No.3 いざ、時越
傷が治らなぬ、痛みを通り越して
もはや熱い‥‥‥
足が重い‥‥‥
時が長く感じた。助六の荒い息づかいが耳につく。
初戦が繰り広げられた平野まで戻って来ると、玄次郎は地面に転がるように倒れ込んだ。前線からは叫び声や怒号、銃声と馬のいななきが聴こえる。
「血ぃ止めね~とぉ、しっかりしろ~、玄次郎!!」
助六は懐から薬草を取り出すと、惜しげもなく玄次郎の右肩に当てた。
此処は地獄か‥‥‥
玄次郎は朦朧とした意識の中、頬へと滴り落ちる”何か”に気が付いた。
汗‥‥‥??熱い‥‥‥これは血‥‥‥か?
目を見開くと、丸い顔から滴る汗、口からは血を流す助六の顔が目に入った。
「す、助六‥‥‥おぬし、血が‥‥‥‥」
「黙ってろ~、今助けでやっがら‥‥‥」
助六は玄次郎の右肩の治療を終えると左胸に刺さった矢を折った。
「ゔーーーっ!」
胸に激痛が走るのを感じた。
「どこまで刺さってっが、わがんねーがら薬草だけ塗っどぐぞ‥‥‥」
『‥‥ぉぉぉぉおりやぁーーー!!』
叫び声が近付いてくる‥‥‥
苦痛に顔を歪める玄次郎が、瞬きをした瞬間。
助六の身体が身震いした。
「ぐぅ‥‥‥‥や、めろーーー邪魔すんなーーー!」
助六は立ち上がると、敵兵を両手で突き飛ばした。
背中には無数の矢と、槍が刺さっている。
「助六、おぬし‥‥‥」
「玄次郎、はぁ~‥‥子どもさ、産まれんだろ‥‥‥はぁはぁ、死ぬんじゃね~ぞ‥‥‥」
助六は振り返り、渾身の笑みを浮かべていると、敵兵の無慈悲な刃が助六の脇腹に突き刺さった。人形のように力を失った助六は、うつ伏せに倒れ込んだ。
助六?‥‥‥‥助六!!
「ぉぉおのれぇーーーー!!」
小刻みに震える玄次郎の右手が一回り大きくなると、鋭利な爪が飛び出した。
無我夢中で敵兵へ飛びかかると、首元を切り裂いた。怒りと絶望が頭を支配し、視界は血と汗と涙で覆われていく。前方では、味方の陣形が突破されていく様が歪んで見えた。
肥大した手と、伸びた爪は、悪あがきだったかのように成りを潜めた。玄次郎は倒れた助六を抱きかかえようとしたが、その身体は重く、共に倒れ込んだ。
「助六ぅ!死ぬな、死ぬなーーー!!」
玄次郎は懐から薬草を取り出すと、助六の脇腹に当てた。助六は疲れきった顔で、眠っているようだった。
何故だ、なぜ、力が出ない‥‥‥
「ガーッ‥‥ハー!‥‥ガーハ、ハー!」
玄次郎は力を振り絞って笑ったが、涙と鼻水で上手く笑えなかった。
すまぬ‥‥‥助六、おれが退いてさえいれば‥‥
こんなことには‥‥‥
「だから言ったじゃないですか~♪」
聴き覚えのある声が後方から聴こえた。
「あなたは此処で死んでしまうんです♪そんな大怪我をする前に未来へお連れしたかったのに~♪」
うさ耳男が、生い茂る木々の間から姿を現した。
此奴、切り刻んでくれようか‥‥‥
玄次郎は虚な目でうさ耳男を見つめた。
「しかし先程の一撃、よく手が出ましたね~♪死んでしまうかと思いました~♪」
ふざけた風貌の男とは、話す気力も余裕も無かった。玄次郎は覚悟を決めると、戦線に身体を向けた。
「ご友人が救ってくれた命、無駄にするおつもりですか~♪」
玄次郎は思い出したかの様に振り返った。
「おぬし‥‥‥助六を助けてくれまいか?殿はおれに任せよ」
「残念ですが、彼はもうすぐ死ぬでしょう♪」
「頼むっ!!」
腹から搾り出された叫び声が、草木を揺らした。
「助からなくとも、薬師の元へ運んでやって欲しい。敵に身ぐるみを剥がされる前に」
玄次郎は目頭を手の甲で擦った。
「そんな悠長な事、言ってられませんよ~?ほら、敵さんが来た♪」
そう言うと、うさ耳男は軽快なフットワークで鬱蒼と茂る草木の方へと逃げていった。
前線が破られ、敵の槍兵三人組がこちら目掛けて走ってくるのが見える。その距離50歩といったところだ。
「頼む、御先祖様、おれに力を貸してくれ‥‥‥友を救う力を‥‥‥」
玄次郎は自軍の旗布を破き、手に巻きつけた。
妖術:妖力付与
微かに旗が風になびいたかのように見えた。
もはや、体術も使えぬか‥‥‥
かくなる上は‥‥‥
玄次郎は左胸に刺さった折れた矢を引き抜いた。矢傷は大きく裂け、多量の血が土を赤黒く染めていく。
血が混じった砂を掴み、宙に投げると、口に指を当て文言を唱えた。
「この血彷徨わば、我を掴めず、陽炎稲妻水の月」
赤い砂塵が宙を舞う中、敵兵はキツネにつままれたように、辺りを見回していた。玄次郎の姿が突如消えたからだ。
目に付いた助六を足蹴にすると、踵を返し、新たな標的を目掛けて駆け出した。
敵兵が離れるの待っていたのか、助六の身体が引きずられるように平野脇の茂みへと移動した。
妖術:血印活路:チインカツロ
玉藻前が都からの追手を撒く際に使用した【血妖術】
空間一帯から己の姿をくらます、逃げの一手だ。
敵の目を欺いた玄次郎は、助六の両脇を引っ張り、戦線から離脱することに成功したのだった。
「ウサギーーー!どこだー‥‥‥」
茂みの中で姿を現した玄次郎は、気力を振り絞り、声を上げた。
「はーい♪何とか窮地を脱したようですね~♪」
木々の間から、うさ耳男がひょっこり現れた。
「ぐっ、ぐうぅ‥‥‥」
大量の血を失った玄次郎は、意識を飛ばさぬよう、歯を食いしばっていた。
「今しがた、西軍から裏切り者が出たようです♪前線は総崩れ♪形勢は東軍に傾くでしょう♪まぁ、”史実通り”なんですけどね♪」
馬鹿な‥‥‥本当に、この男の言う通り
事が運ばれると言うのか‥‥‥?
玄次郎は雑草を掴むと、力なく肩を落とした。
「おれはもう動けぬが、助六はまだ、辛うじて息をしておる‥‥薬師の元まで、運んでやってくれ‥‥‥」
「了承したら、私のお願いも聞いてもらえますか♪」
うさ耳男は口笛を吹きながら、玄次郎の顔を覗き込んだ。
「子孫の与力‥‥‥であったな、いいだろう‥‥‥助六を、頼むぅ!!」
「はい♪すぐに見つかれば、助かるかもしれませんね♪では、助六を”転送”します♪」
うさ耳男はポケットから丸いシールを取り出すと助六の額に貼り付けた。
「座標はあの辺りでいいでしょう♪ ∬∃@▽◇◎$£※⊆〒^^♪ 」
うさ耳男が難解な言葉を呟いくと、空から一筋の光が降り、助六が宙に浮き上がった。
次の瞬間、眩い光と共に助六は姿を消した。
玄次郎は空いた口を塞ぐと、生唾をゴクリと飲んだ。
「では、約束通りあなたを未来へお連れ致します♪」
うさ耳男は、座り込む玄次郎の手を掴むと、左腕をぐるぐる回し始めた。
‥‥‥‥
「何を、しておる‥‥‥」
うさ耳男は懸命に左腕を回し続けていた。
「ふんっ、ふんっ♪今から422年後なので、たくさん時を、越えないと、いけないのです♪」
うさ耳男の左手にはめられたシルバーリングが眩い光を放つと、辺りが歪むように朝晩を繰り返した。草木は枯れたり生えたり、人や動物、家屋などの造形物が現れては消えるのを繰り返した。
玄次郎は眠気に耐えられず、うなだれていた。
Myu Myu Myu Myu Myu‥‥‥‥
「はぁ、はぁ、はぁ‥‥‥着きましたよ♪422年後の未来です♪」
2022年10月某日‥‥‥
長い時を越え、とある商店街の道中に辿り着いた。
「なにあれ、可愛い!」
「ハロウィンのコスプレじゃない?」
小学生の女の子グループが指を差して笑っている。
うさ耳を頭に付けた男が、行き交う通行人の視線を集めていた。