「ここがあの女のハウスね!」婚約者の浮気相手の家に突撃する公爵令嬢
「ここがあの女のハウスね!」
秋口の冷え込み始めた夜。
王都の場末、いかにも新興の貧乏貴族が無理をして借りましたといった風情の小ぶりな屋敷の前に、一台の豪華な馬車が止まった。
馬車の扉が勢いよく開くと同時に、夜の静寂を切り裂くような高らかな声が響く。
豪奢なドレスの裾を翻して現れたのは、プラチナブロンドの髪を完璧な縦ロールに巻き上げた美貌の令嬢。
エヴァンス公爵家の令嬢であり、「氷の貴公子」と評されるルイン侯爵令息の婚約者――ラウラ・エヴァンスである。
彼女の瞳は怒りで燃えていた。
背後に控える初老の執事、セバスチャンが「お嬢様、少々お声が大きうございます」と嗜めるのも耳に入らない。
「ふん、セバス。これが怒らずにいられるもんですか! 王家の血筋を引く格式あるエヴァンス公爵家の令嬢たるこの私を差し置いて、あの不愛想な能面婚約者が、こんな安物のペンキが剥げかけた家に通い詰めているなんて! 今日という今日は、あのドロボウ猫の化けの皮を剥ぎ取ってやりますわ!」
ラウラが激怒するのも無理はなかった。
彼女の婚約者であるアルベルト・ルインが、最近になって急に夜会をサボるようになり、怪しく思ったラウラが私設の調査員を雇って調べさせたところ、衝撃の事実が発覚した。
婚約者であるアルベルトが、この春に地方から出てきたばかりの新興貴族、ミリア・エリオット男爵令嬢が借りている郊外の古びた借家に、連日のように夜な夜な通い詰めていたのだ。
巷で流行りの「真実の愛」だか「婚約破棄」だか知らないが、やられる前にやる。
それがエヴァンス公爵家の教育方針だった。
ラウラは怒濤の勢いで石畳を闊歩し、男爵令嬢の家のドアの前に立つと、ノック――というか、容赦なく殴りつけた。
ドン! ドン! ドン!
「開けなさい! エヴァンス公爵家が令嬢、ラウラですわ! 隠れてコソコソ不貞を働いているおバカさんたちはどこかしら!?」
夜中の住宅街に響き渡る公爵令嬢の怒声。
普通なら近所迷惑極まりないが、事前に近隣住民へは賄賂という名の根回しを済ませているため、苦情や邪魔が入る心配は一切ない。抜かりはないのである。
しばらくすると、内側からガチャリと鍵が開く音がした。
おずおずと開いた扉の隙間から顔を出したのは、栗色の髪を不格好にまとめた、いかにも地味で垢抜けない少女だった。
彼女こそが噂の男爵令嬢、ミリアである。
「ひゃいっ!? は、はい……ど、どなたでしょうか……?」
怯えたように震えるミリア。その姿は、いかにも「高慢な悪役令嬢にいじめられる、可憐で無辜なヒロイン」の構図そのものである。
だが、ラウラはそんなのお構いなしに扇子をパッと広げ、ミリアの鼻先に突きつけた。
「とぼけお顔はお止めなさいな、エリオット男爵令嬢! 私の婚約者、アルベルト・ルイン様はここにいらっしゃるのでしょう!? 夜な夜な男を連れ込んで、一体どんな破廉恥な真似をしていますの!? 公爵家の権力をもって、あなたなんて一瞬で市中引き回しの刑にして差し上げますわよ!」
「えっ、あ、アルベルト様……? は、はい、確かに奥にいらっしゃいますけど……あの、破廉恥というか……ええと、その……」
ミリアはどこか気まずそうにモジモジしている。
その態度が余計にラウラの逆鱗に触れた。
「やっぱり中にいるのね!? どきなさい!」
ラウラはミリアを押し退けるようにして、ズカズカと家の中へと踏み込んだ。
頭の中では、すでに修羅場のシミュレーションが完了していた。
『ベッドの上でのんきにいびきをかいている』か、あるいは『慌てて乱れた服を着直している』か。
どちらにせよ、アルベルトの顔面に平手打ちを食らわせ、その足で王宮へ向かい、婚約破棄と慰謝料の請求手続きを進めるつもりだった。
しかし。
廊下を突き抜け、一番奥にある明かりの漏れる部屋の扉をバァン!と蹴り開けたラウラは、その場で完全に硬直した。
「……は?」
ラウラの口から、およそ公爵令嬢らしからぬ間の抜けた声が漏れた。
部屋の中は、彼女が想像していたような破廉恥な雰囲気とは無縁な様相を呈していた。
そこは、床一面に敷き詰められた怪しげな魔法陣と、山積みにされた古文書、そして部屋の隅でボコボコと不気味な紫色の煙を立てている巨大な大釜がある、完全なる「マッドサイエンティストの実験室」だった。
そして、その大釜の前に立ち、ボロボロの白衣を着て、目の下にどす黒いクマを作りながら、狂ったように大きなヘラで中身をかき混ぜている男が一人。
「クハハハハ! 混ぜろ、もっと混ぜるんだ! 触媒の比率をあと零点零三パーセント下げれば、魔力伝導率が跳ね上がるはず……! ああ、クソッ、粘度が足りない! ミリア、例のトカゲの尻尾の粉末はどこだ!?」
「あ、アルベルト……様?」
ラウラは、変わり果てた婚約者の姿に唖然とした。
王都の令嬢たちが「氷の貴公子」と呼び、その冷徹な美貌とスマートな立ち振る舞いに黄色い悲鳴を上げていた、あのアルベルト・ルイン。
それが今や、髪はボサボサ、服は汚れ、目が完全に血走っている。
アルベルトは入り口の方を振り返り、ラウラの姿を認めると、驚く風でもなく、ただ煩わしそうに前髪をかき上げた。
「……なんだ、ラウラか。騒々しいな。今、歴史的な大発見の瀬戸際なんだ。邪魔をするなら帰ってくれ」
「帰ってくれ、ですって……!? ちょっと、アルベルト様! 説明しなさいな! あなた、連日この女の家に通い詰めて、浮気……をしているんじゃなくて……一体何をしてらっしゃいますの!?」
ラウラが叫ぶと、後ろから追いついてきたミリアが、恐縮しながら手を挙げた。
「あの、エヴァンス様……誤解です。アルベルト様は、私の家で『錬金術の共同研究』をしておられるだけなんです……」
「れんきんじゅつ……?」
ラウラはパチパチと瞬きをした。
「そうだよ、ラウラ」
アルベルトはヘラを置くと、ふんぞり返って自慢げに胸を張った。
「ミリアの実家であるエリオット男爵家は、地方の超マイナーな錬金術の家系でね。彼女自身、とんでもないレアスキル【超高純度抽出】を持っているんだ。だが、王都の学会は頭の固い老人ばかりで、彼女の革新的な理論を『女の妄想』だと切り捨てた。だから、僕が個人的にパトロンとなり、ここで夜を徹して研究を重ねていたのさ!」
「は、はあ……?」
「聞いて驚くなよ! 僕たちが今作っているのは、従来の三倍の効能を持ちながら、製造コストを十分の一に抑えた『新型の万能治癒ポーション』だ! これが完成すれば、我が国の医療はひっくり返る。戦地の兵士も、貧民街の病人も、誰もが安価に命を救われるようになるんだ!」
アルベルトは熱弁を振るい、怪しげな大釜を愛おしそうに見つめた。
ミリアも「はい! アルベルト様の魔力制御の理論がなければ、私のスキルも暴走するばかりでした。アルベルト様は、私の才能を認めてくださった、世界で唯一の素晴らしいお方なんです!」と、目を輝かせている。
その二人の姿を見て、ラウラは悟った。
(……こいつら、色恋なんて眼中にない……! ただの重度の『研究オタク』ですわ……!!)
男女の淫らな空気など、この部屋には存在していなかった。
あるのは、徹夜明けの学生のような、泥臭い熱気と異様な執念だけである。
しかし、ラウラは納得がいかなかった。
「だとしてもですわ! なぜそれを私に隠す必要がありましたの!? 私に内緒で他の令嬢の家に通い詰めていたら、誰だって浮気を疑いますわよ!」
ラウラの正論に対し、アルベルトはふっと鼻で笑った。
「ふん。君に話したところで、どうせ『まあ、汚らしい。そんな泥臭い研究なんてお止めになって、私との観劇の予定を優先してくださいな』と一蹴するに決まっているだろう? 君はいつも完璧で、華やかで、高貴だ。だけど、僕のこの『泥臭い夢』には、少しも興味を持ってくれないじゃないか」
「っ……!」
ラウラは言葉に詰まった。
確かに、もし事前に「錬金術の実験をするから夜会を休む」と言われていたら、自分はアルベルトを鼻で笑い、公爵令嬢としての面目を優先させて無理矢理にでも夜会へ連れ出していただろう。
アルベルトは、ラウラのそういう「完璧主義」を嫌って、あえて秘密にしていたのだ。
静まり返る部屋。大釜のボコボコという音だけが響く。
ミリアはオロオロと二人を見比べ、消え入るような声で言った。
「あの……私のせいで、お二人の仲にヒビが入るくらいなら、私は研究をやめます。アルベルト様、エヴァンス様のもとへお戻りください……」
健気な男爵令嬢の発言。
お決まりの定番パターンなら、ここでアルベルトが「いや、悪いのは僕だ! ミリア、君を一人にはしない!」と叫び、ラウラが悪役として完全に排除される流れである。
だが、ラウラ・エヴァンスは、普通の令嬢ではなかった。ついでに言うと、アルベルトも色恋の「い」の字も解さない朴念仁だった。
彼女は、ただの高慢な貴族ではない。エヴァンス公爵家という巨大なブランド力を持つ王国内でも指折りの「大商会」を裏で牛耳る、超現実主義のガチガチのビジネスウーマンなのだ。
ラウラは、すっと目を細めた。
彼女の脳内で、アルベルトの言葉が高速でリフレインされる。
『従来の三倍の効能』『製造コストは十分の一』『医療がひっくり返る』――。
(……ちょっと待ちなさい。それ、とんでもない巨万の富を生み出すビジネスチャンスなんじゃないかしら?)
ラウラの目が、先ほどまでとは別の意味でキラリと輝いた。
彼女はゆっくりと大釜に近づき、中を覗き込んだ。そして、傍らに置かれていた研究ノートをひったくる。
「ちょ、ちょっと何をするんだラウラ! それは機密――」
「黙っててアホベルト」
「アホベルト!?」
ラウラは目にも留まらぬ速さでノートの数式と理論を読み解いていく。公爵家の令嬢として幼少期から鍛え上げられた彼女の数字の処理能力は、並の学者を凌駕していた。
「……なるほど。ミリアさんの【超高純度抽出】で原材料の不純物を極限まで削ぎ落とし、そこにアルベルト様の精密な魔力制御で安定化させる。理論としては完璧ですわ。だけど、あなたたち、決定的な致命欠陥に気づいていませんの?」
ラウラの冷徹な指摘に、アルベルトとミリアが顔を見合わせた。
「け、欠陥だって? バカを言うな、僕たちの計算は完璧だ!」
「計算は完璧でも、社会の仕組みが分かっていませんわ。あなたたち、この『新型ポーション』が完成したとして、どうやって流通させるつもり? 既存の『宮廷魔導師ギルド』や『大薬師組合』の利権をナメてはいけませんわよ。彼らは自分たちの利権を守るために、こんな画期的な新商品、全力で圧力をかけて握りつぶしに来ますわ」
「あ……」
アルベルトが息を呑んだ。研究に没頭するあまり、政治や流通の壁について全く考えていなかったのだ。
「さらに言えば、このボロ屋敷の設備は何ですの? こんな粗悪な大釜と、ハエが飛びそうな狭い部屋で量産できるとでも? 原材料の仕入れルートは? 品質管理は? 誰がその資金を出すんですの? アルベルト様の個人財産では到底賄えませんよね?」
ラウラの容赦ない現実の弾丸が、オタク二人の胸に突き刺さる。
ミリアは完全に涙目になり、アルベルトもガタガタと震え出した。
「う、うう……。じゃあ、僕たちの研究は、完成しても日の目を見ないというのか……」
絶望に暮れる二人。その時、ラウラはパシッと扇子を閉じ、不敵な笑みを浮かべた。
「だからこそ――この私の出番なんですわ!」
「えっ?」
ラウラはドレスのポケットから、エヴァンス公爵家の印章が押された最高級の羊皮紙を取り出し、机の上に叩きつけた。
「我がエヴァンス公爵家が、この『新型ポーションプロジェクト』の全面的なパトロンになりますわ! 開発資金は全額出資。王都の北部に、最新鋭の設備を整えた専用の『錬金研究所』を建設して差し上げます! もちろん、原材料の独占仕入れルートの確保、および薬師組合への根回しと流通網の構築は、我が公爵家の商会がすべて一手に引き受けますわ!」
部屋の中に、ラウラの力強い声が響き渡った。
アルベルトとミリアは、ぽかんと口を開けて彼女を見つめている。
「ラ、ラウラ……? 君、怒っているんじゃ……」
「怒っていますわよ! 婚約者がこんな寝不足のボロ雑巾みたいな顔をして、内緒でコソコソ大事業を始めようとしていたんですもの! 水臭いですわ! なぜ最初にこの私に投資の話を持ってきませんの! 利益の配分は、エヴァンス公爵家が六割、ルイン侯爵家(アルベルト様)が三割、そして技術提供のミリアさんが一割。これでどうかしら!?」
「い、一割もいただけるんですか!?」
ミリアが飛び上がった。新興の貧乏貴族にとって、エヴァンス公爵家の商会が関わる大事業の一割の利益など、一生遊んで暮らせるどころかお釣りが来るレベルの巨額である。
「当然ですわ。あなたのそのスキルは、それだけの価値がある投資対象ですもの。……どうかしら、ミリアさん。あなたを侮辱した学会の老人たちに、エヴァンス公爵家の財力と、あなたの技術で、見返してやりたくはありませんこと?」
ラウラが美しく微笑みながら手を差し伸べると、ミリアの瞳にじわじわと感動の涙が浮かんだ。
「はい……! はいっ、エヴァンス様! 私、一生あなたについていきます!!」
ミリアはアルベルトのことなど完全に忘れ、ラウラの手に飛びついた。
「まぁまぁ、ミリアさん、お顔が汚れていてよ? セバス、彼女に最高級のハンカチを」と、ラウラはすでにミリアを完全に手懐けている。
置いてけぼりにされたアルベルトは、呆然としながら呟いた。
「あの……僕の立場は?」
「あなたには、これから死ぬ気で働いてもらいますわ、アルベルト様。私の婚約者として恥じないよう、世界をひっくり返す大発明を成し遂げていただきます。デートの時間は週に一回、お茶会での進捗報告会議で手を打ちましょう。異論はありませんわね?」
「ひ、一言もございません……」
完全にラウラの覇気に呑まれたアルベルトは、直立不動で敬礼した。
◇
数ヶ月後。
王都は、エヴァンス公爵家より発表された新型万能薬『エヴァンス・リリー・ポーション』の旋風に沸いていた。
安価で高品質なその薬は瞬く間に国中に広がり、王室からも絶賛され、エヴァンス公爵家とルイン侯爵家、そしてエリオット男爵家には莫大な富と名声が転がり込んだ。
ミリアを「無能」と切り捨てた学会の老人たちは、今やエヴァンス公爵家に連なる商会に門前払いされ、ミリアの足元に跪いて共同研究を乞うているという。
そして、王都の最高級一等地。
新設された巨大な「エヴァンス・ルイン錬金中央研究所」の最上階。
ふかふかのソファに腰掛け、最高級の紅茶を嗜むラウラのもとに、ノックの音が響いた。
「ラウラ様! 新型ポーションの第二段階の実験、成功しました!」
嬉しそうに駆け込んできたのは、すっかり洗練されて美しい高級ドレスを身にまとったミリアだ。彼女は今や、研究所のチーフとして、ラウラの右腕となっていた。
「まぁ、素晴らしいわミリア。これでさらに利益が跳ね上がりますわね」
その後ろから、やはり白衣を着た(ただし今度は仕立ての良い高級品だ)アルベルトが、苦笑しながら入ってきた。
「ラウラ、君は本当に容赦ないな。おかげで毎日大忙しだ。……でも、ありがとう。君が僕たちの『夢』を、一番最高の形で叶えてくれた」
少し照れくさそうに微笑むアルベルト。その瞳には、かつてのような無関心さはなく、ラウラへの深い尊敬と、確かな愛情が宿っていた。
ラウラはパッと扇子を広げ、傲然と、しかし愛おしそうに婚約者を見上げた。
「当然ですわ。私はエヴァンス公爵家の令嬢。私の婚約者も、私の見込んだ技術も、すべて世界一にしてみせますわ!」
※この作品はaiちゃんとの共同作品です。




