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第二十五話 過去の逃避行からの、今


 泣いていた椿だったが、しばらくして落ち着いた。


「ごめんなさい……私」


「いいのよ。気にしなくていいの」


 ポンポンと椿の肩を優しく叩いて由香里は微笑んだ。


「泣けるってことは、安心できたってことだから。ずっと肩の力が抜けなくて、しんどかったんじゃない?」


「……そう、かもしれないです」



 椿の言葉にうなずいて由香里は、自分のカップを「よいしょ」と手元に持ってくる。


「うふふ。私も随分と行儀悪くなっちゃったわ。実家にいたままだったらお嫁にいけないって怒られてたわねえ」


「……由香里さんって」


 楽しそうに笑う由香里の横顔を見つめ、椿は気づけば口を開いていた。


「もしかして、どこかのご令嬢だったりしますか?」


 振る舞いや所作に、どこか上品さを感じるのだ。椿が見ても、嫌味のない洗練された立ち居振る舞いは、恐らく長い時間をかけて身に着けたもの。


 一見雑に見える振る舞いにも嫌味がない。椿の確信に近い指摘に対して、由香里は頷いた。


「そうね。椿ちゃんの家ほどじゃないけど、そこそこ立派な家だったみたいよ」


「……旦那さんも?」


「勇さんは違うわ。ご両親が早くにご病気で亡くなってしまって、おばあさまに育ててもらったそうよ」


 由香里はフルーツティを一口飲む。


「この家は、おばあさまと過ごしたお家に似てたんですって。だから、ここに決めていいかっていうから。私は勇さんと一緒ならこだわりは無かったらいいわよって」


「……よくご実家が、結婚を許しましたね」


「許してないわよ」


「え」


 椿が固まる。由香里は、いたずらが成功した子どものような笑みを浮かべる。


「許してもらえなかったから、逃げてきたの。二人で」


「……え、え」


「駆け落ちってやつね。いやあ、若かったわ」


 楽しそうに笑って由香里はキッチンの戸棚の方へ視線を向ける。


「話なんか聞いてくれなくてね。私の父も。いくら優秀でも庶民は、なんて言うから頭来ちゃって。勇さんに泣きついたら、じゃあ、一緒に遠くに行ってみようかって」


 思い出しているのか由香里の頬が赤い。


「二人とも計画性なしよ。勇さんは銀行の預金全部下ろしてきてね」


「私は、父の部屋から、何か持っていけるものはないかしらと探って玄武が入ってた箱を抱えてね」


「え」


 まさかの話に椿は頭が回らない。


「お父様の書斎に大事そうに飾ってたから売ればお金になるかと思ったら、あの子だったのよ。どうも売り出す予定の試作型子守ロボットだったみたい」


 由香里はフルーツティを、再度飲む。


「まあ、今にして思えばよかったわ。持ってきて。樹のいい話相手になってくれたし。私と勇さんは、クリニックを何とか開いたは良いけど、借金もしたし働かないといけなかったから」


「玄武がいたから、樹はまだ寂しくなかったと思うわ」


 由香里は椿を見つめる。


「ね、こんな無計画なことしても人生なんとかなるのよ。だから、椿ちゃんは、あんまり気にしないほうがいいわ」


「……でも、私。樹君のこと、利用してるんじゃないかってずっと不安で」


「あら、いいじゃない」


 由香里は明るい声で椿に返す。


「人はね、一人ぼっちで生きていけるほど器用じゃないのよ。絶対、誰かに依存して生きているの」


「私だって、勇さんによりかかって生きてるわ。でもね、勇さんも私に寄りかかって生きてる。それでいいの」


 由香里はカップを置いて椿の手を取る。由香里の手は、温かくて椿の強張っていた体から緊張が解けていった。


「貴方は利用してるっていうけど、樹だってそうよ。あなたというパートナーに助けてもらって学校生活を送ってるわけでしょ? お互い様よ」


「……いいんでしょうか」


「いいのよ。それじゃあ、考えてみて」


 由香里が椿の顔を覗き込むように顔を寄せてくる。


「貴方のことを、樹以外の人が助けてたら、ここまで悩んだ?」


「え……」


「例えば、九条くん? だったかしら。彼だったら?」


 由香里に問われて椿は、想像してみる。あの魔力暴走の中、九条が――


「……多分、九条様は、そんな不確実で危険な真似はされないと思います」


「あら、冷静」


「でも、はい。そうでした」


 椿は、思い出す。誰もかれもが椿の力の暴走を遠巻きに見て、逃げていく中、樹だけが駆けつけてくれた。


「……私は、彼のそんな強くて優しいところが、好きです」


 椿の言葉に由香里は嬉しそうにほほ笑んだ。


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