表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/4

1.夜に選ばれた者

王都は、別の世界だった。


石畳を踏みしめるたび、フィリオス・リーヴェンは自分の足音がやけに大きく聞こえる気がして、思わず肩をすくめた。

その音はすぐに、馬車の車輪が転がる硬い音や、金属が擦れる音にかき消される。


見上げれば、空を遮るほど高くそびえる建物。

行き交う人々は、人間だけではない。

獣人、エルフ、ドワーフ、翼を持つ種族まで――

田舎村では見たこともない存在が、当たり前の顔で肩を並べている。


聞き取れない言語の笑い声が、耳を打つ。

誰もが忙しなく、目的を持って歩いていた。


――場違いだ。


喉が鳴る。

肩に掛けた鞄は、何度も繕った跡が残っている。

この街では、すぐに分かる。

自分が、よそ者だということが。


それでも足を止めなかった。

立ち止まった瞬間に、ここまで来た理由ごと崩れてしまいそうだったからだ。


やがて、ひときわ目を引く建物が視界に入る。

夜の城――そう形容するほかない外観だった。白と金を基調とした巨大な建築は、王都の中でも異質な存在感を放ち、入口には燦然と輝く看板が掲げられている。


CLUB (クラブ )ELYSIUM(エリュシオン)


王都No.1ホストクラブ。


噂でしか聞いたことのない場所が、今、目の前にあった。


「……っ」


思わず唾を飲み込む。


帰りたい、という感情が一瞬だけ胸をよぎる。だが、それを振り払うように、フィリオスは扉に手をかけた。


重厚な扉が、音もなく開く。


その瞬間、外の世界が切り離された。


王都の喧騒は、背後で途切れる。

代わりに鼻をくすぐるのは、微かに甘い香り。

酒と香水、それに――夜の匂い。


中は、想像を遥かに超えていた。


城だった。

豪奢な装飾、天井から垂れ下がるシャンデリア、

磨き上げられた床。

恐ろしい数の卓が整然と並び、

それぞれが一つの舞台のように設えられている。


だが、誰もいない。


笑い声も、音楽もない。

あるのは、静けさと、見えない圧だけだった。


磨かれた床に、自分の影が映る。

場違いな影だと、はっきり分かる。


――踏み込んでいい場所なのか。


そう迷った瞬間だった。


「お客様……では無さそうだな」


低く、よく通る声。


振り返った先に立っていたのは、一人の獣人だった。黒いスーツに身を包み、鋭い金色の瞳を持つ狼人。佇んでいるだけで、周囲の空気が張り詰める。


圧倒的なオーラ。


「なんだ、お前は?」


「め、面接できました! フィリオス・リーヴェンです!」


勢いで名乗ると、狼人は鼻で笑った。


その視線が、頭から足先まで、舐め回すようにフィリオスを測る。価値を量るような目だった。


「……ふん」


興味を失ったように踵を返す。


「こっちに来い」


「あ、は、はい!」


逆らうという選択肢は、最初からなかった。


案内されるまま、店の奥へと進む。進めば進むほど、空間は広がり、装飾はさらに豪奢になっていく。

これが、王都No.1――現実を突きつけるような光景だった。


やがて、一つの扉の前で足が止まる。


狼人が扉を開いた。


「入れ」


「は、はい」


一歩踏み入れた瞬間、フィリオスは息を呑んだ。


空気が違う。


先ほどまでの店内ですら静寂に満ちていたはずなのに、

この部屋は、さらに一段深い場所にあった。

音が、完全に沈んでいる。


宝石のように光を反射する装飾。

壁に施された精緻な彫刻。

足元の絨毯は柔らかく、踏みしめても音を立てなかった。


――触れてはいけない。


直感的に、そう思った。

ここは、寛ぐための部屋ではない。

選ばれた者だけが、座ることを許される場所だ。


「座れ。ここはVIPルームだ」


低い声が、空気を切る。


「汚すことは許さん」


それは忠告ではなく、事実の通達だった。


「わ、分かりました……」


恐る恐るソファに腰を下ろす。

柔らかいはずの座面が、なぜか落ち着かなかった。

身体が沈む感覚が、逆に逃げ場を奪ってくる。


この部屋は――

人を甘やかすために作られていない。


対面に狼人も座った。


「それでは面接を始める」


狼人は、淡々と言葉を続けた。


「俺はフェンリル・ヴェイン。

CLUB ELYSIUM 内勤統括、

並びに人事責任者を任されている」


名乗りは簡潔だった。

だが、その肩書きだけで十分だった。


――この男が、選ぶ側だ。


「お前は何をしに、ここに来た?」


その問いを合図に、フィリオスの脳裏に――故郷の村の光景が、鮮明に蘇った。



故郷の村は、いつからか「耐える場所」になっていた。


フィリオスの記憶にある限り、村は決して豊かではなかったが、笑い声が消えることはなかった。畑は痩せていても、収穫のたびに皆で集まり、少ない作物を分け合っていた。


だが、ある年を境に、それが崩れた。


交易路が変わり、行商人が寄らなくなった。魔物の出没が増え、畑を守るために男手が取られるようになった。重なるように税が引き上げられ、村の倉庫は目に見えて空になっていった。


 

大人たちは言った。


「今は耐える時期だ」

「嵐が過ぎるのを待つしかない」


その言葉は優しく、そして残酷だった。


待っていれば、良くなる。

そう信じるしかなかったからだ。


フィリオスは、会議の端に座っていた。輪の中には入れても、意見を求められることはない。


半エルフ。


エルフでも、人間でもない存在。

誰も差別はしなかった。むしろ、優しかった。


だからこそ、フィリオスは分かっていた。


自分は「残る側」ではない。


力仕事は人間の若者が担い、交渉や判断は年長者が行う。エルフの知恵は尊重され、人間の行動力は頼られる。


そのどちらにも、フィリオスの席はなかった。


「お前は若いから」

「無理しなくていい」

「そのうち、道が見つかる」


その言葉が、胸を締めつけた。


――その“道”は、村の中にはない。


気づいたのは、ある夜だった。


倉庫の奥で、大人たちが金の話をしていた。

声は低く、苛立ちを孕んでいた。


「これ以上は払えない」


「だが、払わなければ村が消される」


金袋が卓に置かれる音。

その瞬間、空気が変わった。


普段は穏やかな人が声を荒げ、互いを睨み合う。

誰もが正しく、誰もが追い詰められていた。


フィリオスは、その場に立ち尽くしていた。


金があるだけで、人はこんな顔になるのか。

金がなければ、人はここまで追い込まれるのか。


結局、その夜、村の一人が出ていった。

金を稼ぐために。


戻ってきたのは、ずっと後だった。

笑顔を失った顔で。


その時、フィリオスは思ってしまった。


――こんなものがなければ。


金なんて、なければいい。


だが同時に、分かってもいた。

金がなければ、村は救われない。

矛盾だらけの現実が、胸の奥で絡まり続けていた。


だから、噂を聞いた時、心が動いた。


王都で、ホストクラブが流行っている。


一晩で、金が数百万単位で動く世界。


最初は、笑い話だと思った。

だが、その言葉が頭から離れなかった。


話すことなら、できるかもしれない。

力も、知恵もない自分でも。


村を救えるのなら。

誰かが壊れる前に、戻せるのなら。

それが逃げだとしても、構わなかった。


誰も行けないのなら。

誰も選ばれないのなら。


――自分が行くしかない。


そう決めた日のことを、フィリオスははっきりと覚えている。


村の外れで、振り返った時の景色。

変わらない家々と、変われない自分。


勇気なんかじゃなかった。

正義でもなかった。


ただ、ここに居続けることが、

耐えられなくなっただけだ。


それでも――


村を救いたいという気持ちだけは、嘘じゃない。

フィリオス・リーヴェンは、そう信じていた。



回想が途切れ、フィリオスは顔を上げた。


喉が、からからだった。

それでも、言葉を飲み込むことはしなかった。


「僕は……!」


拳を、強く握りしめる。


「僕は、村を救うために、ここに来ました!」


声は震えていた。

だが、逃げなかった。


一瞬。


ヴェインの表情が、わずかに揺れた。

だが、それは感情ではない。

思考に切り替わっただけだ。


「……そうか」


短く、冷たい声。


「で、お前は何ができる?」


その問いは、優しくなかった。

確認でもなければ、期待でもない。


「この店に、どんなメリットをもたらす?」


フィリオスは、一瞬だけ視線を落とした。

だが、すぐに持ち上げる。


「……正直、未経験です。

ホストのことも、何も分かりません」


否定される覚悟は、できていた。


「ですが、村を救うためなら……

何だってします!」


「金は好きか?」


間髪入れずに、刃が飛んできた。


フィリオスは、考えなかった。

考えれば、濁ると分かっていたからだ。


「嫌いです。あんなものがあるから、村のみんなは苦労する。

 奪い合いが起きて、壊れて……そんなもの、好きになれません」


沈黙が、部屋を満たす。


ヴェインは、小さく息を吐いた。

その仕草は、失望ではない。

結論を出しただけだ。


「……そうか」


立ち上がる。


「不採用だ、村に帰れ。ここは、慈善事業じゃない」


「っ……! な、なんで!」


声が、裏返った。


「ここは金を稼ぎに来る場所だ」


ヴェインの声は、淡々としていた。


「金が嫌いな奴が、

居場所を得られると思うな」


一つ一つの言葉が、正しかった。


「お前の村の問題は金が原因かもしれん。

だが――救うのも、金だ」


「……っ」


フィリオスは、口を開いた。

だが、音は出なかった。


何を言えばいいのか、分からない。

否定できない。

間違っているとも言えない。


正しさが、

逃げ場を塞いでいた。


終わった。


そうフィリオスが思った瞬間。


ヴェインが踵を返し、扉に手をかける。その背中は、もうこちらを見ていない。判断は下された。覆ることはない。


――村に、帰る。


その言葉が、頭の中で鈍く響いた。


その時だった。


空気が、軋んだ。


香水とも酒とも違う、甘く、どこか鉄の匂いを含んだ気配が、部屋に滲み出す。


フィリオスの喉が、ひくりと鳴った。


ヴェインの指先が、扉に触れるより早く――


扉が、内側から開いた。

ヴェインの動きが、一瞬だけ止まる。


まず見えたのは、白い手だった。

血の気を感じさせない指が、ゆっくりと扉を押し広げる。


次に、艶やかな靴先。

床を踏んだはずなのに、音はほとんどしなかった。


胸が、詰まる。

理由は分からない。

ただ、本能が告げていた。


――違う。


この人は、ここにいる誰とも。


姿を現したのは、一人の魔族だった。


一目で“高価”と分かる服に身を包み、白い肌に覗く尖った牙。

吸血鬼――そう理解するより早く、その存在感が部屋を支配した。


圧ではない。

威圧でもない。

ただ、空間が従っている。


男は、フィリオスを見るなり、口元をわずかに緩めた。


「やぁ」


場違いなほど、軽い声だった。


「ハーフエルフの少年」


一拍。


「俺はセラフィス・ルージュ。

……君、なかなか面白そうじゃないか」


そう言うと、男――セラフィスは、ヴェインの横を素通りした。


断りも、遠慮もない。

それが当然であるかのように。


そして、フィリオスの前に腰を下ろす。

この部屋の主が、入れ替わった。


「は、初めまして……」


声が、かすれる。


「うん。で――結論から言おうか」


セラフィスは、楽しそうに言った。


「採用だよ」


「……え?」


一瞬、言葉の意味が理解できなかった。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


遅れて、ヴェインが声を上げる。


「彼は条件を満たしていません。金を嫌う人間を――」


「黙れ、ヴェイン」


低くもなく、強くもない声。


だが、その一言で、ヴェインは口を閉じた。

耳を伏せ、半歩下がる。


「ここは俺の店だ」


セラフィスは、視線も向けずに続ける。


「判断するのは、僕だよ」


そして、改めてフィリオスを見る。


「名前は?」


「ふ、フィリオス・リーヴェンです!」


「長いな」


即答だった。


「今日からこの店では――リーフ。それでいいね?」


「は、はい!」


「よし」


満足そうに、セラフィスは頷いた。


「……でも、本当に大丈夫なんですか?」


気づけば、そう口にしていた。

その問いに、セラフィスは一瞬だけ、困ったような顔をする。


「あぁ……そっか」


小さく、笑った。


「改めて名乗ろう」


ゆっくりと立ち上がり、背を向ける。


「僕はCLUB ELYSIUM代表取締役。

そして――この店のNo.1ホストだ」


「……っ!」


「大物とか思わなくていい」


振り返らずに、続ける。


「君を選んだのは、売れそうだからじゃない」


一拍。


「店が、面白くなりそうだからだよ」


扉へ向かいながら、最後に言った。


「さぁ、ついておいで。

君が立つ場所を、見せてあげる」


その背中を、フィリオス――リーフは、呆然と見つめていた。


こうして――


田舎村の半エルフ少年は、

王都No.1ホストクラブに迎え入れられた。

“異物”として。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ