あの…… 隣はちょっと……
駅前の銭湯に自転車で。彼女を後ろに乗せ風を切る。
ははは……
ついつい調子に乗る。
まさか初日から銭湯に行くとはこれは前途多難だな。
さすがに混浴ではないので離れ離れ。
寂しいような苦しいようなそんな感じ。
バカみたいだろ俺?
銭湯は日曜とは言え人が少ない。
円安等の影響で燃料代も高騰。入浴料がそれに比例して上がっていく。
まだその段階で踏み止まるならいい方だ。値上げの影響で人が来なくなり廃業。
老舗の銭湯が次々と廃業に追い込まれていく。ここ数年で特に加速している。
この銭湯も例に漏れず人は僅か。
五十年以上続く老舗の銭湯だけに何とか頑張って欲しい。
後は体力が持つかどうか。
精神的肉体的な面と経済的体力が続くかどうかがポイント。
代々守って来た銭湯を次の世代に引き継ぐと言う店主の想いのみでどうにか。
その強い想いが砕かれたら最後。店を畳むことになるだろう。
そして貴重な憩い場を一つ失うことになる。
気分を変え中へ。
壁には立派な富士山と派手な花の絵がでかでかと描かれてる。
何年も前に描かれたのかタイルがところどころ剥げていて時代の流れを感じる。
湯船に浸かってるのが何人か。
ほとんどがお年寄りでしかも仲良く上がっていく。残るは二人。
ほぼ貸し切り状態の銭湯。
やはりまだ人が戻る気配はなさそうだ。
風呂に浸かる前に体を洗う。
洗い場は誰もおらず本当に貸し切り状態。
一番端に座りまずシャンプーから。
ガラガラ
ガラガラ
ほぼ一人だったところに客が入って来る。
「失礼。あなた初めて見る顔だね。もしかして観光客? 」
そう言って隣に座る男。
年齢不詳だが意外にも若い?
「あの…… 」
「どうしました? 」
「あの…… 」
「ああ可愛いですよね」
「あの…… 」
「あの見た目で歌手だそうで。しかも結構激しいらしいですね」
「あの…… 」
「あなたもファンですか? 実は私も何ですよ」
駄目だこれは。せっかく十台もあると言うのに隣?
せめて一個空けてくれたらいいんだけどな。
解放感がいいのにこのおじさんときたら何て迷惑なんだろう。
考えると言うことをしないのだろうか?
これでは解放感に浸るどころか閉塞感で息がつまりそうだ。
しかも訳の分からない話をして混乱させるし。
それからなぜか発言を遮って話を進めるからどうしようもない。
あのって誰だよ?
困った。本当に困った。
仕方なく頭と体を急いで洗い湯船に浸かる。
ふう気持ちいい。
「ねえ君どこに住んでるの? 」
おじさんはしつこく絡んでくる。
確かに人は少ないけどさ。初対面な上にこんな格好では逃げ場がない。
「はあ…… 隣町に」
「ああ近いんだ。だったらこの話聞いたことないか? 」
地元の噂話を始める。
まったく興味がないと言うのに。しかも要領を得ないから長いんだよね。
「面白いだろ? 」
「はあ…… 」
迷惑してるのが分からないのか?
ガラガラ
ガラガラ
「おう久しぶり」
「ああ一ヶ月ぶりか。元気してた? 」
常連さんが来てようやく解放される。
「ではこれで」
これ以上巻き込まれては面倒だ。
急いで風呂から上がる。
ふうそれにしても長かった。
何だよトナラ―って? オナラか? 幼稚な怪談話しやがって。
でも…… 明日も銭湯に行かなきゃならないし。
もう少し仲良くしておくべきだったかな。
さあ新居に戻るとしよう。
「トナラ―だってさ。聞いたことあるか? 」
彼女は首を振る。
「それがさあ。そいつかなり危ない奴なんだとさ。
毎日のように独り言。いつの間にか現れてすぐに姿を消す。
すぐに気づいたその人は当たりを見回したがどこにも見当たらないとさ」
これの何が怪談なのか分からない。
ただ存在感のない奴がいつの間にか忘れられてふざけてそう証言してるだけだろ。
いい大人がまるで子供みたいな幼稚な話を得意げに語るものだから呆れる。
「なあ聞いてる? 」
「ふふふ…… 」
だめだ。まるっきり相手にしてない。
これでは俺はあのおっさんみたいに絡んでる様にしか見えない。
こんなことで二人の関係に亀裂が入ったら後悔しても後悔しきれない。
つまらない話をするんじゃなかった。
仕方なく強引にキスしてごまかす。
この手は出来れば使いたくなかった。
続く