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第二十三話 定まらない心


 翌朝。

 椿は、鼻をくすぐるにおいで目が覚めた。


「……?」


 客間として貸し出された和室でふかふかの布団に横になった椿は、昨日はあっという間に眠りについてしまった。


 枕元に置いたスマートフォンを見ると、時間は六時半だった。眠い目をこすりながら、椿が体を起こし、持ってきていた着替えを身に着ける。その際、昨日着ていた椿の洋服が洗濯されて畳まれていたことに気づく。


 手に取ると、柔軟剤の優しいにおいがした。なんだか、それが不思議と嬉しくて。じわりと浮かんでしまう涙を慌てて指でぬぐう。


 昨日の着替えをスーツケースに入れて、椿は和室の障子を開けた。


「あら、おはよう。もしかして起こしちゃったかしら?」


「おはようございます」


 椿が和室から出ると、においの正体に気づいた。由香里が小さく鼻歌を歌いながら味噌汁の鍋をお玉でかき混ぜていた。


「お味噌汁……」


「あはは、ごめんなさいね。昨日も飲んだのに。お父さんが、お味噌汁好きなのよ」


 由香里は火を止めて、椿へ向き直る。


「朝ごはん、しっかり食べるほう? 軽めがいいなら、シリアルで良ければあるわよ? それも重かったら、ヨーグルトとかどう?」


「寮では、しっかり食べていたので皆さんと同じで大丈夫です」


「そう? じゃあ、ご飯とお味噌汁、準備するわね」


 由香里は、炊飯器をあけて茶碗にご飯を盛り、お椀に味噌汁を注いだ。


「そうだ、これだけじゃ何だから卵焼き焼いてあげるわね」


 言うと小さな平たいフライパンを取り出して、手際よく宣言通り卵焼きを作り上げた。


「はい、どうぞ。うちの卵焼きは甘いけど」


「甘い卵焼き?」


 椿の記憶の中で卵焼きの味を思い出そうとするが、よく思い出せなかった。

 確かに、食べたことはある。けれど、その時の状況も味も記憶から抜け落ちている感覚だ。


「いただきます」


「どうぞ」


 由香里は次の準備を始める。そうこうしていると、樹と勇が降りてきた。


「ふああ……おはよ」


「おはよう、樹」


「おはようございます。先にいただいてます」


「ああ、おはよう。どうぞどうぞ」


 勇が由香里のついだ味噌汁の椀を取る。


「これは誰の?」


「誰のでもないわよ」


「じゃあ、樹に」


 勇が椀を樹の前に置く。その光景に、椿は目が離せなかった。


(うちではいつも、お父様が先で……私とお母さまは最後で)


 昨日も思っていたが、樹の家では子供が先なのだ。

 そっと椿は卵焼きを箸で一口大に割ってみる。割ったひとかけらを口に運ぶと、優しい甘みが舌に広がった。


「……おいしい」


「よかった。明日も作るわね」


 椿の呟きに由香里は、嬉しそうにほほ笑んだ。



 朝食の後、樹に声をかけられた。


「公園で軽くトレーニングするつもりだけど、椿さんどうする?」


「一緒に行っても、大丈夫?」


「うん」


 樹はジャージを着て、椿に合わせてゆっくり歩く。


「昔は、ラジオ体操しに行ってたけど今もしてるのかな」


「そうじゃのう」


「ラジオ体操……」


 朝のテレビで体操を流しているのは椿も知っていた。ただ、体操をしに行くとは何だろうか。


「公園でね、小学生の時は六時くらいに集まってみんなでラジオ聞きながら体操してたんだよ。終わったら、スタンプもらえてた」


「そういうのが、あったのね」


「今は、朝も暑いからなあ」


 それでも日が完全に顔を出していない時間の風はわずかに冷たい。その冷たさが、なんだか心地よかった。


 公園につくと樹は、雲梯に近づいて棒をつかむ。椿の見てる前で軽々と何往復もしていく。


「……疲れないの?」


「これくらいは、全然」


「騎士ってすごいわ」


 椿が感心していると、視線を感じた。公園の入り口の方からで椿が見ると小学生低学年くらいの少年、少女たちがこちらを見ている。


「あ、気づかれたぞ」


「きーちゃんが、うるさいからだろ」


 声が聞こえたのか、樹が雲梯から降りて子どもたちに近づいた。


「よう、朝から元気だな」


「樹にいちゃん。あの人、彼女?」


 子どもの何気ない質問に樹が固まる。椿にも勿論声は届いており、椿の頬も自然と熱くなる。


「え、ええと」


 番ではある。だが、それは恋人という関係なのか。


 樹は、即答できず固まったまま動けない。椿は、椿で赤くなったまま言葉を発せられない。


「あれだよ、これ。言わずともってやつ」


「そうだよなあ。だって普通、彼女じゃなかったらわざわざ一緒に帰ってこないよなあ」


 口々に感想を呟く子供たちに樹は大声を上げた。


「ええい、勝手なことをペラペラと!」


「樹にいちゃんが怒ったあ」


 きゃあきゃあと甲高い声を上げて子どもたちが公園内を走り回る。それを樹が追いかけまわし始めた。


「大人げないのう」


「玄武、どっちの味方だよ!」


 子どもたちを追いかけ回しながら樹が玄武に怒鳴っている。


「……恋人、か」


 椿は、自分の胸に手を当てた。


「……私は」


(樹くんのことが、本当に好き、なのかしら)


 石ノ霧町に来て二日目の朝、まだ結論は出ない。





 

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