お見合いの相手は、本当に私でお間違いありませんか?
ああ、まただ――
お見合い相手が部屋に入って私の顔を見た途端、『あれ?』という表情を浮かべるのだ。
今度こそはと思っていたのに、また同じパターンだったらしい。
「ディアナ・ハーヴィー嬢とのお見合いの部屋では?」
貴族倶楽部の個室を借りてのお見合いは、王都ではわりと一般的な方法だ。付き合いのある貴族同士なら家に呼んで顔合わせをすることもあるが、今回のように初めて会う相手なら貴族倶楽部の方が来客の準備などの手間も省ける。
「私はディアナ・ハーレーです」
「あっ、失礼しました」
「どうしたんだ。入らないのか」
「父上、ちょっとこちらへ」
そう言って貴族の令息は父親を連れて扉を閉め、扉の向こうからは何事か言い合いをしている声が聞こえた。
「お父様、きっとまた間違えられたのだわ」
「そうみたいだな。だからあれほど念を押したのに」
今日の見合い相手……某伯爵家からの打診があったとき、お父様は『うちはハーレー家です。お間違いありませんか?』と、返事をしたのだ。それで『間違いない』との返事と、今日のこの場所を指定された。それで来てみたらこれだ。きっとまた遠回しに断られるのだろう。
ドアがノックされ、先ほどの親子が一歩中に入ってくる。父親が目を泳がせながら、しどろもどろの言い訳を始めた。
「あー、申し訳ない。至急帰らなくてはならない用事ができてしまった。お越しいただいてなんだが、また日を改めてということで……」
「承知いたしました」
私は相手を責めたりすることもなく、頭を下げた。
ほらね。そして後日、『この話はなかったことに』って手紙が届くの。
予定より随分早く帰ってきた私達を見て、お母様もお兄様も眉を下げた。
「まさか、また間違えられたの?」
「ああ、おそらくそうだろう」
「なんて失礼な奴らだ! ディアナ、もう無理に結婚なんかしなくていい。ずっとここにいろ!」
「お兄様……そういうわけにはいかないわ」
私はお兄様に力なく笑うと、両親へお願いをした。
「お父様、お母様。私には心を通わせる方を見つけるのは無理なようです。もう政略結婚でもなんでも構わないので、お父様がお相手を選んでください」
「ディアナ……」
うちの両親は政略結婚ではなく、学生時代に出会って心を通わせ結婚をした。お互いに子爵家だったことで身分の差もなく話はトントン拍子に進み、今でも仲睦まじい夫婦なのだ。
それがあってか、私達兄妹にも「学生時代に心から愛する人を見つけて幸せになりなさい」と、政略結婚ではなく恋愛結婚を勧めた。
四歳上のお兄様は、運良く同級生の素敵な伯爵令嬢と出会い、婚約することができた。来月には、待望の結婚式を挙げることになっている。私にもとても良くしてくれる優しいお義姉様だ。
だからと言って、私がいつまでも実家に甘えて居座るわけにはいかない……
◇◇◇◇
私の学生時代は、不運だとしか言いようがない。
同じ学年に、同じディアナという名の美人として名高い伯爵令嬢がいたのだ。しかも紛らわしいことに、家名まで似ていた。ハーヴィーとハーレー、間違えるのも仕方がない。
「ディアナ嬢を呼んでくれないか?」
「はい、ディアナ嬢! お客様だよ」
入学早々、教室には『ディアナ嬢』に会いに来る令息が引きも切らない。だけど、私が顔を見せると『えっ、君が?』という顔をされる。なんなら声にも出ていた。
「ディアナ・ハーヴィー様でしたら、お隣のクラスですよ。私はディアナ・ハーレーです」
「そ、そうか。失礼する」
「お前、間違えんなよ。全然違うじゃないか」
そう、全然違うわよね。あちらは美しく波打った金髪にエメラルドグリーンの瞳、庇護欲をそそる小柄な体型。皆と同じ制服なのに、キラキラと輝く彼女はいつも華やかな令息達に囲まれていた。
一方私は、特筆するほどではない黒髪にヘーゼルの瞳、平凡な中肉中背で一度見たくらいでは覚えられない自信がある。
私も入学するまでは、そんなふうに卑屈に思ったことはなかった。両親や兄は『ディアナほどかわいい子はいない』と愛してくれたから。でもあれは身内の欲目だったのね。
『ディアナなら素敵な人がすぐに見つかるわ』と送り出してくれたけれど、入学後に残酷な現実に打ちのめされることになった。男の人が好きなのは私のような平凡な娘ではなく、ディアナ・ハーヴィー様のように美しく可憐な令嬢なのだ。
何度も間違えられるうちに、呼び出しに使われるクラスメイト達も、私に憐れみの目を向けるようになった。しかし、先輩から呼べと言われて『間違っていませんか』などと言えるはずもなく、申し訳なさそうに私に声を掛ける。みんなに変な気を使われて、私も段々と教室に居づらくなってしまった。
そんな状況でも、ディアナ・ハーヴィー様に『迷惑しています』なんて言うわけにもいかない。だってあちらは伯爵令嬢、私はしがない子爵家の娘だから。
そこで私が居場所を求めたのは、図書室だった。ここは誰が来ても放っておいてもらえる。それをいいことに、あらゆる本を読み漁った。
いつか嫁いだときに役に立てるようにと、領地経営に関する本や、農地改良に関する本、治水工事に関する本、各地域の特産品に関する本、たまに流行りの小説なども読んだ。本は私に新しい世界を見せてくれる。私はほとんど毎日、昼休みを図書室で過ごすようになっていた。
「その本、面白かった?」
「えっ?」
入学してから半年以上が過ぎたある日、いつものように図書室のカウンターで借りていた本を返却しようとしたとき、ふいに話しかけられ顔を上げた。
そこにはサラリとした銀髪を片方の耳に掛け、深い海のような青い瞳をした男性が座っていた。同じ制服を着ているから、司書ではなく図書委員だろう。いつも下を向いていた私は、図書委員の顔など意識して見たことがなかったから、こんなきれいな人がいたのかと今更ながらびっくりしてしまった。
「今日は、痩せた土地でも育つ作物の本を読んだんだね」
「え、ええ」
「君はいつも熱心に勉強しているけど、領地を継いだりするため?」
「い、いいえ。うちには兄がおりますから。でも、将来どこかへ嫁いだときに役に立てればと」
「そうか。いい心がけだ」
まさか、私のことを認識している人がいるとは思ってもみなかった。その日を境に、その図書委員とは時々言葉を交わすようになっていった。
「この小説、入ったばかりなんだけど面白かったから君にもお勧めするよ」
「ありがとうございます。では、これと一緒に貸出をお願いいたします」
一言二言、借りた本の感想を言う日もあった。名前もクラスも知らない図書委員とのたったそれだけのやり取りだけれど、学校で居場所のない私にとってはささやかな楽しみとなっていた。
もうすぐ一年生も終わりに近付いたある日のこと。図書室へ入るとカウンターの中に座るあの図書委員の前に、キラキラと輝く金髪の女子生徒が、カウンターにもたれるようにして話しかけているのが見えた。
――ディアナ・ハーヴィー様
彼女を見るとなぜか私の体は強張り、そこから動けなくなってしまった。彼女はコロコロと可愛らしい声で笑い、なにかしきりに話しかけているようだった。
その彼女がふとこちらに視線を向ける。私の姿を認めると、フッと片方の口角を上げたように見えたが、すぐにまたカウンターへ向き直り楽しげな声を上げ始めた。
また私の居場所がなくなってしまったような気がして、そのまま何も借りずに図書室を後にした。
それ以降も、図書室へ行くとかなりの確率でディアナ・ハーヴィー様を見かけるようになり、私は図書室への足が遠のいてしまった。
二年生に上がりしばらくして、ふと思いついて久しぶりに図書室へ行ってみることにした。恐る恐る入口から覗くと、ディアナ・ハーヴィー様の姿はなかったので、また落ち着いて本が読めるとホッとした気分になった。カウンターを見ると、あの図書委員ではない男子生徒が座っていた。きっと、今日は当番ではないのだろう……
それから数日続けて昼休みに通ったけれど、あの図書委員には遭遇しなかった。意を決して、眼鏡をかけた図書委員に話しかけてみた。
「あの、いつもここにいらした銀髪の図書委員さんは」
「あぁ、委員長? この春に卒業されたよ」
「そうですか……ありがとうございます」
あの人、三年生だったんだ。そっか、しばらく来ない間に卒業してしまったんだ。最後に、いろんな本をお勧めしてくれたお礼を言いたかったな。
もう彼に会えないと思うと、少し寂しい気持ちになった。彼にとっては、たくさんいる生徒のひとりでしかなかっただろうけど……私にとってはとても大切な時間だったそれを、心の宝箱にそっと入れ鍵を閉めた。
それから二年間はまた図書室に通い詰め、女子の中では一番の成績を修め学校を卒業した。
結局お父様やお母様が期待した、心を通わせる相手は見つけられなかった。
◇◇◇◇
十八歳になり学校も卒業した私は、晴れて新成人として社交界にデビューすることになった。といっても、同時にたくさんの貴族子女がデビューするので、私のような下級貴族の平凡な娘は注目されることもなく気が楽だ。お母様が張り切って支度を整えてくれたのに、若干申し訳ないけれども……
もちろん、この年の注目株はディアナ・ハーヴィー伯爵令嬢だ。彼女を遠巻きにしながらも、熱い視線を送る貴族達があちらこちらに見られた。
デビューの夜会では、他の貴族は新成人に話し掛けてはならないことになっている。なんでも過去に、デビューしたての右も左もわからない令嬢に不埒な行いをした輩がいて、それ以来デビューの日には話し掛けてはならないと決まったそうだ。
だから夜会が終わると、貴族の男性は目をつけた令嬢にお見合いの申込みを送るのだ。それこそ、ディアナ・ハーヴィー様のところには殺到しているに違いない。
大して目立たない私にも、何通か来たくらいだもの。
「ディアナを見初めるなんて、なかなか見る目があるな」
「あら、当たり前よ。うちのディアナは誰よりもかわいかったわ」
お父様とお母様は親バカな発言をしていたが、たぶん気のせいだと思う。無個性で埋没していた自信がある。
うちに届いたいくつかのお見合いの中から、お兄様の結婚準備で家族が王都にいる間に順番に受けることにした。
最初にお会いしたのは、ある侯爵家の嫡男だった。なんでこんな高位貴族からの申込みがあったのかさっぱりわからないけれど、失礼のないように身形を整えて、お見合い会場である貴族倶楽部へ父と共に向かった。
初めてのお見合いに、私は緊張していたと思う。私を見初めてくださったのはどんな男性なのだろう、初めてお会いしてちゃんと会話ができるだろうか、優しい方だったらいいな……そんなことを考えていると、扉をノックする音が響いた。父が返事をして立ち上がり待っていると、私より少し年上と思われる細身の男性が父親と入ってきて、怪訝な表情を浮かべた。
「失礼、こちらはディアナ・ハーヴィー嬢とのお見合い会場だと聞いているのだが、違ったかな」
あぁ……そのひと言で、私はすべてを理解した。また彼女と間違えられたのだ。学校さえ卒業してしまえば、彼女とは無関係になれると思っていたのに。
「うちの娘もディアナですが、ハーヴィーではなくハーレーですよ」
「そのようだね。ご足労いただいて申し訳ないが、どうやら人違いだったようだ」
「そんな……」
「申し訳ない、この話はなかったことに」
「え?」
「お父様、いいのです。侯爵様、御子息様、私達も失礼いたします」
私はなんとか笑顔を作り、何事もなかったかのように家路に就いた。
「何なんだあれは! 随分と失礼じゃないか!」
邸に帰った途端、お父様は怒りを爆発させた。私は慣れているけれど、お父様は初めてだものね。家族に、学生時代にあったことを話して聞かせた。
「ね、だからよくあることなのよ。名前が紛らわしいのだから仕方がないわ」
「しかし、言い方ってもんがあるだろう」
お父様はまだ怒りが冷めやらぬ様子で、お母様は悲しそうに眉を下げている。お兄様はため息をついて言った。
「きっと、貴族名鑑を見て早とちりしたんだな。ハーレーはハーヴィーより先に載っているから」
貴族名鑑には、国内の貴族の情報が家ごとに掲載されている。そして爵位順ではなく、アルファベット順に載っているのだ。なにせ、子爵家だけでも百を越えているのだ。その中で順番をつけると揉めるということで、公爵家も男爵家も爵位に関わらずごちゃ混ぜになっている。
ちょっと下まで確認すればハーヴィー家の情報が載っているのに、ハーレー家の項目に『ディアナ』と書いてあるのを見つけて、よく読みもしなかったのだろう。
「そんなことも確認しない家なんて、ろくな仕事はできないだろうな。縁を繋がなくて正解だ」
お兄様はそう言って、フンと横を向いた。格上の侯爵家に対して、随分な言い草だ。だけど、家族が私のために怒ってくれているとわかって、少し嬉しかった。
そして次に会った子爵家も、先日会った伯爵家もご存知の通りだ。さすがに三回も続けば、私も諦めるしかない。全部、私を見初めたのではなく、ディアナ・ハーヴィー様を見初めたものだったのだと。
最初から私を見てくれる人なんて、どこにもいない……
お父様に、うちのためになる政略結婚の相手を探してもらうようお願いしたら『そんなに焦らなくていいから、しばらくゆっくりしなさい』と言ってくれたので、お言葉に甘えて本を読んで過ごすことにした。
◇◇◇◇
デビューからひと月ほど経ったある日、またもお見合いの申込み状が届いた。もちろんお父様は、『うちはハーレー子爵家です。送り先はうちのディアナで間違いありませんか?』と返事をした。
すると相手からは『ディアナ・ハーレー子爵令嬢で間違いありません』との返事が届いた。しかも貴族倶楽部でのお見合いではなく、うちの邸まで来て家族にも挨拶がしたいという。
「お相手はどなたですか?」
「パトリック・ラウザー、ラウザー辺境伯家の嫡男だ」
「パトリック・ラウザー様……初めて聞くお名前だわ。お父様、辺境伯みたいな高位貴族から、私なんかにお見合いが来るはずがないと思うの」
辺境伯は名前は伯爵と付いているが、爵位としては侯爵相当の高位貴族だ。とてもじゃないが子爵家の娘である私とは釣り合わない。
「しかしなぁ……お前で間違いないと言われているし、格上の辺境伯家からの申し出を無下にはできんよ」
「そう、ですよね」
辺境伯様とご嫡男は、十日後に王都に出てくる予定があるという。それに合わせて伺いたいと言われ、断ることもできず渋々お受けすることにした。元々予定があって出てこられるのなら、『人違いのお見合いのために、はるばる辺境から出てきたというのか!』なんて怒鳴られることもないだろう。もうなるようになれと、やけっぱちの気分でその日を迎えることになった。
◇◇◇◇
「どうせ人違いなのだから、そんなに気合いを入れてお化粧をする必要はないわ」
「お嬢様、本当に人違いではない可能性もあります! 最善を尽くしましょう!」
なぜか気合十分の侍女に、朝から飾り立てられていた。これ、間違いだったら相当恥ずかしいわね。
「ディアナ、準備はできたかい? そろそろ時間だから玄関で待っていよう」
お兄様が部屋まで迎えに来てくれた。私はため息をひとつついて、玄関ホールで今日のお見合い相手を待つことにした。
「ラウザー辺境伯様。遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました」
「初めまして、ハーレー子爵。急なお願いを聞いてくださって感謝する。これがうちの息子のパトリックだ」
大柄なラウザー辺境伯の後ろから現れた人は、私を見てハッとした表情を浮かべた。やっぱり……私じゃなかったみたい。私の視線は足元へと落ちていった。
その時、予想外の言葉が聞こえてきた。
「やあ、久しぶり。僕のこと覚えてる?」
「えっ?」
あの人、久しぶりって言ったわ。すぐに『人違いだ』って言われると思ったのに、踵を返すこともなくフフッと楽しそうな声で笑っている。私はもう一度視線を上げて、今日のお見合い相手をちゃんと目に入れた。
「あなたは! 図書委員の!」
「よかった! 一瞬、忘れられてるかと思ったよ」
見慣れた制服姿ではなく、貴公子然とした服装でそこに立っていたのは、心の奥底に閉じ込めたはずの美しいあの人だった。また会えて嬉しいと思うと同時に、なんでうちに? という疑問が湧いてきた。
もしかして……人違いだったのに下手に顔見知りだったから、言い出しにくくなってしまったのかしら。
「ディアナ、なにを呆けているんだ。おふたりを応接室にご案内して」
「あっ、申し訳ありません。どうぞこちらへ」
応接室に入ると、私が口出しする間もなく大人達の間で話は進んでいく。どうしよう……本当に話を進めて大丈夫なのかしら。彼も辺境伯様に『間違いでした』って言えないのじゃないかと、心配になった。
「いやあ、本人同士が旧知の仲なら安心だ。このお話、進めてもいいなディアナ?」
「えっ、ああ、ええ」
彼……パトリック・ラウザー様の方を見ると、図書室のカウンターにいた時と同じように静かに微笑んでいた。
怒涛のお見合いは終わり、気付けば私はパトリック・ラウザー辺境伯令息の婚約者となっていた。本当に? 夢ではないのかしら。
後から『やっぱり、人違いの君とは結婚できない』とか言われる可能性だってゼロではないわ。あまり浮かれないように気を付けないと。
しかし、予想外のスピードで話は進んでいった。お兄様の結婚式に出席したあと、婚約中に辺境伯家のしきたりを覚えるためパトリック様と一緒にラウザー領へ行くこと。結婚式は半年後、そのためのドレスを王都のお店で発注したり、辺境へ持って行く荷物を仕分けたりとバタバタと毎日が過ぎていき、肝心の『本当に私で間違いないのか』と聞く機会を逃してしまっていた。
王都は社交シーズンに入り、毎夜のようにどこかで夜会が開かれていた。辺境伯様は仕事のため先に領地へ戻られ、パトリック様が名代として夜会などに出られるという。
元々王都での仕事のために来られていたパトリック様は、昼間は忙しくされていた。それにも関わらず、マメにお手紙を送ってくださった。
『次の王城での夜会に、僕の婚約者として一緒に出席してほしい』
そんなメッセージと共に、プレゼントの箱が届けられた。
「まあ、素敵なドレス……」
「辺境伯家のお色ですね。きっとお嬢様にお似合いですよ」
侍女が箱を開けると、中に入っていたのは深い海のような青いドレス。裾には銀糸で刺繍が施されていた。彼の髪と瞳の色だ。そんな意味深なドレスを、本当に私が着てもいいのかしら。
しかし夜会は二日後、ゆっくり話す間もなくその日が来てしまった。
「ディアナ嬢、お迎えに上がった」
「ラウザー様、今夜はよろしくお願いいたします」
正装をしたパトリック様は、いつもにも増して眩しく美しかった。私は贈られた青いドレスを纏い、パトリック様にエスコートされラウザー辺境伯家の馬車へと乗り込んだ。
「そのドレス、凄く君に似合ってる。きれいな黒髪にピッタリだ」
「あの、こんな素敵なドレスを贈ってくださって、ありがとうございます」
「いや、時間がなくて既製品で申し訳ない。あのドレスショップで刺繍を入れてもらったんだ」
ドレス自体は既製品だが、私のためにサイズを調整し刺繍を入れてくれたという。ウエディングドレスを発注するときにサイズを測ったので、同じ店で買ってくれたのだそう。
そんな話をしているうちに、王城へ馬車がたどり着いた。パトリック様のエスコートで会場へと進む。夜会に出るのは、デビューの日以来だ。まさか二回目で婚約者にエスコートされて出席するとは思ってもみなかった。本当に、婚約者なんだよね。いいのかな、隣りにいるのが私で……
不安な気持ちを抱えながらホールに入ると、早速パトリック様のお知り合いが近付いてくる。
「パトリック、久しぶりだな。お前噂になってたよ、あのディアナ嬢とお見合いをするんだって?」
「もうしたんだよ。彼女が僕の婚約者ディアナ・ハーレー嬢だ」
「えっ、あれ? それは、おめでとう?」
パトリック様の友人は、不思議そうな顔で去っていった。その後も何人か挨拶したけれど、一様に不思議そうな顔で私を見ていた。
「ごめんね。僕が友人に話したのが勝手に噂になって広がったみたいだ」
「そ、そうなんですね?」
なんだか釈然としないまま返事をしたとき、後ろから『パトリックさま!』という、聞き覚えのある可愛らしい声が彼の名を呼んだ。
「君は……」
「お久しぶりです。私、約束を守ってあなたからの申込みをずっと待っていたのに、すぐに来てくれないなんて酷いですわ」
まるで隣りにいる私が目に入っていないような態度で、拗ねてみせる顔も庇護欲をそそる。その令嬢は――ディアナ・ハーヴィー様。
私が居場所を見つけると、どこからともなく現れて攫っていく人。もしかして、今回もまた?
彼女は私がいたことにやっと気付いたような素振りで、言葉を投げた。
「あぁ、あなた……私と同じディアナという名前の方だったかしら? あなたに間違ってお見合いを申し込んだって方が、私のところに何人もいらっしゃったわ。もしかして、パトリック様も間違えてこの方のところに行かれたの?」
ディアナ・ハーヴィー様の少し高めの声は、ホールによく響いた。人の目のあるところで、なによりパトリック様の前で、この令嬢と間違われていることを暴露され居たたまれない。
「パトリック様、卒業するときにお手紙をくださったじゃありませんか。君が卒業したら会いに行くから、待っててくれって。ほら、大事に持っておりましたのに」
ディアナ・ハーヴィー様が取り出した封筒の裏には、ラウザー辺境伯家の家紋の封蝋が押され、近頃見慣れてきたパトリック様のサインが書かれていた。あぁ、やっぱり。私とお見合いしたのは間違いだったんだ。
「ごめんなさいっ!」
「あっ、ディアナ嬢! どこに行くんだ!」
私はこれ以上パトリック様の隣りにいることができず、中庭へ続く回廊へと走った。恥ずかしかった。なにより、私のせいでパトリック様に恥をかかせてしまったのが申し訳なかった。
パトリック様の声を背中に聞きながら、涙を堪え人目を避けるように逃げ出した。
◇◇◇◇
「待ってくれ、ディアナ! くそっ、なぜその手紙を君が持っているんだ!」
「あら、図書委員から私宛だと渡されたんですのよ」
吐き出すように言うパトリックに、ディアナ・ハーヴィーはヒラヒラと封筒を振った。
「表をよく見ろ! 宛名は『ディアナ・ハーレー嬢へ』と書かれているはずだ!」
「あら、パトリック様がうっかり綴りを間違えたのかと思っておりました。でも大して問題はありませんわ。ずっと好きだった私に、結婚を申し込んでくださるんでしょう?」
「そんなわけないだろう! その宛名の通りディアナ・ハーレー嬢に申し込んだんだ! 手紙は返してもらおう!」
パトリックはディアナ・ハーヴィーの手から、本来なら婚約者になった女性が持っているはずの手紙を奪い取った。
「なぜです? みんな美しい私に申し込みたがるのに。あの子は『間違えた方』ですのよ」
「なんだと……僕にとってのディアナは、彼女だけだ。彼女は賢く、勤勉でいつも努力をしていた。僕は、男にチヤホヤされて着飾るしか能のない中身が空っぽの妻などいらない。彼女のように、一緒に領地を守ってくれる女性がいいんだ」
「な、なんですって!? あ、あんな地味な子のどこが――」
「それ以上口を開いたら許さない。ラウザー家からハーヴィー家へ抗議をさせてもらう」
「なっ!」
パトリックはその美しい顔で氷点下まで下がった視線を投げつけ、愛しい婚約者の後を追った。
その場に残されたディアナ・ハーヴィーは、周囲からの冷ややかな視線を浴びながらぷるぷると震えていたが、慰めに駆け寄る者は誰もいなかった。
◇◇◇◇
「うぅっ、ひっく、」
「ディアナ!」
「パ、パトリックさま……」
中庭のガゼボまで無我夢中で走り、ベンチに座り込んだ途端に涙がこぼれ落ちた。一度溢れ出だした涙は止められず、みっともない姿を誰にも見られないよう隠れていたのに……
「ごめんなさい、お見合いの時から人違いだとわかっていたのに。あなたに聞くのが怖かった」
「人違いなんかじゃない! 僕は君に、ディアナ・ハーレー嬢に申し込んだんだ」
「でも、卒業前に彼女と結婚のお約束をしていらしたんでしょう?」
「違う! それも行き違いがあったんだ!」
「それは、どういうことですか?」
パトリック様は私の隣に腰掛けると、先ほどまでディアナ・ハーヴィー様が持っていた手紙を見せてくれた。
「ほら、ここをよく見て」
「ディアナ……ハーレー。もしかして、私に?」
「そうだ。これは君宛の手紙だったんだ。卒業を間近にして、君に気持ちを伝えておきたかったんだ。ずっと、好きだったと」
「うそ……」
「嘘じゃない。なのに、ある日突然君が図書室に来なくなってしまった。しばらくして気付いたんだ。あの女がカウンターに押し掛けて来るようになってから、君の姿を見ていないって」
「そう、ですね……なんだか行きづらくなってしまって。彼女と間違われることが多かったものですから」
私は俯いて、あの頃のことを思い出していた。間違われることも辛かったけれど、なによりあの図書委員さん……パトリック様に、彼女と比べられてしまうのが怖かった。
私との些細な関係など、ディアナ・ハーヴィー様の存在がすぐに塗り替えてしまうだろうって。
「くそっ、あの女のせいで。本など一冊も読まないくせに、毎日ベタベタと纏わりつかれて迷惑していた」
「そ、そうなんですか? あんなにおきれいなのに」
「興味のない女の見た目など、どうでもいい。僕は、君と本の話をするのが楽しみだった。そのために、当番がない日もあそこに座っていたくらいだ」
「ええっ!?」
「君が凛として本を読む姿を美しいと思っていた。この先もずっと見ていたいと思うくらいに。だからどうしても会いたくて、君の教室にも行ったんだよ」
「どうして私のクラスを知っているんですか!」
「僕は図書委員だよ? 貸出カードを見れば、クラスと名前はわかるよ」
たしかに。いつも『君』と呼ばれていたから、私の名前など知らないんだと思っていた。だけど、何も知らないのは私の方だけだった。
「卒業式の前日まで探したけれど、結局会えないままになってしまった」
「す、すみません。私、ラウザー様のお名前も学年も知りませんでしたので。卒業されたのを知ったのも、しばらく経ってからでした」
「そうか……それと、そのラウザー様っていうのやめない? 君もラウザーになるんだし、パトリックと呼んでほしいな」
「えっと、パトリック様」
「うん、それでいい。続きを話すよ。卒業式では在校生に会えないから、最後の日に図書委員の後輩に手紙を預けたんだ。いつも図書室に来ていた、一年生のディアナ・ハーレー嬢に渡してくれって」
「もらって……ませんね」
なぜかその手紙を、ディアナ・ハーヴィー様が持っていたみたいだし。
「ハァ……僕がもっと詳しく、君の容姿なども伝えておくべきだった。先ほどディアナ・ハーヴィー嬢は、図書委員から手紙を受け取ったと言っていた。おそらく、後輩は『よく来ていた一年生のディアナ嬢』と聞いて、彼女のことだと勘違いしたんじゃないかと」
「あっ、たしかに。卒業間近の時期に入り浸っていましたね。反対に私は行っていなかった」
元々名前もそっくりで間違われやすかったのだ。図書委員が勘違いしても仕方がないわ。
「僕は手紙に君への気持ちと『ディアナ嬢が卒業したら会いに行くから、待っていてくれ』と書いていたんだ。ほら、ここに」
パトリック様は封筒から手紙を取り出すと、トントンと指で示した。たしかにそう書いてある。他にも、『君をずっと見ていた』とか『好きだ』とか……本当だったんだ。私は一気に顔に熱が集まってくるのを感じた。
「てっきり伝わっていると思っていたんだ。だからこの二年間は、辺境の仕事を覚えるのを必死に頑張っていた。君を迎えに行くために」
「そうだったんですね」
「なのに、君の家に結婚の申込みの手紙を送ったら『本当にうちの娘で間違いないですか』なんて手紙が返ってくるし。君に嫌われてるのかと思ったよ」
「ちがっ! 私、パトリック様が辺境伯家の方だと知りませんでしたし!」
「そうだったね。この手紙を読んでいないんだから、知ってるはずがなかった」
パトリック様は悔しそうに手紙を見つめた。
「ねえ、この手紙はケチがついてしまったからもう一度書き直すよ。今度こそもらってくれる?」
「はい、嬉しいです」
「それと、改めて君に求婚するよ。君がずっと好きだった。僕と結婚してください」
「はい……私もあなたが好きです。学生の頃から、ずっと」
「ディアナ……」
パトリック様は私の肩を抱くと、そっと優しい口づけをくれた。
「あの、ひとつお聞きしたいことがあって」
「なんだい? ディアナ」
いつの間にか呼び捨てになったパトリック様は、甘い笑みを浮かべて私の顔を覗き込んだ。
「うちにお見合いに来られたとき、私を見て驚いたような顔をされていましたよね? てっきり人違いに気付かれたのだと思っていたのですが……」
「えっ、違うよ。二年ぶりに会った君が、大人びた化粧をして前よりずっときれいになってたからびっくりしたんだ」
「えぇっ!?」
「だから、なにがなんでも今日中に結婚の話をまとめなくちゃって焦ったよ」
「そんな心配いらないのに」
私は慣れない褒め言葉に、恥ずかしくなって下を向いた。
「ディアナ、ホールに戻ろうよ」
「でも、あんな騒ぎを起こしてしまいましたし」
「だからだよ。ちゃんと君の名誉を回復しなくちゃ」
パトリック様はそう言うと、私の手を取ってガゼボから連れ出した。
ホールに戻ってからは、パトリック様の独壇場だった。知り合いに会うたびに、私のことを『世界一優しくてかわいい婚約者』だの、『努力家で博識』だの、聞いている人が引くほど惚気まくった。それを王族の前でもやってのけたので、私は顔を真っ赤にして俯くしかなかった。
だけどそのおかげか、私のディアナ・ハーレーという名前は社交界でも『あの辺境伯子息をべた惚れさせた才女』として広まることになった。
――もう、私をディアナ・ハーヴィー様と間違う人はいない。
王都にいるのもあと少し、パトリック様は仕事をこなす合間にも私のために時間を作ってくださった。『辺境ではあまり観られないから』とお芝居に連れて行ってくれたり、一緒に本屋さんに行ってお互いにプレゼントする本を選んだり。少しずつ少しずつ、学生時代を取り戻すように仲を深めていった。
◇◇◇◇
お兄様達の結婚式も無事に終わり、パトリック様と私は辺境伯家の馬車で領地へと向かっていた。
「どうしたんですか? そんなにニヤニヤされて」
「ん〜? いや、君が僕の前にお見合いした男どもが、見る目のない馬鹿で良かったなぁって」
「ば、馬鹿?」
パトリック様は時々、その美しい顔に似合わない乱暴な言葉を使うようになった。もしかしたら、こちらが彼の素の姿なのかもしれない。書き直された手紙はあんなに甘々だったのに、ギャップが凄いわ。
「だって、僕が辺境から出てくるのが遅かったら、君は別の男と結婚していたかもしれないだろう?」
「そ、そんなことはないですよ。実際、お見合いになる前にお断りされたようなものだし」
「うん、だから馬鹿でよかった〜と思って。僕ならたとえ人違いでも、君に会ったら好きになっていたからね」
「まあ!」
「ふふっ、本当だよ。間に合ってよかった。ディアナ、愛してる」
「私も、愛しています」
パトリック様は私をギュッと抱きしめて、また幸せそうに笑った。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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