスは無視を決め込む事にした。

 しかし、他の者達はそうはいかなかった。

 装甲車は大きく刳り貫かれている。そして、乗っていた護衛兵の何名かは血塗れになっていた。首を捥がれて殺されたのだ。

「ああ、そうそう。私、竜とのハイブリッドだよ。ヒース様の親衛隊の一人なんだけどさ。確か、あなたってあれだよねえ? あなた殺せば、簡単にヒース様はあなたの国を手に入れられるのよねえ?」

 デュラスは運転手に、とにかく、ヴァーゲンへ向かうように告げた。

 この敵は、正直、かなりやっかいだった。

 肌で感じていた。かなりの強敵であるのだと。

 頼りのムシュフシュがいない。

 ヒースは能力者を作り続けているという事でもある。ヴァーゲンにいる能力者の数は限られている、国家中を探っても。中々、見つからなかった。

 ファンガスやムシュフシュは、かなり優秀な能力者だ。

 かなり、戦力は分断されている事になる。

 だが。

「私一人じゃない。お前はまだ、私に触れられない」

 デュラスは冷たく微笑んだ。

 強い憐れみさえ、浮かべている。

 蛇の鱗を纏い、蝙蝠の翼を生やした女は不思議そうな顔をしていた。

「お前は私の能力を舐め過ぎだ。お前が此処に辿り着けたという事は、それだけで凄い事だ。さてと、幸運の残量は何処まで残っているのだろうか。余り、私を舐めるな、ヒースに伝えておけ。もっとも、お前が生きていたらの話だが」

 蝙蝠の翼を生やした女は、ふふん、と嘲る。

 そして、いつの間にか。右手には巨大な戦斧を手にしていた。

 これによって、装甲車の一部を破壊したのだろう。

「さてと、死んで貰おうか」

 女は加虐的な笑みを浮かべる。

 デュラスは部下達を眺める。

 彼らの顔色は蒼褪めていた。

「指揮を出す。銃を強く持て、敵の眉間を狙え」

 凛然とした声音、デュラスの声を聞いて。部下達は、言われた通りに銃を構えて。女へと向ける。

「馬鹿かな? 私はヒース様の親衛隊隊長のヴィヴィド。私は強いよ? そんなおもちゃのピストルごときじゃ私の皮膚は通らない」

「やってみなければ分からない」

 ヴィヴィドは戦斧を振り下ろす。

 デュラスの部下達が銃の引き金を引くのと、同時だった。

 刹那。

 銃の弾は、ヴィヴィドの両眼へと入り込んでいく。

 戦斧は、空回りしていた。

「ああああ、畜生、畜生。けどな? そんな鉛弾ごときじゃ……」

「たまに“視える”んだ。理由は分からない。でも、もう終わっている。お前は終わっているんだ、諦めろ」

 ヴィヴィドは再び、巨大な斧を振り下ろす。

 デュラスの部下達は焦っていた。

 女の両眼からは、真っ赤な血の涙が溢れていた。

 脳に達していない。一時的な失明くらいは引き起こしたのかもしれないが、それでも倒せていない。どうにもならない敵だった。

 ヒースの力を充分に与えられた存在、それは鋼のような肉体に、ゴムのような弾力性を帯びている。そして、ありとあらゆる生物の特性を備えていっている。

 ヴィヴィドは特に、ヒースの恩寵を強力に受けていた。ヒースの片腕とも言える存在でさえあった。

 しかし。

 それは、一体。何なのか分からなかった。

 デュラスは引き寄せたのだろう、その場所に。

 それは彼女の力故の現象だった。本来ならば、そういった運命など在り得なかった。

 しかし、デュラスは運命を捻じ曲げた。

 たとえ、どれだけの力を持っていてしても、運命には抗えない。

 ヴィヴィドの首が勢いよく飛んでいく。

 彼女の振るった斧は、装甲車に深々と突き刺さっていた。

 彼女の胴は、勢いよく地面を転がっていった。

「な、何が……」

 部下の一人が訊ねる。

「知らん。どういう自然現象なのか、災厄なのか分からないが。これは必然としてこうなった。私の知った事では無い。ただ、運が悪かったんだろう」

 デュラスは淡々と告げた。

 部下の一人は、はあっ、と頷いた。



 青い悪魔は、他人の死をバラバラにしようとして。クラシック・ホラーを使った。

 その時に出現したナイフの一本が、辺り一面にいる。彼を傷付ける可能性のある、殺意ある者の下へと飛んでいった。

 偶然、デュラスの車は。青い悪魔がいる辺りを走っていた。

 いわば、ヴィヴィドは。青い悪魔の攻撃の流れ弾に当たって死んだのだった。

 圧倒的な不運を、デュラスはヴィヴィドに引き寄せた。

 運命も、運勢も。巡り合いも、彼女の力によって支配されているのだから。



 プルシュはグローリィへと戻っていた。

 シャックスという男は言っていた。ヒースは倒せるだろうと。

 しかし、災厄とは一体、何なのだろうか。正直、分からない。

 運命的なものなのだろうか。

 人は、何かに向かっていくのかもしれない。それは標のようなものだ。おそらくは、あの男は、そのようなものへと導いていくのではあるまいか。

 自分の家へと戻った。

 子供達の剥製が飾られている。

 此処は、プルシュが背負った世界だ。

 一人、一人を丁寧に仕上げていった。端整込めて、愛情を練り込んでいって。

 此処は、美しい地下墓所なのだ。絶えず聖歌が響き渡っているかのようでもあった。

 厳かだ。プルシュは自分のやってきた事を誇りにさえ思う。

 この近くには、汚染された工場がある。そこへ向かおうと思っている。

 どうにかして、工場にいる者達を解放してやりたい。

 そこでは、生きながらにして人体がどんどん腐っていくかのような状況なのだと言う。

 ざわざわと、周りでは。何かが歩き出していた。

 プルシュは彼らが何なのか分かっている。徐々に、それは実体化してきている。

 それは、シャックスの力なのか。あるいは、プルシュ自身が持っていた力なのかは分からない。シャックスは災厄を与えたと言った。それはもしかすると、プルシュの潜在的に持っている力を引きずり出したのかもしれない。

 あるいは、成長してしまったかのような。

 人間は死へと向かっていっている。

 シャックスの力は、おそらくはそれを早めるものなのかもしれない。

 その死へと向かう経過の中で、自分の能力というものは成長していくのだろう。

 シャックスは、それを加速させた。

 プルシュはそのような解釈をしている。

 自分の運命は決まっているのだろうか。命の鐘の音は早まっていくのだろうか。

 しかし、自分が死ぬ前に、必ずやるべき事がある。

 ヒースを倒さなければならない。

 しかし、その前に。なすべき事があるのだ。



 工場の中、色々な製品が製造されていっている。

 主に日用的な雑貨品などだが、奥に進むに連れて。戦場において必要な兵器の部品などが多くなっている。

 此処の労働者達は、子供ばかりだ。

 子供が安い労働力として使われている。

 彼らの手は凍傷でぼろぼろで、呼吸器も痛み、肺病をこじらせていた。みな、寿命は長くないだろう。成人する前に、大多数の者達が死んでいくのだろう。

 何名もの大人達が、子供をこき使って。銃器類や爆弾製作などを行わせている。

 此処から流れる廃液によって、皮膚病を患っている者達も数多く出ている。

 プルシュは工場に侵入した後、どうしてやろうかと考えていた。

 どんどん、透明な子供達が彼の周りに集まってきていた。

 彼に寄り添っているのだ。縋っているといってもいい。

 ふと、悪寒に襲われた。全身が壊されていくような感じ。きっと、気の迷いだろう。自分自身を奮い立たせる。

 オルビダードを全力で使おうと思う。

 彼は自分の力を、空気中の気体を圧縮して飛ばすものだと考えていた。

 しかし、もしかしたら違うのかもしれない。

 彼の持っている力、それは空間中に遍くあるエネルギーのようなものを吐き出す事が出来るのではあるまいか。もし仮に幽霊というものが存在するとしたら。それはエネルギーなのだろうか?

 分からない。

 とにかく、彼はオルビダードを発動させていた。

 レムレースによって、子供を指導と称して実質、虐待を加えている工員の大人の一人を狙撃していく。彼らのうちの一人の頭が吹き飛んでいく。

 彼はもう、行うべき事は決まっていた。



 ザルファは一人、くっくっと笑っていた。

 取り残されてしまった。

 しかも、それは彼が望んでいた事だ。

 ダーク・クルセイダーが効かない敵ばかりが出現している。

 どうしようもない、自分自身に対する無力感。

 彼は城の中を彷徨い続ける。

 たまに、敵が現われる。

 あっという間に、毒を仕込んだナイフを。首に突き立てる。

 不死身の化け物も、このナイフによってしばらくの間、のたうち回っていた。

 そうやって、時折、身を潜めながら。もう、何時間も経っていた。

 雪が降り始めている。

 空は満月だ。

 彼は思わず、服を脱ぎたくなる。背中に月光を当てたいから。

「はははっ、俺はイカれているな?」

 しばらく歩いた処だろうか。

 部屋を見つけた。

 扉を開く。

 そこには、一人の女が佇んでいた。

 ザルファはけたけたと笑った。

 背中に彫られた逆十字が疼いている。過去の記憶が明滅しては消えた。

 そいつは、何処か姉の面影を持っていた。きっと、気のせいだろう。

 女の両眼は猫の眼のように、光っている。

「きゃはははあぁあ、やあ、よく来たね。君は?」

「俺か。俺はザルファ、お前はあれだろ?」

 彼はくっくっ、と笑う。

 二人共、笑い続ける。

「そう、ボクはヒース。この国の王様だよ?」

「そうか、すげぇな。最高じゃねえか」

 二人は、高らかに哄笑の声を上げる。

 二人共、狂っていた。

 狂っている故に、どうしようもなく分かり合えるようで、分かり合えなかった。

 ザルファは冷たく告げる。

「お前、殺してやるよ。まあ、何だ。気に食わないからな」

「そう? ボクは強いよ?」

 ほぼ裸体の女は笑い転げる。

 ダーク・クルセイダー。

 テンパランス・リバース。

 この世界の均衡や調和を破壊していくもの。

「お前はナイフだけで殺す。仕方が無いからな?」

「君は随分と自身満々なんだねぇえ?」

「自信というよりも、てめぇが脆く見える。それだけだ」

 ザルファの動きは早かった。

 ヒースは呆然としていた。

 彼女の右肩に、深々とナイフが突き立てられている。

 しばらくして、肉体に痛みが伝達していく。

 女はきょとん、としていた。

 この部屋は、天蓋に無数の植物がシャンデリアのように生えていた。

 どれも、奇形的だった。珊瑚のようにも見えて、成っている実が宝石のようにも見えた。

 そして、それは遠目には一見、美しいのだが。よくよく眺めていると、奇怪で不気味なオブジェである事に気付く。まるで、自然界の調和を歪に捻じ曲げて作り上げたような装飾品。

 ヒースは脇腹を眺める。

 脇腹に深く、ナイフが刺さっていた。

 彼女は気付く。そして、馬鹿馬鹿しい事実が分かった。

 全身から力が失われていっている。

「何で、分かったの?」

「何となく…………」

 緑衣の男は彼女を見下ろしていた。

 ヒースは地面に足を下ろす。

 かなり、顔色が悪かった。

「お前、かなり消耗しているな? 分かるよ。俺も無力だから。お前のその力なんだ……」

「コントロールしているんだけどねぇ。部下達に力を与え続けていたら、ボクが弱くなっていった。かなり、力を消耗しているよ。もっとボクは強い筈だったんだけどね」

「デュラスの力の影響だろうな? お前の不運ってのは。お前は自身の力に溺れ過ぎている事に気付かなかった。今、身体が弱っているだろ? 戦力を分断させ過ぎたな?」

 ザルファの両眼は冷たい。見下すようでもあり、哀れむようもでもあり。

 そこには、もはや一抹の嫌悪も無かった。

「…………姉も。このように死んだ。俺を馬鹿にし過ぎていた」

 呆気ない。

 ザルファは詰まらなそうな顔をする。

「俺の勝ちか?」

「処が違うんだなあ?」

 彼女はひひっ、と笑っていた。

「ボクは元々の身体を捨てるつもりでいた。もう、この身体はいらない。弱ってしまったから。テンパランス・リバースはパワー・アップしなければならない。ボクは他人に力を注ぎ過ぎた。でも、手は打ってある。あんたがこの部屋に来てしまった時から、あんたは終わっている」

 天蓋の植物はぐるぐると蠢いていた。

 そして、勢いよく刃物のようになって。

 ザルファの胸元を深く、切り付けていた。

 彼は倒れる。

「そういう事かよ」

「ひひっ、そういう事だよ。ボクの本体はこの部屋自体に移した。だから、この人間の形をしている身体は抜け殻のようなものなんだ。だから……」

「てめぇは、俺様を舐め過ぎだ」

 ザルファは嘲笑する。

 ヒースは口から泡を吐いていた。

 そして、うくっ、うくっ、と鼻や眼から血を流していた。

 体内が破壊されている。呼吸するのも、精一杯だ。

「俺の毒ナイフは、俺の血を混ぜている。闇十字を背負った瞬間から、俺は呪われている。はははっ、さてと」

 彼は周囲を見渡した。

「俺は怖くない。俺には悪魔が憑いているから、そうだ。青い悪魔って知っているか?」

 彼の言葉はもはや、うわ言のようになっていた。

「俺のダーク・クルセイダーには、こんな使い方もある。もし、力を行使する時に。大気の色彩を多少、変質させる事も出来るんだな。そろそろ、デュラスはこの辺りから離れた頃か?」

 部屋の中に、第三者が入ってくる。

 ジュゼットだった。

 彼はムシュフシュの首を抱えていた。

 そして、這い蹲る二人を眺めて、呆然としていた。

「あ、あの。ヒース様、敵を討ち取ったんですけど、その」

「何だい?」

 ヒースはにっこりと笑う。

 ジュゼットの姿は悲惨なものだった。

 ムシュフシュの攻撃によって、左側頭部が破壊されて。眼球が垂れ下がっていた。胸から腹に掛けて孔が開いている。そして、全身が焼け爛れていた。

 デア・アングリフの猛攻によって、機械と一体化させるザ・モードも、かなりの苦戦を強いられたみたいだった。

「え、えと。治して欲しいです、その」

「君、生命の残量がもう、無いんだねぇ。ごめんねえ、ボクも今、ぼろぼろでさ。何をされたのか知らないけど」

「そうですか」

 ジュゼットは崩れ落ちる。

 そして、そのまま絶命した。

 ザルファは哄笑を続けていた。

「何がそんなに可笑しいの?」

 ヒースは忌々しそうに彼を見据える。

「青い悪魔と、俺は友達なんだ。俺の闇十字を使って。青い空間のようなものが出来たら、それは俺の危機って事だ。俺はつねに悪魔に祝福されて、加護を受けていたんだな? それは余裕だろう?」

「はははは、ひひっ、何を言いたいのか分からない」



 青い悪魔、ブラッド・フォースは遠くを眺めていた。

 それは風のように見えた。

 彼はその力故か、不可思議にも。遠くの景色が見えた。

 遠くにある大きな城、そこで、もやもやとしたサインのようなものが見える。

 いつだったか、彼と出会ったのは。

 何故だったのか、少しだけ分かり合えた気がしたのは。

 一晩中、語り明かした。生い立ちの事、苦しんでいる事。

 もしかすると、初めて出来た友人なのかもしれない。

「ザルファ…………」

 気付けば、そこに向かっていた。

 彼といつか話した記憶が鮮明に蘇ってくる。

 きっと、あれが友達というものなのだろう。

 孤独の中で生きてきた自分。誰にも分かって貰えずに。ただ、自己否定の中で生きてきた。ザルファとの会話、まるで自分自身の存在が赦されたような気分。

 彼に何かして上げられる事は無いのだろうか。

 ブラッドは決意する。

 両足にナイフが生える。

 そして、それは音の壁を超えて。空間という空間を切断しながら、その場所へと向かっていた。

 そこは、城だった。

 動物や植物、あるいは機械と混ざった人々が大量にいた。

 ブラッドは彼らにまるで興味を示さなかった。



 ヒースは、そいつの姿を見た。

 それは、青い少女服を身に纏った少年だった。

 そうか、何処かで見た記憶の残滓だ。子供の頃に読んだ、不思議の国のアリスのよう。

 まるで、絵本の中からそのまま抜け出してきたかのような。

「ブラッド。また、会ったね」

「ザルファ、そうだね。どうしたの?」

「俺の人生は何だったんだって思ってな? そうだ、お前、こいつら。全員、殺してくれない?」

 部屋の中に、ヒースの兵隊達が集まってきた。

 彼らは機械と混合されている。

 彼らは銃器を持って、ブラッドに鉛弾を撃ち込んでいく。

 一瞬、何が起こったのか分からなかった。

 みな、理解するのが遅れた。何をしているのか、まるで分からなかったからだ。

 奇妙な現象が起きていた。

 無数の銃弾が、空気中に静止していた。

 兵隊達は、ぽかん、としたような顔になっていた。

 まるで、滑稽な切り絵のようだった。

 そこには、何も無かったかのように。初めから、全てのベクトルを削ぎ落としていくかのように。他人の敵意というものを否定していく意思そのもの。

 他人の殺意に対する恐怖、それによってブラッドの力は培われている。

 鉛弾は徐々に変形していく、それは尖った刃物の形へと変わっていく。

「僕のクラシック・ホラーは鉄分を媒介にナイフを作るんだ」

 それは、余りにも呆気なかった。

 ヒースの兵隊達は、肉体の半分が機械で出来ている。

 全員の肉体が次々と変形していく。身体中から刃物が生えていた。

 彼らの肉体はバラバラになって、細切れになっていく。

 続いて、彼らの悲鳴を聞いて。今度は、半植物の者達がやってきた。

 ブラッドは、空中に固定していた。銃弾を変形させて作ったナイフを、彼らへと向けた。

 首が飛んでいく。

 しゅるしゅる、と。根っこのようなものが傷口から生え出してくるが、再び、刃が戻ってきて。兵隊達を切り刻んでいく。まるで、野菜でも切り刻むよう。

 青い悪魔はいつの間にか、傘を差していた。

 血液が服にこびり付かないように。

 くるくる、と。ナイフは回転しながら、兵隊達を細かく、細かく、小さな部品へと変えていく。

 ヒースは、それを見て。完全に絶句していた。

 まるで、話にならない程の、圧倒的な暴力。いや、その存在自体が殺人そのもの。

 ザルファはくっくっ、と笑っている。

「ねえ、ザルファ。君、とっても苦しそうだよ?」

「そうだなあ、血が流れ過ぎた。長く無いかもなあ?」

「僕が悲しむよ……」

「じゃあ、頼まれてくれるか?」

「いいよ」

「鉄の処女って知っているか?」

「何だい? それは」

「ほら。あるだろ、中世の拷問器具。巨大な女を象って、中身は大量の針を生やしている奴だ」

「ああ、思い出したよ。それがどうしたの?」

「お前の力で、此処の国の奴ら。全員、それに変えてやれ」

 青い悪魔は、にっこりと笑った。

 そこには、一点の狂気も無かった。

 ただ、親しい友人の役に立ちたいという純粋な感情そのもので。

 初めて、自分の力に意味を感じているかのような。

「此処にいる奴ら、人じゃないだろ? そんな連中を生かしていいのかなあ?」

「そうだね、そう思うよ」

「初めて、お前は人を救えるんだ。人類の未来の為にな。終わらせてやれよ」

「分かった」

 ヒースの顔に絶望の表情が浮かんでいた。

 そして、二人は彼女の存在を無視していた。

 ヒースはずぶずぶと、地面へと潜っていく。早く、この場から逃れなければならなかった。

 ヒースは、片目を切り離して。城の外へと向かわせた。

 そして、城全体を眺める。

 それは、酷い惨状だった。

 ヒースが作り上げていった、国家。それが総崩れに崩れていく。

 国民達が、次々と。滑稽な姿の人形へと変えられていく。大きな口を開いたワニのように、ぱっくりと。それらは姿を現す。

 人々は、地面の鉄分によって作り上げられた鉄の処女へと飲み込まれていく。

 国民が次々と、鉄の処女へと変えられていく。それは伝染病のように広がっていく。

 馬鹿な人形劇のようだった。

 ヒースは、人形芝居をしていたのだと思う。人が人を止めていくという過程を陳列していった。それが、進化の誕生なのだと。

 しかし、圧倒的で絶対的なまでの力を振るう怪物の前では、無力そのものだった。

 青い悪魔、ブラッド・フォース。

 そいつは、存在してはいけない者だった。

 ただ、殺戮そのもの。災害そのものを具現化したかのような存在だ。

 ヒースの国民達は、泣き叫んでいた。しかし、無情にもクラシック・ホラーの攻撃は止みはしない。ザルファはただただ、哄笑を続けていた。楽しくって仕方が無いといった感じだ。

 人々は、踊り狂って死んでいく。死の舞踏だ。黒死病のように、絶対的な死が広がっていく。何十万、何百万名もの。グローリィの住民達が殺されていく。

 死は蔓延していく。それは、蹄の音を鳴らす馬のようだった。

 死神が楽器を鳴らすように、しゅんしゅん、と嫌な音が鳴り止まない。



 テレサは別世界へと投げ出されていた。

 街を歩けば、沢山の異形の者達が歩いている。

 沢山の腕達が路地裏から這い出してきたり。区域の一角自体が口や舌のようになっていたり。ぞろぞろと、得体の知れない黒いものが這い回っていたり。人間がどろどろに溶けていったり。街を歩けば、正気というものが何も無かった。

 完全なまでに、別の世界へと飛ばされていた。テレサが幼少時から見ていたもの。

 きっと、それは彼女の持つ根源的な不安が実体と化したものなのだろう。

 水月だけが、彼女と一緒に幻覚を共有出来た。ひょっとすると、水月は彼女の視える世界に話を合わせてくれていただけなのかもしれない。

 あのバザール以来、足元が覚束ない。現実という基盤は完全に崩れしまったのだろう。

 それは実体として存在しているのか、それとも彼女の網膜や脳が不安を感じた時に見せる幻覚なのか。今となっては分からない。

 テレサは街を歩いていた。

 そして、沢山の顔の無い狼達の群れの辺りに近付いていく。

 狼達は。じゅるじゅる、と。真っ暗な深淵の顔の辺りから、蛆なのかヒルなのか分からない生き物を吐き出していた。彼らはテレサの方を見つける。

 彼らはいつも、テレサと仲良くなりたがっていた。テレサを彼らの世界の住民にしたいのだと、思っている。いつも、そう感じていた。

 恐怖、不安、そういったものが強く込み上げてくる。

 テレサは全身が痛かった。何かで打ち付けられている。

 気が付けば、意識が遠退いていく。



 デス・ウィングは愉悦を浮かべながら、ヴァーゲンを見ていた。

 堰を切ったように、貧困層の暴動が行われている。テロルのせいで、彼らの抑圧していた感情に火が灯ったのだ。みな、狂乱の熱気を帯びていた。街中では、強盗などが多発している。彼らは戦争に対する不安と、体制に対する不安が一緒くたになって、どうしようもない程の暴徒と化している。正気なものも、狂気へと落ちていく。

 革命の火が幕を開けた瞬間だった。

 まるで、積み木が崩れるように国家というものが瓦解していく。

 こんなにも、人間の心は脆いものなのだ。彼女は楽しく笑う。

 デス・ウィングは腹を抱えて、笑い出す。この見世物舞台がどうしようもなく素晴らしい。

 そして、それらを一通り眺めると。借りている宿へと向かった。

 その途中。

 見知った一人の少女を見つけた。

「ふふっ、おや?」

 一緒に旅をしていた少女だ。二十になるかならないかの少女。

 彼女は暴徒達によって、頭を割られて血を流していた。

 近付いてみる。

 息をしていなかった。

 デス・ウィングは彼女を起こす。

 両手に血が滴り落ちていく。

 彼女はどうやら、金品を奪われたみたいだった。財布が無い。

 デス・ウィングは彼女の頭を撫でる。

「ああ…………。位置が悪いな。相当、殴られたんだな? 抵抗しただろうね」

 デス・ウィングは彼女を背負った。

 そして、借りていた宿へと戻る。

 寝台は二つ、そっと少女を横にする。

 彼女の荷物は拾ってやった。これだけは奇跡的に残っていた。

 それは、花嫁が被る、花の冠だった。丁寧な作りにあしらわれたブーケだ。

 どうやら、指輪も二つ買ったみたいだった。

 デス・ウィングは備え付けられているサモワールを手にする。この辺りで使われている湯沸かし器だ。彼女はお茶の葉を取り出して、カップにお湯を注いでいく。

「何か見られたかな? お嬢さん」

 デス・ウィングは二人分のお茶を注いでいた。

 そして、窓を見下ろす。

 階下で騒音がした、別の客達が言い争っているのだろう。

 その騒音に生じて、宿の中に暴徒が入ってくる。彼らは手に手に刃物を持って、切り合っていた。

 やがて、階段を登る音が響く。

 部屋のドアが開けられる、鍵を閉めてなかったからだ。

「おい、お前。金を出せよ」

 男が三名。みな、憔悴したような顔をしている。

「ああ、お前。美人だな……」

 別の男が言った。酒に酔い潰れているらしい、酷く赤ら顔だ。

 デス・ウィングは有無を言わせなかった。

 指先を振るう。

 彼女は滅多に力を使わない。無意味だし、面倒臭いからだ。

 しかし、彼女は少しだけ微妙そうな顔をしていた。

 空間が引き裂かれるように、緩やかな旋風が巻き起こったかと思うと。

 男達は一瞬にして、バラバラ死体へと変わっていった。そして、肉体が崩れ、それが地面に落ちる間もなく。開かれた窓を通して、血液の一滴さえも、床に落とす事が出来ずに。外へと排斥されていった。

「今から、音楽を流そうと思っていて。すみません。またの機会にお越し下さいね。そうだ、モーツァルトがいい。この部屋にはレコードがあった筈」

 宿の中は、彼女の荷物でいっぱいだった。

 レコードは揃っている。

 彼女は眼を閉じるテレサに語り掛ける。

「シェイクスピアの悲劇は好きなんですよ。破綻が破綻を生んで、権謀術数や嫉妬の果てに破滅していく。もう笑ってしまうくらいに、物の見事に、みんな不幸になっていくんですよ? 此処まで行うのかというくらいに上出来に。だから、私はシェイクスピアの作品が好きなのです。とてもよく出来ている。公演されている劇は何度も、見に行きました。色褪せない劇作家なのです」

 彼女はお茶を口にする。

 窓の外は喧騒に満ちている。

 デス・ウィングは長閑に外の景色を見ていた。

 雪が降り積もる。窓から見える街頭の白樺。拳銃の発砲の音。

「安らかですね。今日も素敵な一日でした。こんな日は聖書を読んで過ごしたい。様々な国の宗教書を黙読しながら。…………」

 テレサの口元は、笑っているかのようだった。



 デュラスは、ファンガスと会う。

 ワーロックは死亡している事を聞かされた。

 それから、シャックスという男と話したという事も聞かされた。

 彼女は崩壊している宮殿へと向かっていく。見るも無残だ。

「わたしはとんでもない事を……」

「お前はなすべき事をした。違うか?」

 ファンガスはぐうっ、と蹲った。

 デュラスは宮殿へと向かう階段を登っていく。

 そして、目立つ場所から国民達を見下ろした。

 彼女の国民達は、彼女の存在に気付く。

 デュラスは声高に叫んだ。

「聞け! 今、この国は動乱に巻き込まれている。お前達は私を殺せば、幸福になれると思っている。だが、違う。この国は、ヒースのグローリィによって占領されようとしている。お前達が争っている間にも、刻一刻とだ。お前達は自らを破滅へと追いやっているのだぞ? お前達は自らの命の火を消し去ろうとしている。聞くがいい! このままでは、この祖国は滅び落ちる。お前達は奴隷になるか死ぬかだ。お前達の家族も例外無くだ、お前達は何故、思考しない? 繰り返すが、私や政府官僚を殺した処で無駄だ。どうにもならないのだぞ!」

 デュラスは叫んだ。

 国民達は硬直していた。

 デュラスは階段を下りていく。

 そして、腰元から長刀を取り出した。

「本当に私を殺してみるか? どうなるか見てみたいのか?」

 デュラスはみなを睨んでいた。



 ヒースはグローリィから離れていた。

 その網膜には、絶望が焼き付いていた。

 此れまで積み上げてきた国家が脆くも崩れ去っていく。まるで、砂の城のようだ。漣に打たれて、簡単に崩れ去り、波に溶けていくかのようで。

 グローリィの国民がある者はバラバラ死体へと変わり、ある者は鉄の処女へと変わっていく。無数の刃の雨が国家を襲っていた。

 化け物が、とヒースは悪態を付いた。

 荒野の只中で、彼女は膝を折る。

 天空の星々は煌いていた。絶対的な無力が、精神を支配していた。

 このまま死んでしまおうか、そんな事が頭に過ぎる。しかし……。

 ヒースはくっくっ、と笑う。

 動物や植物、機械は自殺しない。自殺するのは人間だけだ。

 ヒースは力を解放しようと思った。

 目指す場所は、グローリィだ。

 自分の力の全てを撒き散らしていき、自分の墓標を積み上げたい。

 ヒースは狂気しかない。正常な人間との価値観があまりにも違い過ぎる。しかしそれは、彼女の幼い頃からの世界に対する違和感の延長線上だったのか。今ではもう、分からない。 



 工場の中で。

 プルシュは息絶える事になった。

 あの、シャックスという男。

 彼が齎したもの。

 彼の力、オルビダードが何であったのか、彼は思い知らされる。

 子供達は、彼を慕っていたのだろうか。

 死体は埋めるものであり、残すべきものでは無かったのかもしれない。

 子供達の霊は、いつの間にか肉体を持ったように実体化していきプルシュの皮膚を食い破り始めていた。

 工員の大人達を片っ端から、殺していく中で。プルシュの力は成長していった。しかし、それは成長するべき力では無かったのだろう。

 死の只中において、彼は考える。

 自分のやってきた行いは、只のエゴイズムでしか無かったんじゃないのだろうかと。

 一体、追悼の意味とは何だったのだろうか。

 結局の処、彼はグローリィに生きる上で、子供という存在を糧にして。自己満足の追悼を行ってきたのではないのだろうか。

 彼は死の淵へと向かっていく。

 全ては達せられず、自分は死んでいく。ヒースを殺したかった。彼の結末。失ってしまったもの、あるいは得たかったもの。全てはなし崩し的な虚無でしかなく。

 自分は出来なかったのだ。ただ、敗北していくだけなのだ。

 彼の命の音色は終わっていく。

 あの、着流しの男の顔がちらついて、消えた。



 この世界は正しいのだろうか? デュラスは考える。

 人々は彼女の次の言葉を待っている。

 自分は何の為に存在しているのか、それを理解しなければならない。

 担ってしまったもの、自分自身がどう理解していたというのだろうか。

 デュラスは知っている。ただ、ほんの少しの運命の違いによって、人の一生は左右されていくのだと。人はどのように転落していき、死んでいくのか。自分の力がそれを知らせてくれるのだ。

 みな、それぞれの生に縋っている。

 みな、不安を消して、生き残りたいと願い、望んでいるのだ。

 そして、国民達はエゴイストばかりだ。自分と家族、せいぜい友人くらいの事までしか考えられない。それらを支えている基盤である、国家の事など眼にもくれようともしないのだ。何故、思いは伝わらないのだろうか。

 デュラスは自分が受けてきた教育の事を考える。一人はみなのためであり、みなは一人のためなのだ。そうやって、秩序というものは保たれているのだから。

 そして、自分はこの国家という存在を引き受ける者だ。

 強い責任が今、問われている。

 もし、基盤が無ければ。人は無秩序になっていくのだろう。デュラスは屹然と、国民の前に立っていた。

 戦わなければならない、国を守らなければならないのだ。

 ヒースと、その軍勢は此方側に迫っているだろう。

 ザルファもムシュフシュも置いてきた。そして、ヒースの兵団は化け物揃いだ。

 デュラスは思考する。そして、結論付けた。

「お前達、もしこの国に不満があるのならば。この国を今すぐ出ていくがいい」

 屹然とした口調で、彼女は告げる。

「愛国心の無い者達、無秩序を望む者達。お前達は病原菌でしかない。お前達は必要無い。お前達はお前達の国を作ればいいのでないか!」

 デュラスは叫んだ。

 そして、旗手を呼んで。ヴァーゲンの旗を掲げる。車輪のような形状の国旗だ。

 水車や風車を意識して作った紋章なのだろう。此処は、まず、農牧地帯が多かった。そこから国は徐々に発展していった。

 今や、全てが瓦解しようとしている。

 デュラスの胸には、怒りが滾っていた。

 何者かが、拳銃を取り出していた。

 鉛弾がデュラスの下へと向かっていく。

 彼女は自身の力のベクトルを別の方向へと向けていた。

 この国家全体に、自分の身を守護するための幸運を投げ捨てて。

 デュラスの額から、鮮血が零れ落ちた。彼女は地面へと倒れる。



 ヒースはヴァーゲンへと向かっていた。

 ヴァーゲンからやってきた兵隊の一部を捕まえて、自身の奴隷と化して動かしていた。

 兵隊達は頭に植物の蔓を埋め込まれて、装甲車を運転している。

 この力が全ての者達へ浸透していけばいい。

 やがて、ヴァーゲンへと彼女は辿り着いた。

 今度はこの国を支配下に置いてやろう、そう決意する。

 力を持て余し続けてきた、自分は支配者になるために生まれてきたのだ。そう確信している。万物の支配者にだ。

 彼女はテンパランス・リバースを限界まで引き出して、使おうとする。

 さかしまの調和。人間との関係と関係の構造が粉々に変形していく力。

 もはや、人間など存在しなくていい。みな、神話の神々のような存在へと変わっていくのだ。変質していく肉体の先に、大いなる調和が得られる筈だ。

 自分は間違っていない、自分の思想は正しい、ヒースはそう確信している。迷いなどあろう筈が無かった。

 ヒースは雄叫び声を上げていた。

 もはや、それは人の怒声なのか獣の咆哮なのか機械の金属音なのか分からなかった。

 彼女の全身から、様々な動物のパーツが出現しては、消えていく。

 彼女はこの大地に根を張ろうとする。大地と一体化しようと。



 ファンガスは国民達に対して、心の底から怒りを感じていた。

 もう、自分もどうなったって構わない。国家もどうなったって構わない。

 自分が心の支柱としていたデュラスが倒れた。

 こんな腐敗した国家に、一体、何の意味があるというのか。

 彼はバイオ・ファクトリーの胞子を街中へと振り撒いていく。国民に対する、彼の憎悪の鉄槌だ。何故、人々はこんなに浅はかなのか。信じるべきものは、国家なのだ。そればかりが、みなを守ってくれるというのに。

 彼が守りたかったもの。デュラスが守りたかったもの。

 このままでは、ヒースによって潰されていくだろう。ファンガスはただただ、怒り狂うしかなかった。

 街頭は一面、黄色く染め上げられていく。

 毒の胞子によって、次々と人々は倒れていく。

 辺り一面が、黄塵地帯へと変わっていく。

 自分をまるで制御出来なかった。

 実際、彼の力は強大だった。デュラスは彼を、軍隊の一個大隊よりも凶悪だと賛辞を贈っていた。それこそが、能力者だった。在り得ない力。



 デュラスの意識は朦朧としていた。

 酷く頭部が出血している。

 このまま、死んでいくのだろう。

 しかし、自身の力を解除するわけにはいかない。死ぬ、その瞬間まで、なすべき事があるのだから。

「もし、幸運が訪れるとすれば……。届く筈だ。何者かに。ヒースを殺せる者が来る筈。私にはどうにもならない。この世界に神はいるのか。私には……」

 デュラスは漆黒の宇宙に、何かを見た。

 それは、雲が裂けたかのようだった。

 自分自身の肉体が、生という重力の中から解放されていく感じ。ああ、人は必ず、この感触に出会うのだな、と思った。

 ふと、それは目の前に降り立った。まるで天空からの使者のようだ。

 それは、人では無かった。

 人ならざる者だった。

 そいつに出会った瞬間から、何かの歯車が狂い始めていた。

 まるで、崩落していくように状況が突き崩れていく。

 風が緩やかに流れている。

 まるで、他の者からは見えないかのように、そいつはデュラスの眼だけが認識しているかのようだった。

「また会ったな、デス・ウィング。どうした? コレクションは揃ったのか?」

「ええ、またお会いしましたね。デュラスさん。私は沢山、揃いましたよ。物語の舞台劇、とても楽しかったです。そろそろ幕を降ろしましょうか。私は冷戦状態の貴方達を見て、少し亀裂を入れてしまいたかった。ちょっとした悲劇作家のような気分なのですよ。とてもとても、楽しかったです」

 彼女は、結局。殆ど、何もしていない。

 何もしていないにも、関わらず。彼女がこの街にやってきてから、状況がどんどん変転していった。

 彼女が行った事、ほんの少しの些細な事だ。

 デュラスの心を揺さぶった、ただ、それだけだ。

 決断の瞬間。戦うべき事。

 しかし、デュラスは今の状態で、ヒースと戦う事を選んだ。

「お前は死神なのか?」

「さあ? 私自身、自分が何者なのか分かりません」

 もし、運命が変えられるのならば、変えてしまいたい。

「頼みがある」

「何とでも」

「ヒースを殺してくれ」

 女は楽しそうに笑った。

「報酬は?」

「死んだ者達の遺骸だが。全部、お前の好きなようにしていい。此処しばらく、この街をお前に預ける」

 デス・ウィングは笑った。

「そういえば。少し前に戴いた、拷問によって死んだ女の報酬は貴方の味方になる、という事でした。だから、私は貴方の役に立つつもりでいます。お守りしますよ、この国家を。国民達を。皆様の幸運と栄光を願って」

「ああ、すまない……」

 悔いというものは何なのだろうか。それは足を止めるものなのだろう。

 自分の最期、これで良かったと思っている。きっと、確かに使命は果たせたのだから。

 運命、幸運。それは、一体。何だったのだろうか。

 デュラスは深い眠りに付く。もう、目覚める必要など無い。



 ファンガスは、一通り、沢山の者達を殺害した後、宮殿へと戻る事にした。

 あのシャックスという男が気になっていた。もしかすると、彼ならば突破口を開けるのかもしれない。

 自分が求めていたもの、国家の守護者。そういったものが、自分の役割だと信じていた。

 牢獄の中で、着流しの男は一人、壁を眺め続けていた。

 彼の両目は空ろだ。何もかもを見据えているかのような。

「なあ、どうにかならないものなのか?」

 ガスマスクの男は訊ねる。

「どうにもならないな」

 シャックスは答える。

「そうだな。俺は及ばなかった。それだけの事なのだろう…………」

 ファンガスは彼に背を向ける。

 そして。

 牢獄の中へと、胞子の粉を撒いていく。

「お前はこの前、会った時から嫌いになった。お前は何と言うか、汚らわしい」

「俺はデュラスの影みたいなものだろう?」

「デュラス様は導きだった。けれども、もう何も無い…………」

「ああ、そうだ。お前の死の事だが……」

「聞いても意味が無い、此処でお別れだ」

 シャックスは眼を閉じる。覚悟の決意。

 宮殿が粉々になっていく。壁が崩れ、完全なまでに崩壊へと向かっていく。

 此処は跡地になるだろう。ファンガスは闇へと消えるつもりだ。

 この街は、ヒースによって占領されていくのだろうか、分からない。

 しかし、デュラス亡き今、一体、明日は何があるのだろうか。

 全ては虚無の淵へと落下していくかのようだった。

 腰元から、巨大な刃物を取り出す。

 そして、ファンガスはそれを自分の喉下へと突き立てた。真っ赤な鮮血が飛び散っていく。



 ヒースはヴァーゲンへと辿り着いた。

 途中、幾つもの部隊を編纂していた。

 新たなる栄光の始まりだ。

 これからは、この国が彼女の領土と化す。

「くくくっ、行くよ?」

 彼女は甲殻の肉体を変形させていく。

 そして、両眼を大きく開く。

 右手に、巨大な槍を手にしていた。

 彼女は進軍する、新たなる場所の支配へと。

 今度は、青い悪魔に対する対策も立てておかなければならない。

 この国家だけではなく、征服していく領土の拡大を。即座に推し進めていかなければならない。大地の全てを自分の物へと変えていく。それこそが、彼女が願っている事なのだから。

 幼い頃から、自分は化け物だと呼ばれて育った。ならば、みな、化け物になればいい、それが彼女の願いだった。

 この力は、世界を支配する為に神から与えられたものだ。今はそれを信じて疑わない。

 ヒースは、街に近付いて。ぽかん、とした眼をした。

 何か、大きなものが空に渦巻いている。

 それは、ぐるぐると回転しており。天空そのものを引き裂いていた。

「何? あれ?」

 ヒースは背中から、翼を生やした。

 そして、天空にあるものをじっと眺める。

 何か、強い違和感を感じた。それは、本能的に感じる、非常に抗いがたいもので。

 突然。

 ヒースの全身に、何かが撃ち込まれていた。

 それは、さながら雹のようなものだった。何か雨粒や粉雪の強いものにでも当たったのだろう。

そう思っていた。しかし。

 ヒースの身体の所々に、孔が開いている。

 それは、空間を貫いていくかのように次々と、ヒースの肉体へと撃ち込まれていく。

 彼女は一度、地面へと落下する。何をされているのか分からない。

 ヒースは、背後を見る。

 すると、彼女が作り上げてきた兵団達が、無残にも全身を切り刻まれて、殺されていた。

 青い悪魔の時と、同じよう。

 まるで、神から振るわれる無慈悲な暴力のように。どうしようもなく、理不尽で。

 自分という存在が余りにも、無力なものでしかないと思わされるもの。

 これは、二度目。…………そして、最後なのだろう。

 ヒースは全身を変形させていく。抵抗するのに、必死だ。

 しかし、彼女は抗う術が何も無かった。

 圧倒的なまでの、自然の驚異の前に敗北していく無力な人間そのもの。

 それが、今の自分ではないかと。

 ヒースは脳に幾つもの致命傷を受けていた。もう、どうにもならないくらいに深刻なダメージだ。

 この現象を引き起こしている相手は、まるで哀れな小動物でも弄ぶかのように。ヒースという存在を捻り潰していっている。

 


 白銀の絶景が広がっている。

 青い悪魔は、雪原の中、歩き出す。

 彼は傘を刺していた。

 周辺を、細かい刃の粒子が覆う事によって、自分の肌や服に豪雪が降り注ぐのを防いでいる。

「青い悪魔さん。どんな気分だった?」

 他人の死と呼ばれる存在は、彼に囁きかける。それは、呪いの言葉そのものだ。

 彼に対して、そいつは告げている。お前は存在自体が殺人でしかないのだと。

 しばらく歩くと。

 古びたニット服に、色褪せたマフラーを巻いた。ろくに手入れのされていない髪を靡かせている女に出会った。

 夥しい銀幕の下で、女はとても楽しそうな顔をしていた。

 それはぞっとするような、酷薄な笑みだった。

 まるで、世界の全てに意味なんて感じていないかのように。そして、あらゆる虚無を抱えている者達よりも。更なる深い深淵を心に抱えているかのようで。

「貴方が青い悪魔さんですね?」

 女は楽しそうに、彼に訊ねた。

 ブラッド・フォースは煙たそうな顔をする。

「貴方のコレクションが見てみたい。そして、一度。貴方と手合わせしてみようと思いまして。どうでしょうか? 貴方の力は、私の不死を終わらせる事が出来るのでしょうか? それはとてつもなく、興味深いのです」

 まるで、悪魔の囁きのように女は言う。

 実際、彼女は本当に、そのような概念に値するものなのだろう。

 この世界に墜とされて、この世界の価値をさかしまに見ている存在。

「グローリィは降りしきる雪の底へと沈んでいくのでしょうね。ヴァーゲンはどうなるのでしょうか? 来年の春くらいには持ち直していくのかもしれませんね。新たな秩序が生まれるのでしょう。体制はどのように移り変わっていくのでしょうか。他国との関係は? とても、興味深いです。でも、私の今、一番、興味がある事はそれじゃない」

 彼女は意味深に口上を述べていく。

「青い悪魔さんが、果たして。死が無い私を終わらせる事が出来るのだろうかと。そんな事を思い尽きましてね。どうでしょうか? 私が見てきたものは、いつも他人の死でしたから」

 口調こそおどけているが。彼女の眼は、真摯だった。

 彼女が視ている世界、彼女の価値観。

 それは限りの無い、何処までも悪意に満ち満ちた世界だ。

 デス・ウィングが見ている世界は。その全てが、人間の悪意によって形成されている。

 彼女はこの世界を弄びたいと思っている、それがどうしようもなく面白いのだから。

 デス・ウィングは不死だった。死ぬ事が出来ない。無意味にただ、生き続けている。

 彼女は自分の人生を終わらせられる存在を探している。

 その時までは、人々の闇を楽しみたいと思っている。それだけが生き甲斐なのだから。

 青い悪魔は立ち止まらない。自らの罪が重過ぎるから。

 どうしようもなく生きている事、自分の意識が存在しているという事実が辛過ぎて、心を何処かへと置き去りにしてしまったのだが。それでも、生きている。もう、それはどうしようも無い事なのだ。

「さて、私を殺して下さいよ。貴方は本当に、お強いんでしょう?」

「興味が無いよ」

「そうですか。では、此方から始めようと思います」

 デス・ウィングはブラッド・フォースに告げる。

 二人は、それぞれ二つの国を蹂躙して、崩壊へと追い込んでいった。

 デス・ウィングは、悪意で。

 ブラッド・フォースは純然たる暴力で。

 二人は何故、誕生してしまったのか分からない。きっと、神の気まぐれのようなものなのだろう。この世界に存在してはならない力そのもの。

 彼らは、この世界に背いている。この世界にとって害以外の何物でもない。

 もし、天の国があるとするのならば。二人は、その扉を潜れないのだろう。

 二人は、この世界の理に背信し、ただ、存在している事そのものが、悪以外の何者でも無いのだろうから。


END


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