おとぎ話というもの
場面は飛んで、事務所とやら。車で二十分ぐらいのところだったんだけど、その間説明はなかったから省略。見ず知らずの人の車に乗るのはちょっと抵抗があったけど、ランが乗ってしまって降りなかったからしょうがない。警戒心の強いコーギーとしては珍しいことだ。
事務所は市役所に程近いビルの二階にあった。上へ続く階段の薄暗さに私は上るのを躊躇ったが、ここでもランはさっさか進んでいく、あぁもう行くしかないじゃないか。
二階の扉の前でランは待っていた。私の先を歩く彼に向かって、「早く開けてくれ」という顔をしている。
彼は何も言わずにドアを開けた。
「や、おかえり」
奥から声がした。部屋はワンフロアで、窓は奥の一面だけにある。だがその窓もブラインドで閉ざされている。壁一面の本棚にはびっしりと本やファイルが詰まっていた。中央に置かれた四つのデスクにも本や書類が山積みで、はっきり言って部屋は散らかっていた。
四つのデスクの奥、窓の前の席に座っている人物は言う。
「お疲れ様」
「お疲れ様、じゃねぇぞ吉良。まだあっちの仕事があったのに呼び出しやがって」
「えー、だって涼子ちゃんは出張だし、順平君は今日の授業は六時までだって言ってたしー。託馬君は一応もう終わってたでしょ?」
「ふざけんな。みんな帰ったからって俺らも帰れるわけじゃないんだよ」
彼はそう言って右の一番奥の席にどっかりと座った。
吉良と呼ばれた人物は入り口の方、私の顔を見てにこーっと笑った。
「大江高の子だね」
「なんで知ってるの?」
吉良さんはあれ、という顔をした。
「言ってないの?」
彼は顔を背けたまま応える。
「気付いてないようだったから」
「あー、君のその変身っぷりは軽くサギだもんねぇ」
「うるせぇ」
右も左も分からない赤子を放置しないで説明してくれないかな。
「えーっとね、僕は吉良俊。この事務所の所長をしている。そしてそっちは東條託馬。一応社員」
「芹沢あすかです。大江高の二年」
「あー二年生なんだー。そっかー。ねぇ、託馬君?」
「俺に振るな」
相変わらず不機嫌そうな声で東條さんは応える。
「それで、ここは何の事務所なんですか?」
なかなか進まない話に私はちょっぴりイラっとした。
「うーんと、君はお化けとか見たりするのかな?」
一瞬言葉に詰まった。そうなのだ。私は極稀に変なものを見る。それは人に在らざるもの。小さな頃から見えていた
けれど、それを指摘する度に人から変な目で見られるようになっていった。だから私はオカルト的な物事は信じない。認めない。
だけどここの人たちは、それが見えるというのだろうか。私は半信半疑ながら頷いた。
「ここで扱っているのはそういうものなんだ。ねぇ、あすかちゃんはおとぎ話ってどれくらい覚えている?」
唐突な質問に私は面食らった。
「おとぎ話、ですか。シンデレラとか人魚姫とか」
「うん、そう。桃太郎とか一寸法師とかも入るね。それってどれくらい覚えている?」
「どれくらいって言われても……」
「本読む子って今、減ってるらしいけど、絵本とか昔話になるとどれくらいなんだろうね?」
「……」
「まぁ読書週間とかやってるとこもあるけど、昔から語り継いできた話はたくさんの人の思いが詰まって形を成してきた。それが忘れ去られようとしている現代。彼らは阻止しに来た。実体化して、あちらの世界からこちらの世界に来るようになったんだ」
不思議現象を普通に話してる大人って何か異様じゃないだろうか。ここではそれが普通なのか?
「さっきみたいに小人が犬にいじめられるくらいならまだ可愛いものだけど、おとぎ話はそれだけじゃない。ドラゴンなんて出てくるものもある。そういったものがこの世で悪さをしないようにするのが僕たちの役目。本の中に戻すんだ」
そう言って吉良さんは笑顔を作った。あぁもう……。普通に話進めるんですね……。
「え、でも戻すってどうやって?」
「力が強い人は自分の力だけでできるんだけどね。託馬君とかそんなに力のない人は携帯を使ってる」
「ちょっと待ってください。おとぎ話ってなんかアナログなのに、なんでそこだけデジタル……?」
「そういうプログラムがあるんだよー。最近の技術はすごいでしょ?」
知らない間にオカルト系もデジタル化してたのか! さすが文明の利器!
「で、力のある人の話なんだけどね。そういう人たちって貴重なんだ。デジタルだとデータ転送とかに時間が掛かるし、何よりそっちよりずっと確実だ。それであすかちゃんの話になるんだけど」
「え?」
「さっき託馬君が御伽を戻すところを見たでしょ」
「はい」
「力がない人だったらそこで御伽の記憶がなくなるんだ」
「でも私、覚えてますよ?」
「うん、だからそう」
吉良さんは立ち上がって窓の方を向く。ブラインドは閉じたままだから景色は見えないと思うんですけど。何だか嫌な予感がする。そして勢いよく振り返ってこう言った。
「君には御伽使いとしての力がある。僕達に協力してくれ!」
いやだー!