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コンビニ讃歌(番外編)

作者: Monokakikko


            君はひとりじゃない


寛大な心で


 彼には齢70を越えたばかりの父親がいる。

父とは、彼が30半ばになるまでほとんど交流がなかった。

もしかしたら父と息子というものは、世の人皆さんに共通で、

そういう傾向が強いのかもしれない。

何か共通の事でもないと、おのおののプライドや警戒心が互いの距離を遠くする。

彼はあるとき、思い切って踏み込んでみた。父を野球場に連れて行ったのだ。

父は球場に観に行く習慣がほとんどなかった。

知り合いから余ったチケットをもらったから観に行く、みたいな事でもない限り、

ほぼテレビ観戦で済ませてしまう。でも大の野球好きである事は知っていた。

当時、地元球団はとても強く、毎年のように上位球団と優勝を争っていた。

彼は自分で父の分のチケットも買い、現地で生で観戦するとより楽しいからと誘う。

父はあまり乗り気でなかったが、渋る父を連れ出し、その後2度、3度と続く。

 今や開幕戦という名目のもと、毎年春の恒例行事となっている。

桜の咲く3月の終わりから4月の初めにかけて、彼は必ず予定を合わせて実家に戻る。

勝敗表がまだ真っ白な状態で、ファンの膨らむ期待を受けながら、

球団側もいろいろとイベントやグッズなどを企画して、勝敗のみならず、

売り上げという面でも良い滑り出しを切ろうとしている時期。

わくわくしさせられる春。そんな機会を持つことで、

共通の話題がなく疎遠であった関係も、大幅に変わった。

勝とうが負けようが、もちろん地元チームが勝ったほうが良いのだが、

そんな時間を経た後に、一緒に酒を飲むのは楽しい。

お互いよく分からないという時間が長くても、野球があれば関係ないんだな。

父は現在、夫婦で二人暮らし、彼を含む4人の子供たちは既に実家から離れている。

母ももうすぐ70に届くが、二人ともそれより若く感じられるのは嬉しいことだ。



 on your imaginary forces work.

彼がこれから話すのは、一人のサッカー好きな青年の旅の様子。

この青年の行程を思い浮かべ、まさに勇者の旅を傍目観ている気になる。

どこか遠くのこと、あるいは今ここにないことを想像で補い、感じる。

話を聞いて、自分もその旅をしている気分になっても良いではないか。


 彼が子供の頃に夢中で読んだ本がある。「王たちの冠」という、

小説と言うよりは、小説とサイコロゲームが一体となった、

ノベルズゲームブックで、1から数百の番号が割り振られた場面で構成され、

最初と最後の番号以外は無作為に内容が収められており、読む側は

場面ごとの選択肢に従って、各番号を行ったり来たりと巡る旅をする。

勇者と言える主人公の冒険を、読むだけでなく、一緒になって進めるのだ。

こういうエンタメをインタラクティブ、双方向のメディアと言ったりする。

今やTVゲームやオンラインゲーム全盛だが、その奔り(はしり)と言える。


 今ここにないこと、できないこと、あの時できたこと、これからできること、

執筆や作詞、作曲、映画の製作、撮影も同じことではないか、と彼は思う。

彼が好きなシェイクスピア劇「ヘンリィ五世」の台詞をお借りして申せば、

Thus with imagined wing 、想像の翼に乗せて。

読者、聴衆、観客へ伝え届けるという事だ。


Gentry to hear,kindly to judge, 

our play.・・

どうか広い気持ちと寛大な心で、我々のお芝居を御覧頂けますよう・・・



                  ※



ワンダメトロポリターノへ行きます


 You’ll never walk alone.

「君、歩めども独りにあらず」、

もっとくだけて現代語にすれば、「君は歩んでも独りじゃない」といった感じだ。

これは、とあるサッカーチームの応援歌。

英国はプレミアリーグの名門、リヴァプールFCである。

本拠地はもちろんリヴァプール、あのビートルズの故郷としても有名な街。

 青年は今、大学四年生だ。

卒業後の進路を決める事には慎重なようで、まだまだコンビニで精力的に働いている。

「スペインへ、ワンダメトロポリターノへ行きます」、

青年がそう言っていた事を彼は覚えている。

リヴァプールの大ファンであるこの若者がスペインに行くという。なぜだろう。


 「これ、今日発売?」

年配の利用客が、吟味しているのは、競馬新聞。

優馬、勝馬、競週、競友、などいくつかあるが、

この人が示したのは競週だった。1部520円する。結構高い。

この店では毎週日曜日、競週を買ってゆく常連客がいるのだが、この人は別の人だ。

「えっと、そのはずですが」。青年も自信がない。

週末の競馬新聞を品出ししたことがないし、競馬をやったこともない。

「2月4日って書いてるよな、明日の新聞か」。

「いえ、今日の午後、出たもののはずなんですけど」。

「あ、そう」

そう言って、この方はしばらく黙って、新聞を眺める。

「ちょっと、またあとで来るから」そう言って年配男性は行ってしまった。


 次に来た人はカメラを持っていた。コンビニでも売っている

インスタントカメラのチェキや、あるいはデジカメでもなく、

立派な一眼レフ。会計に来て、コトンとレジ隅に置く。

どかっという置き方ではないものの結構な場所を取っている。

少し無遠慮にも思え、青年の眉にさーっと冷えた風が吹く。

邪魔ですとはもちろん言わない。

最初は何なのか分からなかった。

商品のお会計を進めるうち、唐突に話しかけてきた。

初めはどうでも良いひとり言だと、聞き流そうとした。

だが、聞いているうちに、

「間に合わなくてさー」、「あ、はい」

「ちょっと時間かけすぎたんだよねー」。「そうなんですね」。

「でもこの列車初めてだったんですよ」

ん、列車?はじめて?何のことだ?

「でもあまりこだわると失敗しちゃうなー」

あ、まさか、写真?。あ、そうか、カメラか。

その瞬間、この利用客に親しみがわく。

次に並ぶ利用客を気遣いつつも、ある程度話に付き合おうと思う。

「じゃ、ありがとございます」、

その人は話を引っ張りすぎず、切り上げて帰って行った。

ちゃんと後ろに並ぶ人のことも気にしていたのだ。

打ち込めること、夢中になれることがあるのは素晴らしい。

一瞬でも、邪魔なものを置くな、と感じた自分を恥じた。

そのカメラ、大事にしてください。頑張って下さい。

自分も頑張ろう、と青年は思った。


 気がつけば夜7:50分。ふう、この時を待っていた。

いよいよだ。過密スケジュールの幕が開こうとしている。

この青年の働く喜びはここにある。どんな感じかというと・・

今は2月中旬、金曜の夜8:00に仕事を終え、その足で空港に向かう。

それから英国へ13時間のフライト。夕方の空港に降り立ちそのまますぐ球場へ移動。

現地20:00からの試合を観戦し、終わるとすぐに次の土地へ、

翌日夕方の試合に備えて移動する。まるで君が選手か、と言いたくなるほどだ。

時差ぼけなんてお構いなし。若さがなせる業とも言えるが、好きだからこそできる事。

サッカーを通して、広い世界を知る。空路を行き、電車に乗り、バスに揺られる。

土地を歩き、友人と一緒ならタクシーも使う。現地を訪れてその雰囲気を五感で感じる。

 今回は英国のみにとどまらずスペインへも渡るそうだ。

ワンダメトロポリターノのあるマドリード、サンチェスピスファンのあるセビージャ、

世界各地のスタジアム巡りが楽しみの青年。今回もいつものように、知り合いのいる

リヴァプールを拠点にして、英国内およびスペインの各スタジアムを行き来する。

それを聞いた彼は思う、是非とも現地を故郷の如く感じてきてほしい、と。

その理由は彼が20代の頃にさかのぼる。



後悔しない人生


 20年ほど前、彼は自身初の海外旅行をし、ロンドンに5日ほど滞在した。

長い空路の後、待っている九時間の時差。体を馴染ませるのは楽ではないものだ。

その五日間を過ごすことで、ロンドンの住人になった気持を味わうつもりで臨んだ。

その頃は20代で、今では想像もつかないほど日本から出たいと思っていた彼。

帰りのヒースロー空港で、嫌だ、帰りたくない、と思ったほどである。

今思えば、治安の良さ、清潔さ、人の温かさ、など挙げればきりがないくらいの

母国の長所に気づけなかった若者。勉強不足だったと彼は今にして思う。

 旅の事で彼が後悔していることが一つあって、それは、そのとき現地で本場

のシェイクスピア劇を見て来なかった事だ。ローレンスオリヴィエの映画が好きで、

台詞を原文で覚えるほど心酔した彼は、本場の雰囲気を感じようと、イギリス旅行

を計画した。まる一日分に当たる空路の移動時間を含めた、3泊5日。旅行会社が

用意していたスケジュールを予約したのだが、ツアーのチームに入ると同じ日本人

に囲まれ日本語を話せてしまうため英語の鍛錬にならないし、また自分の眼で耳で

直接しっかり確かめ感じたいという想いから可能な限り一人で自由に動きたいと

思い、ツアー形式を避け、個人行動のできるプランにした。

したがって必然的に己の立てた計画の精度が問われる。自由とはそういうものだ。

 日本を早朝出発し、13時間飛行機に揺られる。13時間・・・。

ロンドンのヒースローに着いたとき、機内にいた脳と体は、20時か21時くらい

になったと感じている。現地はお日様がまぶしく軽やかに照るお昼前。

時差があることは分かってはいたが、実際体感してみて、半日起きていて、

まだ4時間しか経っていないことに驚きと興奮を感じているのもつかの間、

コヴェントガーデンやピカデリーサーカスを回るうちに、お昼過ぎ頃から猛烈に

眠気を感じ、ホテルに戻って、ばたんキュー。シャワーも浴びずに深き眠りの

世界へ、溶けるように眠った。起きた時には現地で19:00頃。

あわてて外に出て、食べるところを探した。色々見まわったあげく選んだのは、

マックだった。値段も手頃、そしてポンドを日本円換算しやすくて安心だった

からだ。ツアーを避け実質一人旅、行き当たりばったりのこんな立ち振る舞い。

自由を選んだ代償でわからないことだらけ。でも、異国の地への旅ってこういう

ものではないか、という経験はできたと彼は今でも思っている。

その後、タワーブリッジとビッグベンとウェストミンスター寺院を間近に見た。

それで終わってしまった。シェイクスピアが好きで行ったのに、あれで良かった

のだろうか。あの当時は、現地の空気を間近に感じられたのだからそれでいい、

と思ったのだが、その後今に至るまで渡英する機会を全く作れない今を思うと、

彼はあの時、もう少し踏み込んで何かできたのではと感じている。

 最近彼は、ロイヤルシェイクスピアカンパニーの東京での公演を見て涙した。

今思うと、この涙、色々なものが含まれていたなと思う。

お芝居への感動と同時に、憧れ、後悔、そして敵わない夢、などだ。

舞台俳優を目指して活動し、気が付くと輝かしい実績も残せず50代手前を迎えて

いる彼。夢は半ば破れ、今では手の届かない遥か遠くにあるように

感じている毎日。それに引き換え、この若者の何という行動力だろう、と彼は思う。

綿密に予定を立て、事前にしっかり準備をしてその時に備える。

世界を股に掛けたヴァイタリティには頭が下がる。英語が得意と言うわけでもない。

席の確保やキャンセル、宿の手配など、必要な事はこなしているので、現地にいる

という知り合いの助力も大きいのだろう。そうだ、無理に急いで将来の道を決め

なくてもいい。好きなことをして、今しかできないことをして、

できること精一杯をして、次のステップを手探りで見つければいい。

しないで後で後悔するような人生を送ってはいけない。


 「食べるところがあまり多くないよね」、青年が出発する少し前に、

こんな事を聞いてみた。自分も滞在経験があるからこその質問だ。

「そうなんですよ、でも1店舗、イタリアンの美味しいお店があるんです」。

「へえ、そこはチェーン店なの」

「僕の知ってる限りでは、2か所あります、そこが頼りなんですよ」。

しっかり食べて良いツアーにしてもらいたいものだ。この後2〜3日滞在する

スペインでは、英国に比べると料理が豊富だ。食べどころはきっとたくさんあるぞ。

 食文化にあまりこだわりがないと言われるイギリスの人にも、食の習慣はもちろんある。

金曜はおさかなで、日曜はロースト肉、カトリック教徒は金曜に肉を食べないのだ。

金曜の夜、街角でたくさんの人達が、新聞紙で包まれたフィッシュアンドチップスを

美味しそうに食べている様子がおなじみだ。お酢をかけて食べるお魚フライの、まあ

大きいこと。そして日曜日はお肉。お休みの日という事で、お肉をじっくり時間を

かけてあぶって調理できるからみたいだ。パーティにも向いている。

英国文化ではグレービーソースが定番、和食に慣れた日本の彼らには

しょうゆやポン酢や胡麻だれなんかが欲しくなる。

 「イギリスやスペインのこと教えてよね。ラインするから頼むよー」。

「はい、わかりました」。出発が間近に迫り、青年も嬉しそうである。

 彼は心の中で応援した。こんな友情もあっていい。

父と子ほど歳は離れていても、サッカーという共通語がその距離を無くす。

そこにサッカーがあれば関係ないんだな。野球が彼の父親との距離を縮めたように。



                  ※



垣根を超えて


 彼がこの若者と意気投合したのは、彼の方から距離を詰めたからではある。

最初からではない。職場の同僚であり、年齢差もあり、そんなに気軽に話す機会も

あまりない。仕事が終われば自分の日常へ。接点がなければ人間そんなものである。

だが、サッカーという共通語が垣根を越えて行く。青年は大学で現役選手。それに

比べ彼は野球をやったくらい。仕事の上で話題に花が咲けばとの思いではあるが、

無理して全く分からない分野をわざわざ一から勉強したわけでもなかった。

もうかれこれ15年、彼はバルセロナの試合だけは観ているからだ。

 30年ほど前にJリーグが誕生してからサッカーはよく観るようになっていた。

特に地元名古屋でセルビア出身の、ピクシーことストイコビッチが大活躍したころは、

ピクシーの鮮やかなプレーとグランパスの躍進に胸躍らせたたものだ。

それから数年たって、彼も社会人となり、ピクシーも引退してしばらく経った頃、

銀河系軍団と呼ばれ、ベッカム、ジダン、フィーゴらを擁した白い巨人こと

レアルマドリードを軸に、TV局がスペインサッカーの放送を始めたことに、

彼も注目した。スペインリーグを日頃から観るようになったのだ。

彼はまずレアルマドリードに注目する。だけどベッカムら有名選手たちに惹かれた

というよりは、ピクシーの盟友ミヤトビッチがこのチームで活躍していた

のを見て知っていたからだ。

ところが1年がたった頃、彼が最も注目し観ていたのはなんとバルセロナだった。

それまで厳しい時期を迎えて久しい頃、ロナウジーニョの登場で息を吹き返した。

サッカーに興味のない人でも知っているメッシという選手がその数年後にデビュー

し、その後英国のチームからクリスティアーノ・ロナウドがレアルに入り、良き

戦友として二人で黄金時代を築く。今見ることができる最高選手たちと言っていい。

この二人は、バロンドールという選手として最高の栄誉を5回ずつ取っている。

ちょっと今までの歴史ではなかったほどのすごい選手たちと言われる。

それを現役として間近で観られている我々は幸せだ、と言ってしまいたくなる。

メッシは小柄ですばしっこく、あだ名が「のみ」。そうだ、妖精という意味の

「ピクシー」と呼ばれたストイコビッチも170cmほどの上背で大きくなかった。

 バルセロナの特徴は、洗練されたパス回しだ。ティキタカと呼ばれる。

細かく繋ぐサッカーを信念としており、例え相手チームが退いて守ってもしっかり

崩して行こうとする姿が気持ち良い。また、自チームの下部組織カンテラーノ

から選手を育て、中心選手として行くところも良い。

そんな経緯で彼はサッカー観戦が好きで、そこそこ目が肥えていた。

今や彼は15年ほどずっと、大のバルセロナファンだ。

バルサの試合を観るのは、彼の日常の貴重な楽しみの一つとなっている。

そんな彼が最近、リヴァプールというチームに恋した。

勿論バルサファンを辞めるわけではない、推しが二つになったのである。


 リヴァプール、この地名を聞いて、きっと多くの人が、ビートルズを挙げるに

違いない。この偉大なバンドは地元でとても愛されていて、素敵な4人、

ファビュラスな4人、という意味で、FAB4(ファブフォー)と呼ばれる。

彼らゆかりの記念スポットがたくさんあり、

ペニーレイン通り、かつて児童養護施設だったストロベリーフィールズ、

世界遺産であるアルバートドッグは造船所を改装した観光スポットで、

ここにある展示施設のビートルズストーリー、

ここにはデビュー前のfab4が演奏したキャヴァーンクラブがある

ゆかりのスポットの多い必見のマシューストリート、

アングリカン大聖堂とも呼ばれるリヴァプールの大聖堂。

中央図書館では本棚に囲まれる幸せな時間、天井からは自然光が入ってくる。

リヴァプールライムストリート駅。

かつてリヴァプールアンドマンチェスター鉄道と呼ばれたノーザンレイルは

何となく日本のJRに似ている。

カメラをことんとレジに置いた鉄道マニアのお客さんを思い出す青年。

かつての英国を支えた、主要な港湾都市でもある。

 彼は本を読んで、ジョンレノンが靖国神社に参拝した事を知った。

奥さんである日本人オノヨーコさんと共に、写真にも納まっている。

イマジンという曲が表しているのは、神道の考え方だという。

宗教という単語も実は明治維新まで存在せず、

religion、という単語を日本語に訳したときに生まれたものだそうだ。

それまで、万物あらゆるものに神が宿るという考え、八百万やおよろず

の神という特定の神を中心にしない神道の概念だったので、

religionにぴったり当てはまる言葉がなかったらしい。



                  ※



 青年は17:00にヒースロー空港に着いた。これから移動に3時間。

乗り継ぎに次ぐ乗り継ぎ。あまりゆっくりもできない。

向かう先はロンドンのスタンフォードブリッジ。名門チェルシーの本拠地。

青年が今回の旅で最初に訪れるスタジアムだ。


 あ、この感じ久しぶりだ。そして相変わらずだ、と青年は思う。

イギリスには割とコンビニがたくさんあるが、日本との違いに毎度気付かされる。

会計時に袋に入れたりしない。スキャンして、そこに置いとくだけだ。

電子レンジなんてないし、フライヤーもないし、

ポイントカードお持ちですかなんて聞かれるわけもない。

 これこれ、この感じ。母国で接する店員さん達を思い起こして少し笑う。

日本の接客ってなんて優しいんだろう。

お弁当温めますか、と面倒なレンジアップを忙しい中で実施してくれること。

熱いものと冷たいものを分けて別の袋に入れようとしてくれること。

箸やフォークやスプーン、そしてお手拭きまで、状況を察してつけてくれること。

ポイントカードお持ちですか。アプリご利用ですか。どこまで優しいのだろう。

日本の利用者は、当たり前である事を有難いと思わなければいけないと思う。

そう思いつつ、でも日本でも、ただ言わされているって感じの人もいるし、

応対してくれる人によって随分違う。接客の「はずれ」を引くとがっかりもする。


 日本の治安の良さは世界に誇れる。慣れ切ってしまって忘れがちではある。

女性が夜、普通に一人歩きでき、何の問題もない。英国では安全面からだろうか、

スタッフはほぼ男性。女性が店頭に立っているのを見たことがない。

でもスーパーでは女性と男性のスタッフ比率は半々くらい。

英国のスーパーでは、応対するスタッフは椅子に座って接客している。

利用者は、かごをコンベアに乗せて待つ。空港の荷物検査みたいだ。

スーパーのスタッフは系列のエプロンみたいな物をつけて働いている。

かたや英国コンビニのスタッフは私服で、ユニフォームなんかない。

統一感のあるユニフォームを清潔に着こなし、下町の番頭のような小ぶりのレジ台を

使い、終始立ちっぱなしで利用客と接する日本のスタッフは大したものだ。おまけに

時々売り場の調整や清掃のため常に気を配り、店内を動き回る。誇るべき働き者だ。


 英国では路面にある店舗がほとんど。駅の中で見かけたことはない。

日本にある駅中やオフィスビルの中に存在するコンビニというのは、

鉄道会社やオフィスビルなどとコンビニチェーンがしっかり垣根を超えて

連携し、お互いにメリットがあるからこそ協力でき可能なのだと青年は思う。

 

 現地時刻20:00、これは日本時刻5:00、現地日暮れ頃からの試合。

ロンドンが誇る強豪チェルシーが、ホームにマンチェスターユナイテッドを迎え撃つ。

どちらも青年にとっては第三者チーム、勝敗を気にせず肩の力を抜いて観戦できる。

だからこそ、ありのまま現地のファンの盛り上がりを肌で感じるのが実に楽しかった。

そして試合後、青年はすぐに夜行バスで移動し、6時間かけてリヴァプールへ。

目的地であり、青年にとって英国におけるホームタウン。着くのが朝5:00頃だ。



                  ※



 この年、英国のプレミアリーグでは、リヴァプールが首位を走っていた。

クリスマス前の時点で2位マンチェスターシティと7ポイント差。

1試合で勝利すると3、引き分けで1ポイントなので、

単純に言えば2勝と1引き分け分、離していた。

これだけ調子が良いという事も後押しし、年配の彼は興味を募らせた。

彼はこの若者と話を合わせるのも悪くないと思い、リヴァプールの試合を

観れるものは欠かさず観るようにした。JSPORTSやWOWOWやDAZN、

色々なチャンネルを使い、毎週、リヴァプールとバルサの2本立てである。

観続けているうちに、いつの間にかリヴァプールのファンになっていた。

まず、試合内容が良い。カウンターの速攻が鋭いとは聞いていたが、

おぉー、中盤でパスをつないで相手を崩すそうともする。

守って守って堅守からの速攻で、はい頂きます、という姿勢でもない。

試合を見続け、印象に残った選手を少しずつ覚えていった。

今日はこの選手良かったなぁ、と言う感じで。

サラー、フィルミーノ、マネ、ファンダイク、

両サイドバック二人のロバートソンとアレクサンダーアーノルド。

そして、ホームスタジアムの名前がアンフィールドと言い、応援歌が

You’ll Never Walk Alone

と言う。アンフィールドはアンフィールドロードからついた名前だそうだが、

アンというのは歴史上の女性の名前なのかもしれない。由来については

いつかリヴァプールの人に確認しよう。次にいつ行くか分からないけど。

このアンフィールドで、リヴァプールのホームで、試合開始前の選手入場時に歌われ、

そして試合中にも幾度となく歌われるこの歌が、彼は大好きになった。


Walk on, walk on, with hope in your heart.

And you’ll never walk alone. 

「歩き続けよう、歩き続けよう、心に希望をもって、

だって君はひとりではないのだから」。

ある程度英語の解る彼なりの訳詩だ。

素晴らしい歌だ。この歌詞は誰もを励ます力を持っている。

彼は日本の地で思う。君は独りではない、その歌詞はこの若者の旅に似つかわしい。

アンフィールドのサポーターは温かく異国の青年も迎えてくれるだろう。

 彼が観た映画に印象に残った場面がある。沖縄での若者の話。

この地では、米軍基地への反対運動が行われ、アメリカ兵は出ていけ、

と叫んだりプラカードを持った人たちの姿がよく報じられる。

この地で音楽を志す若者たち。

ある場面で、主役の男子二人が、公園のベンチに座っているときの会話だ。

「ブランコがあれば関係ないんだな」

そしてカメラは、日本の子供とアメリカ兵の子供と思われる子達が

わいわいとブランコで遊んでいる様子を映し出す。とても微笑ましい場面だ。

楽しみ、夢中になれるもの、それが共通語となり垣根を越えてしまう。


 青年はこれから、20:00にある大一番、バイエルンミュンヘン戦を観る。

久しぶりに来たリヴァプールの本拠地。1年に一度来ているのに懐かしいと感じる。

アンフィールドのゴール裏にポップスタンドという所があり、ハーフタイムには

ファンが集う。とても賑やかだ。なんと肉まんなんかも売っている。

そして英国では今やお馴染みで、アルコールは買えるが、客席へ持ち込めない。

ポップスタンドや裏の通路で飲み切るしかない。一昔前のフーリガン問題があった

ときは、女性は怖くてとても球場には行きたがらなかったほどだ。

そんな昔が嘘のように、今は安全になっている。


 試合前の期待、会場が一体となって歌うあの歌、お馴染みの本拠地だ。

大一番、バイエルン戦。サポーター皆で大合唱する。

そして試合開始。前半はあっという間でとても短く感じられた。

青年は目をこする。時差ぼけ明けでまだ少し眠いけど、この感覚が旅の喜びでもある。

ポップスタンドでビールを飲む。座席で飲酒できない事にも慣れて当たり前になった。

客席で売り子さんにビールを入れてもらえる日本の安全な事に改めて感動する。


 ハーフタイムは幸せな時間だ、0-0で形勢も悪くない。

そう、前半開始前にしても、後半開始前も、この刹那が楽しい。

一旦プレーが始まってしまえば、あとは流れに任せるしかない。あっという間だ。

観ているこちら側にできることは、声援を送ることのみ。

その始まりを、他の多くの同じ目的で来ている人々と共に、待つのだ。

広い空間、そのがやがや感。TV中継では放送されない部分。これが楽しい。

映画も、劇場で観れば、他のお客さんの反応、笑い声、帰り際に話していること、

など多くの刺激をもらえる。これはそこでしかないもの、現地だけの特別な時間だ。

 観戦は少しでも情報を知ろうとすればなお楽しい。

チームの今置かれている状況、それを踏まえた今日の試合の展望。

話せる連れがいれば一層良いが、自分一人でもネットや新聞を使ってできる。

青年は、競馬新聞を買うおじさんたちのことを思い出す。あの人たちも、なるべく

たくさんの情報をつかんで、より楽しい時間にしようとしているのだろうなと。

 試合は結局0-0で引き分けた。せっかく現地で観戦したので勝ってほしい、

と思いがちだが、青年は前向きに考える。

1点も取れなかったのは残念だが、1点も与えなかった、と捉えることもできる。

アウェイ戦を終わって無失点ならば、この事が次に活きてくる。


 彼のもとに現地の様子を伝える動画が送られてきた。あの魅力的な応援歌の大合唱。

スタジアムが揺れる感じが伝わってくる。綺麗に撮ってくれていたので、

おそらく青年は一緒に歌うのを控えてくれたのだろう。

彼は、ちょっと申し訳ないことをしたな、と思いつつ、

まるでその場にいるかのような気持ちになれ、大変感動した。 

今、現地では試合が終わった頃で午後8:00。その時日本は朝6:00。

年配の彼はまさに早朝仕事が始まる時間であった。うぉー。

というわけで、これから早朝の仕事に向かうところであった。



                  ※



 これから、青年は馴染みの場所から一旦離れ、明日から未知のスタジアムに

2か所も行く。現地時刻22:00過ぎに球場を後にしバスで移動。

知り合いの家に着くのが23:00頃。夜遊びなどせずここで一泊する。

ここに来たことを祝い、祝杯を挙げたい。

余韻に浸り、次への活力を養うのも良いものだ。

スタジアムの雰囲気が与えてくれるものは、勝敗を超えたところにある。



静かな店内


 「わさび」と言う名前のお店が、チェーン店で展開している。

名前の通り、日本食を意識した品ぞろえのお店だ。

日本のコンビニでおなじみである、おにぎり、手巻き寿司などが豊富だ。

そばやうどんはあっただろうか、ちょっと思い出せないけど、

日本食が懐かしくなったらここ。中々に味もしっかりしていておすすめだ。

英国名物と言っていいFishandChips、は、

屋台でも売っているし、バーやパブでお酒と一緒に食べられる。

も、イギリスと言ったら、これだよね。

肉食と言うイメージのある欧米だけど、英国人は割と魚を食べる。

金曜は魚の日だし、魚は体に良いってわかっているんだきっと。

 「わさび」ではない一般コンビニも存在する。レジに来て初めてアクション

を起こす店員さん。いらっしゃいませ、なんて声かけは当然ない。

言えば袋を用意してくれるが、安っぽい、すぐ破れそうな袋だ。

スーパーだと、紙袋を用意してくれる、が0.3ポンド(約?円)する。

日本もようやく有料レジ袋になるが、その方がいいのではないかと青年は思う。

もらえるのが当たり前、という風潮は正直良くない。おにぎりにお茶、

という利用客がゴミ袋用にと最大サイズを求めてくることもあるし、応対する

スタッフも節約しようと意地を張りギリギリの袋に入れようとしてむなしい。

日本の有料レジ袋は、セブンイレブンの最大サイズ45号が5円である以外は

値段もみんな3円で変わらないので、有料ならば少しでも大きめでゆったりと

したサイズの袋に入れてあげようと思うものだ。

 キャッシュレス普及が進む日本と比べ、英国では現金決済がまだまだ多いが、

確かトッテナムではNoCashで、クレジットのみだった覚えがある。

英国の営業は10時-22時がほとんど。日本の24時間営業はよく考えられた

仕組みだからこそできている。だが、支える人、お店の負担という観点から

見直しも進み、時短営業も行われつつある。

 こちらは店内放送もない、静かな店内だ。青年はなぜか落ち着く。

おもてなしの気持ちを常に持つ日本のサービスは素晴らしいのだが、声かけが

うるさいと感じることもある。行き過ぎの部分もきっとある。欧米の人が

「ファミチキ揚げたてです、いかがでしょーかー」と言っている様子を想像して笑う。

うるさい、ほっとけよ、と苦笑いする利用客がたくさん出てきそうな気がする。


 あいかわらずレシートが長いことに気づく。字が大きい、とことん大きい、

無駄に大きいとも感じて、いやそれは文化の違いだよきっと、と思い直す。

日本で接客していると、外国の方の多くがレシートをもらおうとしないと気づくけど、

それもなんだか解る気がした。

店内で売っている食品といえば、サンドイッチ、冷凍パスタ。

日本では定番のデザートやスイーツ、サラダなどの生もの系は、「わさび」には

置いているが、一般コンビニには置いていない。サンドイッチはあるけど、生食

という感じの物ではない。どちらかといえば缶詰などが多い。でもチーズケーキを

買った覚えがある。この時、スプーンもらえますかと聞いたら、そんなものない、と

スパッと言われた。だから後でスプーン買ったっけ。箸はもちろんないし、

おしぼりもないし、つまようじもやっぱりない。

暑い季節、冷たいものはある。いや、冷たいものしかない。

冬場になってもホット飲料なんか売っていない。多分そういう什器がないのだろう。

温かいものがお飲みになりたいのならお近くのカフェへどうぞと言われそうで怖い。

数百円お買い物にしらーっと一万円を出すと、甘んじて受けてくれる我慢強い日本の

スタッフと違い、両替してきてくださいとビシッと言われた。

古い紙幣もNOと言われた。そこの銀行へ行って取り替えて来てください、と。

 お酒は瓶ビール中心。タバコも売っている。新聞、雑誌はたくさん売っている。

さすが教養の国イギリスだよ、この英国らしさだよ。

10年近く前、一時代を築いたリヴァプールのスター、ジェラードが引退したとき、

ThankYouGERAAD、の見出しが踊っていて青年は感動したものだ。


 ロンドンへ行くならヒースロー空港、お目当てのリヴァプールや強豪のひしめく

マンチェスターに行くなら、マンチェスター空港を一番使う。

片道1万しないで、スペインのバルセロナ、マドリードへも行ける。

ジョンレノン空港もあり、使う機会があまりないけど、いつか使ってみたい。

 ビールとチップスを買って、電車に乗る。

移動中に、余韻に浸りながら一杯やる時間がとても好きだ。こちらだと定番は

バドワイザー、カールズバーグ、ハイネケンあたり。このちょっとした時間、

そして、行ったことのない場所へ行くこと、これだ、日々働く楽しみ。

思い巡らせながら、明日に備え、青年は頭と体を休める。夜は更けていく。

夜が明ければ、いざスペインの地へ。8:00前には出発だ。



                  ※



ここにしかないもの


 ここにしかないもの。青年が旅を心待ちにし、母国で働く理由の一つだ。

スタジアムには多くの人が集う。特別な空間。試合の行方に一喜一憂し、

勝利すれば喜びを分かち合い、敗れればその意味を噛みしめ家路へとつく。

氏素性も違う、ただスポーツを楽しみたい人たちがそこにいて、時間を共有する。

地域や場所によりその特徴も様々で、集う人々が描き醸し出す風景や空気、

独自の色合いや感触、そこで息づく文化、人の営みを感じ、世界の広さを感じる。


 泊めてくれた友人に礼を言い、青年はバスへ。リヴァプール駅に着き。

そこから60分かけて空港へ行く。これから2日間のスペイン巡り。

1日目は首都マドリード、2日目はアンダルシアの地セビージャだ。

日本から9時間の時差があり、渡欧から二日しか経っていない。

だが強硬移動もなんのその、時差ぼけは二日目で解消した。

今日は朝から夕方までゆっくりでき、体内時計を現地時間に合わせ、

球場巡りを思い存分楽しむ準備は整った。時差なんて今では楽しめさえする。

青年にとってはもう旅をスリリングにするちょっとしたスパイスでしかない。


 マドリードには、レアルマドリー、アトレティコマドリー、そして日本代表

柴崎選手のいたヘタフェなどが本拠地を置く。青年が今日訪れるのは、

「圧力鍋」と呼ばれるワンダメトロポリターノ。マドリードにあるスタジアムで、

アトレティコマドリードの地元球場だ。駅からも近くて便利な環境。特徴である

擂鉢状のスタジアム内部のことは噂には聞いていた。観客席から熱いサポーター

たちの声援がこだまし、急角度にしつらえられた客席がそれを暫しのあいだ

閉じ込め反響させて、球場内部に蒸気が満ちるように反響音で熱くする。

圧のかかった鍋と呼ばれるゆえん。この時の試合も、観客席から不満を示す

ブーイングや指笛が起きると、それで耳が痛くなるほどの凄さ。

初めてのスタジアムに青年は身震いする。本当に、沸騰する鍋の中にいるようだ。




 この日、アトレティコマドリーの相手はユベントス。

白と黒を基調としたユニホームのイタリアの強豪で、ここには昨年まで

同じマドリードのレアルマドリーにいたクリスティアーノ・ロナウドがいる。

朝6:00、出勤直前の彼のもとに、実際にその中に身を置いた若者から、

写真や動画が届いた。現地の様子が感じられる、ありがたいことだ。

彼は帰宅後、録画しておいたTV中継でその様子を見る。試合開始が近づき、

ふと球場が暗転する。中腹部分にしつらえらえられた看板が放つ灯りは、

観客が起こすウェーブのような波を描くようにして球場内を360度、

ぐるーーーーっと一周する。天井には屋根がなく、突き抜けて夜空が見え、

月が輝いている。そしてその月の足元で輝きを増す、アリーナ最上部に

用意された、まるでオーロラのような鮮やかなライト。暗闇と光をうまく融合

させた感じがしてしばし時間を忘れる。照明を小気味よく操る演出だ。

試合前の気持ちが昂る待ち遠しい時間、観る者の肩の力を抜かせ、試合開始に

誘おうとする粋な気配りが感じられる、そこにリズミカルな音楽もかかっていて、

シンクロナイズドスイミングのように計算された切替わりで照明がそれと一体に

なっている。球場内ならばなお一層の迫力だろう。青年は楽しんでいるだろうか?

 フィールドでは、チームのマスコットキャラクターが観客を導く。

ぬいぐるみをまとった人の大変さは、舞台経験のある彼も知っている。

可愛い外見の中で、狭い視界で周りに気を使いながら動き、

熱い夏場はうちわで扇いだりして涼を取るのが大切だった。

そういう苦労は舞台裏の話だ。本番となればショウマストゴーオン。

彼らは観客を煽り、観客はそれに素直に応えて歓声を送る。

見ず知らずの観客どうしがつながれる、気持ちの良い瞬間だ。

時折照明が付き、そしてすぐに消える。こんな状況の中、選手は緊張と向き合い

ながら、気持ちを高めて、ピッチに出る瞬間に備えている。頑張れ、皆の為に。

この日は、アトレティコマドリーが2-0で勝利。ホームで強敵を見事に抑え込んだ。



 翌日のセビージャでは残念なことになる。なんと試合が延期されてしまったのだ。

ほぼ毎日のように観戦する日程で組んでいるため、試合観戦は諦めた。

この直前に延期など日程変更してくるところ、日本では考えにくいことだ。

けれども、欧州ではよくある事と、慣れている青年は気を取り直す。

 セビージャの地元球場であるサンチェスピスファンの周りを青年は歩き、

雰囲気を感じようとした。でも外では物足りない。直前の延期なんて困るなあ、

と苦笑いしつつ写真をしっかり撮った。スペインについて知りたがっていた

日本にいる先輩に送ってあげよう。試合は観れませんでした、と。

 しょうがない、青年はこの日を終日観光に費やした。

コロンブスの墓がある。ヒラルダの塔、セビリア大聖堂とも呼ばれる。

四角形に取り囲むように人の像が立っている。大切にされている様子だ。

コロンブスはポルトガル人なんだけど、こうして記念碑が残されている。

仲のあまり良くない隣国に囲まれている母国が不憫に思える。

 ラゲニア通りでイカ墨パエリアを食べた。

スペインの人の味覚は日本人近いようだ。

海鮮たっぷりで、とても太い、ぶっといアスパラが印象的だった。

 スペインにはコンビニと呼べそうなお店を見たことがない。

買い物と言えばスーパーでする、という感じだ。

探せばあるのだろうか?いつもタイトな日程なので、

じっくり見て回ってないが、見かけたことないなあ。

 これから青年は、明日一日を移動にさいて英国に戻り、残り一週間、

リヴァプールを拠点に5試合を観て帰国する。楽しもう。青年は宿泊先の窓から、

夜でも美しいセビージャの大聖堂を思い浮かべ、眠りにつく。



                  ※



 その旅が終わり、2ヶ月ほど経った。

5月に入った今でも、英国ではまだ桜が咲いているらしい。

限られた短い期間だけ咲き誇る日本の桜、どちらがいいのかな。

短いからこそ、より美しく愛おしいと思えるのかもしれない。

1−2週間で散る日本の桜とは違い、英国では1か月ほど咲き続ける。

雨や風でも花は散らない丈夫さ。桜並木みたいなところはあまりない。

お家の前に1樹咲いている、みたいな光景をよく目にする。

実はチェリープラム、アーモンド、アプリコットなどの木。

ソメイヨシノもたまにあるみたいだ。


 雑誌コーナーの棚にあるサッカー雑誌が彼の目に入る。

表紙を飾るのは、ともに好きなリヴァプールの2選手、サラーとフィルミーノだ。

先週と今週、なんと彼が今最も応援している2チームが

ヨーロッパチャンピオンズリーグの準決勝で激突することになった。

バルサは彼が20年近くずっと見守っているチーム。いつもWOWOWで観ている。

そしてリヴァプールは最近特に好きになったチームだ。

彼は、バルせロナのホームであるカンプノウではバルサを、

そしてアンフィールドではリヴァプールを応援しようと決めていた。

それぞれのホームで持ち味を発揮して盛り上がってほしい、そう思っていた。

自分の今最も好きな2チームが、決勝ではなく準決勝で顔合わせ、

ホームとアウェーとで2試合も見れる。彼は嬉しかった。


 このチャンピオンズリーグは、決勝が中立地での1戦のみなのに対し、

準決勝までは、それぞれのホームで1試合ずつ試合する。

合計得点の多い方が勝ち、同点ならアウェイゴール方式と言って、

敵地での得点が多い方の勝ち、それも同じなら延長戦となる。


 いよいよ第一戦が始まる。舞台はカンプノウ。

バルサのアンセム、イムノも歌詞が素敵だ。

北からも南からもどこから来たのかは関係ない。

プラウグナの旗のもと我らは団結する、と言っている。

スペインは割と民族の問題を抱えていて、マドリードを中心にしたスペイン人、

バルセロナを中心にカタルーニャ人、さらにはバスク人など。

カタルーニャは独立志向が強く、試合中17分17秒に独立コールが起きる。

マドリードの、特に上流階級の象徴であるレアルマドリードとは相容れない。

でも、クラブの旗のもと応援する味方なら誰であろうと関係ないよ、というのだ。

7万人収容の巨大スタジアムにその歌声が響き、選手は奮い立つ。

しかし両チームどちらを見ても彼が好きな選手ばかりである。

こんな経験は初めてだ。何とも幸せではないか。



蹴鞠


 美しく敗れる事を恥と思うな、無様に勝つことを恥と思え。

己が走るのではなくボールを走らせろ。ボールを回せ、ボールは疲れない。

テクニックとは、少ないタッチでつなぎ、正しい速さで仲間の正しい足の位置に

ボールを送り届けること。これらは全てヨハンクライフという選手の言葉。

 彼がバルセロナが好きなのも、このクライフ選手の理念を軸に、パスを緻密に

つなぎ、味方が連動して動き相手を崩すサッカーを信条としているところだし、

リヴァプールが好きになれたのも、守りから攻めへ転じるカウンターが鋭いながら、

中盤でボールをつないで相手を揺さぶり好機をうかがう姿勢を感じるからだ。

勝ち負けがあり、いかに相手のゴールを揺らすか、がサッカーの目的であるものの、

勝利を目指す中にも、選手同士の連携、繋ぐという姿勢、

送り手が受け手に、その受け手がまた送り手にと。

選手も観客も、一つのボールの行方に思いを託し、次へとつなぐ。

親から子へ、そして孫へと世代を繋ぐことにも似て、生きる事の意味にも思える。


 彼は青年と、日本にある蹴鞠文化について話したことがあった。

蹴鞠は、古い時代に仏教と共に中国から伝わったと言われ、

だが学問や宗教と同じように、やはり日本独自の進化を遂げている。

まず、勝ち負けがない、という所に驚く。

勝敗ではなく、いかにみんなで鞠を蹴り繋ぐか。

鞠を宙に漂わせ、舞い続けさせること。これが目的なのだ。

和を以て貴しとなす。これがこの競技の柱にあるものだ。

 直径20センチほどで重さや120グラムくらい。

鞠は、鹿皮を裏返して馬の背筋の皮でとじたもの。

上手く蹴ると、良い音がして反対向きに回転して上昇する。

このとき、次の人は蹴りやすい。

この上がり方を色と呼ぶそうで、色がある鞠をつないでゆくのが、理想なのだ。

色がないと、果たしてどこに飛んでゆくのか、次の人は懸命に拾うことになる。

いかに次の人へ受け渡すか。これが鞠道きくどうの柱なのだ。


 次の人へ託す、また次の人へ託す。つなぐ喜び、繋いでゆく喜びがそこにはある。

こんな事を話すと、青年はなるほどという表情をしてこう言った、正月に行われる

箱根駅伝なんかもそうですよね。あーそうか。言われてみればそうだ。


 この第一戦はホームのバルサが3−0で勝利した。

点差は開いたが、内容は非常に拮抗していた。

そして一週間後に、第2戦がアンフィールドで行われる。



                  ※



 the Country cocks do crow,

the clocks do toll,

and the the third hour 

of a drowsy morning name.

「農家の鶏が嘶き、時計は時を告げる鐘を鳴らし、朝が間近な3時を知らせる。

死を宣告されたも同然なイギリス軍は、闇夜の中かがり火に寄り添い、

迫りくる翌朝の危険に我慢強く耐えながら静かに佇んでいる」。

映画ヘンリィ五世からの一場面、中盤の夜営のシーン。

快進撃を続けるも、次第に状況が不利になった英国軍は、負傷者の多い中で、

フランス軍と対峙し、翌日の決戦を前にした前夜の場面だ。

 5月8日、あの旅から青年が帰国してからもう2か月が経つ。

今また、この一戦の為に青年は渡英した。

リヴァプールは危機的な状況の中で、アンフィールドでの試合に臨もうとしている。

主力でチームの攻撃の3枚看板のうちの二人、サラーとフィルミーノをケガで欠く。

そして第一戦は敵地で0−3と1点も取れずに終わり、明日の第2戦を迎える。

翌日どれほど虚しい気持ちで球場を去るのか、という想像が青年の脳裏を離れない。

どう戦えば挽回できるのだろう。アウェイゴールも取れず大差のまま、

あのバルセロナをアンフィールドに迎え撃つ。声援に選手は奮い立ってくれるだろう

けど、我々はどう応援すれば良いのだろう。そんな思いで一杯になる。


 青年は、現地の人々がどういう想いで明日を迎えようとしているのか、

前夜にどんな事を感じているのか直接知りたくて、わざわざパブに出かけた。

ビールとフィッシュアンドチップスを頼んで、リヴァプールの人々の様子を窺う。

意外にも陽気だ。思い思いのジョッキやグラスを片手に、大きな声で語らい、

声を上げて笑い、仕事の疲れをいやしている。やはり明日の試合の話題で持ちきりだ。

あちこちでその話をしている。主力の二人が出られないことを話す人は少なかった。

むしろ、オリギがいる、ワイナルドゥムがいる、と普段出番が限られている選手に

期待する声が聴こえた。そうだよな、嘆いても仕方ない。

わざわざ落ち込むためにここに来て飲み語らうわけない。

相手のバルサが1点でも取ったなら、カンプノウで0−3、地元で0−1。

アウェーゴールが効いて同点では負けであるため5点必要になる。

相手にはメッシとスアレスがいて、決定力は抜群に高い。

おまけに特有の細かなパスサッカーで、ボールを奪う事さえ難しい相手でもある。

考えるだけ無駄だ。ならば開き直って臨む方が良いのではないか。

この人たちからは、チームへの真っ直ぐな愛を感じることができる。

勝つことを期待するより、僕らの誇るクラブを応援できる喜びを共有しようと。

日頃それぞれ仕事も環境も違うであろうこの人たちは、陽気に談笑している。

勝敗はもとより、いややっぱりできれば勝ってほしいけど、ただ地元の我がクラブを、

赤一色に染まって、あのアンフィールドで、声援とあの情熱的な応援歌で後押しし、

血が沸き立つ時間を共有できれば良い、との思い。

そんな明るさに、日本へ戻ったらまた仕事を頑張ろう、と思う気持ちを貰えた。


 独りで大人しくしていた青年に、長髪で恰幅の良い中年男性が話しかけてきた。

「Hey、young guy、where’re you from?」

「From japan.」

「From japan! Wao、good to see you.

What a long distance!」

日本から来たと話すと、遠い距離をよく来てくれたね、と言ってくれた。

「Hey master、

a pint for him ,I beg you? 」

そう言って、マスターにビールを一杯注文する。

マスターは、おう、という感じでジョッキを取り、目一杯注いで青年の目前へ置く。

「It’s from me brother!nev mention it.」

俺からのおごりだ、とばかりに片目をパチリとつむる。そして周りにこう言った。

「Hey guys、here is a gentleman from 

japan.to see our victory tomorrow 

with us.God bless him!」

皆さん、明日勝つ気満々だ。凄いな。

パブの中にいる同じチームを愛する者として、青年は盃を掲げて敬意を表する。

「We’ll never walk alone!」

ぼくらは独りじゃないですよね、

「Yes! that’s it!」

ああそうだとも!

あたりは笑いに包まれている。ここには同胞意識が溢れていて、温かい。

自分もここまでやってきたんだ、チームに結果を求める事なんてせず、

ただそこにいて、背中を押してあげることが、何よりの喜びではないのか。

「Take your time.」

そう言って、この中年男性は奥様であろう女性の隣に戻ってゆく。

そこにチームへの愛があれば関係ないんだな。

そんな言葉が思い浮かんで、青年は笑ってしまった。

こうして夜も更け、青年は宿泊ホテルへと戻るのであった。



                  ※



 第2戦の日が来た。彼にとって、両チーム頑張れという気持ちに変わりない。

 実はこの第2戦は、リヴァプールの主力選手二人がケガのため出場できない。

第一線の後、リーグ戦で脳震盪を起こしたサラー、筋肉系トラブルのフィルミーノ。

それが皮肉にも先ほど話した、雑誌の表紙の二人なのだ。

彼は、万全な状態での両チームの戦いが観たかったので残念だった。


 彼はホームチームを応援すると決めたものの、初戦で大差を付けられ、

将棋で言えば飛車角二枚落ちの状態で、リヴァプールがどこまで頑張れるのか。

両方とも頑張れ。そう心から願う。だが・・・彼はこの後、

その「推しへの思い」にも差があることを思い知らされることになる。


 試合開始、数分でリヴァプールが先制する。バルサのサイドバック、

ジョルディアルバのパスミスを突いたものだ。だがアルバの左サイドからのクロス

で何度も好機が生まれているのは知っている。きっとまたやってくれる。

1−0で迎えた前半終了までは、彼は後半も良い攻防になる事を期待していた。

ところが後半、20分経たないうちに、2点、3点と次々に入る。

3−0、合計で3−3だ。ああ、いい試合になってきたな、とは彼は思えなかった。

明らかにバルサがおかしい。

彼は、両方を応援しているはずの自分の気持ちが変化していることに気付く。

天国から地獄に叩き落される、そんな姿が頭によぎる。実は昨年もバルセロナは

ローマというチーム相手に大逆転負けしている。でも1点は取れるよね、

そうすればアウェイゴールが鍵になるし。彼はそう心で願う自分に気付く。

イケメン男子に挟まれた女子の気持ちか、と思ったりした。

悩んだ末、馴染みの男子を選ぶみたいな。あるいは、自分を想ってくれる二人の侍が

果し合いをしている状況を見つめる娘、という。こういう表現をすると、

現代の女子には怒られるかもしれないが、ともかくこのとき彼はそう思った。

兵法でも「囲む師は欠け」と言うように、

追い詰められて決意を固めた戦士たちは異次元の力を発揮する事がある。

同じ負けるにしてもあの2選手がいるリヴァプールなら分かる。なぜだ。

彼は、世界中のバルセロナファンの悲鳴が聞こえてきそうな気がした。

今思うと、2戦を通してリヴァプールは果敢に攻め続けている。

まるでクライフの言葉を体現するように、美しく敗れるならそれでも良いという風に。

この時の、どちらがより球を回し繋いでいたかを示す数字「ボール支配率」が面白い。

カンプノウではリヴァプールが53%、アンフィールドではバルサが58%。

ともにアウェイのチームが不利になっても攻め続けた証拠だ。

 そして、終了目前にリヴァプールがもう1点決める。4−0、合計4−3。

でも1点取れれば。取れるよね、ね、1点くらいは。

大一番で勝負強いメッシが決めるところを何度も見ている。

・・でも、どうもそんな雰囲気を感じなかった。アンフィールドに飲み込まれている。

ユールネバーウォークアローン。バルサファンが今まさに選手に伝えたいくらいだ。

結局試合はそのまま終わった。リヴァプールの大逆転勝利。


 「おめでとう、良いチームだね。拍手」。あの若者にメッセージを送った。

そんな中、彼は何とも言えないやりきれない気持になっていた。

後になって彼は反省した。自分も勝手なものだ、両方を応援すると決めていながら、

最後は馴染みの側についていたのだから。もはや苦笑いするしかなかった。



                  ※



 この勢いもそのまま、リヴァプールは決勝で同じ英国チームのトッテナムを破り、

見事優勝。青年はこの試合を、やはり現地に観に行った。日本にいる間、チケットが

売り切れで手に入らないのに、飛行機とホテルだけは取っておいて、当日現地で

プラカードを持ち、球場前の人たちに呼びかけて余り券を手に入れるという荒業だ。

この行動力にも彼は感服した。何事も為せば成る、のお手本だ。

翌年、リヴァプールはリーグ戦も制覇する。20年ぶりのリーグ優勝。

2年にまたがってしまったが、悲願の2大タイトルを手にした。

新型肺炎の影響で約3か月の中断を経た後に優勝を決めた。

 ちょっとした打ち上げに行くことになった。

CLも国内リーグ戦も終わり、お疲れ様、という意味合いである。

いやー、あの日の朝はしばらく立ち直れなかったよ、、

そんな風に冗談めかして苦笑いしながら、年配の方の彼は話す。

青年は、暫くの間その奇跡的な勝利に酔いしれ余韻に浸っていた事を話した。

年配の方の彼は言う、いやー、もうそれでいいと思うし、ほんと羨ましいよ。

それから青年は、CL決勝で余りチケットを買うのに大変だった事、

PKをサラーが決めた時の現地の歓喜、最後に選手が並んで客席の方を向いて、

ファンと共に、場内に流れる音楽に合わせてあの応援歌を歌った事を語った。

 青年は彼に、大切に保管している、今まで行ったスタジアムのチケットの数々

を見せる。まさに旅の記録だ。彼はなるほどと感じた。

青年は、試合を観る事も楽しみにしているが、何よりも各地のスタジアムを訪れる事

に喜びを感じているのだ。サッカーを通して、広い世界を世界を知る事。

空路を行き、電車に乗り、バスに揺られる。タクシーは使わない、歩いた方が楽しい。

土地を歩き、現地を訪れてその雰囲気を五感で感じる。

 やがて改めて、チームアンセム(応援歌)の話になった。

You’ll never walk alone、はやっぱり良い歌だし、

バルサのイムノも良い歌詞なんだけど、共通する部分があってね。

Walk on through the wind,

Walk on through the rain,

though your dream be tossed and blown.

「歩き続けよう、風の中も、歩き続けよう、雨の中も、

例え君の夢がどこかへ行き、吹き飛ばされたとしても」。

というところがあり、バルサのイムノにも、

Son molt anys plens d’afanys

Son molts gols que hem cridat

「悲しみに沈むときもあったし、ゴールの喜びに声を上げた時もあった」、という

ところがある。どちらも、勝負には勝ちもあれば負けもある、と謳っているのだ。

自分はスペイン語はできないんだけど、と前置きしながら、でもこれだけはしっかり

調べたんだと年配の方の彼は言う。挫折こそ最良の良薬、ともクライフは言っている。

失敗や挫折を乗り越えてこそ成長できるのは、色々なことに共通のようだ。



                  ※



 リヴァプールとバルセロナがぶつかったあの時から一年後のこと。

そしてリーグ優勝を遂げる少し前。すなわち新型肺炎による中断直前。

チャンピオンズリーグ(CL)の決勝トーナメント初戦、ラウンド16、

昨年優勝のリヴァプールは、あのアトレティコマドリードと戦った。

あの圧力鍋球場のチームだ。この頃は無観客ではなくお客さんがぎっしりだった。

 彼は今一度おさらいとして思う、CLの決勝トーナメントは、中立地で行う

一戦勝負の決勝戦を除き、地元ホーム敵地アウェイでの2戦、

合計ゴールの多い方が勝ち。同点の場合、アウェイでの得点が2倍に計上される。

敵地での得点はそれだけ難しく価値あるもの、と言うわけだ。

 第一戦はあのワンダメトロポリターノ。アトレティコの本拠地。

試合前に球場内のイルミが眩しく美しく、擂鉢状の空間で歓声が反響する。

第2戦はアンフィールド。真っ直ぐなサポーターが選手を温かく後押しする、

相手チームにとてつもない精神的圧力が掛かる。

どちらにおいても、球場が独特の雰囲気を醸しているのが特徴だ。

 初戦は、リヴァプールが苦戦し、ゴール枠内シュートが0と言う内容で、

アトレティコが1−0で完勝した。

 そしていよいよ第2戦のアンフィールドだ。いつものように大合唱で選手を

迎え入れる観客。そして今年のリヴァプールは攻撃陣が勢ぞろい。

だだ心配なのは、主力ゴールキーパーのアリソンが怪我で欠場していることだ。

青年は現地でまた観ているのだろう。年配の彼はTVで観戦する。


 試合開始早々、アトレティコが仕掛けた。点にはならなかったが、

敵地であるが故の積極性。この地ではただ守るだけでは難しくなる。

 アトレティコは選手全員が良く動いてディフェンスする守りの堅いチームだが、

こういった大胆さもあるのだ。前半は0−0。

 そして後半、リヴァプールがヘディングで先制。

バルサ戦の逆転劇が頭をよぎる。やはりアンフィールドでは強い。

だが、2点目が入らず、2戦合計1−1のまま後半も終了し、延長戦へ入った。

リヴァプールが90分で勝ち切らなかったのは意外だった。だがしかし、

こうなると地元であるリヴァプールが有利だ、誰もがそう思う。

そして延長4分にフィルミーノが得点。2−0、トータル2−1.

これはもう決まりだろう、そう思えた、ところが、キーパーのパスミスから3分後

にアトレティコがジョレンテのゴールで1点返す。2−1、2戦合計で2−2。

こうなるとアウェイゴールが活きてくる。リヴァプールは敵地で0点だったので、

トータルは2−3扱いとなる。ここが妙味なのだ。

さらになんと、延長(90+30分)前半終了時105分にもう一点が入る。

2−2。純粋な2戦合計でも2−3と上回ってしまった。リヴァプールはあと2点

必要だ。同点では敗北となる。2戦合計で4−3を狙うしかない。

 ここで驚く事が起こった。105分の得点が決まった時のことだ。

なんとYou’ll never walk aloneの合唱が始まったのだ。

ファンは落ち込んだり意気消沈したりする事は後回しで、選手を鼓舞し始めたのだ。

昨年の4−0を覚えているからこそかもしれない。

このサポーターたちの温かさに、TVごしに彼の胸にじーんと来た。

なんと温かいサポーターたちだろうか。彼は感銘する。

その力強い声援の中、しかし試合はそのまま終了した。

昨年のような逆転劇は起きなかった。

試合内容が良く、それは観客の反応にも表れていた。あの中に青年もいたのだろう。

アトレティコの選手たちは120分間、動きを落とさず守り続け、

それだけでなく攻め続けた。どちらのチームにも大きな拍手を送りたい。

そう彼は思った。



                  ※



 「王たちの冠」はこんな風に終わる、

例えば総合800番で構成されたものなら、途中の各一節は順不同でそれらを

前に後ろに行き来しても、最後は800番へ行き着き、そこではエンディングとして

のしっかりした書き込みを読むことになる。今回の冒険がその世界に与えた影響、

その後の行く末、主人公の果たした役割、雰囲気のある差し込みイラストとともに、

希望を持って終わる。しばし日常を忘れてしまえる、幻想だが指輪物語のごとく

欧州文化を軸に持つ描写だ。


 彼が話したのは、一人のサッカー好きな青年の話。

この青年の行程を思い浮かべ、まさに勇者の旅を傍目観ている気になれた。

どこか遠くのこと、あるいは今ここにないことを想像で補い、感じる。

話を聞いて、自分もその旅をしている気分になれた。

今ここにないこと、できないこと、あの時できたこと、これからできること、

今の彼にはこれからできることが、きっとまだたくさんある。


thus far with brau and all an inable 

pen, bending   persume the story.

in your fair minds,

let this acceptance take.・・

粗雑なペンで作者は何とかここまで話を進めて参りました。

どうか寛大な心で、いたらぬ点はご容赦を・・



 「これ、今日発売?」

年配の利用客が、吟味しているのは、やっぱり競馬新聞。

この人はいつものように、しばらく黙って新聞を眺める。

「これ、残額分かる?、そう言って2枚のSUICAを取り出した。

「はい、もちろん」、そう言って、手早く残高確認ボタン。

気が付けば今、この人の後ろに並んでいる次の利用客が眼に入った。

でも焦ってほしくはないし、周りから煽られる様な圧もかかってほしくない。

今はこの人の時間だ。青年は気にしながらも何事もないように振る舞い応対する。

「こっちは」ピッ「3500円ですね。2枚目は」

ピッ「これは0円です、入ってないです」。

「明日から開催だってさ」「そうみたいですね、結構歴史ある大会みたいですね」

「ん、そうなのかな、どうだろ」、

しまった、付け焼刃の知識で余計なこと言ったかも。

「それじゃね」、会計を終えてレジを後にする年配の利用客。

「あ、またお越しくださいませ」、少し温かい目で青年は見送る。



 身を切るような寒さも和らぎ、

歩いていて、木漏れ日の温もりを感じる時も多くなってきた。


ビクトリーロード、勝利の道と命名された球場までの道のりを、彼と彼の父親は歩く。

ナゴヤドーム矢田駅からの約10分間。一時期の黄金期はいずこかへ、

勝利の道は、勝利を信じる道、あるいは期待する道、と捉えてるべきか。

でもそれはそれでいい。競い合うものは、良い時も悪い時もある。


一人ですたすたと行ってしまう父。なんでそんなに急ぐのですか。

アスリートは自分の前を行かれると抜き返したくなる、という反応と同じなのか。

いやでもこんなところで闘争心を燃やすほどの価値があるとも思えない。

ついていかないよもう。

入口ゲートで父は待っていた。でもこちらを急かす様子はない。


 座席で食べる味噌かつ弁当はおいしい。味噌かつでなくても良い。

球団が工夫を凝らして用意した球場弁当、略して球弁。ホームラン弁当、

ひつまぶしをもじったヒットをたくさん打てそうなヒッツまぶし弁当、

地元ならではのひねりの効いたラインナップに彼はうなる。試合が始まるまで

の間、そして試合が一山越えた頃にも、700mlのビールとともに買う時もある。

座席でも買えるけど、球場内部の売店での待ち時間も悪くないものだ。注文待ちの

人も多い中で待つ楽しさ。皆さんのここにいる主題が、同じだからなのだ。

ここにしかないもの。わざわざこの場所に、TV中継で済ませてしまえるのに、

来てその雰囲気を感じて過ごす。別に親しく話をしてもいないけれど、同じ、

このディズニーランドの乗り物に一緒に乗ったような一体感を感じられる、貴重な

数時間を、贔屓のチームの勝ち負けの行方を見守りながら、しばし日常を忘れる

ひと時。ビールは座席で場内を動き回っている売り子さんたちからも購入できる。

彼はどの売り子さんから買ってあげようかといちいち考える。売り子さんたちにも

ノルマがあることを彼はなんとなく知っている。なるべく頑張っている人から、

と思いながらも、なんとなく結局は容姿端麗な女性売り子から買ってあげようとする

自分に気づいている。

試合中、この選手はこうだからダメなんだ、とか、こうすればいいのにしょうがない、

などの父の解説を聞くことになる。不思議と、この選手のここが良い、ここに期待

したい、という前向きなご意見もなくはないけど割合は少ない。でも理解する。

これも楽しみ方の一つだ。そばで聞くこちらにとってちょっとつらいけど。

まだまだ老いを感じさせない若さ、試合を批評するほど頭の回転も速く、頼もしい。

数年前、初期ガンを宣告された時はかなり落ち込んでいた。

今は体質改善に取り組む父。孝行したいと思った時にはもう親はいない、

という諺がある。彼自身も老いを感じているのだから、父はなおさらのはずだ。

今ある時間を大切にしたい。

でも、疎遠なままであったことで後悔する、という心配はもう無さそうだ。

歩く路地には、この春も、桜は何も言わず咲いている。


(27枚、25581字)

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