3.空の味
歓声、足音、噂話、スマートフォンの通知。
全てが一挙に喧騒と呼ばれる世界で、あの雲等だけは静かだった。
夏空の旱天に浮かぶ積乱雲は風に従って動き、音を飲み込んで寂寞を造る。
人が音を美味しいと感じるのはこの故だと。
私はしばらくの間、音を不味いと思っていた。
古に見る音はとても食べたくなったのに、現在の物はどうにも吐き出したくなるほどの気味悪さがした。
根本は変わらない。だけども、蜜柑と檸檬じゃ全く異なる。
近頃それがやっと熟したのは、ふと昼の夏を見上げた瞬間からである。
春は春一番が鳴いている、梅雨は雨が降る、秋は秋風が冬を運び、運ばれた冬は雪を散らせる。
どの季節にも、空にはなにか色と音がある。水色と白色のコントラストを崩しながら。
昼の夏にはそれが無かった。どこを見上げても広がる黄金比の水色と白色は、何も無かった。
ぽっかりと、うちわに浴びる綿飴のの如く風に揺られる白色と共に、そこにはただただ音無しがあった。
それから、いつかはあの静けさが訪れるのだと考えると、何だか空が美味しくなった。
よく耳をすましてみれば、春一番も秋風も雪も、色を替えるだけでそこまでまずい物ではなかった。
__音があることには変わりないが__
地上は今日も喧騒の嵐が吹いている。人っ子一人残さず付けられた大音量のスピーカーを無視し、蓋し幸いと思って。彼等は新しい音を出す。
それは非常にまずいが、空だけでもこの世はつまらないものだ。