日常になりゆく日々
その日も、特に何事もなく平穏な朝を迎えた。此処に来て二週間目の朝だった。
小さく穏やかな村の性質のお蔭か、はたまた、もしかしたら自分の性格が変わったのかは正直私自身にも分からないけれど、元居た世界であんなに邪険に扱われていたのが嘘みたいに、私はすっかりこの村に馴染んでいた。
「じゃ~んけ~ん~ぽい!!」
・・・・・。
今更ながら、此処は日本ではない。多分。恐らく。
そう判断する理由は・・・まぁ、色々あるが、確固たるものとしては村人全員が「日本を知らない」事が一番に挙げられる。
だけど、その割には皆日本語だし、じゃんけんのやり方もその掛け声も同じ。
硬く握られた拳を見詰めながら、その矛盾について考える。少し前なら、そのまま丸一日をその思考に費やしてしまっていたところだが、此処最近で学んだことがあった。それは、考えても仕方のないこともあるということである。判断材料があまりにも少な過ぎる今、いくら考えたって憶測の域をでることはないのだから、こういう時は「今」を楽しむより他ない。
伸びやかに広げた手のひらを高らかと掲げながら、散り散りに駆け去っていく子供達。その後姿を見送りながら、妙な悟りを開きそうになっている自分に苦く笑った。
「おはよう御座います、勇者様。今日は何の遊びをしているんですか?」
振り返ると、低く作られた柵越しに、いつもの穏やかな笑顔があった。こんもりと服の入った洗濯籠を抱えた、長老の家の自称使用人である。私は柵の近くにある切り株に腰掛け、一つ欠伸をした。今日は少し眠い。
「おはよう、アスター。今はかくれんぼの真っ最中よ。残念ながら私は鬼だけどね。」
「ははっ、それは大変ですね。」
大変だとは微塵も思っていないであろう口調で言いながら、アスターは洗濯物を干し始める。
彼の日常は、一定のリズムを崩さない。朝起きてから、夜寝る時まで。前日と全く同じと言っていい程の、一日の過ごし方。
そんな彼の日常が大きくずれた日は、私の知っている限り二つ。私が初めて此処に来た時と、祭りが催された日だ。
あの祭りの日。途中行方を眩ましてから、その日アスターは戻って来なかった。放って置きなさいという長老の言葉にも耳を貸さずに、私は夜が明ける少し手前まで、彼の帰りを待っていた。しかし、結局その間彼が帰ってくることはなかった。
帰宅を確認できたのは、私が睡魔に負けてから三時間程後のこと。リビングにあるテーブルに突っ伏して寝てしまった私の耳に、小気味良い音が届いてからのことだった。
音に反応して寝ぼけ眼で辺りを見渡した時、いつの間にか掛けられていた毛布と台所に立って野菜を切っているアスターの姿に、勢いよく立ち上がり過ぎて椅子を倒してしまったことは、既にいい思い出である。
「勇者様ーーーーーもういいかいまだぁーーー!?」
「あ、やば。もーいーかーい?」
「もーいーよー!!」
かくれんぼの最中だったことをうっかり忘れていた私は、鬼としての役目を果たすべく立ち上がった。振り返ると、アスターが洗濯物片手に微笑んでいる。
「いってらっしゃい。」
「・・・いってきます。」
元居た世界では言わないことが当たり前になっていたせいで、未だ不恰好な返事になってしまう。そのことに少し申し訳ない気持ちになりながら、すっかり姿の見えなくなった子供達を探しに、駆け出した。
「あれ?勇者様でねぇかい。そんな慌ててどないしべさ?」
少し行ったところで出会ったのは、農夫のマフロンさん。この村の殆どの人が標準語だというのに、何故か強烈な訛りをもって話す人だ。
「マフロンさん、おはようございます。今子供達とかくれんぼ中で、私が鬼なんです。」
「ああ、おはよう。んだべかー、そらぁ大変なこったなぁ。んじゃ、帰りにオラんとこの畑さ寄りな。人参掘っといてやっから、持ってってアスターに美味いもん作ってもらいな。」
「えっ、いいんですか?」
「いいのいいのー。美味いもん食ったら疲れも吹っ飛んじまうからな、思いっきり子供達と遊んでやってくんろ。」
日に焼けた顔に満面の笑みを浮かべるマフロンさん。一昨日にも林檎を頂いたばかりなのだが、ここで断るのは返って失礼にあたる気がして、その好意に甘えることにした。
お礼の言葉とお辞儀を一つして、私は再び走り出す。子供が隠れられそうな場所を探りながら、今日晩御飯に並ぶであろう人参料理に想いを馳せる。アスターの料理の腕は天下一品だ。それに加えて、食材が掘りたて新鮮とくれば、もう楽しみじゃない筈がない。
「しかし・・・あの子達どこに隠れたんだ?」
水瓶の裏や、木の上なんかも探してみたが、中々見つからない。この村の子供達は遊びのプロである。侮ってはいけないことは、初めて遊んだ時に学習済みである。それでも、ここまで手を焼かされると、子供相手に全く歯が立たない自分が情けなくなってくるのであった。
「つーか、いくらなんでも見つからなさ過ぎでしょ。」
そこで疑念が生まれる。このかくれんぼには、家の中には隠れてはいけないというルールがある。
もし、そのルールが破られているとしたら・・・。
「恐らくこの家だな。」
庭の手入れの行き届いた、煙突つきの一軒の家。その煙突からは、何か焼いているのか、甘く香ばしい匂いを纏った煙が細く上がっている。
私は、呼び鈴を鳴らした。
「はぁーい。」
「こんにちは、メルシーさん。」
フワフワした笑顔で出迎えてくれたのは、お人形さんみたな格好をした女性・・・もとい、男性である。日焼けしたがたいのいい身体に、ピンクと白のレースが眩しい。無駄に。本人はメルシーと名乗っているし、村の人達もそう呼ぶので私もそれに倣うしかないのだが、はっきり言って違和感が半端じゃない。
そんな彼女・・・彼の趣味は裁縫とお菓子作りである。
「ああーんら~。こんにちは、勇者様!どうなさいましたの?」
「あの、こちらに子供達がお邪魔してないかなと思って・・・。」
「はいはい!子供達なら居りますわよ。少々お待ちに・・・そうだわ、勇者様も召し上がって行きます?」
「え?何をですか?」
「いやん、それは・・・ひ、み、つ!」
軽く神経を逆撫でされつつ、ぶりぶりと歩くメルシーさんの後をついて行く。
秘密と言われはしたが、それが甘いお菓子であることは、煙突の煙から推理済みである。だからこそ、その甘い匂いに釣られて、子供達がかくれんぼを放棄して此処にやって来たのではないかと思ったのだ。
「皆もうティータイムを楽しんでおいでよ?」
「ティータイム?」
「えぇ。勇者様もどうかお掛けになって。美味しい紅茶をお淹れしますわ。」
そんな会話をしながら連れて来られた場所に、子供達は居た。案の定というべきか、なんというか。
呆れる私の姿に気付き、子供達は悪意のない笑顔で手招きをする。これは何を言ってもきっと無駄なのだろう。
諦めて、大人しく席に着く私の袖を一人の子供が引っ張った。顔を向けると、眉を八の字に下げた少年が、窺うように此方を見ている。エルミンだ。彼は、村の子供達の中ではかなり大人しい性格の子である。
「ルール、破ってごめんなさい・・・。」
その表情と声音から、「怒ってる?」。そう聞きたいのだということが伝わってきて、私は頬を緩めた。
「子供ってのはお菓子の誘惑に負けちゃうくらいが丁度いいんだから、気にしなくていいんだよ。」
ポンポンと頭を撫でてやると、エルミンは安心した様に笑った。そうこうしているうちに私の目の前にも紅茶が用意され、皆でメルシーさんの手作りお菓子を頂くこととなる。
メルシーさんの家でのお茶会が終わった後、子供達はまだ遊び足りないと私に詰め寄ってきた。
しかし、そこで屈する様な私ではない。子供達が休憩している最中、さりげなく頂いてきた人参が、今か今かと美味しく調理される時を待っているのだ。そして、それを呑み込む予定の私のお腹もまた、その瞬間を待ち切れないと言わんばかりに、先程からグーグーと五月蝿い。
「いいから今日は皆お家に帰る!でないと、明日は遊んであげませんよ!」
「えー。」
「じゃあ、もう一つ付け加えます。私はお腹が空いて動く元気がありません!分かったらとっととお家に帰りなさい。」
グルルと唸り声を上げる勢いで言うと、子供達は渋々解散していった。
「ほいじゃ、帰りますかね。」
鼻歌混じりに帰途へと着けば、自分がこの世界の住人じゃない事など、忘れてしまうみたいだった。




